楽な生き方とストイックな生き方
妻には同年配の友人がいるが、そのうちの一人はリウマチで自分自身が辛いというのに、百歳を超えた老齢の母親の介護の立場であって健気である。だが、もう一人の女性は、近くで暮らす娘夫婦からあれこれと世話を受け、何不自由ない楽隠居でいつのまにか認知症になってしまった。
なさねばならないことか、願ってのことかは別にして、生きていく役割や目標を持ち続けることが大切であると思うようになっている。(北九州あゆみの会 理事長 高松鶴吉氏 82歳 「認知症の怖れ」から引用)
【ひと言】
義父と義母は娘が5人いて、それなりに世話を受けてはいたが、基本的に二人で独立して生活していた。義父は義母が老人ホームに入った後も96歳まで1人で生活していた。楽隠居ではなく、老齢で生活は大変であったのだろうが、自分の人生を楽しんで生きていたと思う。
認知症と気力の因果関係は不明であるが、高松氏の言うように、生きがいというか、それよりもっと厳しい、生きることに適度なストレスが与えられていることが生きる力の源になるような気がする。
緩むことが可能な時に、緩みすぎないで自らにストレスを課すことができる人、例えば義父のように96歳になっても一人で生活しようとする生き方を自然にできる人が、最後までしっかりとした人生を全うできるのではないだろうか。
ストイックな生き方こそが幸せな人生に導いてくれるものと思いたい。
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