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2012年9月 3日 (月)

【書評】韓国は一個の哲学である 小倉紀蔵/著

Kankoku
知人が韓国を知るのによい本があると紹介してくれたので、読みました。
1998年の著作ながら、その後の韓流ブームや竹島問題における韓国の態度など、見事なまでに本著の解析どおりである。

世界レベルで見れば地勢的には近く、似ているのではと思われるだろう、日本と韓国は、やはり似て完全に非なる国です。島国でずっと完全な独立国家であった日本と中国と地続きで、最後は日本に支配されるなど強国の影響下の時代が長かった朝鮮という違いが、民族の深層心理にまで及ぶレベルで思考方法が異なってきたということらしい。
以下、筆者の論点を引用で整理してみる。

●韓国とは、<道徳志向性国家>である。
→朝鮮は朱子学の国として儒者が政治を司った。普遍的原理たる<理>を激しい論争で奪い取った者が、権力と富を独占する。
 現在も韓国社会は、人々が派手な道徳奪取闘争を演じる一大劇場だ。人々は道徳を奪取しようと、必死に自己宣伝している。スポーツ選手や芸能人も本職の評価だけでなく、いかに道徳的であるかが認められないと、評価されないのである。

●朱子学的人間観・自然観は、<理>と<気>とで説明される。
<理>とは、真理・原理・倫理・論理・心理・生理・物理などの総称である。
<気>とは、物質性だ。
日本人が旅行などで韓国人の人情味豊かな世界に触れることが多いのは、それは主に<気の世界>のできごとである。その背後に、きわめて峻厳なる<理の世界>があることを忘れてはならない。政治の世界、歴史の世界、学問の世界、血統や学統の世界など、旅行者の立ち入ることのできない<理の世界>には、それはそれは厳しくて牢固なる秩序意志が存在する。

●韓国人ひとりひとりは多様なはずであるが、同じように見えるのはなぜであるのか?
それは「民族としての韓国人」および「国民としての韓国人」が、<理気>という枠組みによって規定されているからである。
「民族としての韓国人」は、韓国民族の歴史・文化の正統性・正当性を<理>とする教育を受けることにより、「韓国人以外の人々」と区別される。そしてこの<民族理>を否定する者は、少なくとも公式的にはこの国の表面から排除されるのである。
→だから韓国人は、竹島が日本の領土である可能性を誰一人として口にできないのか。

●大韓民国の国旗は「大極旗」という。この大極旗は、朱子学の<理気>の宇宙観をそのまま凝縮して表したものである。(中略)「対極旗」ほど宇宙と人間を完璧に表した一枚の旗も珍しいであろう。(中略)
「日の丸」は、自然(太陽)を写しとって抽象しただけのものである。日の丸のデザイン的単純化の完璧性などを、韓国人は決して評価しない。その無哲学の即物的抽象性が、韓国人にとっては、日本精神の幼稚性を表しているようにしか見えないだけである。
→日の丸は幼稚で済ませられるが、支配の不当性を思い起こしてしまう「旭日旗」に対し、攻撃的なんですね。

●韓国のインテリはおおしく、日本のインテリはめめしい

●儒教社会において、歴史の強さは、ほとんど想像を絶するほどである。(中略)
日本軍慰安婦や朝鮮人戦犯の問題などに関して、国家間の条約で決着済みという立場を取る日本に対して、韓国では条約自体を再び締結し直すべきだとの声が強い。その際も、単なる法律問題に限定した議論よりも、間違った歴史を正すという意志の方が強い。

●朝鮮時代後期、華夷秩序における華として文化自尊を極度に高めた朝鮮は、他国に対し極度の軽蔑・無関心・排斥の態度を続けた。それが、朝鮮が近代化に乗り遅れた理由のひとつである。侮蔑の対象であった野蛮な小国=倭が近代化し、勢力を蓄え、ついにその日本が朝鮮を植民地化したとき、朝鮮はようやく、国際秩序の大転換を痛切に自覚して呆然としたのである。さらに「劣等民族(日本人)」による<理>の強要は、朝鮮の民族自尊心をいたく傷つけ、抗日運動・反日感情は高揚した。

●韓国では、次のような日本観・日本人観がステレオタイプ化している。
①日本人は非道徳的だ
②日本人は金の奴隷である
③日本人は性の奴隷である
④日本人は権威に弱い
⑤日本人は義理を知らない
⑥日本人には情がない
⑦日本人には主体性がない
⑧日本には文化がない
⑨日本には学ぶべきことはない
⑩日本はない
日本人の韓国人に対する誤解の多くが、韓国人の<理気>的性格を知らないために生じるのと同じように、韓国人の日本人に対する誤解は、韓国人の<理気>的な視線によって他の文化を一方的に自文化中心的に眺めることから生ずる。

●韓国文化を説明するのに、日本や中国や西欧を否定的に媒介させて語る。その中でも特に日本との比較に眼目がおかれる。(中略)韓国人はなぜ、日本という<外部>に依存するのだろうか。(中略)韓国の<理>は、自らの存立のために必ず、<外部>を必要とするゆえなのである。

●90年代に入り、日韓を往来する旅行者が増え、お互いの国に対する悪い感情は薄れ、心と心の共感が盛り上がる。しかし、これはあくまでも<気>の関係であることを注意せねばならない。(中略)日本人が韓国人を理解することは困難である。理解するとは、とりもなおさず、韓国の<理>を解するということである。ところがそれを理解した瞬間、日本人はその<理>によって一瞬に崩壊してしまう。なぜなら韓国人の<理>とは、日本人の否定が前提であるからだ。

●韓国を対等の相手とみなさない根強い姿勢、想像力と包容力と倫理とを欠いた政治家や一部国民の心狭い発想、日韓の過去と日本字の罪に無知で無関心な多くの人々。これらは日本人自身が変革してゆかねばならないのだ。過去を清算しうるための努力を継続してゆかぬ限り、志向すべき未来など一向にやって来ないであろう。日韓関係は困難であるが、私たちはこの諸問題を、必ず克服せずして止むことは許されぬ。隣国との難しい関係を克服した時、初めて、私たちは世界を正視しうるであろう。語りえぬことについて、私たちは沈黙してはならないのである。(以上、本著からの引用)

【最後にひと言】
「隣国との対話が難しいからといって、私たち(日本)から沈黙してはならない。」と著者は言っているが、これが心底難しい。一体どうすれば良いのだろうか?「日本の否定」が生き様となっている国、その民族とどう開襟して付き合えばよいのか?
平行線しか思いつかず、わからないので、著者の最新作を読もうっと(笑)

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