【書評】ウェブ社会のゆくえ <多孔化>した現実のなかで 鈴木謙介/著
ずいぶん前に先輩に借りて、ずいぶん前に読み終わったのであるが、なかなか小難しい話だけに、書評にまとめるのを先延ばししてきた。先延ばした結果、難しいことは考えずに短くまとめることにした。
本著は、ネット社会における立ち居振る舞いの在り様について、考察し、提言しようとしている今時の内容である。
著者はこの現象を「現実空間の多孔化」と名づけている。
その意味は、これまで現実空間は、物理的にその人のすぐそばにいる人としか繋がっていなかったものが、スマホを携帯する時代になって、メール、ツイッター、LINEなどによって、空間に孔(あな)が空いて、物理的には遠隔にいる人たちと、しかも複数の人たちと常に繋がっている社会が急に出現したということである。多くの孔(あな)が空間に開いていて繋がっていることを著者は、多孔化と名付けたのである。
その劇的な変化に対し、まだ社会はうまく適応していないというか、そうした多孔化した社会で人はどうすればよいのか、まだ模索しているというのが著者の見立てである。
私も進化したネット社会の恩恵に浴しており、こうしてブログを書いている。日記のようなブログを不特定多数の人に見せているわけであるが、そのうちの何人かは現実の知り合いもいることを知っている。現実空間では話題とならないような自論(暴論のような極端な意見)をそれらの人は知っているわけで、それについて、どのような作用が生じるのか?自分では今ひとつ意識しないようにしているのではあるが、それでもブログのなかった時代とは必ず何かが違っていることだろう。ただし、ブログは、現実空間の多孔化という点では、影響を受ける度合いは小さいと思う。
また比較的古くからある電話やメールについては、今や何となくマナーが存在するとともに、ユーザーも心得たもので、即時性について、それほど支配的でない。つまり、現実空間の多孔化として、時間軸としては、ユーザーが制御できている。
しかしながら、現在のSNSの究極的な形となっている、Facebook、ツィッター、LINEなどは、極めて強制力を持つ即時性への対応が求められるツールであり、現実空間を多孔(複数のつながりが物理的空間を超えて繋がっている状態)していると言えよう。
二人がレストランで食事するデートにおいて、それぞれがスマホを持って、それぞれの繋がりを断ち切らない状態。
もはや私には、それ自体がある意味、夢舞台であるが、そんな複数のつながりが同時進行する空間を人間はどう制御していくのだろうか?著者はさまざまな問題提議をし、答えとなる提案をしている。
たぶん、そんなことを悩んでいた時代をおかしく思う時代がいつか来るのだろう。
« 夜の緊急ミーティングは楽しかった。 | トップページ | UTMB2014スタートしました!(途中経過速報リンクあり) »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 【書評】山とマラソンの半生 杉浦和成/著(2022.03.16)
- 【書評】速すぎたランナー 増田晶文/著(2019.03.09)
- 【書評】騙し絵の牙 塩田武士/著(2019.01.20)
- 【書評】嫌われる勇気 岸見一郎・古賀史健/著(2018.12.18)
- 【書評】誤解だらけの人工知能 田中潤・松本健太郎/著(2018.11.16)
« 夜の緊急ミーティングは楽しかった。 | トップページ | UTMB2014スタートしました!(途中経過速報リンクあり) »
コメント