あるウルトラマラソン大会の終焉
多くのウルトラランナーが楽しく走り、私のウルトラマラソン人生においても、とても大きな意味のある大会であった鶴沼ウルトラマラソンが終わることを知人の一報もあり、大会公式サイトで知りました。
運営方法がアットホームかつシンプルながら、私のような新参者も分け隔てなく受け入れてくれる開放的でフレンドリーさ溢れる大会であり、私はとても大好きな大会だっただけに本当に残念なのです。
私は過去五回参加させていただきました。
2009年100km(第56回大会) 初ウルトラマラソン
2010年100km(第58回大会) 初サブ10
2012年100km(第61回大会) 自己ベスト更新
2013年100km(第63回大会) 初リタイア
2014年100km(第65回大会) 最後の鶴沼完走できず
どれも思い出深いラン&大会でした。
終了に至るには、それだけの理由があるということも私なりには理解できました。
たかりゅうさんをはじめ、スタッフの皆様、大変お世話になり、ありがとうございました。
【以下公式サイトより引用】
鶴沼ウルトラマラソン大会 since 23-NOV-2001
第65回大会(2014年4月6日)で,鶴沼ウルトラマラソン大会の歴史を閉じました
長い間鶴沼を愛してくれたみなさま,本当にありがとうございました
【公式サイト内掲示板(一部修正あり)】
鶴沼ウルトラマラソン、終わりにします 投稿者:たかりゅー 投稿日:2015年 1月 2日(金)20時41分53秒
ごきげんよう、2015年あけましておめでとうございます。
鶴沼ウルトラマラソン大会、終わりにします。2014年4月の第65回大会が最後の大会となりました。
長らく動向を表明せず申し訳ありませんでした。いろいろ考えましたが、ファイナルの大会としてもう一回開催するのも困難を極めるので、終わりと決意しました。
やめる理由を説明するつもりはありませんが、少しだけ書きます。
(1)1987年から27年間、長年でいろいろ疲れました。
(2)仕事など多々の状況と、加齢による処理能力衰えで、大会事務処理をこなすことがものすごく大きな負担になってきてます。たかりゅー個人的な能力不足で、開催が困難になりました。
(3)第1回からずっと一緒にやってきたスタッフの○○さんが、2014年末で故郷奄美の徳之島に帰りました。前々から、○○さんが居なくなる時は「鶴沼をやめる時」と思っていました。
(4)2014年4月の大会で、ランナー整理に関する「強いクレーム」が付近の住民から出ました。このクレームに対処して大会開催することは、鶴沼の開催方法では極めて困難です。
などなど一言では言えません。
特に(4)のクレームは精神的にも強烈で、ファイナル大会開催をあきらめる最大の要因です。
鶴沼を愛してくれた多くの方々、長い間ありがとうございました。
ごきげんよう
【追記】
個人主催ながら27年間で65回の開催(例年4月と9月開催。その他年越しラン等の随時開催もあり)は並大抵のことではないはずです。(100kmの参加費がたった4000円で、しかも、エイドの給水給食の充実ぶり、さらには大会終了後、ビール飲み放題なのですから、スタッフの献身ぶりには感謝しかない驚きの大会でした。)
それどころか、主催者は常々、第108回大会(2035年09月02日開催予定)は皆既日食の暗闇の中で、一緒に走りましょう!とそんな先までの大会開催を宣言されていたことからも、本当は、ご自身は死ぬまで、いや死んでも大会を開催される気だったはずなのである。
そこから想像するに、自身の手で大会を終わらせるという主催者の断腸の思いは、いかばかりであろうか。
ランナーとして参加するだけ私ですら、想像を絶する気持ちだったのだろうということは十分にわかる。
この主催者やスタッフの大会に賭けてきた熱い思いは、参加したランナーのそれぞれの胸に宿るしかなくなるのだが、この終わりはきっと新たなる始まりになるものと、自分自身のことを含めて私はそう思いたい。
本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でございました。
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