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2017年4月

2017年4月29日 (土)

永久ゼッケンという栄誉をいただきました。

本日、第13回日本横断 川の道フットレースの開会式に参加してきました。

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写真のとおり私のゼッケンは186番でした。

この186番ですが、今後の本大会において、私の固有のゼッケン番号となったところです。

昨年、川の道フットレース520km、通称川の道フル、ワンステージ制では日本最長のウルトラマラソン(フットレース)において完走し、これまでの大会通算で186番目の完走者になったことから、完走者のみに与えられる栄誉の固有ゼッケンをいただくこことなったのです。

→川の道フットレース完走記はコチラ

固有とは、つまり仮に私が出場しなくても、他の人はこの186番を使うことはない、永久ゼッケンなのです。

これまで、いろいろなマラソン、ウルトラ、トレランの大会に出場し、完走者として、栄誉を称えていただきました。

一般的なのは、完走メダルでしょうか。

距離が長く、一般的に完走が難しい大会においては、完走者の栄誉をより称えようと趣向を凝らした、特別なものをいただいてきました。

例えば、国内最難関のウルトラである「さくら道国際ネイチャーラン」においては、完走者がいただける記録証が紙ではなくて、ヒノキの一枚板に彫り込まれた、それはそれは素晴らしい記録証がいただけます。(あまりに素晴らしいので、我が家では玄関に置き物代わりに飾られております。)
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世界的に有名なウルトラマラソンであり、さくら道以上に難関のスパルタスロンにおいては、記録証はもちろん、完走メダル、ゴール直後に、完走メダルを掛けていただき、頭には古代オリンピックでの勝者に贈られた月桂冠を戴き、女神さまから聖水を飲ませていただきました。
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トレランにおいては、日本山岳耐久レース、通称ハセツネでは、完走者には完走Tシャツが贈られ、これを着ていることがちょっとした自慢でしたね。

また国内最高かつ最長トレランのUTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)では、本場UTMBを倣って、完走者にはベストが贈られます。これを着て、完走直後に闊歩するのが、格好いいところです。私は第1回のUTMFは完走でき、それを行えましたが、2年前に初参加したUTMBでは、9割方、完走ベストを手に入れたと思っていたのですが、残り7キロ弱の最後の関門で時間切れとなる悲劇を味わいました。なので、UTMBの完走ベストを着ることが、今の私の人生の目標でもあります。
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話がだいぶそれましたが、こうした完走者のみが手にできる品々を私は手に入れたから、満足しているというわけではありませんが、私の限られた資源(時間やお金)を考えると、新しいレースに出ることを選択してしまう、つまる一度の完走で終わってしまうことが多い私ですが、この永久ゼッケンの場合は、これを付けて、走りたいと強く思うというか、熱望すらしてしまいましたね。

ミーハーと言われようが、こんな嬉しいゼッケンはありませんね。

というわけで、今回は、このゼッケンで、川の道ハーフを走ります。

これまでの多くの川の道完走者が培って、守ってこられた、川の道ランナーと大会の栄誉に恥じない、そして、この川の道という唯一無二の大会を支える大会関係者の熱い思いや期待に応え、そして感謝の念をきちんと伝えられるように、昨年は、満足に走れなかった、長野県と新潟県を疾走して、表していきたいと思います。

2017年4月27日 (木)

富士山と桜(チャレンジ富士五湖)

チャレンジ富士五湖完走記のあとがきのつもりが、完走記がまだなのでまえがきになりました。(笑)

ウルトラマラソンの醍醐味の一つは、景色を堪能できるというのがあります。

今回初めて参加したチャレンジ富士五湖の景色について、事前にほぼ何の情報ももたずに参加したのですが、3月末が寒かったせいで、まず桜が満開で、レース前半は曇りでしたが、後半にはすっきりと晴れて、富士山も見えて、さらに大会名称のとおり、富士五湖の美しい湖畔を走るという、風光明媚なコースでございましたので、まずはその報告をしようとするものです。

●河口湖北岸
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●河口湖北岸
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●ランナーと桜と雲に隠れた富士山(西湖)
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●富士山と桜(精進湖)
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●桜と富士山(精進湖)
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●坂道のランナーと富士山
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きつい坂でした。

●河口湖南岸
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107.5km地点

●女性ランナーと桜と富士山
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●完走メダルと記録証と富士山
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以上のように、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン大会のコース上だけでも桜と富士山のセットがこれだけ見ることが出来て、実際には風光明媚な湖畔などの風景てんこ盛りでしたが、平均高度が1,000m程度とそれなりの高度で空気が薄いうえアップダウンもあって、普通のマラソンとは違う、エグいコースでした。

ウルトラマラソンは、ただ長いだけのマラソンではないというのを改めて思い起こさせていただきました。

萩往還マラニック完踏記録綴り

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4月下旬からゴールデンウィークは超ウルトラマラソン(100kmを超えるウルトラマラソン)大会が目白押しのベストシーズンである。
そのうちの一つが、萩往還マラニック大会である。
ちなみにこの時期の他の大会であるが、日本最難関のさくら道国際ネイチャーラン250km、日本最大級のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン118kmほか、日本最長距離、世界でも最長の可能性が高い川の道フットレース520kmなどがあります。プチ自慢しちゃうと、いちおう全部完走してます。(笑)

さて、萩往還マラニック大会ですが、山口県で5月2日から4日の間に開催されるマラニック(マラソンとピクニックを合わせた造語)大会で、距離カテゴリーが充実していて、最長の250km、次が140km、その下に70km、35kmが設定されており、いろいろなレベルのランナーが参加できる大会であります。

私にとっての萩往還マラニックは、初めて参加した超ウルトラマラソン大会という思い出深い大会であり、多くのランナーにとってもそういう大会になるものと思っています。

この大会の特徴はいろいろあると思いますが、特にあげるとすれば次の3点です。

1 萩往還という歴史的かつ風情のある街道がコースの軸となっていること

2 比較的人口密度の薄い山間部の集落の素朴で温かい接待のエイドがあること

3 多様なカテゴリーのランナーが同じ制限時間の同じゴールを目指すこと

特に3について補足説明させていただくと、普通のマラソン大会では、スタートが一緒で、スピードやスタミナが違うランナーで徐々に差が付いて、最後はかなりばらけてゴールというのが一般的なのですが、この大会では、5月2日に250kmがスタート、翌3日に140km、翌4日の朝に70kmのランナーがスタートし、それぞれが4日午後6時までにスタート地点でもありゴール地点でもある山口市内の瑠璃光寺を目指すのである。
そのため、一度ばらけたランナーがゴール間近、特に制限時間近くになればなるほど、ランナー密度が上がるとともに、それぞれのカテゴリーの選手が、それぞれの健闘を互いに称えあいながら、まさに一緒に長い道のりを共に走った、ある種の同志のような連帯感・一体感をもって、ゴールを目指す者のみならず、応援する者までも、一緒にゴールしたような感動を得られるのである。
私が知る限り、こうしたレース運営をされている大会は他にないものと思われます。

さて、私はこの萩往還マラニックには、過去2回参加しており、それぞれに強烈な思い出があります。

●140km(2009年)
 走り始めて2年での無謀な初めての100km超の大会でした。
 なんとか19時間で完走し、GWで家族が帰省していた嫁の実家の金沢に帰りました。
 ちなみにこのブログは2009年1月から開始しているのですが、これが最初の大会完走記となりました。
 こんな面白くもない完走記ではダメだと、自分自身では内容を進化させ続けてきたつもりでしたが、今読み返してみると、心情変化などを文章で丹念に綴っており、自分の完走記ながら感動しちゃいました。(笑)
 しかしながら、本大会での最も印象深い思い出は、帰路の新幹線での出来事でした。
 その時の逸話は、「恐ろしい石鹸のお話」として、記事にしております。(笑)
 →自分で感動した140kmの完走記はコチラ 

●250km(2011年)
 東日本大震災直後で、自身初の200km超の大会でした。
 調子に乗って序盤、最後尾からごぼう抜きする速いペースで展開したところ、中盤から苦しくなり、宗堂の休憩所では、1時間だけ仮眠と布団にもぐり込むと、そのまま出られなくなって、やっと起きたころには、ビリッケツになっていました。
 ゴールに間に合わないのではないかと焦って、まさに七転八倒しながら、追い上げたら何とか44時間台で完走しましたが、完走後2週間は右ひざが曲がらない後遺症が生じ、ランニング再開するまで1カ月以上かかるという大ダメージを受けました。
 →250kmの完走記はコチラ

当時はまだ、マラニックやジャーニーラン(コース誘導がなくて自分で地図を見ながら進む大会)の経験がなくて、いわゆる初心者状態で装備を考えて、それはそれでとても楽しかったのではあるが、失敗も多く、それから今とは比べ物にならないほど、安くて稚拙な装備で臨んでいたのも、今となってはウルトラ初心者時代の古き良き思い出ですね。
 →当時の萩往還マラニックの装備記事はコチラ

さて、この30回を超える歴史ある萩往還マラニック大会ですが、来年で終了するそうです。
最後の大会ということで、何とか参加したいなあと思っているところですが、相当な倍率になるんでしょうね。
エントリー合戦の壮絶さは想像もつきませんが、なんとかエントリーして、思い出深い大会をもう一度走ってみたいです。(そして、走ってきました!)

最後の萩往還マラニック大会完踏記(250km)2018年
 さくら道国際ネイチャーランとの250kmレースの連闘でしたが、無事完走しました。
 最後の大会ということで、大会関係者・ボランティアのみなさん、そしてもちろん参加ランナーが最後の大会を一緒に楽しもうとする、とてもいい雰囲気の中で走り切ることができました。
 萩往還マラニックの感動は永遠ですね。

2017年4月25日 (火)

弾道ミサイル落下時の行動に関するQ&A

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北朝鮮からの弾道ミサイル攻撃への対処方法について、国民保護ポータルサイトの情報を引用して共有するものです。
(こうした事態が起きないこと願いつつ、念のためです。)

問1 ミサイルは発射から何分位で日本に飛んでくるのでしょうか。

(答)
北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、日本に飛来する場合、極めて短時間で日本に飛来することが予想されます。
例えば、平成28年2月7日に北朝鮮西岸の東倉里(トンチャンリ)付近から発射された弾道ミサイルは、約10分後に、発射場所から
約1,600km離れた沖縄県先島諸島上空を通過しています。
なお、弾道ミサイルの種類や発射の方法、発射場所などにより日本へ飛来するまでの時間は異なります。

問2 ミサイルが日本に向けて発射された場合、どのように周知されるのですか。

(答)
ミサイルが日本に落下する可能性がある場合は、Jアラートを活用して、防災行政無線で特別なサイレン音とともにメッセージを流すほか、緊急速報メール等により緊急情報をお知らせします。

問3 なぜ頑丈な建物や地下街などへ避難するのですか。

(答)
ミサイル着弾時の爆風や破片などによる被害を避けるためには屋内(できれば頑丈な建物)や地下街など(地下街や地下駅舎などの地下施設)への避難が有効だからです。

問4 自宅(木造住宅)にいる場合はどうしたらよいでしょうか。

(答)
すぐに避難できるところに頑丈な建物や地下街などがあれば直ちにそちらに避難してください。それができない場合は、できるだけ窓から離れ、できれば窓のない部屋へ移動してください。

問5 建物内に避難してから気を付けることはありますか。

(答)
爆風で壊れた窓ガラスなどで被害を受けないよう、できるだけ窓から離れ、できれば窓のない部屋へ移動してください。

問6 弾道ミサイルの情報が伝達されたとき、自動車の車内にいる場合はどうすればよいですか。

(答)
車は燃料のガソリンなどに引火するおそれがあります。
車を止めて頑丈な建物や地下街などに避難してください。周囲に避難できる頑丈な建物や地下街などがない場合、車から離れて地面に伏せ、頭部を守ってください。

問7 車から出ると危険な場合はどうしたらよいですか。

(答)
高速道路を通行している時など、車から出ると危険な場合には、車を安全な場所に止め、車内で姿勢を低くして、行政からの指示があるまで待機してください。

問8 ミサイルが着弾した後は何をすればいいですか。

(答)
弾頭の種類に応じて被害の様相や対応が大きく異なります。
そのため、テレビ、ラジオ、インターネットなどを通じて情報収集に努めてください。また、行政からの指示があればそれに従って、落ち着いて行動してください。

問9 近くにミサイルが着弾した時はどうすればいいですか。

(答)
弾頭の種類に応じて被害の及ぶ範囲などが異なりますが、次のように行動してください。
・屋外にいる場合は、口と鼻をハンカチで覆いながら、現場から直ちに離れ、密閉性の高い屋内の部屋または風上に避難してください。
・屋内にいる場合は、換気扇を止め、窓を閉め、目張りをして室内を密閉してください。

詳細については、国民保護ポータルサイト(http://www.kokuminhogo.go.jp/)をご覧ください。

【ひと言】
 窓のない部屋って、我が家にはトイレしかない・・・。
 子どもの学校だと、どこかそういう部屋があるのかなあ・・・。
 当たり前の話であるが、弾道ミサイルの直撃を食らうと、どうしようもないということですね。
 何もないことを祈るしかないですね。

2017年4月23日 (日)

チャレンジ富士五湖 結果速報報告

初めてのチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンに参加したので、結果速報をご報告いたします。

結論から申しますと、100キロを無事完走しました。

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神々しい富士山の下、いただいた記録証とメダルの写真です。

完走タイムは見えているとおり、11時間29分35秒でした。

10時間を切りたい(サブ10)と大見えを切っていたのですが、まったくもって、1時間半もオーバーと情けない限りです。

宣言通り、序盤は、キロ5分を何度か記録し、登りもキロ6分ちょっとと積極果敢に攻めて、コースのアップダウンは想像以上でしたが、フルマラソンと同じ距離の42キロ通過は4時間3分と平均ペースはキロ5分40秒を何とか維持できていたのですが、56キロのエイドで休んだ時点で、平均ペースがキロ6分に到達し、10時間切りが絶望となり、その後は、アップダウンもあって、ずるずるとタイムが落ちていってしまいました。

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上のグラフは1キロごとの平均ペース(キロ何分何秒か)
下のグラフは標高の推移

最後の激坂は、もはや私の力ではどうしようもなく、ただただ歩くしかなくて、上のグラフのとおり、キロ12分を大きく超える体たらくなペースでしたが、最後の下りはいつものように大爆走して一応、ごぼう抜きしてゴール、そして完走できて、嬉しかったです。

詳しいご報告は、また後程!

報告1:富士山と桜(チャレンジ富士五湖)

追記:
 今回、一番印象に残ったのは、イモトアヤコに会えたことでした。
 一緒に写真撮ればよかったと後悔してます。(疲れてて、とりあえず写真だけ撮って、満足してしまいました。)
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ノリの良い高校生?でしたよ(笑)
ところで後ろの変なのは何だ?

2017年4月19日 (水)

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン想定タイム&装備準備編

いよいよ4日後の次の日曜日が待ちに待ったチャレンジ富士五湖の日である。
先月の小江戸大江戸マラニック途中リタイア事件佐倉朝日健康マラソンの激沈事件と連続した不甲斐ないレース結果を教訓に、ただ距離を踏むのではなく、心肺を追い込むランニングを心掛けてトレーニングをたった3週間であるが続けてきた。
脚もいい感じに仕上がってきたし、フルマラソンならベストに近いサブ3.5は走れる感じだ。
まあ、今回は100kmなので、最後まで持つかは、わずか3週間足らずのトレーニングではとても自信はないが、根拠のない自信こそが私の強さの源泉でもあるので、きっと何とかなるだろう(笑)
といういい加減なところもあるが、今回も自分なりの戦略を考えたので備忘録的に記事として残しておく。

【レース概要】
カテゴリー ウルトラマラソン(距離100㎞)
累積標高差 詳細不明(1000m程度か?)
参加人数  2000人
制限時間  14時間(18:30)
関門数   6カ所
 ①16.9km(山中湖駐車場)06:40、②38.7km(富士北麓公園上)09:15、③56.4km(足和田出張所)11:30、④なし、⑤72.2km(旧精進小学校)14:00、⑥80.6km(西湖公民館)15:30、⑦94.8km(河口湖ステラシアター)17:45、⑧100km(ゴール)18:30
スタート時間 4:30

【今回のテーマ・目標】
サブテン(10時間切り)
想定タイム 10時間(14:30)
①16.9km(山中湖駐車場)06:10、②38.7km(富士北麓公園上)08:15、③56.4km(足和田出張所)10:00、④なし、⑤72.2km(旧精進小学校)11:35、⑥80.6km(西湖公民館)12:25、⑦94.8km(河口湖ステラシアター)13:55、⑧100km(ゴール)14:30

【装備】
ウェア上 ファイントラックメッシュ×2、半袖ハーフジップ、アームカバー、ULウインド、長袖
ウエア下 ユニクロタイツ、ハーフパンツ、レースソックス
シューズ イダテン
アクセサリ バイザー、グローブ、ウエストポーチ、GPS腕時計、反射材
携行品 デジカメ、食料少々、スマホ、銭、薬、アミノ酸、ティッシュ、鍵
 ①補給食 食料(ソイジョイ4本、一本満足バー3本、アミノ酸2本)
 ②薬 消炎剤、胃酸、胃粘膜、ビタミン、アスタキサンチン、バンドエイド、皮膚保護
ドロップバッグ 予備食料(バーとアミノ酸)、予備ウエア(レインウエア、予備パンツ&シャツ、ジャージ)
予備バッテリー"
本部預け ジャージ上下(スタート直前履き替え)、手提げ袋、予備バッテリー

【天気予報】
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スタートの4時半ころは恐らく最低気温であろう。となると3度か・・・。真冬というか、ここ最近の温かさに慣れている身としては酷寒な感じだろう。
上は2枚、下も1枚は余分に着込む必要があるだろう。脱ぎ捨てサービスを有効活用するか。
その後の気温上昇具合は、20日の展開と似ているのではないだろうか。
最高気温は17度、日差しもあって、走っていれば、かなり暑いだろうな。
56kmのドロップバッグの使い方がポイントだな。

【戦略】
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序盤の平地及び下りはキロ5分程度で攻める。登りも高低図から推測すると傾斜率は平均的には5%程度のようなので、キロ6分半程度で走って登っていけると思う。(たぶん(笑))
フルマラソンに近い42km地点は、3時間55分で通過したい。24時間走の42km通過と同程度はアップダウンがあるコースとはいえ可能なはずである。
中盤はキロ6分前半を何とか維持して、サブテンに望みを残して、粘りたい。
疲労もピークとなる90km過ぎからの激坂では、脚が止まるであろうが、キロ8分くらいのスロージョグで粘りつくしたい。
強気の想定通りの展開となれば、最後は時計と睨めっこしながら、激坂を大爆走するかもしれない。
次戦の川の道ハーフまで10日間もあるから、ダメージの蓄積を恐れず、全力を出し切りたい。

2017年4月12日 (水)

初めてのチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン

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いよいよ来週末、第27回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン大会の100kmの部に初出走予定です。

丸10年、走り続けていて、ウルトラマラソンも最初に100kmを走ってから8年半も経っているのであるが、このチャレンジ富士五湖は初めての参加である。(富士五湖は118kmで、私の参加するのは100kmの部で、正式名称的には富士四湖なのであるが(笑))

これだけ有名で比較的近場で開催されるウルトラマラソン大会であるのに、何で参加しなかったのかなあと考えてみると、実に簡単な話であった。

答え→他の大会に参加していた(笑)

2007年 外秩父七峰縦走ハイキング大会
2008年 外秩父七峰縦走ハイキング大会
2009年 萩往還マラニック140km直前につき自重
2010年 プロジェクトで多忙
2011年 外秩父七峰縦走ハイキング大会(完走後、泣き)
2012年 外秩父七峰縦走ハイキング大会(自己ベスト)
2013年 外秩父七峰縦走ハイキング大会(途中リタイア)
2014年 さくら道国際ネイチャーラン250km
2015年 理由不明
2016年 川の道フットレース520km直前につき自重

という訳で、初エントリーで初参加なのです。

●コース図
Course
富士北麓公園をスタートして、東に進み、最初に山中湖を一周して、その後、河口湖北岸、次に西湖北岸、精進湖を一周して、西湖南岸、河口湖南岸を通って、ゴールの100kmです。

●高低図
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最初から標高差100mのアップダウンが続くが、山場はゴール直前の90km過ぎからの200m超の登りが厳しそうですね。

●関門
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狙うは大胆にも、5年ぶりのサブテン(10時間切り)です。
これだけのアップダウンがあるコースでサブテンできたら、爽快な気分でしょうな。
とりあえず、最初からとばして、頑張って、狙ってみます。
つぶれる可能性は、かなり高そうだけど(笑)

とにかく、初めての大会、実に楽しみですし、楽しく全力で走りますので、応援よろしく!

2017年4月11日 (火)

浅田真央ちゃん、現役引退発表ブログ全文

疲れたからそろそろ寝ようかと思っていたら、フィギュアスケートの浅田選手の衝撃の引退発表のニュースに驚いて、眠れなくなってしまった。

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私はもともとスポーツ観戦が大好きで、ジャンルにはこだわらずというか、オリンピックとかワールドカップといった大きな大会でのレベルの高い真剣勝負が好きでして、フィギュアスケートもその中の一つでした。

フィギュアスケートを特に意識して見始めたのは、浅田真央選手からではなくて、それよりはるか以前の村主選手や荒川選手が活躍していた2000年のころからで、まだ日本人選手が世界のトップにはなかなか立てない時代に衝撃的に現れたのが、安藤美姫選手でした。

2001年の全日本フィギュア選手権で、新星のごとく現れ、若干14歳で3位になった衝撃はいまだに忘れられません。ジャンプが素晴らしくて、柔らかな演技力もあって、しかも可愛いらしくスター性がある安藤選手に衝撃を受けて、一気にフィギュアスケート観戦(テレビ観戦ですが)に魅了されたのでした。

その安藤選手が一時期伸び悩んでいたころに、安藤選手で受けた衝撃をはるかに上回るスパーヒロインの誕生を予感させるに十分な衝撃的なデビューを飾ったのが、トリプルアクセルという唯一無二のジャンプに、確かな演技力、さらには最高級の愛くるしい笑顔を持つ彼女は、これまでのフィギュアスケートの選手を圧倒的に凌駕していて、素人目にも絶対に世界最高のフィギュアスケート選手になるのではと思わせたのが、当時の浅田真央選手でしたね。

その後の活躍は私が語るまでも有りませんね。

前置きが大変長くなりましたが、以下、浅田真央選手の公式ブログの全文です。

ご報告致します。

 

突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。

 

今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。

 

ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。

 

復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。

 

そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。

 

これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

 

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。

 

浅田真央

(以上、原文のまま)

彼女の何が凄いかといえば、まさにこの10年間、アイドルを超越した国民的ヒロインであったというこですね。

かつて国民的ヒーローとなっていた長嶋選手や王選手のような(ちょっと古すぎるか(笑))、最近なら、今なお現役のイチロー選手のような国民の誰もがその活躍を認め、不思議と応援してしまうヒーローと同じような、圧倒的な存在感のある選手であり、人となりであったということです。

直接会ったこともないし、見たことすらないのに、そうまで思わせてしまう、純真で健気で愛くるしい笑顔は、単なるフィギュアスケーターを超えた存在であったことは間違いないところです。

バンクーバー五輪での涙の銀メダル、ソチ五輪でのショートプログラム16位と、オリンピックでは金メダルを得られませんでしたし、最近の不調ぶりは、観ているこちらまでも苦しくなるような心境で関係のない私ですら心配しておりましたが、決断の時期が来たということなのでしょうね。

ソチオリンピックのフリーの演技、忘れられないですね。

真央ちゃん、長い間、お疲れ様でした。今まで、本当にありがとうございました。

追記:
 緊迫しつつある北朝鮮への攻撃の方が、遥かに重要だとわかっているのだが、それでも浅田真央選手の引退は、近いうちに来るとわかっていながら、いざそのニュースに接すると、衝撃を受け、何かを書かずにいられなかった。
 さて、もし私がトランプ大統領なら、金正恩が確実に出席するであろう全国人民会議?を狙っちゃうかな。

2017年4月 6日 (木)

夜桜花見(上野公園)

3月末の冷え込みで、桜が満開となる時期がずいぶんとズレてしまいましたが、ここ数日の暖かい陽気に桜も満開となったようですね。

4月の年度始めもからも数日経過し、少し落ち着いた感もあって、東京は上野に夜桜見物に出かけた友人から写真をいただきましたので、気持ちだけでも花見の気分でブログに上げるものです。

●満開の桜
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綺麗ですね。人も多いですね。

●提灯イルミネーション
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夜桜見物の雰囲気を盛り上げていますね。


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明日は三男坊の高等部の入学式ということで、雨模様なのが気にはなりますが、彼を祝福してくれているかのような桜満開の入学式、楽しみです。

2017年4月 4日 (火)

いつか必ず行きたい場所

ちょっとタイトルが過剰と思われるかもしれませんが、これは私の備忘録ですのでお許しをm(__)m

ここ最近、いろいろな情報を得て、ちょっと行ってみたいなあと思いながら、いずれ忘れそうだと思ったお店のメモ書きですが、ブログに載せるにあたり、写真を追加しました。
(どうすれば忘れずに目的達成できるかと考えたとき、このブログに載せておけば、忘れないし、達成できるだろうと考えた次第です。)

私を良く知っている人は分かっているとは思いますが、食い意地は張っていないというか、食には関心が無いのですが、土産になりそうとか、ブログのネタになりそうとか、そういう意味での関心があるということですし、近くに大会遠征や城攻めなどしたときに、立ちよれればなあと思ったからです。(笑)

●愛知県豊田市 和菓子 御菓子所まつ月 本わらび餅 黒田町尾知59-5
いつか必ず行きたい場所

●静岡県伊豆市 駅弁 駅弁カフェたけし 武士のあじ寿司 伊豆箱根鉄道修善寺駅
いつか必ず行きたい場所

●滋賀県湖南市 食事処 みくりや 海老天エビフライカレーうどん 夏見639-1
いつか必ず行きたい場所

2017年4月 3日 (月)

香港トレランHK100完走記4(最高峰&ゴール編)

ゴールまで残り10kmとなって、いよいよゴールが見えてきましたが、その前には香港最高峰の大帽山(タイモーシャン)標高957mが待ち構えているのであった。

●CP9 90km地点 02:31-02:39
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最後のチェックポイント兼エイドステーション

●最終エイドの様子
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最強ヘッドライトコンビの主力、ペツルNaoのバッテリーを座って交換しました。
電池ケチって進むのが馬鹿らしくなったというか、ここからはガンガン照らして、ガシガシ進もうと思った次第です。

●岩登り 03:44
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さすが香港の最高峰、巨石ゴロゴロの登山道が初めて出現。
でも、ちょっとだけです。(笑)

●大帽山 04:25
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CP9から歩いて、1時間45分で標高927m地点のほぼ山頂に到着です。
つまりGPS時計で標高927mを表示していたところから明るい場所を写したものです。
樹林がその向こうの光に照らされ何ともいい感じでしたし、音楽も聞こえてました。
てっきりエイドだろうと思ていたのですが、その方向には進まず、下りる方向に誘導されました。何かイベントやっていたのかも?

香港の最高地点を踏みたく、誘導するスタッフ2名に、「タイモーシャンに行きたい!(明るい方を指しながら)こっちか?」と聞くと、「ノー!ノ―!」と通常コースを誘導されました。

あまり英語の得意でないスタッフだったようです。(私の英語もダメですが(笑))

しかたなく、舗装路を下ることにしました。

ここまで40kmくらい歩いて進んできましたが、残り5kmの舗装路の下りということで走り始めました。

●漆黒の下山 04:38
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大帽山の山頂付近から続く広い舗装道路を下ります。
それなりに走りましたが、調子はいまいちで、何人かのランナーに抜かれました。
霧はいよいよ深く、何より風が強くて、夜明け前という最も寒い時間ということもあって、体感気温はレース中、最悪でした。なので、持っているウエアをしこたま着込んで、走りました。

昨年は、猛吹雪&積雪で中止になったのもうなずける寒くて風の強い場所でしたね。

面白かったのは、何もない道路の僅かな空間に何個もテントが張られていたこと。

日本でいえば、雪山でのテント泊に近いのかもしれませんが、いかんせん香港では、なかなか雪に巡り合えないんでしょうね。

舗装路が終わって、トレイルに入ると、石段を降りて、その後、石段を登り返して、最後の最後まで石段地獄を味わえました。

ゴール付近の歓声が聞こえ始めて、レインウエアを脱いで、まだ夜が明ける前にもちろん最後は全力疾走で、歓声に迎えられてゴールしました。

●ゴール 05:17
Dsc00548
フィニッシュラインを越えて、振り返って撮った写真です。

ゴール地点で出迎えてくれたロマン君と再会し、参加賞のパーカーと24時間以内完走者が貰えるブロンズトロフィーを貰いました。

その後、ロマン君が写真を撮りましょうということになって、表彰台で写真撮りました。

●完走直後写真 05:26
Dsc00553
右手にブロンズトロフィー、左手にパーカーを持っての記念撮影です。

年末年始の業務多忙による練習不足でしたが、何とか無事に完走できました。

これで、ITRAの5ポイントを獲得し、UTMBに2年連続抽選外れと相まって、早々に2018年のUTMB出場権を獲得できました。

それが最高に嬉しかったです。

その後、ロマン君のバンで着替えて、後輩W君の到着を待ちました。
待っている間m土砂降りの雨でしたが、後輩W君は2時間半遅れながら、24時間以内完走を果たして、ブロンズトロフィーをゲットして、ロマン君のバンでホテルまで送迎してもらってホテルに帰り着きました。

めでたし、めでたし(笑)

次>:香港トレランHK100完走記1(美しいビーチ編)

前<:香港トレランHK100完走記3(山岳&夜間後編)

【完走賞】
●完走パーカー
Dsc00564
普段着使いに違和感のない素材もなかなか良い感じのパーカーです。
パーカーってもてないので、かなり使えそうです。(笑)
タグには499香港ドルと書いてありました。約7500円か(笑)

●ブロンズトロフィー
Dsc00583
15センチほどの小さなトロフィーです。
高校時代に弓道の大会で優勝した時以来のトロフィーゲットでした。

【参加賞】
●ゼッケンほかいろいろ

①ボトル(カップ付き)、②バフ,、③オリジナルTシャツ

●お守り
Dsc00594
終盤のエイドでスタッフが配っていたお守りです。
中華っぽいデザインですね。

【ホカシューズ】
●右足破損状況
Dsc00597
Dsc00600
右側の親指付け根のサイド部分が破けてました。
右足の方が大きいので、マメなどは必ず右側からできるのに、今回は左足から痛み始めた理由は、右側は早々に裂けて、テンションが低くなったからだと納得。
それにしても、もう少し裂けていれば、走れなくなるところでしたが、そこはさすがホカ!
致命傷にまでならない強度はあるということですね。

【打ち上げ】


2017年4月 2日 (日)

ハセツネ30k完走話

Hasetsune30
今日はシーズン初戦のトレランレース大会であるハセツネ30kの開催日ということでしたが、残念ながら私はお仕事してました。

新年度が始まるにあたってのお仕事だったのですが、この仕事は私にしては珍しく、体力勝負、いや腕力勝負の仕事で、脚は鍛えているが、上半身はさっぱりな私向きな仕事ではなかったんですが、同僚たちと楽しく仕事をしてました。

今日は4月にしてはとても寒い一日でしたが、快晴で、ある意味、絶好のトレラン日和だったのではないでしょうか?
ただ気になる点は、金曜と土曜の夜に奥多摩は雪だったのではないかと思われます。
だとすれば、トレイルは積雪状態か、あるいは溶けてぐじょぐじょだったのかもしれないと思いつつ、仕事しておりました。

さきほど、レース結果を公式サイトで確認すると、男子優勝は上田瑠偉選手で1時間5分、

女子優勝は吉田香織選手で1時間16分、

えっ?1時間?トレラン30キロですが・・・

これは、積雪でコース短縮したということですかね・・・。4月とはいえ奥多摩だけに仕方ないですね。

6年前に奥宮さんが初めて主催した奥多摩巨岩渓谷トレイルレースも4月の予想外の積雪で中止でしたしね。

さて、話を戻しますが、このハセツネ30kに私は3回出走しております。

記念すべき第1回大会(2009年)、次も記念すべきハセツネカップ予選大会に初めて位置付けられた2014年の大会、そして2015年です。

●第1回大会完走記(2009年)

トレランを始めて3年目に参加したものです。
山とトレランの両師匠とともに参戦した思い出の大会ですね。
まだブログを始めて2カ月足らずのときにはじめてトレランレースの結果報告を記事にしたものです。
非常に短く稚拙な文章(まあ、今も稚拙ですが(笑))で、まさに自分の日記のような記述で懐かしいです。

●第6回大会完走記(2014年)

4月はウルトラマラソンシーズンでもあり、しばらく参加をご無沙汰していたのですが、この年から秋のハセツネカップ本戦の予選レース(1000位以内)となったことから参戦したものです。
14km地点ぐらいに通過ランナーを数えてくれている人(たぶんボランティア)がいて、自分は960番くらいで、その後の登りで100人以上抜かれて、1000位以内に入るため、終盤、激走しました。
そのおかげで、1000位以内に入れたのですが、下りも激走したので、すっかり脚の筋肉損壊が起こり、次週のさくら道国際ネイチャーラン250kmが苦闘のレースとなった苦い思い出があります。(笑)

●第7回大会完走記(2015年)

仕事と重なったと思ってエントリーを自重したら、仕事が無くなって、マジかよと思っていたら、ふるさと納税枠というのが設けられて、それでエントリーできて、出走した大会でした。
また、後輩W君と道中一緒に走り、終盤先行されながら、最後10mで大人気なく抜かしてして、いまだに大人げないと語り草になっています。(笑)
結局、900位台で本戦出場の権利を獲得しながら、本戦は仕事で出場できず、3万円のふるさと納税はいったい何だったんだというオチもありましたね。(笑)

そう言えば、ゴール付近で後輩たちとだべっていると、1001位という悲劇のランナーさんに出会ったのも印象深いです。(厚かましくもその記録証の写真を撮らせていただきました(笑))

2017年4月 1日 (土)

香港トレランHK100完走記3(山岳&夜間後編)

ビブラム香港トレイルレース100km完走記録のその3です。
前半の美しいビーチトレイルから山岳トレイルに入り、夜になり、香港の100万ドルの夜景を堪能したものの、トレイルは山深くなって、夜の深い闇に包まれ、疲労とともに極限の世界に入っていくのであった。

●CP7 筆架山 Beacon Hill(73km地点) 22:24-22:27
Dsc00450
Dsc00431_2
4分の3地点に到達
ここのエイドのスタッフのテンションは高く、それだけでこちらは元気を貰うことができた。
すでに3か月余りが経過し、何を食べたかも覚えていないが、適当につまんだはずだ(笑)

●たき火
Dsc00439_2
亜熱帯ので沖縄より南にある香港といえども、1月の夜は寒い。
たき火に当たりたくなる気持ちはわかるが、一度あたると離れられなくなるので、ここは我慢して進む。(笑)

●NEXT CHECKPOINT THIS WAY→
Dsc00445_2
海外レースといえども、カップラーメンの提供があるのは日本人には嬉しいですね。

さて、ここで香港トレランのコース図等のおさらい
●コース図
Hk100map
CP7(73km地点)からCP8(83km地点)を通過し、CP9(90km地点)までの記録になります。

●コース高低図
Ws000050

CP7からしばらく下り基調で進むと幹線道路に出てきました。

●歩道橋 23:12
Dsc00457_2
山から山に進むが、途中幹線道路は歩道橋で渡りました。

●サルの像 23:15
Dsc00460_2
おサルさんがいっぱいいる香港の国立公園?に入ります。
結構凶暴で、油断していると襲ってくるとか・・・

●ダム?水門? 23:18
Dsc00468_2
山に向かって上る舗装路を進むと、小さなダム?水門を渡りました。

●滝? 23:25
Dsc00471_2
豪快な水が流れる音がするので、ヘッドライトを向けると、滝のように水が流れていました。

●サル出現 23:45
Dsc00475_2
殺気を感じて、その方向に視線を向けるとヘッドライトに野生のお猿さんが何やら食べておりました。
夜間は明るいヘッドライトを持つ人間さまの方が有利な展開です。(笑)
そこかしこに野生の猿はいましたね。

舗装路を登って、その後のコースの展開の記憶がない。
山腹をトラバース気味に通してある観光客用の遊歩道をアップダウンしながら進んだ。
(気仙沼に行ったW君、合ってますかね?)

●香港夜景その8 23:55
Dsc00483_3
その道中に見えたおなじみに香港の夜景。
夜景の見え方の違いから、少しずつ中心市街地から離れ、着実に前に進んでいることを実感できました。

●CP8(83km地点) 00:09-00:14
Dsc00487
Dsc00492Dsc00495
カステラみたいなのをパクついた記憶アリ。
かなり寒かったので、長居は無用って感じでしたね。

●ロマン君
Dsc00488
今回のツアーガイドのアシスタントのロマン君(日本在住のフランス人)がいました。長ーい電話中だったので写真だけ撮って先に進みました。

ここからは針山への登り。厳しい登りでした。練習不足で脚が動かない私は、ただただ一歩ずつ進むのみ。

前方に針まではいかないけど、それなりに尖がった山影が夜景の光を背景にうっすらと浮かび上がっていたのがとても印象的でした。(写真に撮るなら三脚据えて撮らないと難しいでしょうが、一応写真撮りました。)
真っ暗な写真でしたが、明るさを最高に上げる編集を2度行ったら、なんとそれらしい写真に仕上がりましたので、ご覧ください。

●針山夜影
Dsc00498_2
ランナーのヘッドライトが点点と針山の頂上に向かっているのが見えました。

厳しい登りですが、事前に見える、しかもそれほど絶望的な高さでないというのは、石段地獄?ながら、精神的に楽でしたね。

●針山(NEEDLE HILL)頂上(標高532m)
Dsc00498
頂上到達。山頂は針山のように尖がっていなくて、そこそこの広さがありました。

いったん、ここから150mほど下ります。(石段だった気がします。)

●草山(Glassy Hill)夜影 01:25
Dsc00512_2
標高647m、約250mの登りでした。

それにしても、オリジナルはただの真っ黒な写真でしたが、画像補正を2度行うと、ぼんやりながら、目で見た夜景にちかい画像になるのにびっくりです。

●草山への登り 02:05
Dsc00522_4
濃い霧の中、きつい上りの舗装路を抜かしていった2人組のランナーの後姿。
舗装路が広くて、一方で霧は濃くて、ヘッドライトの光が霧に乱反射して良く見えないのと、電池の節約のため、自分のヘッドライトは消して、前のランナーに付いて進みました。

左のランナーはしっかりしてましたが、右のランナーさんは明らかに半分眠りながら蛇行しながら、私より遥かに早速度で進んでいました。

舗装路から崖に落ちないかとヒヤヒヤ、ワクワクしながら、後ろから付いていきました。(笑)

山頂らしいところが分からないまま、舗装路からトレイルになって、激下りが始まりました。

ますます霧が濃くなって、足元不明瞭で、下りも走れないながらも、先ほどの登りは早い2人組ランナーを置いて、一気に下りました。

●CP9(90km地点)
Dsc00524
90km地点ということで、コースの9割を走り終えました。残り1割、何とかなる気がしてきましたが、ラスボスである香港最高峰の大帽山(標高957m)までの本コース最大の登り(標高差約550m)に向けて、最後の休息を行うのでした。

次>:香港トレランHK100完走記4(最高峰&ゴール編)

前<:香港トレランHK100完走記2(山岳&夜間前編)

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