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2012年6月 1日 (金)

【書評】限界集落の真実 過疎の村は消えるのか? 山下佑介/著

Genkai
 最近、広島の田舎にある本家の叔母が亡くなり、田舎について考えるようになった。そういうこともあり、本著を手にしたのだが、その素晴らしい論述に魅了されてしまった。
 筆者は、本著のタイトルのとおり、限界集落について論じているのであるが、私のようなステレオタイプの論調をばっさりと返り討ちにしたうえで、都会に住む者の盲目性や主体性の喪失を明確に指弾している。その論理展開の的確さと切れの良さは、目からうろこである。
 しかも、問題解決については、近視眼的な話ではなく、日本社会全体として処方箋を与えてくれており、人口減少社会に明るい希望すら与えてくれているのだ。
 正直、私は衝撃を受け、やがて心が打ち震えるほど感動させていただいたのである。
 日本衰退の象徴のような過疎化の問題であるが、その変化に適応することができれば日本の再生への第一歩となるのかもしれない。われわれ日本人の叡智に期待したいところだ。
(過疎とはガンに蝕まれて衰えていく姿ではなく、お金が少なくなって食べる量が減って、少し体重減少しているようなものだと筆者は論じていると私は理解しました。)

以下、本著における印象深い筆者の論述について、引用する。

・財政的支援により(中略)ハードを蓄積し、条件不利を乗り越えようとしてきた過去の施策についても、それを短絡的に失敗であったと断罪するのは拙速であろう。

・人々の「ここに生きる」意志と努力は、多くの人間が考えているより、はるかに強く深い。集落はそう簡単に消滅するものではないようである。

・限界集落問題は、高齢者が多いゆえにそのサポートが必要だと論じるのでは不十分なのであり、むしろ日本社会の戦後の変動の中で生じた、主要三世代の間に特徴的に見られる村落と都市の、低次産業と高次産業の、あるいは中央と地方の間の、極端な住み分けからくる矛盾のうちに考えるべきでものなのである。

・「効率性の悪い地域は消えた方がよい」という議論は一見合理的に見えるが、いわば「あなたが生きているのは世間にとって無駄なので、早いうちに亡くなってはいかがですか」。と同じことを、ある特定の地域に対して言っているのである。

・「効率性の悪い場所には、この際、消滅してもらった方がよいのではないか」――一見、客観的で中立的な立場から発しているかのように見えるこの問いも、よくよく検討してみると、具体的には、「グローバル経済下の戦いの中で、日本という国家の(現在の)経済性のために、負担になる地域はなくなってもらった方がよい」という言明に縮約される。

・今後も力を合わせてその地域を良くしていこうという、そこに暮らす人々みんなの生きる意志をお互いに確認できたことがまず第一に重要なのである。そしてその成果の象徴が、若い人の結婚であり、子供の出生なのであった。最大の成果は何より、家族に現れる。

・過疎問題は(中略)もともと状況変化に対する適応なのだから、崩壊には至らないはずだ。筆者はまずはそう考える。外側からの強制や破壊と違って、内側からの変化であれば、崩壊を回避する機構が必ず用意されていると思うからだ。

・第一に、まず集落に人々自身に主体的に取り組む気持ちがなければならない。(中略)
第二に、この問題の取り組みには、限界集落にいま居住していない人々を積極的に関わらせていく必要がある。
第三に、限界集落の問題は、国民全体の課題として提示され、認識されなければならないものである。(中略)これまで過疎地の支援については、緩やかな国民的合意ができていないために、それほど問題にはならなかった。しかしながら限界集落問題の提起とともに、こうした地域への国民の不理解も露呈し、近年では「条件不利な地域には消えてもらった方がよいのではないか」ということまで口にする人も現れ始めている。最後にこの不理解の問題について考えながら、限界集落問題の持つ意味の深みを探っていこう。

・日本の社会においては、欧米社会に比べてこの主体性が弱い分、個人よりも集団=社会的単位が主体性の源泉になってきた。(中略)むら(集落)もまた、一つ一つが独立した主体である。(中略)社会的主体はあらためてそれを一から作りだすのは非常に難しく(中略)我々はもはや、「新しいむら」を興す能力はすでに持たないようだから、いまあるむらだけを前提に、今後の農山漁村の姿を考えていかねばならないことは確実だ。

・日本の社会は(中略)周辺から中心はよく見えているのだが、中心から周辺を見るのは極めて難しい(中略)。中心地帯には、政治・権力、財・経済、文化・メディアが過度の集中していながら、その認識は浅く、薄い傾向がある。(中略)中心からの周辺への一方的な不理解。問題の核心の一つはここにある。

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