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2013年6月17日 (月)

義父の死

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15日未明、金沢の義父(ちち)が亡くなった。98歳だった。あと2週間で99歳の誕生日だった。

最期は、終の棲家である特別養護老人ホームの自室で息を引き取った。
老衰で家族みんなが納得の大往生だった。

五女の婿である私は、家族の中では、かなりの新参者である。しかも金沢から一番遠い千葉に住んでおり、日常的な交流は少なかったが、帰省の際にそれなりに話は聴いた方だと思う。義父は旧帝国大学の理工学部出身で、博識聡明であり、難しい話も分かり易く話してくれて、私はとても話をし甲斐があった。また、最新の技術や政治経済の話については、義父の大好きなコーヒーを自ら入れてくれて、帰省した私を待っていたかのように、自身では理解しきれない部分などを、率直に尋ねてきて、それに対する私の意見や説明を素直に聴いてくれ、そんな義父がとても好きであった。(地元金沢の問題や一族の話をしても私には十分に理解できないと配慮して話を選んでくれていたのだと思う。)

義父の死はとても悲しいのであるが、五人の娘を育て上げ、93歳まで義母と二人で生活し、義母が骨折により先に特別養護老人ホームに入所した後も、96歳まで自立した生活を続けた優しくも気丈な義父であり、病室でなく自室で迎えた最期は、福祉や医療の発達した現代においてはまさに自らが天寿を全うした生涯と言えるだろう。

何より棺の中のお顔はとても安らかであるとともに満足気に見えた。

葬儀は家族のみの参列とし、これまでにないアットホームな雰囲気の中で執り行われ、それはまさに義父の人柄とその娘らとその家族の明るさ満開のセレモニーであった。生まれて初めて葬儀に参加した我が子3兄弟、つまり義父の孫たちもいろいろな意味で彼らの今後の人生において良い影響を与えるに違いない印象に残るセレモニーであったと思う。

残された家族が嘆き悲しまない、むしろ残されたものに勇気と明るい希望を与えられる気持ちにさせてくれたのは、義父が父親として妻である母親とともに家族を養い、育て、導いてきたことに加え、一人の人間として自立した真摯で芯のある生き様から導かれる幸福で充実した人生に基づくものであることを最後に改めて教えてもらえました。

「我が義父(ちち)の 良き人生に 合掌哉」

追記:大往生と書いたが、まさに義父は自然死だったのではないかと思う。
   昔読んだ「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ」を思い出した。

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