書籍・雑誌

2018年1月16日 (火)

【書評】夜行 森見登美彦/著

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【内容】
僕らは誰も彼女のことを忘れられなかった。

私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。
十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。
十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。
夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。
私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。
旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作!
「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」

【感想】
世界は表と裏があって、行ったり来たりしているんじゃないか?
そんなことを一瞬は思ったことがあっても、その迷宮のような思考には陥ることがない私には、本作品はちょっと意外な展開に感じて、それが新鮮かつ面白くて一気に読み進めることができました。
そういう世界もあるのでは?と思う人はさらに面白い話だと思います。

【ネタバレ】
うーん、ネタバレは止めておきましょう。
例えるならオリエント急行殺人事件のネタバレしたら、まったく面白くないのに近いから
ごめんなさいね。m(__)m

2018年1月15日 (月)

【書評】その島のひとたちは、ひとの話をきかない 森川 すいめい/著

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副題は、精神科医、「自殺希少地域」を行く

【概要】
被災地、路上、自殺希少地域――。
現場から考える、生き心地の良い社会のつくり方。

ホームレスや、東日本大震災の被災者の支援活動で
注目をあびる精神科医、待望の新著。
当事者に寄り添う温かいまなざしで
国内外の取り組みを自ら見聞きして、
さらなるケアの可能性を考える。
誰もが生き心地の良い社会をつくるため、
各地の現場を奔走する精神科医の探訪記・奮闘記。

【感想】
常々、私の周りの人たちは、「かずさんは、しぶとく長生きするよ」と「憎まれっ子、世にはばかる」的に、真顔で私に伝えてくる。

さらに、かずさんは自己中だから、絶対に自殺なんかしないと思っているらしく、親しい人を含め周りの人からは、かなり正直な、どちらかと言えば批判的な感想や怒りの感情を割と日常的に私に向けてくるような気がしている。

もちろん、その大きな要因は、私自身が相手に対し、比較的開けっ広げに自分のこと、それは弱さや感情の起伏をさらりと冗談めかして明らかにするとともに、相手に対し、やや常識外れに近いくらい直球的な質問や指摘をしてしまっていて、その反動的というか、挨拶をする程度の関係性の相手に対しては行うことのない感情の発露までも、私に対してなぜだか、行っているというのが、私の見立てである。

また、何度も言うが私は自己中であり、自分の欲望や感情に比較的正直に行動し、他者への遠慮や配慮のきめ細やかさが欠けていて、逆にそうした配慮ができる人からは、呆れられつつも、その一貫した配慮の無さが、いい意味での表裏の無さという評価にも繋がっていて、その結果、遠慮の欠ける私に対して、逆に安心して気を使わなくなっているのではないかとも思っている。

一方、配慮がないからと言って、相手に関心が薄いかと言えば、そんなことはなくて、自分の知識や経験と照らしての情報共有と言った観点ではあるが、他者への関心度は比較的高いのだが、それが自分の行動に反映されるか?と言えば、いわゆる「あの人が薦めるから大丈夫」みたいな盲目的な行動を行うことはない。

それらが真実であるかは、本人である私はどうしたって第三者の他者全般との比較による客観視には限界があるし、相手方は自分自身の内面の心情について深く考えて、行動しているとは限らず、私はそういう相手方にたまに問うのであるが、「なぜそれを私に言うのか?」に対して、「あまり堪えそうにないから」とか「傷つきそうにないから」というような答えが多い気がする。

本著の感想とかけ離れれつつあるのではないかと、ここまでお読みの方は思うかもしれないのだが、著者がフィールドワークとして訪ねて行った自殺希少地域の人々の特性として、「人が遠慮気味にしている話には答えず、問題の解決に向けて、相手の遠慮など気にしないで、自分の思うようにことを進めるような人」が住む地域が自殺希少地域の特徴らしいということが書いてあった。

簡潔に言えば「自己中であるが、他者に関心がないわけではない」というような人間関係のある地域という特徴があるらしい。

そういう地域特性があると、困っている人をやや強引に助けるような風土が生まれるからではないかと書いてあった。

つまり、濃密な関係を結んでいる田舎も、逆に他者との交わりが少ない都会でも自殺する人はそこそこいるが、一見あまり濃密な感じがしない田舎、著者は挨拶を交わす程度の田舎と言っているのだが、その程度の関係性の地域の方が、自殺が少ない地域になるのではないかと結論付けている。


そのあたりの因果関係など、私にはさっぱりわからないが、自分のことを振り返ったときに、なんだか自分のことを言っているような気がした。

濃密な関係性を意図的に維持しようなどとは思わず、でも他者への配慮はしない代わりに、他者への関心そのものは偏りながらも持っていて、相手方にあまり緊張感を持たせないで接しているような、いまの私のような生き方は、現代社会にとって、十分存在価値があるのかもしれないと思えたのが収穫だった。


少し自画自賛が過ぎるような書評となってしまったが、少なくとも私は自殺をしない気がするし、一方で、毒を吐く男などと称せられるくらい、きつい物言いをすることはあるのだが、そこに大いなる悪意が潜んでいないことも、多くの人には理解されてもらっているという恵まれた環境にいることを改めて認識しました。


とりあえず、いろいろな価値観がある社会で、価値観が違えど、そのことそのものには関心を持って、他者や社会と関わって行くことが、重要なんですかね。

本著では著者の経験則からの仮説構築といった内容であることから、医学的、あるいは心理学的な考察、例えば何が自殺予防の重要な因子であるのか?などについて、学術的な研究を進めて行ってもらいたいですね。(本著は著者の経験に基づく主観的な仮説にとどまっているので)

2017年11月25日 (土)

【書評】ツバキ文具店 小川 糸/著

Tsubaki

【ストーリー】
言いたかった ありがとう。言えなかった ごめんなさい。
伝えられなかった大切な人ヘの想い。あなたに代わって、お届けします。

家族、親友、恋人⋯⋯。
大切に想ってっているからこそ、伝わらない、伝えられなかった想いがある。
鎌倉の山のふもとにある、
小さな古い文房具屋さん「ツバキ文具店」。
店先では、主人の鳩子が、手紙の代書を請け負います。
和食屋のお品書きから、祝儀袋の名前書き、
離婚の報告、絶縁状、借金のお断りの手紙まで。
文字に関すること、なんでも承り〼。

ベストセラー『食堂かたつむり』の著者が描く、鎌倉を舞台した心温まる物語。

【感想】
ここ最近、手書きの手紙を書いた記憶がない。
もはや時代は、話すという電話すらスマホに取って代わられつつあるのだから、仕方ないだろう。

それでも本著の主人公が依頼主に代わって、相手に気持ちを通じさせるために書く手紙というものの持つ偉大なる力を改めて感じざるを得なかった。

などと書くと堅苦しいのだが、鎌倉の住む人の人情味あふれる交流にほのぼのさを感じながら、手紙の持つ、伝える力に心が静かに震えるのを感じるのである。

そして、この主人公のような代書屋さんが本当にいるなら、お願いしたいと思った。

ひとり身である主人公が、まるで家族のような隣人との交流がリアルの存在するかのようなこの物語は素晴らしいが、最後の最後に主人公と代書屋の先代である祖母との確執が過去の手紙とともに解消されていく件は、家族の良さを改めて示しているという意味で、家族主義者の私にとっても、ホッとするエンディングであった。

追記:
 かつて、NHKでドラマ化されてましたが、それは観てませんでした。

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キャスティング、原作の雰囲気にピッタリあってますね。
(高橋克典のキャラクターは原作にありませんが・・・)

追記2:
 物語の重要なポイントである代書された手紙が実際に手書きされて掲載されています。

 それが、私の感想の「手紙が伝える力」を感じざるを得ない秀逸なで気なのでした。

 以下、その実物を掲載します。

2017年10月28日 (土)

【書評】暗幕のゲルニカ 原田マハ/著

Gerunika

【ストーリー】
反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの〈ゲルニカ〉。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、突然姿を消した――誰が〈ゲルニカ〉を隠したのか? ベストセラー『楽園のカンヴァス』から4年。現代のニューヨーク、スペインと大戦前のパリが交錯する、知的スリルにあふれた長編小説。

【読書感想】
戦争について、日本ではここ70年以上、戦争未体験で、ほとんどの日本人は現実の戦争を知らない。

私も当然、現実の戦争を知らないのであるが、戦争の歴史、つまり戦史好きで、戦争関係の本はもちろんのこと、映像として戦争のドキュメンタリーや戦争映画を好んで観るので、戦争のことは何となく知った気になっている。

ところが、本著は、そういう訳で選んだのではなく、本屋大賞ノミネート作品ということで、たまたま巡り合った本であるが、ミステリー調で、現代の反戦の重要性を見事なまでに謳い上げている。戦史好きで保守タカ派気味の私ですら、戦争はいかんと思うのだから。

この話の素晴らしいところは、ピカソのゲルニカという絵画作品が神のごとく、この話の中で絶対的な唯一無二な存在として鎮座していることである。

美術には詳しくない私でも、ピカソのゲルニカは知っていた。
一度見たら忘れられないほど、インパクトのある作品であるし、ゾッとして、心がささくれ立つ作品である。(本著の表紙の絵がゲルニカである)

※『ゲルニカ』は、スペインの画家パブロ・ピカソがスペイン内戦中の1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画である。ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃を主題としている。

本著では、2つの時間軸が存在し、ひとつは1937年のピカソがのゲルニカを描き始め、アメリカに移送され、ピカソが1944年のパリ解放までの第二次世界大戦中の話と、もうひとつは、2001年の9.11からゲルニカのニューヨーク展が開催されるまでの話が、交互に進んでいくのである。

天才ピカソが、渾身の力で戦争の残虐さを描くその過程を愛人の写真家ドラ・マールが写真に収めたらしい。ピカソの制作過程が写真に撮られた例は、非常に珍しいことらしく、その点からもピカソの思いが感じられるところだ。

さて、この愛人ドラ・マールであるが、彼女もモデルとしたピカソの作品があるそうだ。「泣く女」がそれらしい。

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●泣く女

うーん、この作品のモデルですって、自慢にならないけど、これまた確かにすごいインパクトがあって、有名な作品だよなあ。

話がそれたが、このゲルニカという作品が無差別爆撃という現代の戦争の醜悪さ、さらには人間の残虐性を表しているというのも、納得の作品で、人間の美的感覚的にも生理的な嫌悪感すら抱かせるような、計算された作品であることは間違いない。これを見ていたら、心が落ち着かなくなるもの。

で、ミステリーの部分は、多分に現代のお話の方で、ピカソ研究の第一人者の主人公が最愛の伴侶を9.11で失い、戦争の残虐さを身をもって感じた中で、国連のゲルニカのタペストリーに暗幕がかけられた、反戦を隠し、あたかも戦争賛成を意味するような事件と歴史の流れを食い止めるべく、立ち上がって、スペインの美術館から隠すように展示されているゲルニカをニューヨークで展覧するために、妨害工作を受けながら、仲間の支援を受けながら奔走し、反戦の象徴的存在であるゲルニカはどうなるんだという、手に汗握る展開になるのだから、著者のストリー展開とメッセージ性の強さには脱帽せざるを得ない、見事な作品でした。

読後は、ピカソの作品、特にゲルニカは、絶対に本物観てみたいと思いました。場所はスペインか・・・(笑)

2017年10月27日 (金)

【書評】やめるときも、すこやかなるときも 窪 美澄/著

【書評】やめるときも、すこやかなるときも 窪 美澄/著
【ストーリー】
家具職人の壱晴は毎年十二月の数日間、声が出なくなる。過去のトラウマによるものだが、原因は隠して生きてきた。制作会社勤務の桜子は困窮する実家を経済的に支えていて、恋と縁遠い。欠けた心を抱えたふたりの出会いの行方とは。

【感想】
窪美澄さんの作品は、過去に一冊読んで、衝撃を受けた。それは「ふがいない僕は空を見た」http://run-run-kazu.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-8f65.html

あの作品は、非常にドロドロとした現代社会の深い闇を照らすような作品で、特に年少者には薦めがたい作品であったのだが、本作品はそれとはちょっとというか、かなりテイストが変わっている。私には似合わない、純愛の香り漂う作品となっている。

男性の主人公壱晴は、過去に大きなトラウマを持ち、女性の主人公桜子は32歳で処女という設定で、物語は二人が一緒のシーンをお互いの視線・心情でそれぞれを紡いでいる。

ある意味、同じ情景でお互いの心情が異なることがとても分かりやすい構成で紡がれている一方、主人公が変わった際の読者自身の心情切り替えは、慣れていないこともあり、ちょっと新鮮な感じすらする。

タイトル的には、ハッピーエンドは間違いないのだが、二人のもどかしい恋の行方に、まさにじりじりする展開で最後まで楽しまさせてもらえた。

人生を重ねれば重ねるほど、トラウマやしがらみは多く、強固になるものだから、若い時に勢いで結婚するというようなことは、振り返ってみるとそれなりに意味のあることなんだなあと思うのは、既に結婚した身の感想であろうが、この小説の主人公二人も様々な出会いと別れの中で、後悔しない生き方とは何かということを周りサポートと自分自身の力で見つけ出す。

それって、大事だよなあと思って、最後は嬉しくなって、読了できました。

2017年10月11日 (水)

【書評】欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」 奥田昌子/著

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【結論】
日本人が長寿なのはイソフラボン(抗がん物質)のおかげ
イソフラボンを多く含む食品は、大豆、豆腐、みそ、納豆などです。

副題は「科学的事実が教える正しいがん・生活習慣病予防」

欧米人と日本人は見るからに違っているから、同じ人間とはいえ、病気のなりやすさも当然違うとはお思っていたが、遺伝子解析の進歩や医療の進歩に伴う環境要因の分析も進み、医学的知見が相当進歩していることが分かった。

欧米人の健康法は日本人には向かなかったり、いや逆効果なものがあるということを科学的に説明いただいて、納得できた。

日本人が長寿なのは、環境要因、特に食事が和食であるということ。
ヨーグルトとか果物とかは欧米人にはプラスかもしれないが、日本人にはそれほど効果がないということにも、歴史的に見ても、納得でしたね。

【ポイント】
欧米人は皮下脂肪はつくが、内臓脂肪はつかない。
日本人でも女性は内臓脂肪がつきにくい。
よって、糖尿病発生率は、男性1に女性は0.55
日本人が糖尿病の発症を抑えるためには、内臓脂肪を減らし、炭水化物をしっかり摂る
こと

カリウム摂取が重要

EPAとDHAが動脈硬化を防ぐ

魚を多く食べる日本人は心臓病の発症率が低い

日本人の年齢別のがん発症率は低い(長寿なのでがん患者が多く見える)

世界がん予防法10項目
1肥満をさける
2よく体を動かす
3カロリーの多い食品、糖分の多い飲料をさける
4植物性の食品を食べる
5肉の摂取をひかえ、加工した肉は食べない
6アルコールをひかえる
7塩分をひかえ、カビのはえた食品は食べない
8サプリメントに頼らない
9できるだけ母乳で育てる
10がんになったことがある人も、以上の助言に従う

日本人のためのがん予防法
1たばこを吸わない
2他人のたばこの煙をできるだけ避ける
3お酒をほどほどに
4バランスのとれた食生活を
5塩辛い食品は控えめに
6野菜や果物は不足にならないように
7適度に運動
8適切な体重維持
9ウイルスや最近の感染予防と治療
10定期的ながん検診を
11身体の異常に気がついたら、すぐに受診を
12正しいがん情報でがんを知ることから

日本人のがんの特徴
・飲酒により、すべてのがんの発症率が上がる
・肝炎ウイルスとヘリコバクター・ピロリ菌感染によるがん発症率が多先進国の2倍

胃酸は肉食の欧米人は強く、日本人は弱い

日本人に胃がんが多いのは遺伝子要因

ピロリ菌感染は日本人の食生活(穀物中心)にとって都合が良かった。(著者の仮説)

日本人男性の胃がんは、6割ピロリ菌、3割喫煙

デスクワーク中心で体をあまり動かさない日本人男性は大腸がんになりやすい

和食は健康に良いが、唯一塩分が高いのが欠点

2017年7月15日 (土)

【書評】今村均 信義を貫いた不敗の名将 葉治 英哉/著

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相当な歴史好きであると自任していて、しかも戦史を特に好む私であるが、私が生まれたときには、まだ存命されていたこの今村均という日本陸軍屈指の名将のことを私は知りませんでした。(実は日本軍の名将は世界最強である海軍に偏っているもので)

恐らく、現代の日本人はほとんどこの名将の事績はもちろんのこと、名前すらほとんど知らないのではないか。

この方が、名将と呼ぶにふさわしいのは、副題にすべてが表されている。

「信義を貫いた不敗の名将」

先の大戦、つまり75年前の中国やアメリカとの戦争の同時期に同じ程度の役割を担って、終戦時に生き残った陸海軍の首脳部の多くが戦犯として、死刑を執行されながら、彼はそうならなかった。

陸軍の将軍としての事績は、中国南寧での激闘やインドネシア攻略、さらにはラバウル方面軍司令官としては、物資が届かない中、10万の将兵で自給自足体制を築いていたことから、その反撃力に恐れをなして(一方、航空機や艦船がなく攻撃力がないので、封鎖だけして)米軍から攻撃を受けないで、終戦まで終えたのである。

当然、これだけ戦争の指揮を執ったわけで、多くの敵、人民に被害を生じさせたわけで、それを強引に戦勝国が裁くという極東軍事裁判でありながら、ジャワ総督時代の仁慈の軍政は、大東亜共栄圏という理想を具現化しただけと本人は謙遜しているのだが、実際にインドネシアを植民地としてのみ、彼らを抑圧させて支配していたオランダ支配の時代より、軍政とはいえ、インドネシア原住民の自主自立、最終的には彼らのオランダからの独立を前提とした軍政は、日本の本国から不満が出て、最終的に左遷気味に前線に飛ばされるのであるから、筋金入りの名将であろう。

戦犯となっても将軍なので東京で収監されていながら、直訴して、彼の部下たちが収容されているインドネシアやオーストラリアに収監されるようにして、現地での裁判を自ら可能な限り戦い抜いて、多くの部下を不当な裁判から救うあたりは、本当に当時の日本軍人なのか?というほどである。

何のために自分が戦っているのか?生きているのか?本当にそれを理解し、最大限の努力された、彼の生き方は、家が貧乏で、陸軍学校にしか行くことができなかった境遇の時代でも、これからも輝き続けるに相応しい事績であると思った。

まさに「信義を貫いた不敗の名将」であった。

忌まわしい時代を歩まざるを得なかった中で、素晴らしい事績を残しながら、現代では無名の扱いとなっている今村均さんであるが、是非とも今後も尊敬すべき日本人として語り継いでいただきたい素晴らしい大先輩であります。

何のために君は職務を遂行しているのか?大先輩に聞かれたときに答えられるような生き様、心に刻みこんで、日々精進しなければと思いました。

2017年7月13日 (木)

【書評】羊と鋼の森 宮下奈都/著

Hituji

知らないというのは、素晴らしいことに出会える最大の要素ということをまたも気付かせてもらえた。
言い換えると、学習能力がないおかげで、自らが陥りがちな勝手な期待感というか予定調和という妄想に縛られることなく、無垢な心で感動させていただいた。

この本がなぜ私の手にあるのか?忘れたころ私の手元に届くので、どういう感じの本だったかすら、予断となるべき情報が完全に欠落している状態で読み始めるのである。

「羊と鋼の森」というタイトルからイメージするのは、ファンタジーの世界のお話と勝手に推測していた。

しかし、その予想は完全に外れていた。

羊とは、ピアノの音を出すハンマーに巻かれている羊の毛のことで、鋼もピアノのパーツで、ピアノのことを指しているのだ。森とは、精霊が住む世界という意味だから、タイトルが意味するのは「ピアノの世界」ということなのだろう。

本著は、ピアノの調律師を主人公とする成長の物語である。

音楽的な素養がない私でも分にピアノとその調律という、私にとってある意味、異次元のお話しながら、素晴らしいピアノの音色は、音楽的素養がない人の心にも染み渡るように届くかのごとく、私の心の中にすうーっと入ってくれたのであった。

ひとえに著者の見事な文体のおかげである。

文体と言えば、本著の中の主人公である新米調律師が尊敬する正解的な調律師が主人公に「どんな音を目指していますか」と質問したことに対して、こう答えていたシーンが印象的でした。

「原民喜がこう言っています」
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
「原民喜が、こんな文体が憧れている、と書いているのですが、しびれました。私の理想とする音をそのまま表してくれていると感じました」

まるで、著者自らが本著を紡ぐために目指している自らの理想を語っているかのようであり、そしてそれが私ごとき、平凡な一読者からすれば、見事に実現されて、こちらにきちんと届いていると思ってしまいました。

読後の清涼感というか、心が丸ごと清められるような感じは、日常でささくれ立つことの多い、自己中で未熟な私をまるで成長させてくれたかのような、何か優しい気持ちで満ち溢れて、大らかで心安らかな気持ちにまで昇華させていただきました。

一読をお奨めする素晴らしくて凄い小説でございました。

【内容紹介】
史上初! 堂々の三冠受賞!
・2016年 本屋大賞
・2016年 キノベス! 第1位
・2015年 ブランチブックアワード大賞

ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。

「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」

ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。

【あらすじ】
ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。ピアノの調律に魅せられた一人の青年。彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。

【書評】ジョコビッチの生まれ変わる食事 ノバク・ジョコビッチ/著 タカ大丸/訳

Jyoko

グルテンフリーのお話の本であるが、特筆すべきは、グルテンフリーを自らが実践し、世界一のテニスプレーヤーとなっている現役トッププレーヤー本人であるジョコビッチが書いているというところであろう。

その確かな実績を残している本人から「あなたの人生を激変させる14日間プログラム」と提示されるのだから、その衝撃度は大きい。

グルテンとは小麦などの麦に含まれるたんぱく質のことで、これこそがモチモチとした美味しさの源泉であり、世界中の人々が好んでいる物質なのだが、現代社会においては、アレルギー源の一つ?(不耐性物質の方が正確だと思うが)となっているらしい。

アレルギーの要因は、恐らく2つあって、一つはアレルギー物質の長期間の大量摂取、もう一つは、自己免疫の暴走であろう。

かくいう私も乳糖不耐性であり、2013年のスパルタスロン出走に向けて、人生最高レベルのトレーニングを半年くらいしたのだが、たんぱく質摂取のため、牛乳をぐいぐい飲んでいたのだが、どうにもお腹の調子が悪いのが続いていて、いろいろ調べて、思い当たったのが、乳糖不耐性であった。(不耐性とはアレルギーとは違って、体質的に体内に取り込むことができないということ。アルコールの下戸も同じであろう。)

アルコール不耐性の場合、アセトアルデヒドという体内に有害物質が滞留するため、問題となるが、乳糖不耐性では、乳糖が分解処理できず、腸内に溜るため、お腹が緩んでしまうのであり、致命的でないが、体調万全にならない以上、自己最高パフォーマンスを求める人には問題であろう。

乳糖不耐性については、日本には、アカディ牛乳があって、私も愛飲しており、牛乳問題は無事解決できたが、ときどきお腹が緩くなるところから、まだなにか不耐性な物質があるのかもしれない。

その有力候補は、グルテンの可能性は高いと思っているので、興味深く読んだのであるが、グルテンフリーは庶民にとってはかなり難しい試みだと思った。

グルテンは小麦粉はもちろん、ライ麦や大麦などに含まれており、それらを使っている食品があまりに多様すぎるからだ。

パン、パスタ、うどん、ピザ、お菓子としても、ケーキ、クッキー、クラッカー、さらにはビールまでもである。

ジョコビッチは、まずはグルテンフリーをやってみろというし、訳者は日本食は小麦粉を使っていないものが多いから日本人向きだと言うが、私の場合、もっともパフォーマンスを出したいときに、グルテンフリーができないので、やはり遣り甲斐がないので諦めることにする。

ジョコビッチはテニスの試合に、自分で自身の食事をコントロールできるが、長い距離を走るウルトラマラソンやトレイルランニングでは、プロであれば個人のサポートを受けられるかもしれないが、私のような一般レベルのランナーは主催者が用意するジェネラルサービスでしか補給ができなくて、こそには普通にパンやパスタなどグルテンの食品だらけなのが一般的である。

フルマラソンを超える距離では、レース中のカロリー摂取は必須であり、自分で持ち運べばよいのかもしれないが、重量が嵩張って、250キロとか40時間以上持って走らなければならない超超距離レースでは、自分で持ち運ぶのは、むしろ完走を阻害する要因となるので、正直得策ではない。

結局、グルテンフリーを実行すればするほど、スギ花粉症でもご存じのように、過敏症となって、アレルギー体質は強化されるので、結局、バランスの良い食事を心がけるのがレースではグルテンフリーを実行できない私にとっては、最も合理的な対処だと思いました。

一方、本著において、これは役立ったと思ったのは、第7章の「誰でもできる簡単フィットネスプラン」だ。

ここに書かれているストレッチとフォームローリングというマッサージは、一般人でも実行可能な話であり、非常に役立った。

2017年6月 8日 (木)

【書評】幸せになる勇気 岸見一郎・古賀史健/著

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それにしても、タイトルは実に魅力的である。

誰もが目指すであろう「幸せ」を自ら手に入れられることを予感させる、見事なタイトルの本である。

副題は「自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ」

本著のあらすじというか構成は、3年前に哲人からアドラー心理学の教えを受け、それを現実の世界、教師として生徒に対して実践を試みたが、うまくいかなかった青年が、アドラー心理学の欺瞞を暴こうと哲人に対して問答形式でアドラー心理学とはないかを表している本である。
アラフィフになってもこのような熱量の高い、いわゆる自己啓発本を読んで、その感想を書こうというのであるが、まずは本著からの印象深い文章を、抜き出してみたい。とにかく大量に抜きだすこととなったのである、お許しいただきたい(笑)

まずは本書の位置づけを簡単に表している「あとがき」の一節から

【あとがき】
前作「嫌われる勇気」はアドラー心理学の存在を知り、アドラーの思想を概観するための、いわば「地図」のような一冊でした。
他方、本書「幸せになる勇気」は、アドラーの思想を実践し、幸福となる生を歩んでいくための「コンパス」となる一冊です。
前作で提示した目標に向かって、どのように進んでいけばいいのかを示す、行動指針と言い換えてもいいでしょう。

次に本著の印象的な単語とその説明文の形式で抜きだしてみます。

●課題の分離
 人生のあらゆる物事について「これは誰の課題なのか?」という観点から、「自分の課題」と「他者の課題」を切り分けて考える。
 その課題が誰の課題であるのか見分ける方法は「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰なのか?」

教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」

●尊敬
●共同体感覚

尊敬の第一歩は、「他者の関心事」に関心を寄せる

●過去は存在しない

人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。
人間の記憶は、いまの「目的」に反する出来事は消去するのです。

●カウンセリングの三角柱
「悪いあの人」「かわいそうなわたし」「これからどうするか」

●人間の問題行動の5段階
1 称賛の要求
2 注目喚起
3 権力争い
4 復讐
5 無能の証明

第1段階 称賛の要求
 目的はあくまでも「ほめてもらうこと」であり、さらに言えば「共同体のなかで特権的な地位を得ること」
 「いいこと」をしているのではなく、ただ「ほめられること」をしているだけ
 「ほめるてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」のだし、「罰を与える人がいなければ、不適切な行動もとる」というライフスタイル(世界観)を身に付けていくのです。

第2段階 注目喚起
 称賛されないなどの場合、人は「ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろう」と考える。
 多くは「いたずら」によって、注目を得ようとするだろうし、ときには「できない子」として振る舞うことで注目を集め、特別な地位を得ようとするわけである。

第3段階 権力争い
 誰にも従わず、挑発を繰り返し、戦いを挑む。その戦いに勝利することで、自らの力を誇示し、特権的な地位を得ようとする。
 その戦いは、「反抗」であったり、「不従順」である。
 対処方法は彼らの挑発に乗らず、すぐさま彼らの権力争いのコートから退場する。

4 復讐
 権力争いに敗北した人は、次はかけがえのない「わたし」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復讐をする。
 「称賛の要求」「注目喚起」「権力争い」はすべて「もっと私を尊重してほしい」という愛を乞う気持ちの表れである。
 そうした愛の希求がかなわないと知った瞬間、人は一転して「憎しみ」を求めるようになる。
 私を愛してくれないのなら、いっそ憎んでくれ。憎悪という感情の中で、わたしに注目してくれと考えるようになる。
 「権力争い」では正面から正々堂々と戦いを挑んでくるが、「復讐」では、ひたすら「相手が嫌がること」を繰り返す。
 ストーカー行為は、典型的な復讐である。また、自傷行為や引きこもりも復讐の一環である。

5 無能の証明
 「特別な存在」として、愛されることはもちろん、憎むこともしてもらえないと、「これ以上私に期待しないでくれ」と思い、「無能の証明」につながる。
 これ以上の絶望を経験しないため、「自分はこれだけ無能なのだから、課題を与えないでくれ。自分にはそれを解決する能力がないのだ」と表明するようになる。
 あからさまな愚者を演じ、なにごとにも無気力になるなど、自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手を使って「証明」しようとする。
 愚者を演じるうちに何らかの精神疾患を疑われることもあるほど、自らにブレーキを掛ける。

●所属感
 人間の抱える最も根源的な欲求。つまり孤立したくない。「ここにいてもいいんだ」と実感したい。
 問題行動のすべては、「共同体のなかに特別な地位を確保すること」という目的に根ざしている。

 問題行動は、叱られることを含んだ上での行動であり、叱責されることは彼らの望むところです。

●暴力
 暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段である。
 暴力とまでいかなくとも、声を荒げたり、机を叩いたり、また涙を流すなどして、相手を威圧し、自分の主張を押し通そうとする行為もコストの低い「暴力的」なコミュニケーションである。 

われわれは「他者の指示」を仰いで生きていたほうが、楽なのです。

●貢献感
 幸福の本質は「貢献感」

●承認欲求
 ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最期の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。
 その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになる。
 他者からの承認を求めるのではなく、自らの意思で、自らを承認するしかない。
 そのためには「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのである。
 「人と違うこと」ばかり際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に嘘をつく生き方に他ならない。

●人生のタスク
1 仕事 2 交友 3 愛

●苦悩
 すべての悩みは、対人関係の悩みである。またすべての喜びもまた、対人関係の喜びである。

●信用と信頼の違い
 信用とは、相手のことを条件つきで信じること
 信頼とは、他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと
 「その人を信じる」自分を信じる、つまり自己信頼あっての他者信頼である。

 仕事の関係とは「信用」の関係であり、交友の関係とは「信頼」の関係である。

 利己心を追求した先に、「他者貢献」がある。

●われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかない。

●人間はひとりでは生きていけない
 人間はただ群れをつくったのではなく、「分業」という画期的な働き方を手に入れた。
 他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。疑っている相手とは、協力することができない。

●正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、果てには「正義の介入」へと踏み出します。

●汝の隣人を、汝みずからの如くに愛せよ
 自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。
 自己中心的な人は「自分のことが好き」だから、自分ばかり見ているのではありません。実相はまったく逆で、ありのままの自分を受け入れることができず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かないのです。

●まずは自分自身が争いから解放されなければならない。自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのである。先の結果を憂うのではなく、あなたができることは、いちばん身近な人々に信頼を寄せること、それだけです。

●落ちる愛は「所有欲」や「征服欲」となんら変わらない。恋に落ちるのは、本質的に物欲と同じである。

●愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。

●愛の正体
 不可分なる「わたしたちの幸せ」を築きあ上げること
 人生のすべての選択において、「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」の二人が幸せでなければ意味がない。「ふたりで成し遂げる課題」とは、そういうものである。

●人生の主語
 われわれは生まれてからずっと、「わたし」の目で世界を眺め、「わたし」の耳で音を聞き、「わたし」の幸せを求めて人生を歩みます。
 しかし、ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった主語は、「わたしたち」の変わります。
 幸福を手にれるために、「わたし」は消えてなくなるべきなのです。

●自立
 すべての人間は、過剰なほどの「自己中心性」から出発する。そうでなくては生きていけない。
 しかしながら、いつまでも「世界の中心」に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
 つまり、自立とは「自己中心性からの脱却」なのである。

●愛、自立、共同体感覚
 人間は変わることができる。愛は「わたし」だった人生の主語を、「わたしたち」に変える。
 われわれは愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、ほんとうの意味での世界を受け入れるのである。
 たったふたりからはじまった「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまで、その範囲を広げていくのである。それが共同体感覚である。

●愛されるためのライフスタイル
 われわれはみな、命の直結した生存戦略として、「愛されるライフスタイル」を選択する。
 それは、いかにすれば他者からの注目を集め、いかにすれば「世界の中心」に立てるかを模索する、どこまでも自己中心的なライフスタイルなのです。
 あなた自身が採用しているライフスタイルも子供時代の生存戦略に根ざした「いかにすれば愛されるか」が基準となっているのではないか?
 あなたが隠し持つ子供時代のライフスタイルを直視し、刷新しなければならない。愛してくれる誰かが現れるのを待っていてはいけません。
 

誰かを愛するということは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。

運命とは自らの手で作り上げるもの

運命の主人

われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。

「愛し、自立し、人生を選べ」

われわれはアドラーの思想を大切にするからこそ、それを更新していかなければならない。
原理主義者になってはならない。これはあたらしい時代に生きる人間に託された使命なのです。

われわれに与えられた時間は有限である以上、すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っています。
現実としてわれわれは、別れるために出会うのです。
だとすれば、われわれにできることはひとつでしょう。
すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。
それだけです。

【感想】
アドラー心理学なるものを私は知らなかった。
ベストセラーとなった前作もタイトルは知っていたが、読んでいなかったのに、その続編を読むのだから、我ながら、大したものだ。(笑)

本著は、ノンフィクションかと思うような哲学問答でアドラー心理学のエッセンスがあたかも解説されるがごとく進むため、実に理解がしやすい形となっている。

その結果、本書を読んだ私の印象は、「アドラー心理学、恐るべし」である。

アドラー心理学の理論は、とにかく論理的であるとともに、哲学と呼びにふさわしい、珠玉の名言というにふさわしい文章が、上のように、無数にちりばめられているのである。

特に問題行動の5段階理論は、私の経験上、完璧な理論だと思いましたよ。

もし私が若ければ、アドラー心理学にまさに心酔したところであろう。

しかし、残念ながら50も過ぎている私は、この熱量の高い啓発本といえども、なかなか、それだけでほだされることは無いのだ。(笑)

宗教的ともいえるような清廉潔白な愛の理論や深い思索から導き出された人間の善性に訴えかけるような考察と問答に圧倒されるのであるが、競争原理を否定している部分がどうしても気に入らないのである。

人間はいかに崇高な存在であるとはいえ、所詮は生物であり、ゆえに生存競争を忌避することはできないであろう。人間独自の分業社会は競争社会でなく共同社会でるとの論理には一理あるとは思うが、生存競争の際たる生殖活動については、共同だの分業だのが入り込む余地のない、異性にとって一番の存在となるという、まさに競争に勝ち抜く以外に、生殖を営むことはできないわけで、これはアドラー主義者といえども異論がないはずである。

そのあたりは、遺伝子やバイオテクノロジーといった今は誰でも知っている科学的知識が欠如していた時代の学者さんによる限界だったのかもしれません。

しかしながら、珠玉の名言に溢れている本著は、人生の指針として、読むに値する十分な内容のある名著でありますので、最終的には絶対的にお勧めいたします。m(__)m

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