【書評】税金 常識のウソ 神野直彦/著
大きな政府であるスウェーデンでは「貧しい国民も租税を負担して下さい。そのかわりに租税さえ負担すれば、どうにか生活していける社会にしましょう」という社会ヴィジョン立っている。
小さな政府であるアメリカでは「国民は自己責任で生きていきましょう。政府は秩序維持にかかわる最低限度の公共サービスしか提供しませんが、そのための租税はお金持ちが負担して下さい。」という社会ヴィジョンだということです。
同じ小さな政府である日本は、租税負担水準を引き下げながら租税負担構造を逆進的に改める方向に進んでおり、貧しい国民にも租税負担を求めたうえで、生活は自己責任で生きていくことを要求しているわけです。
著者の著作を読むのは「分かち合いの経済学」以来であるが、前作に続いて目からうろこの実に腑に落ちる論述に恐れ入ります。
例えば「三つの政府体系」を著者は唱えています。
中央政府、地方政府それに社会保障基金政府としています。
社会保障基金を政府と見做し、生産の場における「分かち合い」という協力原理に基づいて、互いの仲間意識で賃金を保障し合う政府、つまり、(離職や退職で)賃金を失った時に給付される、賃金代替の現金給付に責任を持つ政府というのです。
確かにそのとおりだと思います。
また、年金の給付は、社会保障負担に比例して給付することを提唱しています。
この場合、高い社会保障を負担した人には多く支給し、少ない人には少なく、負担しなかった人には給付しないということです。
では、給付が生活できないレベルしかもらえず、それはつまりそれだけしか社会保障を負担しなかった人でもあるのですが、その場合は、中央政府が最低保障年金を税金から給付するというのです。
この給付方法の利点は、社会保障を負担すればするほど多く給付されることから、社会保障負担することは経済的に利と理が有り、負担逃れが生じにくくなること。それから最低社会保障年金は税金とすることで、社会保障制度が制度破綻しにくくなること。
まさに慧眼と呼ぶにふさわしい社会提案でし、これこそ社会保障と税金のあるべき姿だと思いました。なぜ、これが日本でできないのか・・・。
かつては日本国民が持っていた「分かち合い」の精神性が復活することに期待したいですね。
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