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2012年12月22日 (土)

【書評】下山の思想 五木寛之/著

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 私は戦争の時代に生きてきた。その時代を生きた一人として、私は耐えがたい心の痛みがある。
 あの戦争のさなかで、私たちはっ事実を事実として直視することなく、知らぬふりをして過ごしてきたという深い反省である。太平洋戦争の末期、沖縄まで米軍が上陸しているにもかかわらず、私たちは日本が負けるなどとは夢にも思っていなかった。
 敗戦を冷静に予想していた少数のエリートはいただろう。しかし、一般の国民は、日本が負ける事態をまったく想像していもみなかったのである。
 目をそらす、とは、そういうことだ。(本著からの引用)

 著名である著者の著作を読むのは初めてである。しかしながら、自身の経験に照らされたこの素直な反省の弁は、戦後65年経って話されたという遅さはともかくとして、好感が持てるところである。
 著者は終戦時に13歳の少年であったので、本質的には責任はないはずであるが、その時代に生きたものとして、戦争に踏み込んでしまった大きな要因は、世論が軍部の独走を現に支持したということなのである。

 そして著者は、その教訓として、以下のような結論を述べている。
「だからこそ、私たちはこの国の行方に目をこらさなければならないのである。」

 そうした歴史認識の著者が、国家として登頂する時代、坂の上の雲を目指す時代は終わり、破滅に進むのでなく、ゆるやかに下っていく、下山の時代として、しっかりと生きてゆかなければならないとしているのである。

 ほか、印象的な一文を引用する。

 「体型は変わっても、歩き方はあまり変わらない。膝を上にあげて、下へ踏みおろす。これは水田耕作民の脚の使い方である。(中略)騎馬民族は脚をつっぱる。農耕民は膝を曲げて移動する。」

 「歴史とは何か。過去を確かめて、未来への針路をさぐる、などという功利的な手段ではない。人が歴史に惹かれるのは、そこにノスタルジーをおぼえるからである。べつに何か現実の役に立てようとするわけではない。」

 歴史を知って、それが教訓的なものであったと認識した上で、べつに役には立たないという、かっこいいですね。私なんぞは、人に認められたい願望丸出しで、功利的な手段だと言ってしまう若輩者ですわ。

 それでも登ってきた我われより上の世代は、下山に向かうと認識するのは良いが、若い世代にすでに下山しているというのは、かなり酷な気がする。社会として登っていける世界を残してゆく責任が老いてゆくだけのわれわれに求められる仕事であろう。五木さんより若い我われ世代がきちんと考えていかねばならない。

 景気対策を要求し、積み上げている国家の借金がもうすぐ破綻するのに、目をそむけている。われわれこそ、盲目たる民そのものではないのか? 

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