書籍・雑誌

2018年7月29日 (日)

【書評】盤上の向日葵 柚月 裕子/著

Ws000064
【内容紹介】
実業界の寵児で天才棋士――。 男は果たして殺人犯なのか! ?

さいたま市天木山山中で発見された白骨死体。唯一残された手がかりは初代菊水月作の名駒のみ。それから4ヶ月、叩き上げ刑事・石破と、かつて将棋を志した若手刑事・佐野は真冬の天童市に降り立つ。向かう先は、世紀の一戦が行われようとしている竜昇戦会場。果たしてその先で二人が目撃したものとは! ?
日本推理作家協会賞作家が描く、渾身の将棋ミステリー!

【メディア掲載レビュー】
埼玉県で発見された白骨死体と、一緒に埋められていた伝説の将棋駒の謎

各章の終わりに必ず、「次はどうなるんだ」と思わせる“引き"がある。だから一度本を開いたら、もう止まらない。柚月裕子のミステリー長篇『盤上の向日葵』は、謎解きの醍醐味に加えて様々な人間ドラマを巧みな構成で盛り込み、読み手の心をがっちりつかんで離さない。

平成六年、山形県天童市。注目の若手棋士同士による対局の会場に二人の刑事がやってくる。理由は何か。

約四か月前、埼玉県の山中で身元不明の白骨死体が発見された。一緒に埋められていたのは名匠作の伝説の将棋駒。かつて棋士を目指していた佐野巡査は、県警捜査一課のベテラン刑事、石破と組んで駒の持ち主をつきとめるべく、地べたを這うような捜査を進める。

同時に進行するのは昭和四十六年から始まる一人の少年、桂介の物語だ。長野県諏訪市に暮らす彼は幼いうちに母を亡くし、父親からは虐待を受けて育った。彼を気にかけていた元教師がその人並みならぬ将棋の才能に気づき、東京へ出てプロを目指すよう助言するが、桂介は父親の支配から逃れられない――。

刑事たちと少年、それぞれの物語がやがて冒頭の天童市の場面に繋がることは読者だって分かっている。だが、なぜそこに繋がるのかがなかなか見えてこない。死体となって発見されたのは誰か。なぜ名駒も一緒に埋められていたのか。それらと天才棋士には、どういう関係があるのか。少しずつ事実が明らかになるが、その情報の小出し感が心憎いまでに巧く、緊張感を持続させる。といっても先を急がせるのではなく、各章何気ないエピソードでこちらを引きこむ。虐待親から飴玉をもらった時に少年が見せる明るい表情。大阪の不動産屋の女性事務員の、なんともリアルなお喋り。かつて駒を所有していた人々が吐露する奥深い人生模様。もちろん、将棋の世界が丁寧に描かれるのも大きな魅力。プロ棋士だけでなく、金を賭ける真剣師たちの勝負も迫力満点だ。

それにしてもこの著者、推理作家協会賞受賞作の『孤狼の血』もそうだったが、頭は切れるものの態度が下品、という年配男を書くのがどうしてこんなに上手いのか。部下に対してワガママ三昧の叩き上げ刑事の石破、桂介と親しくなる裏社会の真剣師・東明重慶(しげよし)、そして息子の人生を搾取しようとする桂介の父親。彼らの生臭さが実感として伝わってくるからこそ、終盤にようやく明かされる真実には打ちのめされてしまう。得意技を炸裂させつつ、ここまでの重厚なドラマを完走させるとは。柚月裕子の凄みを改めて知る力作だ。

評者:瀧井 朝世(週刊文春 2017.10.26号掲載)から引用

【感想】
本屋大賞2018で2位だったのも納得の読み応えでした。今夏のUTMB参戦のための強化練習として、ジムで大汗を流しながら、そのインターバルに読みこんでしまいました。(笑)

私のみならず、上の評のとおり、文句なしに面白い。

将棋の対局のことをこと細かに書かれているが、将棋の知識は要らない。

しかし将棋は一般的には真面目なイメージ、例えば同じような盤上のゲームである麻雀とかに比べて遥かに真面目なゲームで真面目な人間がやっているイメージがあるが、将棋の世界にも真剣師とよばれる掛け将棋士がいて、まるで麻雀放浪記にように、生活はグダグダでも、勝負の世界に、まさに命を懸けてのめり込む姿がとても人間臭くて、そうした情景描写が本作品の人間臭さにもつながっている。

その人間臭さがほとんど最初から犯人が分かっているミステリーとしては異例の展開でありながら、ワクワクドキドキ感が読み進むにつれて、ますます醸成されていくのだから、実に不思議なミステリーであった。

何人も死ぬお話なのだが最終的に誰も悪い奴はいないんじゃないか?という人間臭い展開こそが本ミステリーの凄いところですかね。ぜひご一読を

2018年7月 1日 (日)

【書評】ヒトは「いじめ」をやめられない 中野 信子/著

Ws000063
いじめについて、正しくない行為、恥ずべき行為、人としてやってはいけない行為というのが現代の世の常識である。

私も当然、いじめを是認するものではないが、いじめが無くならないもの事実である。

そこには何か根本的な要因があるというのが、私の見立てであった。

いじめとは人間に何か意味のある本能なのではないか?そういう疑念があって、いくつかの書籍を手にしたものの最初の一つである。

著者は脳科学者であり、「いじめは種を残すため、脳に組み込まれた機能」と結論付け、科学的見地から種々の論述が本著では述べられ、我が仮説のとおりの展開であった。

集団の輪を乱すもの、いや集団の利益を損なう者を共同して見つけ、排除することが、集団生活でしか生き延びることができなかった弱き動物のホモ・サピエンスが集団生活を維持するために必要な仲間とは、自己犠牲をいとわずにみんなのために力を尽くせる人なのです。

そのため、集団を壊すリスクを回避するために、自己犠牲に協力しないで、みなが出したリソース(資源)にただ乗りして利益を得ようとする人「フリーライダー」を排除することが集団の維持に必要不可欠なのである。

そのため人類が獲得した機能が、「裏切者検出モジュール」と「サンクション(制裁行動)」であり、それが発動されると、裏切者に暴力的制裁が発生するということなのです。

やっかいなのは、この機能はほとんどの人類が持っていて、それを抑制できるのは理性だけなのであるが、30歳未満ではその理性が成長しきっておらず、暴走してしまうということらしい。

これは例えるなら、花粉症と同じだと思った。

本来の機能が反応してはいけないものに反応しているというのが、花粉症であり、それは、まさに現代の「いじめ」も同じなのではないか。

そして、閉鎖的な社会であればあるほど制裁行動、すなわち「いじめ」が誘発されるということである。

そのため、いわゆるクラスというものが無い大学においては、いじめが発生しづらいのだが、これはひとえに閉鎖的社会であるクラスがないということが原因ということらしい。

花粉症と同じように、反応が起きないようにするということが、重要なのだと思う。

理性で乗り越えられるのだが、そうでない人もいる。難しいところだ。

しかし物理的な処置もあるということを知ることができたし、それを教育関係者も知ってもらえていれば良いのにと思いましたが、実際のところどうなんだろうか。まだ、定説のレベルにはなっていないから、無視されているのだろうか・・・

2018年2月28日 (水)

【書評】BUTTER 柚井 麻子/著

Ws000252_2

【内容紹介】

木嶋佳苗事件から8年。獄中から溶け出す女の欲望が、すべてを搦め捕っていく――。男たちから次々に金を奪った末、三件の殺害容疑で逮捕された女、梶井真奈子、通称「カジマナ」。世間を賑わせたのは、彼女の決して若くも美しくもない容姿だった。週刊誌で働く30代の女性記者・里佳は、梶井への取材を重ねるうち、欲望に忠実な彼女の言動に振り回されるようになっていく。濃厚なコクと鮮烈な舌触りで著者の新境地を開く、圧倒的長編小説。

【感想】

タイトルとなっているバターのような濃厚で芳醇な小説で、気が付くと取り返しのつかない事態に陥るようなお話です。

内容紹介にあるように実際にあった木島佳苗事件をモチーフに、個々の人間のアイデンティティー(自身と他者から見た共通の自己認識)を根底から支える?ものとは何か?そしてその潜在意識はどうして形成されたのか?そこは本人には無自覚な部分が多くて、故にそれには思わぬ弱さがあるのではないか?というようなことを余すことなく描きだしている。

ご承知の方も多いと思うが、私はランニング、特に超長距離のトレイルランニングやウルトラマラソンに市民ランナーの立場、つまり遊びなのであるが、かなり真剣に取り組んでいる。

なので今やそれが私のアイデンティティーと化しているのである。つまり長い距離を走る人というのが私のアイデンティティーであることに異論はない。

しかしながら、その長い距離をなぜ走るのか?となると他者はもちろんのこと、自分自身もこれまであまり突き詰めて考えたことがなかった。

本著を読んで、まずそこが気になり始め、その結果、自己のアイデンティティーはなぜそうなのかをを深く考えることとなった。

その思考作業は、まるで硬質化した皮膚をゆっくりと剥いていくような、その下に隠れている生々しい柔らかな皮膚をさらけ出していくような作業であって、思わず「痛い!」と呻きつつ、その奥にまだ何かが刺さっているようで、さらに深く深く剥いで行くことを止められず、心がささくれ立つのを感じた。

と、自己のことについてはここらで終わりとしたい。

本題に戻ると、本小説は自分がアイデンティティーと思っていることを日常の多様なエピソードから紐解いていく。なかでも料理という様々な素材を組み合わせることで醸し出されることとなる濃厚な味わいも、人間に置き換えれば、各人のアイデンティティーもさまざまな経験が積み重なる中で、嫌な経験を隠し、自らが目指すべきアイデンティティーの確立のため、無意識のうちに努力する。

そういうお話になっていって、一生懸命、そこに触れられないようにくるんで過ごしていた日常が崩壊し、アイデンティティー自体も崩壊するというのを読んでいるこちらが、目の当たりにすると苦しくなって、小説とは関係のない読み手のアイデンティティーまで崩壊の危機に落ちいつのだから、実の恐ろしい小説でした。

たまには面倒がらずに自己のアイデンティティーを構成する思いをゼロから棚卸する勇気も必要なんだなあと思いました。

自らの弱さにたまにはきちんと向き合い、それを克服するがためのアイデンティティーであることをしっかり認識して、生きていこうと思いました。

という訳で、私はこれからも楽しく限界までしっかり走り続けます!

2018年2月 7日 (水)

【書評】九十歳。何がめでたい 佐藤愛子/著

「いちいちうるせえ」の喝でファン激増

大正12年生まれ、92歳の大作家。その最新エッセイ集が、高年齢層から若年層まで世代を超えた共感を集め、大ヒット中だ。

「本の元になった雑誌連載のきっかけは、2014年のインタビューでした。そのとき先生は小説『晩鐘』を書き上げ、断筆宣言をなさった。それは、もう書き尽くしたという思いと、長年の執筆による指の痛みが理由でした。しかし、それでもどうしても書いていただきたいと何度も先生に執筆のお願いに伺い、最後は、90歳を超えて感じる時代とのズレについてならば……と半ばヤケクソで(笑)、快諾していただけました」(担当編集者の橘高真也さん)

エッセイには、動作音が静かになって接近に気付けない自転車、よくわからないスマホ、犬や子供の立てる騒音に苛立つ人たち、いたずら電話など、多彩な事象に憤り、嘆く著者の姿が描かれている。基調をなすのは、「いちいちうるせえ」の精神だ。〈イチャモンつけ〉には定評のある著者も呆れる、些末なことを気にする人の多さ。この言葉は、多くの人が言葉にできなかった心情を言い当てたのだろう。インターネットで共感の輪が広がり、さらに読者層が広がったという。

原稿はすべて手書き。

「満身創痍の体にムチ打って、毎回、万年筆で何度も何度も手を入れて綴ってくださいました。おかげで、92歳の今だからこそ書ける、新たな代表作が生まれたと思います」(橘高さん)

評者:前田 久(週刊文春 2016.11.22掲載)

【感想】
 私は古い考え、例えば男尊女卑的かつ子どもの虐待と言われるぐらいの父権の強さこそが子どもたちの人間形成に必要であるとか、LGBTを理解しつつ、それでも不寛容的に家族にこだわることとか、世の中の便利さに流されて失っているものがあるだろう、みたいな考えを持っている。

 最近はそうした考えに賛同してもらうことも少なくて、別にそれは仕方ないと受け入れているのであるが、本著を読んで、著者、といっても私にとっても母、いや祖母に近いような年齢差ではあるのだが、その考え方・価値観が完全に一致していることに驚くとともに、とてもとても、無性に嬉しかった。

 しかも、本エッセイは、エピソードの面白さが、作家ならではの闊達で流ちょうな文体で構成されて、声を出して、笑い転げながら一気に読むことができた。

 読売新聞の人生相談を読んでの感想あたりは、まったくもってその通りだと思う。

 まだまだ我々世代の軟弱さを、ぴしゃりと叱っていただきたい。(つまり続きが読みたい)

 そして、こんな年寄りになりたい、なんて思ってしまった本でした。

 それから、佐藤愛子さんの著作、まだ読んだことないので、近いうちに読まないとね。(笑)

2018年2月 1日 (木)

がんが自然に消えていくセルフケア 野本篤志/著

Gan

副題「毎日の生活で簡単にできる20の実践法」

私の家系は決して長寿ばかりではないのだが、がんで死んだ親族は少ない気がする。

本著では、日本人の2人に1人ががんで亡くなると書かれていることを考えれば、いわゆる「がん家系」ではないのだろう。

しかししかし、ウルトラとかUTMFだのUTMBなんかの非常にストレスの強い、過酷なレースを走っている身からすると、わが体内で、がん細胞が常に発生している気がするし、免疫力の低下もあるだろうし、かなり心配な状況でないかとも思っている。

ということが心配で本著を手にしたのではなく、ある講演で、さらりと講師が述べた「がん細胞は熱に弱い」という話を聞いて、本当なんだろうか?と思って手にしたのが本著である。

備忘録的に気になったところを書き綴る。

●がん細胞は冷えが大好き(低酸素・低体温に適応)

 →がん細胞は35度台で最も活発に増殖し、41度くらいで死滅
  免疫力は37度くらいが最強

●がん細胞は毎日5,000個も発生している。

 →つまり、人間はがん細胞を駆除する能力がある。

●がん治療薬におけるプラセボ効果の出現 

 →プラセボ効果が出るということは、人間には自ら、がんを治す力があるということ。
  つまり、ポジティブな気持ちが重要
  ※プラセボ効果とは本来は薬効として効く成分のない薬(偽薬)を投与したにもかかわらず、病気が快方に向かったり治癒すること

●がんはナトリウムとカリウムを中心としたミネラルバランスの破たんが最初の原因

 →つまり、食生活を中心とした健全な生活習慣が重要

●食事の基本は「玄米」「菜食」「減塩」

 →ナトリウムとカリウムのバランスを是正する食事
  まごわやさしい
  野菜ジュースの摂取
  動物性油脂、トランス脂肪酸は避ける
  アマニ油が最高

●天然で副作用のない抗がん剤「低分子フコイダン」

 →フコイダンは、もずく、めかぶ、こんぶなどの海藻類に含まれるヌルヌルした成分

●抗がん作用を発揮する天然物質「レスベラトール」

 →ポリフェノールの一種

●がんの大きな原因は「慢性的なストレス」

 →ネガティブでなく、ポジティブな思考と行動がプラセボ効果を高める
  死のイメージを健全なものにする(「死にたくない」という執着を捨てる)

【まとめ】

 がんを治す力が人間には備わっている。

 それがストレスによって失われることがあり、がんになる。

 がんを治す力を維持するには、食生活などの健全な生活習慣が重要であり、前向きな気持ちが重要

 食生活は、インスタントとかファストフードを食べており、かなり改善が必要だが、それがストレスになると逆効果だし、あまり気にしないことにする。

 これまでも風邪を引きたくないなどの理由から体温維持には気を使ってきたので、それについては継続していこうと思う。

 面白いのは本著の著者は薬学博士であること。もちろん素人よりは遥かに医学的な知見はあるが、一方で、医師ではないということが、医療を否定しかねない大胆な考察が行えられて、このような異色な著作を生んだともいえる。

 個人的には、本著の理論はその通りだと思いましたので、ご参考まで

【かずさんの新仮説】
 何の医療的な知見もないが、歴史と経験による考察により、新たな仮説をここに発表します。

「熱いお風呂に入るから日本人は皮膚がんが少ない」

 これは、がん細胞は熱に弱いということと、日本人は皮膚がんが少ない、熱いお風呂に日本人は毎日のように入るが外国人はシャワーかぬるいお風呂であること、以上の事実から推測したものである。

 みなさん、この新仮説はいかが思われますか?

2018年1月16日 (火)

【書評】夜行 森見登美彦/著

Ws000239

【内容】
僕らは誰も彼女のことを忘れられなかった。

私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。
十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。
十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。
夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。
私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。
旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作!
「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」

【感想】
世界は表と裏があって、行ったり来たりしているんじゃないか?
そんなことを一瞬は思ったことがあっても、その迷宮のような思考には陥ることがない私には、本作品はちょっと意外な展開に感じて、それが新鮮かつ面白くて一気に読み進めることができました。
そういう世界もあるのでは?と思う人はさらに面白い話だと思います。

【ネタバレ】
うーん、ネタバレは止めておきましょう。
例えるならオリエント急行殺人事件のネタバレしたら、まったく面白くないのに近いから
ごめんなさいね。m(__)m

2018年1月15日 (月)

【書評】その島のひとたちは、ひとの話をきかない 森川 すいめい/著

Sonoshima_2
副題は、精神科医、「自殺希少地域」を行く

【概要】
被災地、路上、自殺希少地域――。
現場から考える、生き心地の良い社会のつくり方。

ホームレスや、東日本大震災の被災者の支援活動で
注目をあびる精神科医、待望の新著。
当事者に寄り添う温かいまなざしで
国内外の取り組みを自ら見聞きして、
さらなるケアの可能性を考える。
誰もが生き心地の良い社会をつくるため、
各地の現場を奔走する精神科医の探訪記・奮闘記。

【感想】
常々、私の周りの人たちは、「かずさんは、しぶとく長生きするよ」と「憎まれっ子、世にはばかる」的に、真顔で私に伝えてくる。

さらに、かずさんは自己中だから、絶対に自殺なんかしないと思っているらしく、親しい人を含め周りの人からは、かなり正直な、どちらかと言えば批判的な感想や怒りの感情を割と日常的に私に向けてくるような気がしている。

もちろん、その大きな要因は、私自身が相手に対し、比較的開けっ広げに自分のこと、それは弱さや感情の起伏をさらりと冗談めかして明らかにするとともに、相手に対し、やや常識外れに近いくらい直球的な質問や指摘をしてしまっていて、その反動的というか、挨拶をする程度の関係性の相手に対しては行うことのない感情の発露までも、私に対してなぜだか、行っているというのが、私の見立てである。

また、何度も言うが私は自己中であり、自分の欲望や感情に比較的正直に行動し、他者への遠慮や配慮のきめ細やかさが欠けていて、逆にそうした配慮ができる人からは、呆れられつつも、その一貫した配慮の無さが、いい意味での表裏の無さという評価にも繋がっていて、その結果、遠慮の欠ける私に対して、逆に安心して気を使わなくなっているのではないかとも思っている。

一方、配慮がないからと言って、相手に関心が薄いかと言えば、そんなことはなくて、自分の知識や経験と照らしての情報共有と言った観点ではあるが、他者への関心度は比較的高いのだが、それが自分の行動に反映されるか?と言えば、いわゆる「あの人が薦めるから大丈夫」みたいな盲目的な行動を行うことはない。

それらが真実であるかは、本人である私はどうしたって第三者の他者全般との比較による客観視には限界があるし、相手方は自分自身の内面の心情について深く考えて、行動しているとは限らず、私はそういう相手方にたまに問うのであるが、「なぜそれを私に言うのか?」に対して、「あまり堪えそうにないから」とか「傷つきそうにないから」というような答えが多い気がする。

本著の感想とかけ離れれつつあるのではないかと、ここまでお読みの方は思うかもしれないのだが、著者がフィールドワークとして訪ねて行った自殺希少地域の人々の特性として、「人が遠慮気味にしている話には答えず、問題の解決に向けて、相手の遠慮など気にしないで、自分の思うようにことを進めるような人」が住む地域が自殺希少地域の特徴らしいということが書いてあった。

簡潔に言えば「自己中であるが、他者に関心がないわけではない」というような人間関係のある地域という特徴があるらしい。

そういう地域特性があると、困っている人をやや強引に助けるような風土が生まれるからではないかと書いてあった。

つまり、濃密な関係を結んでいる田舎も、逆に他者との交わりが少ない都会でも自殺する人はそこそこいるが、一見あまり濃密な感じがしない田舎、著者は挨拶を交わす程度の田舎と言っているのだが、その程度の関係性の地域の方が、自殺が少ない地域になるのではないかと結論付けている。


そのあたりの因果関係など、私にはさっぱりわからないが、自分のことを振り返ったときに、なんだか自分のことを言っているような気がした。

濃密な関係性を意図的に維持しようなどとは思わず、でも他者への配慮はしない代わりに、他者への関心そのものは偏りながらも持っていて、相手方にあまり緊張感を持たせないで接しているような、いまの私のような生き方は、現代社会にとって、十分存在価値があるのかもしれないと思えたのが収穫だった。


少し自画自賛が過ぎるような書評となってしまったが、少なくとも私は自殺をしない気がするし、一方で、毒を吐く男などと称せられるくらい、きつい物言いをすることはあるのだが、そこに大いなる悪意が潜んでいないことも、多くの人には理解されてもらっているという恵まれた環境にいることを改めて認識しました。


とりあえず、いろいろな価値観がある社会で、価値観が違えど、そのことそのものには関心を持って、他者や社会と関わって行くことが、重要なんですかね。

本著では著者の経験則からの仮説構築といった内容であることから、医学的、あるいは心理学的な考察、例えば何が自殺予防の重要な因子であるのか?などについて、学術的な研究を進めて行ってもらいたいですね。(本著は著者の経験に基づく主観的な仮説にとどまっているので)

2017年11月25日 (土)

【書評】ツバキ文具店 小川 糸/著

Tsubaki

【ストーリー】
言いたかった ありがとう。言えなかった ごめんなさい。
伝えられなかった大切な人ヘの想い。あなたに代わって、お届けします。

家族、親友、恋人⋯⋯。
大切に想ってっているからこそ、伝わらない、伝えられなかった想いがある。
鎌倉の山のふもとにある、
小さな古い文房具屋さん「ツバキ文具店」。
店先では、主人の鳩子が、手紙の代書を請け負います。
和食屋のお品書きから、祝儀袋の名前書き、
離婚の報告、絶縁状、借金のお断りの手紙まで。
文字に関すること、なんでも承り〼。

ベストセラー『食堂かたつむり』の著者が描く、鎌倉を舞台した心温まる物語。

【感想】
ここ最近、手書きの手紙を書いた記憶がない。
もはや時代は、話すという電話すらスマホに取って代わられつつあるのだから、仕方ないだろう。

それでも本著の主人公が依頼主に代わって、相手に気持ちを通じさせるために書く手紙というものの持つ偉大なる力を改めて感じざるを得なかった。

などと書くと堅苦しいのだが、鎌倉の住む人の人情味あふれる交流にほのぼのさを感じながら、手紙の持つ、伝える力に心が静かに震えるのを感じるのである。

そして、この主人公のような代書屋さんが本当にいるなら、お願いしたいと思った。

ひとり身である主人公が、まるで家族のような隣人との交流がリアルの存在するかのようなこの物語は素晴らしいが、最後の最後に主人公と代書屋の先代である祖母との確執が過去の手紙とともに解消されていく件は、家族の良さを改めて示しているという意味で、家族主義者の私にとっても、ホッとするエンディングであった。

追記:
 かつて、NHKでドラマ化されてましたが、それは観てませんでした。

Ws000215

キャスティング、原作の雰囲気にピッタリあってますね。
(高橋克典のキャラクターは原作にありませんが・・・)

追記2:
 物語の重要なポイントである代書された手紙が実際に手書きされて掲載されています。

 それが、私の感想の「手紙が伝える力」を感じざるを得ない秀逸なで気なのでした。

 以下、その実物を掲載します。

2017年10月28日 (土)

【書評】暗幕のゲルニカ 原田マハ/著

Gerunika

【ストーリー】
反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの〈ゲルニカ〉。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、突然姿を消した――誰が〈ゲルニカ〉を隠したのか? ベストセラー『楽園のカンヴァス』から4年。現代のニューヨーク、スペインと大戦前のパリが交錯する、知的スリルにあふれた長編小説。

【読書感想】
戦争について、日本ではここ70年以上、戦争未体験で、ほとんどの日本人は現実の戦争を知らない。

私も当然、現実の戦争を知らないのであるが、戦争の歴史、つまり戦史好きで、戦争関係の本はもちろんのこと、映像として戦争のドキュメンタリーや戦争映画を好んで観るので、戦争のことは何となく知った気になっている。

ところが、本著は、そういう訳で選んだのではなく、本屋大賞ノミネート作品ということで、たまたま巡り合った本であるが、ミステリー調で、現代の反戦の重要性を見事なまでに謳い上げている。戦史好きで保守タカ派気味の私ですら、戦争はいかんと思うのだから。

この話の素晴らしいところは、ピカソのゲルニカという絵画作品が神のごとく、この話の中で絶対的な唯一無二な存在として鎮座していることである。

美術には詳しくない私でも、ピカソのゲルニカは知っていた。
一度見たら忘れられないほど、インパクトのある作品であるし、ゾッとして、心がささくれ立つ作品である。(本著の表紙の絵がゲルニカである)

※『ゲルニカ』は、スペインの画家パブロ・ピカソがスペイン内戦中の1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画である。ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃を主題としている。

本著では、2つの時間軸が存在し、ひとつは1937年のピカソがのゲルニカを描き始め、アメリカに移送され、ピカソが1944年のパリ解放までの第二次世界大戦中の話と、もうひとつは、2001年の9.11からゲルニカのニューヨーク展が開催されるまでの話が、交互に進んでいくのである。

天才ピカソが、渾身の力で戦争の残虐さを描くその過程を愛人の写真家ドラ・マールが写真に収めたらしい。ピカソの制作過程が写真に撮られた例は、非常に珍しいことらしく、その点からもピカソの思いが感じられるところだ。

さて、この愛人ドラ・マールであるが、彼女もモデルとしたピカソの作品があるそうだ。「泣く女」がそれらしい。

Nakuonnna
●泣く女

うーん、この作品のモデルですって、自慢にならないけど、これまた確かにすごいインパクトがあって、有名な作品だよなあ。

話がそれたが、このゲルニカという作品が無差別爆撃という現代の戦争の醜悪さ、さらには人間の残虐性を表しているというのも、納得の作品で、人間の美的感覚的にも生理的な嫌悪感すら抱かせるような、計算された作品であることは間違いない。これを見ていたら、心が落ち着かなくなるもの。

で、ミステリーの部分は、多分に現代のお話の方で、ピカソ研究の第一人者の主人公が最愛の伴侶を9.11で失い、戦争の残虐さを身をもって感じた中で、国連のゲルニカのタペストリーに暗幕がかけられた、反戦を隠し、あたかも戦争賛成を意味するような事件と歴史の流れを食い止めるべく、立ち上がって、スペインの美術館から隠すように展示されているゲルニカをニューヨークで展覧するために、妨害工作を受けながら、仲間の支援を受けながら奔走し、反戦の象徴的存在であるゲルニカはどうなるんだという、手に汗握る展開になるのだから、著者のストリー展開とメッセージ性の強さには脱帽せざるを得ない、見事な作品でした。

読後は、ピカソの作品、特にゲルニカは、絶対に本物観てみたいと思いました。場所はスペインか・・・(笑)

2017年10月27日 (金)

【書評】やめるときも、すこやかなるときも 窪 美澄/著

【書評】やめるときも、すこやかなるときも 窪 美澄/著
【ストーリー】
家具職人の壱晴は毎年十二月の数日間、声が出なくなる。過去のトラウマによるものだが、原因は隠して生きてきた。制作会社勤務の桜子は困窮する実家を経済的に支えていて、恋と縁遠い。欠けた心を抱えたふたりの出会いの行方とは。

【感想】
窪美澄さんの作品は、過去に一冊読んで、衝撃を受けた。それは「ふがいない僕は空を見た」http://run-run-kazu.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-8f65.html

あの作品は、非常にドロドロとした現代社会の深い闇を照らすような作品で、特に年少者には薦めがたい作品であったのだが、本作品はそれとはちょっとというか、かなりテイストが変わっている。私には似合わない、純愛の香り漂う作品となっている。

男性の主人公壱晴は、過去に大きなトラウマを持ち、女性の主人公桜子は32歳で処女という設定で、物語は二人が一緒のシーンをお互いの視線・心情でそれぞれを紡いでいる。

ある意味、同じ情景でお互いの心情が異なることがとても分かりやすい構成で紡がれている一方、主人公が変わった際の読者自身の心情切り替えは、慣れていないこともあり、ちょっと新鮮な感じすらする。

タイトル的には、ハッピーエンドは間違いないのだが、二人のもどかしい恋の行方に、まさにじりじりする展開で最後まで楽しまさせてもらえた。

人生を重ねれば重ねるほど、トラウマやしがらみは多く、強固になるものだから、若い時に勢いで結婚するというようなことは、振り返ってみるとそれなりに意味のあることなんだなあと思うのは、既に結婚した身の感想であろうが、この小説の主人公二人も様々な出会いと別れの中で、後悔しない生き方とは何かということを周りサポートと自分自身の力で見つけ出す。

それって、大事だよなあと思って、最後は嬉しくなって、読了できました。

より以前の記事一覧

★誘惑サイト★


リンク

2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

●広告サイト●


記事画像

  • ブログ記事画像
無料ブログはココログ

◆お願いサイト◆