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2015年9月23日 (水)

UTMBレース記録10(第11関門ヴァロシーヌから最終関門リタイア)

制限時間までの余裕タイムは15分。すでにレース・スタートから41時間経過しているものの、眠気はなくなった。これが最後の一山、まだいける、まだいける。絶対にまだ行けるはずだと出発した。

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第11関門のヴァロシーヌは貯金が15分になってしまった。しかも、かなり暑い。ハイドレに水を入れたが、残り一山、重量もかさむので1リットルちょっとに抑えて補給して急いで出発。(あとで考えると水の量を抑えたことが失敗だったかも)

公園と線路の間の脇道のような場所を進む。住民なのか、観光客なのか、声援を送ってくれる。
途中に水場があり、エイドで濡らしてきたが、当然水を浴び直す。
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11:10 頭の中は、次の登りをどれだけ頑張れるのか?モンテ峠はどんな感じなのか?その先の山登りは?とにかく一歩一歩足を進めるだけだ。周りは気にするな。自分のペースで進むしかない。

モンテ峠への登りは、高低図のとおり、緩やかだ。緩やかな上りは、登り激弱の私でも、それほど差はないはずなのだが、どうにも足が前に出ない。話をしながら進む外国人ランナー達にいとも簡単に抜かれたりした。

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11:44 モンテ峠の緩い登りを必死で登っているところ。
この写真は、現地の写真サービスから55ユーロで購入したものの一つ。
まだ、ちゃんと前を見据えて、頑張っているような、その逆に夢遊病者のようにも見えるような表情ですね。(笑)

モンテ峠のトレイルが自動車道と交差しているところが最後の応援ポイントらしく、ランナーの家族が大集結していた。愛するものと抱擁し、笑顔で最後の一山に向かう者を何人も見ました。

私はこれから始まる急登の苦戦がデジャブのように頭の中で反芻されていたと思います。
(このデジャブ事件はレース中の私の頭の中で本当に起きた幻覚だと思います。)

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11:53 道路を渡って、水路で水浴びして、これから始まる最後の一山、ラテットオーバンを見上げて写した写真。
そして、これがレース中最後の写真。
レースにおいて私が写真を撮らなかったことがないのは、皆様ご存じのとおり。このあと、実に3時間20分写真がない。
どれだけ肉体的・精神的に追い詰められていたのか・・・

写真で見られる壁のような岩が多い斜面を九十九折で登っていく。暑さと疲労で足は進まないのであるが、後続ランナーにほとんど抜かれなくなってきた。
(これがいわゆる制限時間付近に起きるエアポケット。関門ギリギリランナーしか味わうことのない魔の空間です。つまり、余力のあるランナーは先に進んでいるし、余力のないランナーは追い込むことができず、ランナー密度が薄くなるのです。過去最下位通過したおんたけ、UTMF、富士登山競走などで体感しています。)

しかしながら、このときはそんなエアポケットの異変に気が付きませんでした。

そして、このエアポケットに気が付かず、疲労感の強いランナーと並走して、気が緩んでししまっていたのです。

ここからはずでに書き終えている「夢だと思ったUTMBリタイア」からそっくり引用します。

モンテ峠の緩い登りは、そこそこ登れたが、岩だらけの登山道は、傾斜も急になり、陽射しも強く、厳しい状況であったが、最後の一山ということで、自分に鞭打って、登っていった。
標高1800m地点で、急に開けた高原状の場所に出た。
ここが最後のチェックポイント、ラテットオーバンか?と思って、チェックポイントを目視で探すが見つからない。
何人かのランナーもキョロキョロ、ウロウロしている。
誰か見つけてから進むが省エネとしばし立ち止って暑いので給水しながら様子をうかがっていた。
外国人女性ランナーもよほど焦っているのか、明らかにわかっていない私にチェックポイントはどこだと聞いてきた。
やはりこの辺りで少し待つのが得策と思って、日本人ランナーと「暑すぎ」とか、話をしたりしてゆっくり登っていた。
自分のイメージでは、山頂付近(標高2100m)にはスタッフがいて、道案内してくれるものと思っていた。
このとき、GPSウォッチは少し進んで、確か1900mだった。コース図のチェックポイント(ラテットオーバン)の標高は2100m以上。200mの違いも外国人はいい加減だからと思っていた。なぜなら今いるところは山頂に見えたからだ。
とりあえずコース標識に従って、ダラダラと進んでいると、私設ボランティアがミネラルウォータをくれた。いよいよここがポイントだと確信し、尋ねれば良いものを、すぐそこだろうと高をくくって、水のお礼だけ言って、先に進んでしまった
あの一番高いところがきっとポイントだなと思ってついてみると、さらに大きな高原状の台地が奥に広がっていたのだ。
「あれ?」腕時計の標高を確認するとまだ2000mちょっと。はるか先まで見渡せるもチェックポイントらしき場所は見当たらず。標識をたどると一番高い場所につながっていた。
ここで、腕時計を見て、サマータイム1時間を足すと13時58分。
まだ時間はあると、ここでいったんスイッチが入った。
標識に従い高い方に走り出した。すれ違うハイカーは「ブラボー」と称え、道を譲ってくれる。
さきほどまで登れなかった登り坂もぐいぐい登った。後続はいない。(後続に日本人がいれば違った展開だったかもしれない)
先ほど見えていた一番高い場所にたどり着くもまだチェックポイントは見えない。
標識に従いさらに進む。さっき見えていた一番高い場所につくとすぐその先にチェックポイント(ラテットオーバン)があった。
スタッフにポイント通過チェックしてもらい、関門に向かった。(ここで距離なり大まかな時間でも確認すればよかった。)
ここから下りのトレイルに入った。(尾根沿いでなく山腹をトラバースしているトレイルなので先はあまり見通せない)
標高差をコース高低図で確認すると300m下る。すぐにはたどり着けないなと思うも、とりあえず見える場所まで走った。
その場所に着いたらエイドが見えると期待したが、トレイルしか見えなかった。また先の見通せそうな場所まで走った。
そしてまた同じことが起こった。トレイルしか見えない。何度かそれが続いたとき、脚は動かなくなりつつあり、心が折れ始めた。
残り15分を切ったとき、はるか先(2kmくらい)に初めて建物が見えた。エイドらしい飾りは見えなかった。
まだ見えないなら、もう無理だ思った。
そのとき、後方から外国人選手が猛スピードで駆け下り、私を抜きさった。
じゃあ、俺もと、付いて、しばし走るが、あっという間に離された。すでに脚は疲労困憊で彼のようには走れなかったし、エイドはまだ先で勝手にもう無理だと思いこんでしまっていた。
そのうちダラダラと歩き始めるが、すれ違うハイカーには「ブラボー」と称えられ、道を譲ってくれる。(もはや恥ずかしい限りだ)
ダラダラと歩きながら、ひょっとすると30分くらい関門を緩めてくれているのではないかと、都合のよい想像をしながら進んでいいた。
やがて14時45分の関門を迎えた。ここからはまさに力が入らず、半分ふてくされて、ダラダラと進んだ。
建物まで残り500mくらいのところで、同じく関門を諦めて家族と談笑しているランナーがいて、道を譲ってくれた。
それまで見えなかった新たな建物が見え、そこにトレイルが続き、標識も立っていて、スタッフがいた。
「レース、フィニッシュド」「アーユーオーケイ?」とダラダラ歩いていた私を見て、確認してきた。
「ノープロブレム(心は挫けたけど)」と返す。
リタイアの人数がそろったら、車で送るから待ってろとのことで、広いテラスに大の字で寝転がった。遮蔽のないテラスは眩しく暑かった。
関門時間延長などなく、まして夢でもなく、本当にレースが終わったのだった。
その後、何人かのランナーが到着し、車で最初に見えた建物に送ってくれた。
なんと、最初に見えた建物がエイドだったのだ。
そして、エイドの中には、リタイアしているランナーはいなかった。
私を追い抜いて行ったあの外国人選手は関門を通過していたのだった。

残りはゴールのシャモニーまで8kmの表示を眺めつつ、呆然としている私にスタッフは近づいてきて、ゼッケンからバーコードを切り取っていった。
その行為がどれほどショックだったかは、初めて知った。スタッフは優しく飲み物や食べ物を薦めてくれたりするのだが、バーコードだけは切り取ってほしくなかった。

しばらくテントの中で放置されたので、先にリタイアしているだろう師匠に携帯で電話した。私の完走を確信してくれていた師匠はゴール前で私を待ってくれていたのだ。
そんな私からの電話(リタイア)に驚いていた。そりゃそうだ、ネット表示は最後の関門到着に変わっていたのだから。
最後は、一般観光客に混ざって、テレキャビン(大型のゴンドラ)で麓のシャモニーにおり、これまたスタッフの車で、預けていた荷物を受け取る場所で下された。
大きなUTMBと書かれたドロップバッグを抱えて歩いていると、完走者と間違えた人たちから「ブラボー」の声が上がる。
制限時間前の時間に、今ゴール駆け抜けてきました見たいな汗とほこりまみれのぼろぼろのランナーを見れば、誰もが完走者だと思うだろう。
見ず知らずの外国人ランナーたちに「フィニッシュド?」と声かけると「イエス」と答えるので、「コングラチュレーション」と祝福した。
向こうも私を当然に完走しているものと思って、「ユートゥ?」とか尋ねてくるので、事情を説明すると、「来年チャレンジ」と前向きな励ましをもらってしまった。
「ポイントがなくて来年はだめだ」と答えると「ネクスト、ネクスト」と言ってくれた。
距離162km、累積標高10000mを踏破した脚は、決して軽くはなかった。しかも、まるで悪夢の中にいるような心境、いや夢じゃないかと思いながら師匠の待つ宿に向かっていくと、目線の先にはあの雄大なモンブランの姿があった。決して慰めることなどない、姿に見えた。

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15:11 リタイアランナーの送迎中。まだ制限時間から26分しか経過していないという事実に今、気が付いた。うーん、なぜ、最後まで走らなかったのだ。

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この案内標識を制限時間以内に眺めること。

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バーコードを切り取られないゼッケンを持ち帰ること。

人生においてやり残しているこの二つは、絶対に達成すると誓って、私のUTMB2015のレース記録を終わらせることにする。

みなさまには、最後まで応援ありがとうございました。帰国後、多くの人に最後、完走したのだか、リタイアしたのだか、よくわからない状態にさせてしまったことを知りました。

ゴールの中継を最後まで見続けていただいたこと、大変申し訳なく思うとともに、みなさまの熱い応援をなにより誇りに思い、感謝申し上げます。

次は必ず、完走しますので、一緒に感動しましょう!

追記:
 2018年のUTMBで無事完走しました!

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コメント

興味深く拝読させていただきました。感動しました。
私も今年のUTMBに参戦した日本人です。
バロシーヌを出た時間帯などほぼ同じなのでおそらく前後を走っていた(歩いて?)かと思います。
残念ながらモンテ峠でリタイヤになりましたが、夢をみたという部分で非常に共感できました。
私の場合リタイヤ後しばらくは何故か完走したと思い込んでいました笑
またいつか再チャレンジしましょう!

RNさん、コメントありがとうございます。
お互い、あと一歩のところで、リタイアとは残念でした。
やはり、リタイアのショックは夢だと思うのですね。(笑)
同じような時間帯なら、きっとどこかで抜きつ抜かれつして、お会いしたのでしょうね。
お互い、次は完走しましょう!
ちなみに私は11月の3ポイントレースを完走して、来年もエントリーしようと思っています。

詳細なレポートとたくさんの写真、楽しませて頂きました。レース中、何度かお会いし声をかけでくださりましたね。ありがとうございます。

来年は必ずフィニッシュゲートへ。応援してますね。

sasashinさん、東京マラソン当選おめでとうございます。
UTMBも完走されたのですよね、素晴らしいです。
お声掛けしたとのことですが、ほとんどの日本人ランナーに声掛けしたのとリタイアショックで、あまり覚えておりません。ごめんなさい。m(__)m
どこかのレースでお会いしたら、ぜひお声掛けしていただければ幸いです。

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