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2015年9月 1日 (火)

夢だと思ったUTMBリタイア

150kmを踏破して、残り最後の一山となっていよいよゴールが見えてきた。
この手前の山では、脚が前に出なくなって、関門45分前に出発したが、降りてきたら関門の通過余裕タイムは15分しかなくなった。
急ぎ出発したいところであるが、冷静にハイドレの水量を確認すると100ccほどしか残っていなかった。1リットルほど入れて、コーラ3杯飲んで、出発した。
モンテ峠の緩い登りは、そこそこ登れたが、岩だらけの登山道は、傾斜も急になり、陽射しも強く、厳しい状況であったが、最後の一山ということで、自分に鞭打って、登っていった。
標高1800m地点で、急に開けた高原状の場所に出た。
ここが最後のチェックポイント、ラテットオーバンか?と思って、チェックポイントを目視で探すが見つからない。
何人かのランナーもキョロキョロ、ウロウロしている。
誰か見つけてから進むが省エネとしばし立ち止って暑いので給水しながら様子をうかがっていた。
外国人女性ランナーもよほど焦っているのか、明らかにわかっていない私にチェックポイントはどこだと聞いてきた。
やはりこの辺りで少し待つのが得策と思って、日本人ランナーと「暑すぎ」とか、話をしたりしていた。
自分のイメージでは、山頂付近(標高2100m)にはスタッフがいて、道案内してくれるものと思っていた。
このとき、GPSウォッチは確か1900mだった。コース図のチェックポイント(ラテットオーバン)の標高は2100m以上。200mの違いも外国人はいい加減だからと思っていた。なぜなら今いるところは山頂に見えたからだ。
とりあえずコース標識に従って、ダラダラと進んでいると、私設ボランティアがミネラルウォータをくれた。いよいよここがポイントだと確信し、尋ねれば良いものを、すぐそこだろうと高をくくって、水のお礼だけ言って、先に進んでしまった
あの一番高いところがきっとポイントだなと思ってついてみると、さらに大きな高原状の台地が奥に広がりっていたのだ。
「あれ?」腕時計の標高を確認するとまだ2000mちょっと。はるか先まで見渡せるもチェックポイントらしき場所は見当たらず。標識をたどると一番高い場所につながっていた。
ここで、時刻を見ると13時58分。
まだ時間はあると、ここでいったんスイッチが入った。
標識に従い高い方に走り出した。すれ違うハイカーは「ブラボー」と称え、道を譲ってくれる。
さきほどまで登れなかった登り坂もぐいぐい登った。後続はいない。(後続に日本人がいれば違った展開だったかもしれない)
先ほど見えていた一番高い場所にたどり着くもまだチェックポイントは見えない。
標識に従いさらに進む。さっき見えていた一番高い場所につくとすぐその先にチェックポイント(ラテットオーバン)があった。
スタッフにポイント通過チェックしてもらい、関門に向かった。(ここで距離なり大まかな時間でも確認すればよかった。)
ここから下りのトレイルに入った。(尾根沿いでなく山腹をトラバースしているトレイルなので先はあまり見通せない)
標高差をコース高低図で確認すると300m下る。すぐにはたどり着けないなと思うも、とりあえず見える場所まで走った。
その場所に着いたらエイドが見えると期待したが、トレイルしか見えなかった。また先の見通せそうな場所まで走った。
そしてまた同じことが起こった。トレイルしか見えない。何度かそれが続いたとき、脚は動かなくなりつつあり、心が折れ始めた。
残り15分を切ったとき、はるか先(2kmくらい)に初めて建物が見えた。エイドらしい飾りは見えなかった。
まだ見えないなら、もう無理だ思った。
そのとき、後方から外国人選手が猛スピードで駆け下り、私を抜きさった。
じゃあ、俺もと、付いて、しばし走るが、あっという間に離された。すでに脚は疲労困憊で彼のようには走れなかったし、エイドはまだ先で勝手にもう無理だと思いこんでしまっていた。
そのうちダラダラと歩き始めるが、すれ違うハイカーには「ブラボー」と称えられ、道を譲ってくれる。(もはや恥ずかしい限りだ)
ダラダラと歩きながら、ひょっとすると30分くらい関門を緩めてくれているのではないかと、都合のよい想像をしながら進んでいいた。
やがて14時45分の関門を迎えた。ここからはまさに力が入らず、半分ふてくされて、ダラダラと進んだ。
建物まで残り500mくらいのところで、同じく関門を諦めて家族と談笑しているランナーがいて、道を譲ってくれた。
それまで見えなかった新たな建物が見え、そこにトレイルが続き、標識も立っていて、スタッフがいた。
「レース、フィニッシュド」「アーユーオーケイ?」とダラダラ歩いていた私を見て、確認してきた。
「ノープロブレム(心は挫けたけど)」と返す。
リタイアの人数がそろったら、車で送るから待ってろとのことで、広いテラスに大の字で寝転がった。遮蔽のないテラスは眩しく暑かった。
関門時間延長などなく、まして夢でもなく、本当にレースが終わったのだった。
その後、何人かのランナーが到着し、車で最初に見えた建物に送ってくれた。
なんと、最初に見えた建物がエイドだったのだ。
そして、エイドの中には、リタイアしているランナーはいなかった。
私を追い抜いて行ったあの外国人選手は関門を通過していたのだった。(これが史上最大のショック)
Dsc06497
残りはゴールのシャモニーまで8kmの表示を眺めつつ、呆然としている私にスタッフは近づいてきて、ゼッケンからバーコードを切り取っていった。
その行為がどれほどショックだったかは、初めて知った。スタッフは優しく飲み物や食べ物を薦めてくれたりするのだが、バーコードだけは切り取ってほしくなかった。
Dsc06507t

しばらくテントの中で放置されたので、先にリタイアしているだろう師匠に携帯で電話した。私の完走を確信してくれていた師匠はゴール前で私を待ってくれていたのだ。
そんな私からの電話(リタイア)に驚いていた。そりゃそうだ、ネット表示は最後の関門到着に変わっていたのだから。
最後は、一般観光客に混ざって、テレキャビン(大型のゴンドラ)で麓のシャモニーにおり、これまたスタッフの車で、預けていた荷物を受け取る場所で下された。
大きなUTMBと書かれたドロップバッグを抱えて歩いていると、完走者と間違えた人たちから「ブラボー」の声が上がる。
制限時間前の時間に、今ゴール駆け抜けてきました見たいな汗とほこりまみれのぼろぼろのランナーを見れば、誰もが完走者だと思うだろう。
見ず知らずの外国人ランナーたちに「フィニッシュド?」と声かけると「イエス」と答えるので、「コングラチュレーション」と祝福した。
向こうも私を当然に完走しているものと思って、「ユートゥ?」とか尋ねてくるので、事情を説明すると、「来年チャレンジ」と前向きな励ましをもらってしまった。
「ポイントがなくて来年はだめだ」と答えると「ネクスト、ネクスト」と言ってくれた。
距離162km、累積標高10000mを踏破した脚は、決して軽くはなかった。しかも、まるで悪夢の中にいるような心境、いや夢じゃないかと思いながら師匠の待つ宿に向かっていくと、目線の先にはあの雄大なモンブランの姿があった。決して慰めることなどない、姿に見えた。

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UTMBレース記録02(スタートから第1関門)

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