ウルトラマラソン

2017年5月16日 (火)

川の道ハーフ完走記2(フルランナーの背中編)

川の道ハーフ254kmの完走記その2

バカロード師匠と離れて、いよいよ善光寺詣とフルランナーの背中を押す旅に出ます。

●フル210番(15:48)
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昨年、私と同じように完走された永久ゼッケン210番さんです。
女性から飲み物などを貰っていました。羨ましい(笑)

●304番の女将さん(15:51)
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追い越して、写真を撮るのを忘れてて、振り向いて撮りました。
女将さんの居酒屋に入ったことは無いのですが、女将さんであることは知っております(笑)

●地下通路のランナー2名(番号不詳)15:52
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●フルランナー2名(15:59)
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わざわざ真ん中に通路を空けていただきました。

●善光寺への登り坂(16:37)
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去年は気が付かなったのですが、善光寺に向かう道は、結構な傾斜の坂でした。
歩きだしそうになりましたが、まだ序盤だと言い聞かせて、走って登り切りました。
いやあ、きつかった。街路樹の満開の花に癒されましたね。

●善光寺参道とフルランナー(番号不詳)16:46
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昨年は早朝5時に詣でたので、人はいませんでしたが、今回はまだ陽のある夕方。
参拝者多かったです。

●善光寺山門
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でかいですね。

●善光寺本堂
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●CP16善光寺(55.7km)16:52
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後半ハーフ254kmのすべてのランナーの道中の安全と完走を祈願して、255円奉納しました。(4円ちょうどがなかったもので(笑))

●私設エイド(善光寺参道入口)16:57
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美味しいパイナップルをいただきました。
いったんここで、ハーフ425番を抜き返しました。

●フル313番(右はハーフ425番)17:23
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●休憩中のフルランナー(番号不詳)
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靴脱いで何やら作業中でしたが、320kmも走っていれば、足痛いに決まってますよね。

●気温表示
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点滅で写ってないでやんの(笑)
何度だったかは記憶ありません。

●3人のフルランナー(2番、51番、307番)17:51
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まだ元気に走っておりました。スピードの差があったので抜かしましたが、左の女性ランナーのエスコート役もされていて、さすがベテラン完走ランナーさんたちです。

●フル217番(17:55)
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このあたりから、かなり疲労感が出てきて、今にも歩きだしそうな感じでしたが、フルランナーに見られるとまだ彼らの5分の1くらしか走っていないハーフランナーは頑張って走るしかありませんでしたね。(笑)

●フル123番(18:04)
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81番の瀬田晃さんの永久ゼッケンを背負って日本海を目指しているフルランナーさん。
その重い使命を自ら担って、それを実現される方は本当に尊敬に値します。
私にはとてもできそうにありません。

ちなみにこの123番さんは私が千葉県在住ということ知っていたようで、このあと少し並走しながら、お話させていただきました。

今、話を思い出しましたが、私は自己中なことに、次のコンビニの位置を聞いてましたね。まったく、自分のことしか考えていない。(笑)

コンビニがあと3か所あるという貴重な情報を貰って、元気よく、彼を振り切って進みました。その節はありがとうございました。m(__)m

●フル97番、フル300番台(18:06)
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疲れているであろうに、こんな幅の広い歩道の端っこを歩かれている姿勢に川の道ランナーの素晴らしさを垣間見ました。私なんぞは、爪の垢を煎じて飲まないといけないですね。(笑)

このあと、コンビニが出現し、初めてのカップラーメンを食べた。

コンビニの外で食べていましたが、先ほど抜かした何人ものランナーが通りすぎました。
ひょっとするとハーフのランナーもいたかもしれません。

汁まで完食し、カロリーのみならず、塩分も十分補給できて、体も温まって、復活することができました。

ヘッドライトを腰に装着し、アンダーウエアを2枚着込んで、出発しました。

●夕闇迫る信州盆地(18:57)
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大きな河原の向こうに山脈。昨年はまだ昼間に写真撮ったのですが、夕闇の感じもまた良いですね。

●CP17浅野交差点(ハーフ71.2km)19:01
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気温は16度。これから山道に入るし、まだまだ気温が下がっていきます。
これまで多くの背中を見て、抜かしていったフルランナーが、これから出くわす、寒さと眠気という2つの苦闘の始まりの夜でもあるのです。

一方の私は、疲労困憊ながらもハーフでまだ70kmしか走っていないので、きっとまだ走り続けられるだろうという楽観さで、まあ何とかなるだろうって、感じで進むのでした。

次>川の道ハーフ完走記3(夜間走行編)

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参考:川の道ハーフ完走の軌跡

2017年5月11日 (木)

川の道ハーフ完走の軌跡

なかなか写真付き完走記録を書く時間がないので、先に備忘録的にタイムや記録面での整理と箇条書きのポイントを掲載します。(わかる人には分かる内容ですが、川の道を知らない人には、さっぱりな内容ですいません。)

川の道ハーフ完走記はこちら

●ラップタイム一覧
Ws000088s
昨年のフルに比べると、実に寂しいハーフの公式ラップ記録です。(笑)
スタートから旧三箇小学校までは、そこそこ走れましたが、その後は、かなりのブレーキに。
今年のフルの優勝者の平均時速が同じ6.1km/hだったのは、情けないというより、頑張ったって感じですね。(笑)
あと、最後和田邸からゴールまではそれなりに走ったはずですが、昨年苦しんだフルの記録とそれほど差が付いていない・・・。
去年のフルはなんだかんだいって、最後まで走れていたんだなあ

●GPS走行軌跡

●GPS高低軌跡
Ws000089

●GPSラップタイム前半
Ws000090_2
CP15までは、キロ6分程度のハイペースを維持
その後、日中はキロ8分程度に低下しつつも、夜に入ってキロ7分半に戻し、最後のアップダウンのある長丁場ではバテて、キロ8分半と何とか粘って、133kmを16時間半で中間地点の旧三箇小学校に到着できた。
その時点での順位は、10位。さすが、全国から集まってきた猛者たちである。

●GPSラップタイム後半
Ws000091_2
下が2016年のフルでのラップタイム
Ws000094
コンスタントに走った今回のハーフの方が、全体としてはタイムが当然に良いのであるが、昨年のフルの最後の2つは大爆走したのが、ラップタイム上からも明白である。

●GPS記録一覧
Ws000092s
距離は、主催者254.2kmとの誤差、わずか200m。コンビニとか寄っていたことを考えるとぴったりに近いですね。
コースタイムは、レストポイントで中断していた時間(2時間45分)が割り引かれ、ゴール後6分経過して終了させた追加分が入ってのタイム。
それにしても、累積上昇、つまり上りが1258mもあるとは、どうりでタイムが落ちるわけだ。

●レース概況ポイント
・スタート直前に優勝候補のしぶしぶさんに挨拶
・予想通りしぶしぶさんの独走
・とりあえず暴走しない程度に2位追走
・コンビニに寄らず、走り続けるも、すぐに3位転落し、4位にて最初のエイドの上田城に到着
・フルの最後尾ランナーを追い抜く
・長野市内で早くもバカロードさんを追い抜く
・425番ランナーとのデッドヒートの始まり
・冷凍ジュースを首に装着して冷却
・観光客でにぎわう善光寺参り
・すっかりペースが落ちての忍耐の走り
・有り難いことにブログの間違い指摘される。(後日、修正済み)
・浅野交差点前でカップラーメンを食べてかなり復活
・飯山手前の分岐で懐かしい旧道選択
・ほとんど交通量がない旧道
・結局ほぼ想定通りの時間に飯山駅到着だが、脚は売り切れ気味
・飯山駅後も粘って走って最後のコンビニのひとつ前のセブンイレブンで復活を期してのカップラーメン
・アップダウンが続き、走りはあまり復活せず、期待は私設エイド
・諦めた頃に私設エイド出現。筍の味噌汁が美味
・その後、まだまだ元気のよいハーフランナーに抜かされるが、左折ポイントに迷っていたので、まだまだ先と教える。
・なんとか最後まで歩かずに左折ポイント到着
・鹿渡館から150m先に新しいレストポイント(旧三箇小学校)に10位で到着

・シャワーを浴びず、すぐに食事して、仮眠所に
・仮眠所は快適なれど、大いびきに眠れず
・すっかり明るくなった2時間後に何とか起きた
・食事してすぐに出発

・足取りは重く、すぐに二人に抜かされる。
・暑くなる前に復活のカップラーメン作戦発動
・小千谷で水切れ寸前
・思ったより暑くて、1キロのロックアイスを首に巻いて進む。
・和田邸に到着。和田さんに挨拶して、5分の休憩で出発
・真昼の暑さにノックダウン気味、出発を後悔
・耐えきれずバス停ベンチで2時間休憩、ただし満足に眠れず
・3時50分からレース復帰するも、まだまだ暑く、調子出ず、歩き中心
・フルのランナーにも抜かれる始末
・復活を期して、カップラーメンに飽きたので、冷やし中華を食べる。
・長岡手前でランナー密度上昇
・長岡過ぎて、暗くなる前に痛みを覚えた右足人差し指を確認して、びっくり。その場でマメ処置
・痛みを感じながら、痛いがゆえに走ることができ始める。
・夜になり涼しくなって、あの直線道路をひたすら耐えて、だんだんと歩くより走る距離が伸びてくる。
・CP24を通過して、サンドイッチを食べて、ロングスロースパート
・誰もいない後ろを振り返りながら、進む
・堤防はとにかく長かった。
・誰もいない川の道岬は美しかった。
・最後はかなり明るくなったゴールのホンマ健康ランドに到着

・安くなる5時まで待って、風呂に入る。
・仮眠室に向うも、これまたイビキで眠れそうにないので、チェックアウトして新潟駅に向かう
・舘山代表に「来年はフルで」と約束の挨拶をして、スタッフに挨拶して、タクシーで後にする。
・6時56分新潟発の新幹線でも思ったように眠れず東京着
・電車を乗り継いで、10時30分の自宅到着
・ブログに結果速報を掲載して、以降、爆睡

・バカロード師匠の最終ランナーでの完走に感激したが、少し疑惑あり
・やっぱり川の道はフルで出ないと満足できない。(ハーフはつまらない)

2017年5月 5日 (金)

川の道フットレース完走結果速報

ゴールデンウィークの中盤は、全国的に晴天に恵まれ、絶好の行楽シーズンであったかと思われます。

私が参加した川の道フットレースですが、30日に東京をスタートしたフル、つまり520kmの部の方は、1日の昼頃、暴風雨に見舞われ、トップランナーでは最も標高の高いぶどう峠あたりであったらしく、大変だったようですが、それを除けば、全般的に天気は良かったようです。

私が3日から参加した川の道フットレースの後半ハーフの部は、最初から最後まで快晴に恵まれ、天気は最高でした。

川の道フルの全体のレースのご報告ですが、ここ2年連続して2位となっていたS藤選手が、序盤はスローペースで中盤から優勝争いをするといういつもの展開でなく、今回は序盤からトップ独走されていて、公式サイトの結果速報を眺めていた私をはじめとする多くの川の道フットレースファンの身からすると、「これは凄いことが起きるのでは?」とますます公式サイトと本人から投稿されるFBに目が釘付けとなってしまいました。

(私なんかは、後半ハーフに出るのだから、いい加減、結果速報眺めているより、自分の準備した方が良いと思うのであるが、最も凄いのは、トップを走っているS藤選手自らが、結構な頻度でレースの状況をFB投稿されることである。私なんかは、走っているときにそんな余裕はまったく無い。)

最終的に、S藤選手は、300キロ過ぎあたりから、走れなくなったようで、優勝争いから脱落し、昨年の覇者であり、今回も前回同様、ずっと2位追走していたM選手が、最終的には独走での優勝をされました。

記録は84時間7分と、昨年とほぼ同等、正確には少し遅いタイムだったようです。

これだけ暑い中、昨年同様のタイムを出されるとは、さすがチャンピオンさんです。
2連覇での優勝おめでとうございます。

さて、私の結果の方ですが、最高の天気の下、栄誉ある永久ゼッケンをいただいて、初めての出場となった私は、楽しく大爆走する意気込みを語りながら、思ったほどの大爆走はできないながらも、何とか完走することができました。

●完走証と完走賞
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永久ゼッケンでの完走証、格別です。

今回の暑さは、まだ2回しか経験していない私が語るのもおこがましいですが、半端なかったと思います。

スタート直後は、2番手集団から一度は飛び出したものの、暑さで足が前に出なくなって、ずるずると後退する結果で、中間地点の旧三箇小学校に到着。

最低限の2時間休憩で出発するつもりでしたが、2時間45分程度の滞在となり、すでに陽が上って暑い中でのレースになって、ぐんぐん下って、ますます暑さが増す中、昼過ぎからは、恐らくは熱中症気味に陥って、まったくごけない展開になって、日陰で2時間横になって、暑さをやり過ごす展開となりました。

少し涼しくなった、夕方からコース復帰するも、まだ暑さが残る夕方は走れず、日が落ちて涼しくなってから、やっと走れる展開となって、昨年やり残した新潟大爆走は、小爆走程度ながら、実現することができて、夜明け直前の曙光が幻想的な川の道岬で日本海を眺めることができてのゴールとなりました。

●夜明け前の川の道岬
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このタイミングでこの美しい日本海を眺めることができたのは、私だけでした。(前日に早いタイムのフルのランナーさんが誰かいたかも)

●ゴール後の記念撮影
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特別にマイカメラで撮影していただきました。

熱中症気味の後遺症は大きくて、眠いのに眠れないはどの疲労感(うまく説明できないのですが、気持ち悪くて眠れないのです。)で、こうして、ブログ記事をアップしている次第ですが、何が言いたいかといえば、今年の川の道は、とにかく暑かった。

最終日の5日の新潟平野はさらに暑くなっていて、、制限時間に追われる多くのランナーは、この灼熱地獄の中、休むこともままならずに、苦闘の歩みを進めていることと思いますが、とにかく自分ができる範囲で諦めずに、前に進んで、栄光のゴールテープを切っていただきたいところです。

川の道ランナーの皆さん、そして大会スタッフの皆さん、最後までがんばってください!

ありがとうございました。m(__)m

川の道ハーフ完走記はこちら

2017年4月29日 (土)

永久ゼッケンという栄誉をいただきました。

本日、第13回日本横断 川の道フットレースの開会式に参加してきました。

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写真のとおり私のゼッケンは186番でした。

この186番ですが、今後の本大会において、私の固有のゼッケン番号となったところです。

昨年、川の道フットレース520km、通称川の道フル、ワンステージ制では日本最長のウルトラマラソン(フットレース)において完走し、これまでの大会通算で186番目の完走者になったことから、完走者のみに与えられる栄誉の固有ゼッケンをいただくこことなったのです。

→川の道フットレース完走記はコチラ

固有とは、つまり仮に私が出場しなくても、他の人はこの186番を使うことはない、永久ゼッケンなのです。

これまで、いろいろなマラソン、ウルトラ、トレランの大会に出場し、完走者として、栄誉を称えていただきました。

一般的なのは、完走メダルでしょうか。

距離が長く、一般的に完走が難しい大会においては、完走者の栄誉をより称えようと趣向を凝らした、特別なものをいただいてきました。

例えば、国内最難関のウルトラである「さくら道国際ネイチャーラン」においては、完走者がいただける記録証が紙ではなくて、ヒノキの一枚板に彫り込まれた、それはそれは素晴らしい記録証がいただけます。(あまりに素晴らしいので、我が家では玄関に置き物代わりに飾られております。)
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世界的に有名なウルトラマラソンであり、さくら道以上に難関のスパルタスロンにおいては、記録証はもちろん、完走メダル、ゴール直後に、完走メダルを掛けていただき、頭には古代オリンピックでの勝者に贈られた月桂冠を戴き、女神さまから聖水を飲ませていただきました。
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トレランにおいては、日本山岳耐久レース、通称ハセツネでは、完走者には完走Tシャツが贈られ、これを着ていることがちょっとした自慢でしたね。

また国内最高かつ最長トレランのUTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)では、本場UTMBを倣って、完走者にはベストが贈られます。これを着て、完走直後に闊歩するのが、格好いいところです。私は第1回のUTMFは完走でき、それを行えましたが、2年前に初参加したUTMBでは、9割方、完走ベストを手に入れたと思っていたのですが、残り7キロ弱の最後の関門で時間切れとなる悲劇を味わいました。なので、UTMBの完走ベストを着ることが、今の私の人生の目標でもあります。
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話がだいぶそれましたが、こうした完走者のみが手にできる品々を私は手に入れたから、満足しているというわけではありませんが、私の限られた資源(時間やお金)を考えると、新しいレースに出ることを選択してしまう、つまる一度の完走で終わってしまうことが多い私ですが、この永久ゼッケンの場合は、これを付けて、走りたいと強く思うというか、熱望すらしてしまいましたね。

ミーハーと言われようが、こんな嬉しいゼッケンはありませんね。

というわけで、今回は、このゼッケンで、川の道ハーフを走ります。

これまでの多くの川の道完走者が培って、守ってこられた、川の道ランナーと大会の栄誉に恥じない、そして、この川の道という唯一無二の大会を支える大会関係者の熱い思いや期待に応え、そして感謝の念をきちんと伝えられるように、昨年は、満足に走れなかった、長野県と新潟県を疾走して、表していきたいと思います。

2017年4月27日 (木)

富士山と桜(チャレンジ富士五湖)

チャレンジ富士五湖完走記のあとがきのつもりが、完走記がまだなのでまえがきになりました。(笑)

ウルトラマラソンの醍醐味の一つは、景色を堪能できるというのがあります。

今回初めて参加したチャレンジ富士五湖の景色について、事前にほぼ何の情報ももたずに参加したのですが、3月末が寒かったせいで、まず桜が満開で、レース前半は曇りでしたが、後半にはすっきりと晴れて、富士山も見えて、さらに大会名称のとおり、富士五湖の美しい湖畔を走るという、風光明媚なコースでございましたので、まずはその報告をしようとするものです。

●河口湖北岸
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●河口湖北岸
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●ランナーと桜と雲に隠れた富士山(西湖)
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●富士山と桜(精進湖)
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●桜と富士山(精進湖)
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●坂道のランナーと富士山
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きつい坂でした。

●河口湖南岸
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107.5km地点

●女性ランナーと桜と富士山
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●完走メダルと記録証と富士山
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以上のように、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン大会のコース上だけでも桜と富士山のセットがこれだけ見ることが出来て、実際には風光明媚な湖畔などの風景てんこ盛りでしたが、平均高度が1,000m程度とそれなりの高度で空気が薄いうえアップダウンもあって、普通のマラソンとは違う、エグいコースでした。

ウルトラマラソンは、ただ長いだけのマラソンではないというのを改めて思い起こさせていただきました。

萩往還マラニック完踏記録綴り

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4月下旬からゴールデンウィークは超ウルトラマラソン(100kmを超えるウルトラマラソン)大会が目白押しのベストシーズンである。
そのうちの一つが、萩往還マラニック大会である。
ちなみにこの時期の他の大会であるが、日本最難関のさくら道国際ネイチャーラン250km、日本最大級のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン118kmほか、日本最長距離、世界でも最長の可能性が高い川の道フットレース520kmなどがあります。プチ自慢しちゃうと、いちおう全部完走してます。(笑)

さて、萩往還マラニック大会ですが、山口県で5月2日から4日の間に開催されるマラニック(マラソンとピクニックを合わせた造語)大会で、距離カテゴリーが充実していて、最長の250km、次が140km、その下に70km、35kmが設定されており、いろいろなレベルのランナーが参加できる大会であります。

私にとっての萩往還マラニックは、初めて参加した超ウルトラマラソン大会という思い出深い大会であり、多くのランナーにとってもそういう大会になるものと思っています。

この大会の特徴はいろいろあると思いますが、特にあげるとすれば次の3点です。

1 萩往還という歴史的かつ風情のある街道がコースの軸となっていること

2 比較的人口密度の薄い山間部の集落の素朴で温かい接待のエイドがあること

3 多様なカテゴリーのランナーが同じ制限時間の同じゴールを目指すこと

特に3について補足説明させていただくと、普通のマラソン大会では、スタートが一緒で、スピードやスタミナが違うランナーで徐々に差が付いて、最後はかなりばらけてゴールというのが一般的なのですが、この大会では、5月2日に250kmがスタート、翌3日に140km、翌4日の朝に70kmのランナーがスタートし、それぞれが4日午後6時までにスタート地点でもありゴール地点でもある山口市内の瑠璃光寺を目指すのである。
そのため、一度ばらけたランナーがゴール間近、特に制限時間近くになればなるほど、ランナー密度が上がるとともに、それぞれのカテゴリーの選手が、それぞれの健闘を互いに称えあいながら、まさに一緒に長い道のりを共に走った、ある種の同志のような連帯感・一体感をもって、ゴールを目指す者のみならず、応援する者までも、一緒にゴールしたような感動を得られるのである。
私が知る限り、こうしたレース運営をされている大会は他にないものと思われます。

さて、私はこの萩往還マラニックには、過去2回参加しており、それぞれに強烈な思い出があります。

●140km(2009年)
 走り始めて2年での無謀な初めての100km超の大会でした。
 なんとか19時間で完走し、GWで家族が帰省していた嫁の実家の金沢に帰りました。
 ちなみにこのブログは2009年1月から開始しているのですが、これが最初の大会完走記となりました。
 こんな面白くもない完走記ではダメだと、自分自身では内容を進化させ続けてきたつもりでしたが、今読み返してみると、心情変化などを文章で丹念に綴っており、自分の完走記ながら感動しちゃいました。(笑)
 しかしながら、本大会での最も印象深い思い出は、帰路の新幹線での出来事でした。
 その時の逸話は、「恐ろしい石鹸のお話」として、記事にしております。(笑)
 →自分で感動した140kmの完走記はコチラ 

●250km(2011年)
 東日本大震災直後で、自身初の200km超の大会でした。
 調子に乗って序盤、最後尾からごぼう抜きする速いペースで展開したところ、中盤から苦しくなり、宗堂の休憩所では、1時間だけ仮眠と布団にもぐり込むと、そのまま出られなくなって、やっと起きたころには、ビリッケツになっていました。
 ゴールに間に合わないのではないかと焦って、まさに七転八倒しながら、追い上げたら何とか44時間台で完走しましたが、完走後2週間は右ひざが曲がらない後遺症が生じ、ランニング再開するまで1カ月以上かかるという大ダメージを受けました。
 →250kmの完走記はコチラ

当時はまだ、マラニックやジャーニーラン(コース誘導がなくて自分で地図を見ながら進む大会)の経験がなくて、いわゆる初心者状態で装備を考えて、それはそれでとても楽しかったのではあるが、失敗も多く、それから今とは比べ物にならないほど、安くて稚拙な装備で臨んでいたのも、今となってはウルトラ初心者時代の古き良き思い出ですね。
 →当時の萩往還マラニックの装備記事はコチラ

さて、この30回を超える歴史ある萩往還マラニック大会ですが、来年で終了するそうです。
最後の大会ということで、何とか参加したいなあと思っているところですが、相当な倍率になるんでしょうね。
エントリー合戦の壮絶さは想像もつきませんが、なんとかエントリーして、思い出深い大会をもう一度走ってみたいです。

2017年4月23日 (日)

チャレンジ富士五湖 結果速報報告

初めてのチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンに参加したので、結果速報をご報告いたします。

結論から申しますと、100キロを無事完走しました。

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神々しい富士山の下、いただいた記録証とメダルの写真です。

完走タイムは見えているとおり、11時間29分35秒でした。

10時間を切りたい(サブ10)と大見えを切っていたのですが、まったくもって、1時間半もオーバーと情けない限りです。

宣言通り、序盤は、キロ5分を何度か記録し、登りもキロ6分ちょっとと積極果敢に攻めて、コースのアップダウンは想像以上でしたが、フルマラソンと同じ距離の42キロ通過は4時間3分と平均ペースはキロ5分40秒を何とか維持できていたのですが、56キロのエイドで休んだ時点で、平均ペースがキロ6分に到達し、10時間切りが絶望となり、その後は、アップダウンもあって、ずるずるとタイムが落ちていってしまいました。

Ws000083
上のグラフは1キロごとの平均ペース(キロ何分何秒か)
下のグラフは標高の推移

最後の激坂は、もはや私の力ではどうしようもなく、ただただ歩くしかなくて、上のグラフのとおり、キロ12分を大きく超える体たらくなペースでしたが、最後の下りはいつものように大爆走して一応、ごぼう抜きしてゴール、そして完走できて、嬉しかったです。

詳しいご報告は、また後程!

報告1:富士山と桜(チャレンジ富士五湖)

追記:
 今回、一番印象に残ったのは、イモトアヤコに会えたことでした。
 一緒に写真撮ればよかったと後悔してます。(疲れてて、とりあえず写真だけ撮って、満足してしまいました。)
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ノリの良い高校生?でしたよ(笑)
ところで後ろの変なのは何だ?

2017年4月19日 (水)

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン想定タイム&装備準備編

いよいよ4日後の次の日曜日が待ちに待ったチャレンジ富士五湖の日である。
先月の小江戸大江戸マラニック途中リタイア事件佐倉朝日健康マラソンの激沈事件と連続した不甲斐ないレース結果を教訓に、ただ距離を踏むのではなく、心肺を追い込むランニングを心掛けてトレーニングをたった3週間であるが続けてきた。
脚もいい感じに仕上がってきたし、フルマラソンならベストに近いサブ3.5は走れる感じだ。
まあ、今回は100kmなので、最後まで持つかは、わずか3週間足らずのトレーニングではとても自信はないが、根拠のない自信こそが私の強さの源泉でもあるので、きっと何とかなるだろう(笑)
といういい加減なところもあるが、今回も自分なりの戦略を考えたので備忘録的に記事として残しておく。

【レース概要】
カテゴリー ウルトラマラソン(距離100㎞)
累積標高差 詳細不明(1000m程度か?)
参加人数  2000人
制限時間  14時間(18:30)
関門数   6カ所
 ①16.9km(山中湖駐車場)06:40、②38.7km(富士北麓公園上)09:15、③56.4km(足和田出張所)11:30、④なし、⑤72.2km(旧精進小学校)14:00、⑥80.6km(西湖公民館)15:30、⑦94.8km(河口湖ステラシアター)17:45、⑧100km(ゴール)18:30
スタート時間 4:30

【今回のテーマ・目標】
サブテン(10時間切り)
想定タイム 10時間(14:30)
①16.9km(山中湖駐車場)06:10、②38.7km(富士北麓公園上)08:15、③56.4km(足和田出張所)10:00、④なし、⑤72.2km(旧精進小学校)11:35、⑥80.6km(西湖公民館)12:25、⑦94.8km(河口湖ステラシアター)13:55、⑧100km(ゴール)14:30

【装備】
ウェア上 ファイントラックメッシュ×2、半袖ハーフジップ、アームカバー、ULウインド、長袖
ウエア下 ユニクロタイツ、ハーフパンツ、レースソックス
シューズ イダテン
アクセサリ バイザー、グローブ、ウエストポーチ、GPS腕時計、反射材
携行品 デジカメ、食料少々、スマホ、銭、薬、アミノ酸、ティッシュ、鍵
 ①補給食 食料(ソイジョイ4本、一本満足バー3本、アミノ酸2本)
 ②薬 消炎剤、胃酸、胃粘膜、ビタミン、アスタキサンチン、バンドエイド、皮膚保護
ドロップバッグ 予備食料(バーとアミノ酸)、予備ウエア(レインウエア、予備パンツ&シャツ、ジャージ)
予備バッテリー"
本部預け ジャージ上下(スタート直前履き替え)、手提げ袋、予備バッテリー

【天気予報】
Ws000080_2
スタートの4時半ころは恐らく最低気温であろう。となると3度か・・・。真冬というか、ここ最近の温かさに慣れている身としては酷寒な感じだろう。
上は2枚、下も1枚は余分に着込む必要があるだろう。脱ぎ捨てサービスを有効活用するか。
その後の気温上昇具合は、20日の展開と似ているのではないだろうか。
最高気温は17度、日差しもあって、走っていれば、かなり暑いだろうな。
56kmのドロップバッグの使い方がポイントだな。

【戦略】
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序盤の平地及び下りはキロ5分程度で攻める。登りも高低図から推測すると傾斜率は平均的には5%程度のようなので、キロ6分半程度で走って登っていけると思う。(たぶん(笑))
フルマラソンに近い42km地点は、3時間55分で通過したい。24時間走の42km通過と同程度はアップダウンがあるコースとはいえ可能なはずである。
中盤はキロ6分前半を何とか維持して、サブテンに望みを残して、粘りたい。
疲労もピークとなる90km過ぎからの激坂では、脚が止まるであろうが、キロ8分くらいのスロージョグで粘りつくしたい。
強気の想定通りの展開となれば、最後は時計と睨めっこしながら、激坂を大爆走するかもしれない。
次戦の川の道ハーフまで10日間もあるから、ダメージの蓄積を恐れず、全力を出し切りたい。

2017年4月12日 (水)

初めてのチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン

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いよいよ来週末、第27回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン大会の100kmの部に初出走予定です。

丸10年、走り続けていて、ウルトラマラソンも最初に100kmを走ってから8年半も経っているのであるが、このチャレンジ富士五湖は初めての参加である。(富士五湖は118kmで、私の参加するのは100kmの部で、正式名称的には富士四湖なのであるが(笑))

これだけ有名で比較的近場で開催されるウルトラマラソン大会であるのに、何で参加しなかったのかなあと考えてみると、実に簡単な話であった。

答え→他の大会に参加していた(笑)

2007年 外秩父七峰縦走ハイキング大会
2008年 外秩父七峰縦走ハイキング大会
2009年 萩往還マラニック140km直前につき自重
2010年 プロジェクトで多忙
2011年 外秩父七峰縦走ハイキング大会(完走後、泣き)
2012年 外秩父七峰縦走ハイキング大会(自己ベスト)
2013年 外秩父七峰縦走ハイキング大会(途中リタイア)
2014年 さくら道国際ネイチャーラン250km
2015年 理由不明
2016年 川の道フットレース520km直前につき自重

という訳で、初エントリーで初参加なのです。

●コース図
Course
富士北麓公園をスタートして、東に進み、最初に山中湖を一周して、その後、河口湖北岸、次に西湖北岸、精進湖を一周して、西湖南岸、河口湖南岸を通って、ゴールの100kmです。

●高低図
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最初から標高差100mのアップダウンが続くが、山場はゴール直前の90km過ぎからの200m超の登りが厳しそうですね。

●関門
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狙うは大胆にも、5年ぶりのサブテン(10時間切り)です。
これだけのアップダウンがあるコースでサブテンできたら、爽快な気分でしょうな。
とりあえず、最初からとばして、頑張って、狙ってみます。
つぶれる可能性は、かなり高そうだけど(笑)

とにかく、初めての大会、実に楽しみですし、楽しく全力で走りますので、応援よろしく!

2017年3月25日 (土)

タフな走り

(前編のバカロードな走りからの続きの神宮外苑24時間チャレンジ完走記後編)

あれだけ序盤から爆走したから、今こうして苦しんでいる自分のこの状態、つまりガンガン抜かされている低速な走りを続けているにもかかわらず、7時間以上もバカロード師匠に会っていない。

本大会は約1.3kmの周回コースなので、トップ選手には10回以上、知己のランナーでも多い人では4,5回は抜かされている状態(抜かした相手がエイドやトイレに寄っている間にこちらが抜かすがスピードが違うためにすぐに抜かされる場合などもあり)が普通であるのに、かれこれ7時間以上もバカロード師匠の姿を見ていないことに違和感を感じていた。

タフなバカロード師匠も、実はもう潰れているのでは?などど、おこがましい想像をめぐらせ、(恐らくは)ニヤつきながら低速で走っていると、

何百人目かの私を抜かしていくランナーさんからの「かずさん、やっと会えましたね」との声に、振り向くと、それは7時間ぶりのバカロード師匠のお顔でした。

後で双方の記録を比較すると、10時間経過時点までは周回数は同じであり、私がバカロード師匠に後れを取り始めて7時間以上(スタートから9時間経過後まで)遭遇していなかったのも、端的にいえば、周回コースでお互いに姿の見えない反対側を同じようなペースでぐるぐる回っていたということだったのだ。まさにお互いに足が止まりそうになりながら信じられないような意地の走りをしていたわけだ。(笑)

「いやあ、きつい。今回は、3時間気持ちよく走った後、残り21時間、ただただ耐えるトレーニングと思うしかないですね。」とバカロード師匠からお声掛けいただいた。

さすがはバカロード師匠、私の爆走に付き合って、それゆえに現在ひどい目にあっているというのに、なんという前向きな考え方、またも感動して、涙目になりました。(笑)

「なるほど、そういう考え方をすれば良いのですね。となると私の場合は、2時間しか爆走できなかったので、22時間耐える練習かあ・・・。しかし、耐えられるかな。(笑)」と答え、その後もしばらく併走して話をしつつ、やがて休憩直後なのか私より元気なバカロード師匠はそのまま先行していかれました。

21時間耐えるトレーニングというバカロード師匠らしい激励に気持ちは上向き、低速走行にも大いなる目標ができ、走る意義を持つことができた。勝負はまだこれからんだと!

100km通過は11時間30分経過した22時30分ころで、そのころの実際の走るスピードは時速6.5km程度にまで落ちていて、体調悪化は止まらないものの、それでも決して歩くことはなく、歩く寸前のスロージョグを続けて進んでいた。

やがて日付が変わるころになると、明らかに周回コース上のランナーが少なくなってきたし、一方で歩いているランナーは増えてきた。

このころ頭の中で考えていることは、ただ一つ、今までの自分(の記録)を超えることだけ。

15時間経過する直前の午前3時前に、ついに自分を超えることができた。過去の24時間走の自己記録122kmを残り9時間余りある時点で超えることができたのだ。

すると不思議なことに、精神的なものもあってか、体調は最悪の状態から脱しつつあって、少しだけ足を前に出すのが楽になってきた。(9時間から15時間の間は1時間で5周(約6.6km)ペースであったが、15時間から16時間では6周(約7.9km)にペースが上がったのだ)

とにかく150kmを目指すことにして、休むことなく、ただただ1歩ずつ前に進んで行った。

夜明け前にもなると、周回コース上のランナーはいよいよ少なくなって、トップ争いをしているランナーも疲労と眠気で足取りが遅くなっていたりする人もいて、そうしたランナーを抜かせる状況でもあり、一方で、フラフラになりながらも休むことなく必死で歩いて前に進むランナーさんがいたりと、この最もきつい時間帯、過去自分は休憩していて、一度も走ったことがないランナー密度が低くて、もっとも過酷な時間帯を走っているという、タフなウルトラランナーとしての自己満足な充実感を味わいながら走り続けることが出来ました。

夜明け直前の午前5時半ごろ、150kmを超えることができた。足が止まりそうだった5,6時間前には、この状態では、24時間で150kmも到達できないのではないかと思っていたのに、予想外の粘りと回復にますます元気が出てきた。このペースならスパルタスロンの出走条件の180kmも夢でもないかもと思いながら、今自分ができることとして、とにかく休まず進むことにした。

さて、この神宮外苑24時間チャレンジは約1.3kmの周回コースで、本部前を通過する際に、液晶モニターに自分の記録(周回、距離、順位)を見ることができるのであるが、最初のひと桁台の順位が徐々に落ちて行って、日付が変わったころには男性51位(出走116人)にまで落ちたのであるが、その後は徐々に順位が上がっていった。

夜明け頃の記憶は定かではないが、37位を見た記憶があるので、それくらいまで上がってきていたはずである。そのとき、きりの良い、30位くらいまで順位を上げたいなあと思い、180kmに加え、30位以内も目標にすることにした。

6時が過ぎて、夜が明けて、音楽プレーヤーが禁止となる7時が過ぎても、目標に向かって、休まずにずっと走り続けているが、さすがに上位選手はなかなか落ちてこなくて、順位はあまり上がらない。

それでも、夜明けとともに体調の回復傾向は顕著で、残り4時間ということもあり、走りの調子は上がってきているのだが、ひと眠りしたランナーもコース復帰しだして、周回コースのランナーも多くなるとともに、こちらのペースが上がる以上に、周りのペースも早くなっていて、実際のところはちっとも早くなった気がしないのだ。(笑)

終了まで残り2時間を切って、順位は32位まで上がった。そして180kmも突破。あと二人抜けば、30位に到達できると思い、さらにピッチを上げた。

爆走していた20時間前のスピード近くにまでギアを上げて、とにかく走り続ける。気持ちの良い朝で沿道の応援も増えはじめ、そこから、ますます元気をもらえて、とにかく前のランナーを一人ずつ抜かし続けた。

もはや本部前の順位掲示を立ち止まって見る時間も惜しくなって、とにかく息が上がるレベルまでスピードアップした。

スタートして23時間30分を経過した10時半ごろ、ついに190kmを突破したようだが、そんなことより、30位以内に入れるのか?いや、最後まで力を出し切れるのか?それだけを考えて、懸命に走り続けた。

残り10分を切ったところで、自分のナンバープレートを本部前で受け取って、ラストスパートをかけた。

10時間以上、スロージョグしかできなかったことが嘘のように走れていることに嬉しかった。それでもトップ選手のラストスパートの速さには、とても追いつけないが、190km超を走っていながら、これだけ走れることに満足しながら、とにかく前を追って、24時間の笛が鳴る直前に、同じくラストスパートをかけている一人のランナーを抜かしたところで、24時間終了の笛が鳴った。

その場に立ち止まって、自分のナンバープレートを置いてから、距離計測を見守ったのち、300mほど歩いて、本部前に戻った。あとで記録が判明するのだが、195.752kmとこれまでの自己記録を70km以上更新するとともに、男性30位となっていた。

本部前で、バカロード師匠と再会し、お互いの健闘をたたえ合い、今回、初めて24時間走でバカロード師匠にガチンコ勝負で勝利したことに満足して、24時間走は終わった。

序盤のバカロードな走りから、そのあと22時間、ひたすら耐えたタフな走りを実現して、新しい自分に出会えることができたことに大いに満足した24時間走となった。

惜しむらくは200km超という記録面での目標を達成できなかったことがあるが、それは次の目標にすることとする。そのためには、つまらないかもしれないが、イーブンな走りをして、大いなる目標を必ず達成したいと思う。

前編のバカロードな走りはコチラ

周回記録一覧表(参加された方からの引用)●かずさん
2016jingu11

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