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2017年3月25日 (土)

タフな走り

(前編のバカロードな走りからの続きの神宮外苑24時間チャレンジ完走記後編)

あれだけ序盤から爆走したから、今こうして苦しんでいる自分のこの状態、つまりガンガン抜かされている低速な走りを続けているにもかかわらず、7時間以上もバカロード師匠に会っていない。

本大会は約1.3kmの周回コースなので、トップ選手には10回以上、知己のランナーでも多い人では4,5回は抜かされている状態(抜かした相手がエイドやトイレに寄っている間にこちらが抜かすがスピードが違うためにすぐに抜かされる場合などもあり)が普通であるのに、かれこれ7時間以上もバカロード師匠の姿を見ていないことに違和感を感じていた。

タフなバカロード師匠も、実はもう潰れているのでは?などど、おこがましい想像をめぐらせ、(恐らくは)ニヤつきながら低速で走っていると、

何百人目かの私を抜かしていくランナーさんからの「かずさん、やっと会えましたね」との声に、振り向くと、それは7時間ぶりのバカロード師匠のお顔でした。

後で双方の記録を比較すると、10時間経過時点までは周回数は同じであり、私がバカロード師匠に後れを取り始めて7時間以上(スタートから9時間経過後まで)遭遇していなかったのも、端的にいえば、周回コースでお互いに姿の見えない反対側を同じようなペースでぐるぐる回っていたということだったのだ。まさにお互いに足が止まりそうになりながら信じられないような意地の走りをしていたわけだ。(笑)

「いやあ、きつい。今回は、3時間気持ちよく走った後、残り21時間、ただただ耐えるトレーニングと思うしかないですね。」とバカロード師匠からお声掛けいただいた。

さすがはバカロード師匠、私の爆走に付き合って、それゆえに現在ひどい目にあっているというのに、なんという前向きな考え方、またも感動して、涙目になりました。(笑)

「なるほど、そういう考え方をすれば良いのですね。となると私の場合は、2時間しか爆走できなかったので、22時間耐える練習かあ・・・。しかし、耐えられるかな。(笑)」と答え、その後もしばらく併走して話をしつつ、やがて休憩直後なのか私より元気なバカロード師匠はそのまま先行していかれました。

21時間耐えるトレーニングというバカロード師匠らしい激励に気持ちは上向き、低速走行にも大いなる目標ができ、走る意義を持つことができた。勝負はまだこれからんだと!

100km通過は11時間30分経過した22時30分ころで、そのころの実際の走るスピードは時速6.5km程度にまで落ちていて、体調悪化は止まらないものの、それでも決して歩くことはなく、歩く寸前のスロージョグを続けて進んでいた。

やがて日付が変わるころになると、明らかに周回コース上のランナーが少なくなってきたし、一方で歩いているランナーは増えてきた。

このころ頭の中で考えていることは、ただ一つ、今までの自分(の記録)を超えることだけ。

15時間経過する直前の午前3時前に、ついに自分を超えることができた。過去の24時間走の自己記録122kmを残り9時間余りある時点で超えることができたのだ。

すると不思議なことに、精神的なものもあってか、体調は最悪の状態から脱しつつあって、少しだけ足を前に出すのが楽になってきた。(9時間から15時間の間は1時間で5周(約6.6km)ペースであったが、15時間から16時間では6周(約7.9km)にペースが上がったのだ)

とにかく150kmを目指すことにして、休むことなく、ただただ1歩ずつ前に進んで行った。

夜明け前にもなると、周回コース上のランナーはいよいよ少なくなって、トップ争いをしているランナーも疲労と眠気で足取りが遅くなっていたりする人もいて、そうしたランナーを抜かせる状況でもあり、一方で、フラフラになりながらも休むことなく必死で歩いて前に進むランナーさんがいたりと、この最もきつい時間帯、過去自分は休憩していて、一度も走ったことがないランナー密度が低くて、もっとも過酷な時間帯を走っているという、タフなウルトラランナーとしての自己満足な充実感を味わいながら走り続けることが出来ました。

夜明け直前の午前5時半ごろ、150kmを超えることができた。足が止まりそうだった5,6時間前には、この状態では、24時間で150kmも到達できないのではないかと思っていたのに、予想外の粘りと回復にますます元気が出てきた。このペースならスパルタスロンの出走条件の180kmも夢でもないかもと思いながら、今自分ができることとして、とにかく休まず進むことにした。

さて、この神宮外苑24時間チャレンジは約1.3kmの周回コースで、本部前を通過する際に、液晶モニターに自分の記録(周回、距離、順位)を見ることができるのであるが、最初のひと桁台の順位が徐々に落ちて行って、日付が変わったころには男性51位(出走116人)にまで落ちたのであるが、その後は徐々に順位が上がっていった。

夜明け頃の記憶は定かではないが、37位を見た記憶があるので、それくらいまで上がってきていたはずである。そのとき、きりの良い、30位くらいまで順位を上げたいなあと思い、180kmに加え、30位以内も目標にすることにした。

6時が過ぎて、夜が明けて、音楽プレーヤーが禁止となる7時が過ぎても、目標に向かって、休まずにずっと走り続けているが、さすがに上位選手はなかなか落ちてこなくて、順位はあまり上がらない。

それでも、夜明けとともに体調の回復傾向は顕著で、残り4時間ということもあり、走りの調子は上がってきているのだが、ひと眠りしたランナーもコース復帰しだして、周回コースのランナーも多くなるとともに、こちらのペースが上がる以上に、周りのペースも早くなっていて、実際のところはちっとも早くなった気がしないのだ。(笑)

終了まで残り2時間を切って、順位は32位まで上がった。そして180kmも突破。あと二人抜けば、30位に到達できると思い、さらにピッチを上げた。

爆走していた20時間前のスピード近くにまでギアを上げて、とにかく走り続ける。気持ちの良い朝で沿道の応援も増えはじめ、そこから、ますます元気をもらえて、とにかく前のランナーを一人ずつ抜かし続けた。

もはや本部前の順位掲示を立ち止まって見る時間も惜しくなって、とにかく息が上がるレベルまでスピードアップした。

スタートして23時間30分を経過した10時半ごろ、ついに190kmを突破したようだが、そんなことより、30位以内に入れるのか?いや、最後まで力を出し切れるのか?それだけを考えて、懸命に走り続けた。

残り10分を切ったところで、自分のナンバープレートを本部前で受け取って、ラストスパートをかけた。

10時間以上、スロージョグしかできなかったことが嘘のように走れていることに嬉しかった。それでもトップ選手のラストスパートの速さには、とても追いつけないが、190km超を走っていながら、これだけ走れることに満足しながら、とにかく前を追って、24時間の笛が鳴る直前に、同じくラストスパートをかけている一人のランナーを抜かしたところで、24時間終了の笛が鳴った。

その場に立ち止まって、自分のナンバープレートを置いてから、距離計測を見守ったのち、300mほど歩いて、本部前に戻った。あとで記録が判明するのだが、195.752kmとこれまでの自己記録を70km以上更新するとともに、男性30位となっていた。

本部前で、バカロード師匠と再会し、お互いの健闘をたたえ合い、今回、初めて24時間走でバカロード師匠にガチンコ勝負で勝利したことに満足して、24時間走は終わった。

序盤のバカロードな走りから、そのあと22時間、ひたすら耐えたタフな走りを実現して、新しい自分に出会えることができたことに大いに満足した24時間走となった。

惜しむらくは200km超という記録面での目標を達成できなかったことがあるが、それは次の目標にすることとする。そのためには、つまらないかもしれないが、イーブンな走りをして、大いなる目標を必ず達成したいと思う。

前編のバカロードな走りはコチラ

周回記録一覧表(参加された方からの引用)●かずさん
2016jingu11

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