【書評】反日ナショナリズムを超えて 朴 裕河/著 安 宇植/訳
日本の隣国である韓国の動向が毎日のようにネットのニュースで流れているため、日本人の韓国に対する認識は高まっているかのようにも見えるが、実のところ日本人の韓国観および韓国人観は極めて単純化しているように思える。
それがまさに現在の嫌韓と呼ばれる現象と思われるのであるが、それは単純に「うざい韓国」という思いを抱かせるだけのニュースネタで醸成されている。
広告収入目当てに検索数が稼げる韓国ネタ(日本を貶めようと躍起な韓国の動き)に接すると、いまでは日本人としては、ある種の諦め感を超えて、滑稽なほど反日に縛られている韓国人の狭量さに、むしろ優越感や爽快感を感じてしまうような風潮にすらなっている気がする。
一方、何事もすべてを知りたい私にとっては、相手を必要以上に貶めようとする感覚がどうしても理解できず、韓国とは?韓国人とは?と好きな読書でその疑問解消を試みようとしてしまうのだ。
だから、知的探求心を満足させるべく、ノンフィクション好きの私は、韓国に関する本を最近、多読しているのである。
さて、本著であるが、内容を簡潔にまとめると次のとおり。
「なぜ日本を憎悪し続けるのか?民族意識、歴史観、マスメディア…さまざまな言説や誤解を多角的に検証し、日本を敵視する韓国のナショナリズムの根底にあるものを初めて冷静に分析した名著。(「BOOK」データベースより)」
副題は「韓国人の反日感情を読み解く」。確かに読み解かれていましたが、生まれたときからの歴史的事象のある一面を増幅(簡単にいうとねつ造)した反日教育で次世代は理屈抜きの反日だと書かれていました。
その反日教育の結果、現在の韓国人の日本人観(といっても本著は15年前の著作)は次のとおり
「日本人は悪賢くて残忍、残虐、野卑にして利己的であり、悪いやつらで、しぶといところがあり、エコノミック・アニマルであり、狡猾にして裏表があり、実利的で、用心する必要があるが、勤勉なうえ親切で、団結力が強く、誠実・質素であり、秩序をよく守り、礼儀正しく、生活力が旺盛である。」というのが典型的な韓国人の日本人観らしい
が、日本人からみれば、勤勉、秩序を守る、礼儀正しい以外はまったく自覚がないものである。
反日だから韓国や中国との交流が廃れているかといえば、むしろ逆に、彼らは日本に観光客として大挙して訪れてくれている。反日なのに来日するあたりは理解に苦しむのだが、爆買いもあり、日本経済に好影響を与えてくれるだけでなく、百聞は一見にしかずで、本国の偏向報道では知ることのない、本当の日本を知っていただいて、帰国後の母国の日本観の向上に長い目で見れば役立っているだろう。
一方、日本人はすっかり韓国や中国にに出かけなくなったように思う。そういう意味で日本人の韓国観や中国観は直接の接触によるものが減り、私を含め日本人の彼らに対する見方が一方的に硬直していくのではないかと心配である。(もはや、彼らに対して、何の期待も持たなくなっているようにすら思える。)
いつも思うのであるが、友好関係において歴史観の一致は重要である。私の歴史観が世間一般と比べてどういう立ち位置にあるのか?よくわからないが、歴史的な事実とその背景へのあくなき探求心は相当に高いと思っている。そんな私がこれまで読んできた親日派韓国人の著書における歴史観と私のそれはほぼ合致しているのだから不思議であるとともに、それほど私の歴史観も悪くないのではないかとも思ってしまうところでもある。
最後に日本的な表現でいえば親日派韓国人(韓国では親日は断罪される表現)である著者の思いが次の一文から表出されている。
「日本に対していつまでも被害者としての自分を主張することは、幼児の水準にとどまりたいと言っているのと同義である。そろそろ大人になりたいとは思わないのか?日本の過去に腹を立てて拒否するばかりでなく、加害者として苦しみまで理解してやれる大人になりたくはないのか?私たちがひたすら目指している先進国になるためにも、私たち自身が大人になろうとする意識が必要である。」
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