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2011年12月

2011年12月31日 (土)

NHK紅白歌合戦に愛菜ちゃん、福くんにミッキーマウスが出演しましたよ!

年末大晦日はやっぱり紅白歌合戦ということで、今年2011年は42型の東芝REGZAの42Z2で観ています。画質は最高ですが、薄型32ミリなため、低音の音質は今ひとつのテレビですが、十分堪能しています。

驚いたことにマルモの福くんと愛菜ちゃんと一緒にミッキーマウスが登場しました。びっくりです。

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そのうち、ディズニーキャラクター総出演のショーが始まりました。嵐のメンバーとのダンスは、切れ味十分でしたね。

NHKとディズニーの見事なコラボでした。
お互いにプライドや権利意識が高く、とうてい紅白の出演は相容れない関係だと思っていましたが、その常識を破る出演でした。(昔のプロジェクトでディズニーの出演がありましたが、ディズニーの要求がたくさんあって、担当者はとても大変そうでしたから)

なのでちょっと、記事にしてしまいました。動画へのアクセスが殺到しますね。

追記:ミッキーマウスは2000年の紅白以来11年ぶりの出演らしいです。

【テレビ】MLB2011 日本人メジャーリーガーの群像 イチロー 苦しみの果てに NHK

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今までオフに走りこまなかったイチローがこのオフは走り続けている。シアトルの自宅からの2キロの上り坂を日々黙々と走っている。理由は「体が走りたがっている」と答えていた。
メジャー11年目で、初めて年間安打数が200本に届かなかった不本意なシーズン。
それに対する彼が自らに課した行動の一つなのだろう。

表題は例年この時期に放映されるのを楽しみしているNHKのスポーツドキュメンタリー番組である。今年は特に楽しみにしているイチローが不本意なシーズンであり、番組内容はどんなものかなあと思っていたが、さすがイチローでありました。

今年は苦しいシーズンだったことを振り返りつつ、来シーズンの目標を聞かれて、イチローの答えは、実にユニークなものだった。
「(王選手の記録達成を喜ぶ)張本さんのようにジャンプしたい。」
注:張本勲選手。日本プロ野球史上初の3000本安打を達成し、7回首位打者を獲得。安打数、首位打者回数とも今なお日本記録。ただし日米通算ならイチローが超えている。

張本選手が現在のイチローと同じ37歳で、プロ同期生で同僚となった王選手の本塁打世界新記録達成(756号)時にした歓喜のジャンプのことを指しているようだ。そのシーンを見た記憶がないので何の話か分からなかったが、それは下の写真のことでした。

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確かにすごいジャンプだ。綺麗に飛んでいます。いや、浮いているかのようです。

イチローが言わんとしていることは、自分のことより他人の活躍を喜びたい。つまりは若手を含むチーム全体の活躍で優勝し、そのとき自分もベストな状態で喜びを分かち合いたいと言うことなのだろう。

超一流たる彼らしい目標だ。

きっとイチローは来年は更なる進化を遂げてくれるだろう。超一流のプロフェッショナルらしく。

追記
 イチローが常人と異なり凄いことの一つは、成功体験に固執しないことだろう。
 彼のバッティングフォームは、常に変化している。それは以下の写真のとおりである。
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 成功しているのにあえてそれを変える。これは常人ではとても真似できないことである。
 いや、常人は思い付くことすらできないことであろう。まったくすごい人だ。

2011年12月30日 (金)

我が家のテレビのREGZA録画用外付けHDDはコバンザメです。

東芝レグザのテレビは外付けHDDに録画ができます。(PanasonicやSHARPなども同じようにできますがね)
なので外付けHDDを別途購入し、録画しております。
この東芝レグザ(42Z2)の特長は、外付けHDDを4台接続できることです。
なので、相当数の録画した番組を保持できるのです。

現在、外付けHDD3台を接続しておりますが、3台もあると設置場所がかなりかさ張ります。
なので、私はコバンザメのようにテレビの後ろに張り付けています。
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張り付け方は、3Mのきれいにはがせる両面テープ、コマンドタブを使用しております。
このタイプは、強力な粘着ながらもきれいにはがせるタイプなので安心です。
(白いタブを引っ張ると綺麗にはがれます。)

おそらくメーカーは、こうした設置方法を禁止しているでしょうね。
特に2TBは、AC電源タイプで760gと重いので絶対禁止でしょうね。Imgp9006

それでも暑い夏も経験しての6か月を無事に経過したので、しばらくは大丈夫と期待しています。

現在、3台のHDDの構成は以下のとおりです。
1 640GB Buffalo HD-PCTU2 6,980円
2 1TB FREECOM MOBILE DRIVE XXS 6,980円
3 2TB FREECOM 35422 6,980円

2TBは、長期保存用HDDとして、溜め込んでいます。

次は全番組録画するタイムシフト再生ですかね。

車の洗車しました。

車の洗車しました
洗車機まで約45分待ちでした。

水滴をふき取って、洗車機では落ちなかったしつこくて細かい汚れを丹念に取り除き、車内清掃したら、計3時間かかりました。

普段から汚れ落とししないとなかなか簡単に綺麗になりませんね。

追記
 マット洗い機でマットを洗っていると、ローラーから一度吐き出されて、たわんでそのままもう一度中に吸い込まれて出てこなくなりました。スタンドの店員に機械から取り出してもらいました。(笑)

年末恒例マージャン大会は二位でした

年末恒例マージャン大会は二位でした
帰省しないことになったので、今年も年末恒例のマージャン大会に参加できました。

まあ大会と言ってもいつもの四人ですが

このメンバーはお互いに手の内知り尽くしていて、勝ったり負けたりですが、最近は昨年は2位、一昨年は1位でした。

今年は、調子今一つながら二位になりました。

最後にでかいのを振り込みましたが、負けなかったので良しとしましょう(笑)

2011年12月29日 (木)

Facebookって、良いですね。

私のFacebookのデビューはかなり最近です。

職場でFacebook勉強会が行われ、職場のグループも立ち上がっているのは知っていたのですが、どうもSNSは向かない気がして、躊躇していました。

そんな11月のある朝、電車で近所の後輩と会って、当日開催のFacebook勉強会に誘われ、渋る私に対し、この面倒見の良い後輩は、私用のFacebookのアカウントを速攻作ってくれたので、意を決して参加してからが、私のFacebook歴の始まりでした。

mixiも続かなかった私ですが、職場での知り合いが多いためか、ここまで続いております。
ちょっと恥ずかしいので友だちリクエストしないのですが、みなさん気遣ってくれてリクエストしてくれるので、楽しくなってきているのです。

そんな昨日、予想外な友だちリクエストがありました。

18年前にニュージーランドで知り合って、当時から若いながらも尊敬してきた群馬在住の後輩みっちから友だちリクエストが来ていたのです。

そのメッセージは「みっちより!久し振り。来年中には一農家として独立するよ!」

いやあ、驚くとともに、めちゃ嬉しかったですね。昨日アカウントを取ったばかりの彼の最初の友だちとなることができました。
今のような山好きになったのも、17年前に、みっちに連れられて、世界有数のトレッキングコースであるルートバーントラックに3泊4日でトレッキングしたのが、始まりでした。

彼のリーダーシップ、気遣いと優しさ、挑戦する姿勢、友だちの多い生き様などなど、だいぶ年下なんですが、ほんと敬愛している後輩です。

何よりうれしかったのは、6年前の彼の結婚式に、家族5人みんな招待してくれたうえに、私に結婚立会人として、分不相応ながらも結婚誓約書への代表署名の役割まで担わせてくれたことです。(そのときの署名の字が下手で申し訳なかったです。)
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そんな、時空を超えた嬉しい邂逅にFacebook万歳ですね。

2011年12月27日 (火)

今年を振り返って

まあ、それなりに過ごせた一年だった気がします。

2010年が激動の年だっただけに、少し守りに入りましたが、とにかく、病気や怪我無かったことに感謝です。

来年は攻めに徹したいですね。

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2011年12月25日 (日)

【書評】ビジネス教養としての『論語』入門 守屋淳/著

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有名な孔子の「論語」を少し勉強したいと思いつつ、なんとなく過ごしてきたのであるが、ビジネスにからめた入門書があるということで、読んだのが本著である。

本著は論語の教えを現代社会にありがちな事象を踏まえて解説されており、実にわかりやすい内容となっている。私にとって、かなり充実した内容に満足しました。

さて本文中にこのような文章があった。

 礼とは「他者ときちんとした関係を築き、それを末永く維持するための決まり」

短い文章ながら、礼の本質を端的に表されているもので、自分の中には、これまでもやもやとしていた、礼や論語・孔子に対する理解が一気に進んだ気がする。

さて、この論語の教えは、親孝行や目上の人への敬意など、実に身近な教えとして、日本社会にとってなくてはならないものであるが、むろん中国においても同様であるとともに、現代においては世界的な広がりを見せている。
それは「価値観が混乱し、人々が目先の利益に走っていき詰まると、『論語』の教えが注目される。」という事象が繰り返されていることからも歴史的な事実であり、古くは2100年以上前の前漢の時代から存在していた。

すなわち、混乱したり、右肩上がりの社会状況下では、賞罰や成果による評価が有効であるが、社会が安定、つまり歴史的には統一国家が出来上がった段階では、徳知社会に転換する必要があるということだ。

最後に教育者として傑出した孔子であってとしても、教える事は難しいとした言葉があるので、書き綴ります。

「どうしたらよいか、どうしたらよいかを考え、苦しんでいる者でなかったら、私だってどうしてやることもできない。」

 自分自身のことはもちろん、会社での立場、長男の受験ともに、頷くほかない名言ですね。

2011年12月24日 (土)

クリスマス・イブ・イブの過ごし方

年末の三連休の初日は、年賀状制作に明け暮れました。
完成しましたので、マイプリンターで1枚ずつちまちま印刷しております。

今年は高校受験を控えている長男坊がいるので、あまりはしゃげない感じですが、その受験生がまったく危機感ゼロで、ひたすら息抜きしております。

彼はこのイブ・イブの午後に台所でクリスマスケーキを作っておりました。

1時間あまりで出来上がっておりました。
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野球部の体育系で、勉強しないのに、料理は息抜きと称して、この手際のよさ・・・。
(まあ、ベースのスポンジケーキは既製品なので、自家製というには少し憚れますが)

こちらも年賀状作成も終わりましたので、明日というか、本日のクリスマスケーキが楽しみです。

2011年12月23日 (金)

【書評】ミニヤコンカ奇跡の生還 松田宏也/著

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ミニヤコンカとは中国四川省の大雪山脈の最高峰(標高7,556m)。
相当の山好きでなければ知らないのではないか?実際私は知らなかった。
この山の歴史は、数奇である。20世紀初頭に標高9000mとの噂により、世界一高い山かもしれなくなって、登頂競争が起きたらしい。よって初登頂は1932年のアメリカ隊と古いものの、未だ登頂者は20名に満たない世界屈指の難峰だそうだ。

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 さて、本著であるが、1982年にこのミニヤコンカの頂上直下まで迫るも、悪天候などで遭難しながらも奇跡の生還を果たした本人による著作である。

 山頂への無理なアタックが引き起こす判断ミスや悪天候により徐々に遭難に向かう過程、最期は生死の境での彷徨を、正確な状況描写と、心の葛藤(パートナーとの軋轢、自分の感情の変化)を克明かつ、ある意味、本人にしかできないユーモラスさを散りばめて綴ってある。
そのため、引き込まれて、今冬一番寒い夜に暖房もつけず、一気に読了した。そのため、足先が猛烈に寒い。

 この遭難事件と生還劇の概要であるが、1982年中国四川省ミニヤコンカ峰(7,556m)の登頂を目指した市川山岳会の登山隊は最終的に山頂アタックした2名が、頂上目前にして遭難し、行方不明となる。捜索を諦めた登山隊も撤収し、ひとり下山を続け山頂直下から19日後、地元農民に発見され九死に一生を得るが、凍傷により両手指と両足を膝下15㎝より切断。

 戦争のない日本において、これほど壮絶な生還劇は、そうないのではないか?
 二人で本隊のキャンプに戻った時に、自分達を置いて登山隊が撤退したことをどう思ったか?
 そしてその後にパートナーとはぐれ、見捨てた格好になり、結果的に一人生き延びた彼の思いはいかばかりであるのか?

 驚くべきことに本著は遭難後わずか半年で書かれている。あまりに早くないか?普通はそう思うだろう。
 思うに著者は、南極横断で遭難したシャクルトンが後世の教訓として「エンデュアランス号漂流記」を著したように、自らの失敗をきちんと後世に残そうとしたのではないか?
 決して楽しい作業ではなかったはずだ。それでも生き残ったものの勤めとして、やり遂げたのであろう。
 巻頭の言葉にそれが表れている。「わがザイル仲間、菅原信君、中谷武君に捧げる」と。

追記:ちなみにネットをググルと、著者の松田さんは日本ペイントの役員になっているらしい。
 しかも登山に対する情熱は衰えず、全手足の指を失い、第一級障害者となりながらも、山登りを再開し、ヒマラヤ登山隊の副隊長として最終キャンプまで登れるほど復活されたらしい。 

2011年12月22日 (木)

【映画】終わりなき叫び

Work_01_img1 内戦下のチャドを舞台に、急激な社会の変化に翻弄される初老の元水泳チャンピオンの男を描く人間ドラマ。監督はチャド出身のマハマト=サレ・ハルーン。2010年カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作。

<作品データ>
原題 A Screaming Man / Un Homme qui Crie
製作年 2010年
製作国 フランス ベルギー チャド
配給 熱帯美術館(配給協力 グアパ・グアボ)
上映時間 92分

<スタッフ>
監督 マハマト=サレ・ハルーン 
脚本 マハマト=サレ・ハルーン 
製作 フローレンス・ステーン 
撮影 ロラン・ブルネ 
美術 ルドゥー・マデューノ 
音楽 ワシス・ディオップ 
編集 マリー=エレーヌ・ドゾ 
衣裳 セリーヌ・ドゥレア 

<キャスト>
アダム ユースフ・ジャオロ 
アブデル デュコンダ・コマ 
地域の区長 エミル=アポソロ・ムボ 

【ひと言】
アフリカ人による映画って観たのは初めてかもしれない。
時間と空間の間が日本とは根本的に違う気がします。
そして人に関する感性も・・・。

父子といえども誇りを傷つけられたものとは、闘争し、傷つけ合ってしまう。
深い愛情を持ちながらもそれを上手くコントロールできないかのようだ。

同じ人間な部分を感じつつ、人種と歴史と環境の違いでこうも変わってしまうのかとそれがとても印象に残りました。もし子どもが死んだとして、私にはそのまま河に流す事はできない。
End

2011年12月21日 (水)

チーバくんがつぶやき始めました!

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チーバくんツイッターがはじまったようです。

声を出してはいけないと言われていたのですが、ネット上ではつぶやけるようになったようです。
いわゆる、電脳キャラクラーというものでしょうか。(笑)


http://twitter.com/chi_bakun_chiba

以下はホームページから、
http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/miryoku/chi-ba-kun/twitter.html

「チーバくん」がツイッターを始めます

千葉県のマスコットキャラクター「チーバくん」が、千葉の魅力をもっともっと多くの皆さんに知ってもらうため、ツイッターを使った情報発信を始めます。「チーバくん」が出演するイベントや観光情報など、魅力あふれる千葉県の情報を「チーバくん」がどんどん「つぶやき」ますので、ツイッターのアカウントをお持ちの方はぜひ「フォロー」してください。

1 アカウント名
「チーバくん」 chi_bakun_chiba

2 運用開始
平成23年12月20日(火曜日)から

3 発信内容
千葉の魅力発信に関する情報:観光、イベント情報等、その他県政情報等

4 その他
フォロワーからチーバくんへのリプライ(返信)、ダイレクトメッセージには、対応しておりません。
県政に関する質問は千葉県ホームページのお問い合わせフォームなどをお使いください。

2011年12月20日 (火)

バスケ部は全国的に脚速いのですね。

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↑写真は初優勝し、笑顔でポーズをとる新居浜東のメンバー

監督も「信じられんわあ」バスケ部員で駅伝日本一

 陸上の第19回全国中学校駅伝は18日、山口市の山口県セミナーパーククロスカントリーコースで行われ、
女子(5区間12キロ)は新居浜東(愛媛)が40分22秒、男子(6区間18キロ)は櫛形(山梨)が56分59秒でともに初優勝を果たした。

 女子の新居浜東は3区から最終5区まで区間1位の走りを見せ、4区でトップに立って逃げ切った。
学校に陸上部はなく、今回出場した5人は全員バスケットボール部。
9月中旬からかけもちで駅伝の練習を開始。4区の1年生、永易以外の4人は昨年も出場してチームは14位で、今回の目標は入賞だった。阪本監督は「信じられんわあ」と驚いていた。

 前年優勝の富士岡(静岡)が2位、3位は朝霞三(埼玉)。男子の櫛形は後半に時津(長崎)と競り合い、最終6区で首位を奪った。
2位に萩東(山口)が食い込み、時津が3位に入った。
.http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/12/18/kiji/K20111218002268810.html

2011年12月19日 (月)

【書評】残された山靴 佐瀬稔遺稿集

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 副題は「志なかばで逝った8人の登山家の最後」

 名だたる日本の著名な登山家の最期がたんねんに描かれています。登山をされないので余計に客観的かつわかりやすい佐瀬さんらしい文章です。描かれているのは以下の8人
1 森田勝
2 加藤保男
3 植村直己
4 鈴木紀夫
5 長谷川恒男
6 難波康子
7 山崎彰人
8 小西政継

 山に魅せられ、後戻りできなくなって、更なる高みに引き寄せられて、ある意味必然的に山で亡くなった。
 それぞれ日本では別に行動していながらも、登山という世界において、接点があるのがこの登山の世界のようだ。
 8,000m峰は世界に2つの山脈、ヒマラヤとカラコルムにしかないという、ある意味狭い世界なのだから・・・。

 こうした登山家の気持ちについて世界で最初に8,000m峰全14座の登頂に成功したイタリア人のメスナーがインタビューでこう応えたらしい。
「アルピニズムはスポーツの埒外(らちがい:つまりスポーツを超越している)にあるものだ。私にとっては、自分自身を表現するという意味でスポーツよりは芸術に近いものだと考えている。登山史でもっとも偉大な人は、たくさん登頂したとか、だれよりも早く登ったとかいうことでなくて、人間としていかに自分を表現したか、でとらえられるだと思う。表現者として、私は植村直己氏を尊敬している。」
メスナー氏自身は自分のことを語っていないが、世界の8,000m峰全14座を無酸素で登頂という、他にだれも真似できそうもないことを最初にしかも今なお世界で唯一達成している。これこそ強烈な自己表現だろう。 

 さて本著は佐瀬稔遺稿集ということで、志なかばで逝った佐瀬稔さんの最期を、看取った奥様である佐瀬禮さんによる第9章があります。
 それは、終章「人間の尊厳」と夫・佐瀬稔の最期です。

 それぞれの道を全力で駆け上ったそれぞれの人生を寄り添って支えた家族や仲間がいたおかげであることが、本著では意図せずに描き出されています。
 どんなに強くてタフな人でも、他者の有償無償の助けがなければ、あれだけの高みには決して立つことはできない。
 人生もまた然りですね。

2011年12月18日 (日)

【書評】70歳エベレスト登頂 三浦雄一郎・豪太父子の8848m

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 なんとなくであるが、こうした華やかな脚光を浴びがちな話に対し、私は警戒してしまう性質であり、ゆえに借りておきながら読むのがためらわれた。
 しかしながら、父子がエベレスト山頂で握手している本著の表紙を開いてみると、実に明るくあからさまな記録を一気に読み込んでしまった。(三浦雄一郎さんは冒険家とはいえ、想像以上に豪快かつタフなおじいさんだ。)

 これは本著が主として、三浦雄一郎氏の末っ子であり、ともにエベレストの頂に立った豪太さんによるものであることが大きい。スキーでオリンピックにも出場した一流のスポーツ選手からの転身、なにより彼の父に対する敬意と親愛、さらには父子ならではの記述がとても楽しい。

 それから、登山に親しまない読者を慮ってか、あるいはスポンサーへの配慮か、いずれにせよどちらでも良いのであるが、エベレスト登山の全装備・食料・計画、さらには排泄行為まで露わにされていて、それがユニークで新鮮であり、最も印象的な部分である。

 よって、山岳小説やドキュメンタリーとは異なるこれまでにない読了感が本著にはある。
 登山を行わない人に是非読んでもらいたいですね。

2011年12月17日 (土)

【書評】梅里雪山 十七人の友を探して 小林尚礼/著

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日本の海外登山史上最悪の遭難事故後の遺体捜索に尽力した著者による渾身の鎮魂記である。

梅里雪山は、中国雲南省の最高峰・メイリーシュエシャンのことで、標高6,740m。
チベットにおける聖山であり、未踏の秀麗、荘厳なる山である。
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写真でみる梅里雪山は、神が宿るにふさわしい山容であり、著者が見惚れるというのも無理からない魅力的な存在感あふれる山である。

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そして、暮らしているチベットの人にとって近くて神々しい神の山なのである。

1991年の日本の京大と中国・チベット合同登山隊が初登頂を目指すも、氷河上に設営したC3(キャンプ3)で雪崩にあって、その場に居た17人全員が亡くなった遭難事故とその後の遺体捜索の話をベースに現地に滞在し捜索を続けていくうちに、現住するチベットの民と心通じ合う著者の生き様が使命感を帯びた崇高なものに見えてくる。

本著の衝撃的な部分は、雪崩によって氷河に飲み込まれた17人は、7年後から梅里雪山の氷河から遺体と遺品が少しずつ発見されたのである。氷河が少しずつ下流に流れていく中で、氷河が少しずつ融けて露出してきたためなのである。最終的に16人の遺体が発見されている。著者はそのほとんどの遺体捜索と収容に立ち会って、彼の無二の親友も発見しているのである。
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本著には氷河に露出した上のような遺品や、さらには遺体の写真がいくつか載っており、むろんそれは剥き出しの遺体ではなく登山の服装や寝袋の中にあって、その外側を写したものであるのだが。それでもその衝撃感は、苦しくなってしまう。

チベットの聖山として崇められ、登ってはいけない山を登り、聖山を穢されたと思い、雪崩による遭難を当然の天罰だと思っている現地の人との軋轢には、山好きの私とて胸が痛む。

いろいろ考えさせられる内容でした。
そして今なお、未踏峰のこの山は、そのままでいて欲しいと思いました。
チベットの人々と亡くなられた17名のためにも・・・。

2011年12月16日 (金)

あれ?たった3日間でしたね。

今年、後半はすっかりランニングのペースが悪化しました。
年間2000kmに達しない見込みです。
ペースダウンの起点は5月の萩往還250kmの後遺症からですね。 それに加えてモチベーションが悪化したこと。なにせ、大会の参加が禁止になりましたから・・・

ところで、今日残業した後に、後輩から、「かずさん、今日も走るのですか?」と尋ねられました。
答えました。「最近、かかとが痛くて2週間くらい走っていないんだよ」と
「じゃあ、もう走りたくてうずうずしているんじゃないですか?」
そんな激励もあり、かかとの調子もかなり良くなったので、走って帰りました。

その途中、思い出しました。「あっ月曜に走ったなあ・・・」
うーん、走っていないのたった3日間じゃないですか・・・。(笑)

2011年12月15日 (木)

放射能除去装置が開発されました。

人々が困っている課題に対して言われるまでもなく多くの人が問題解決を目指す、それも市井の人(民間人)がである。
この日本の伝統ともいえる篤い使命感に満ち満ちた文化的かつ民族的な風土はまだまだ根付いているのですね。

以下、毎日新聞の記事を引用します。

<福島原発事故>落ち葉のセシウム 完全除去法を開発
毎日新聞 12月15日(木)2時30分配信

 落ち葉や雑草などから放射性セシウムを完全に除去する方法を、千葉大工学部の片山栄作特別研究員(62)=元東大医科学研究所教授=と群馬県渋川市の阿藤工務店専務、川上勇さん(63)が開発した。セシウムが葉や茎に含まれる「プラントオパール」(植物石)と呼ばれる粒子に結合していることを突き止め、プラントオパールを分離することでセシウム除去に成功。片山さんは「さまざまな除染に応用できる」と期待している。

 2人は放射性セシウムに、雲母などケイ酸化合物を主成分とする鉱物と強く結合する性質があることに着目。同じ主成分のプラントオパールにも同様の現象が起きるとの仮説を立てて実験した。

 福島県南相馬市で11月中旬、刈り取られた雑草570グラムを水分が蒸発しないよう密封。どろどろの液状に腐らせた後の12月10日に測定すると、1キロあたり2万8924ベクレルの放射性セシウムが計測された。これに水を加えてコーヒーフィルターでろ過すると、ろ過後の液体からは検出されなかった。フィルターに残ったかすを顕微鏡で観察すると、多数のプラントオパールを確認。セシウムがプラントオパールと化学的に結合し、フィルターに引っかかったとみられる。

 かすの容積は元の雑草の約10分の1になった。かすにはセシウムが濃縮されるが、置き場探しが課題の落ち葉や雑草の容積を減らせるとみて、2人は大量に処理できる装置を開発したい考えだ。

 プラントオパールは数マイクロメートル〜100マイクロメートルほどの粒子。枯れた葉からはがれて飛散することから、片山さんらは▽落ち葉や雑草は野積みせず閉鎖された所に保管する▽植物の多い汚染地域ではマスクをする−−などの対策が必要と指摘している。

 片山さんと川上さんは趣味の天文観測仲間。福島県の友人から除染の相談を受けた川上さんが研究を進め、片山さんが協力した。片山さんは「本来なら論文にして発表するところですが、被災地のために実用化を優先します」と話している。【日下部聡】

わが千葉県であるというのがさらに嬉しいですね。
ただ、コーヒーフィルター使っただけのような気がしますが・・・

2011年12月14日 (水)

平成23年度千葉県公立高校入試の日程情報

平成24年4月に千葉県立高校に入学するための高校入試の日程をまとめてみました。
(うちの長男が中学三年生なもので)

◆平成23年度千葉県立高等学校入学者選抜の日程(概要)

1 前期選抜及び通信制の課程の一期入学者選抜の日程
(1)入学願書等提出期間
平成24年2月6日(月曜日)〜平成24年2月7日(火曜日)午後4時

(2)学力検査等の期日
平成24年2月14日(火曜日)及び2月15日(水曜日)

※通信制の課程の一期入学者選抜の検査は,平成24年2月15日(水曜日)のみ実施

(3)選抜結果の発表
平成24年2月21日(火曜日)午前9時

(4)入学確約書提出期間
平成24年2月21日(火曜日)〜平成24年2月22日(水曜日)正午

(5)入学許可候補者発表の日時
後期選抜とあわせて発表する。

2 後期選抜及び通信制の課程の二期入学者選抜の日程
(1)入学願書等提出期間
平成24年2月23日(木曜日)〜平成24年2月24日(金曜日)正午

(2)志願又は希望の変更受付期間
平成24年2月27日(月曜日)〜平成24年2月28日(火曜日)正午

(3)学力検査等の期日
平成24年3月1日(木曜日)

(4)入学許可候補者発表の日時
平成24年3月7日(水曜日)午前9時

3 第2次募集及び通信制の課程の三期入学者選抜
(1)入学願書等提出期間
平成24年3月9日(金曜日)〜平成24年3月12日(月曜日)正午

(ただし,3月10日(土曜日),11日(日曜日)は除く。)

(2)志願又は希望の変更受付期日
平成24年3月13日(火曜日)

(3)検査の期日
平成24年3月15日(木曜日)

(4)入学許可候補者発表の日時
平成24年3月19日(月曜日)午前10時

4 定時制の課程の追加募集の日程
検査期日の範囲 平成24年3月27日(火曜日)〜平成24年3月28日(水曜日)

2011年12月12日 (月)

悪チーバくんが成田にいるそうです。

12月11日の朝日新聞に記事が載っていました。

「悪チーバくん」世界を漫遊 千葉
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千葉県の成田山新勝寺の参道沿いにあるカフェのイメージキャラクターらしい。赤い犬のぬいぐるみで、名前はエリック。ギラッと見開いた大きな目、白い歯をみせてニヤッと笑った表情が特徴的で、店の前を通りがかる子どもたちからは、「悪(わる)チーバくん」と呼ばれることもあるそうです。

店を訪れた外国人クルーと一緒に海外旅行を繰り返しているらしい。2年半で世界の20都市を訪れているそうです。羨ましい(笑)

2011年12月11日 (日)

皆既月食堪能しました。

Pc108980↑21:16雲がかかり始めました。 Pc108993↑21:50雲の切れ間から一瞬、欠けてきた月が見えました。Pc109013↑22:36なんだかどんぐりのように見えますね。 Pc109025↑22:36うっすら月の円が見えます。 Pc109095↑22:50明るく撮るとこんな感じです。Pc109151↑23:02いよいよ皆既月食間近です。 Pc109236↑23:10ほぼ皆既月食かな?Pc109269↑23:23皆既月食になりました。Pc109309t↑拡大するとこんな感じです。Pc119374↑00:17左の東側から月が復活し始めましたね。ここで次男坊と解散します。

お父さんは、この記事をテントの中で投稿して、そのまま寝ます。

予想通り、風通しの良いテントでかなり寒いです。
耐え切れなくなりましたら撤退ですね。

2011年12月10日 (土)

皆既月食いよいよです。準備整いました!

Pc108974t 満月が東の空から出てきました。
皆既月食にお月様も備えているようです。

こちらも、寒空での観測に向けて、久しぶりにテント出すことにしました。

狭い庭にセットします。

Imgp8978Imgp8979Imgp8980夏のキャンプ用だけに、風通しがよさそうです。(笑)
今晩の寒さに耐えられるでしょうか・・・。

着こんで寒さを体感してみます。

こちらも皆既月食の準備オッケーです。

2011年12月 9日 (金)

チーバくんグラスで乾杯

今年の結婚記念日はチーバくんグラスで乾杯です。
安いけど美味しく思い出深いイタリア、ランブルスコのワインで。
Chiba1
ちなみに去年の15周年は、ひとり南米ペルーにいました。(笑)
今年は家に居る、しかも思い出のケーキも買って帰りました。
珍しいことをしたためか、家には同じケーキが買ってありました。
子ども達の不思議な表情が良かったです。明日も同じケーキ食べます。(笑)
Imgp8972

2011年12月 8日 (木)

UTMF2012(160km)に当選しました!

以下のようなメールが届きました。

ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2012 大会申し込み抽選結果のお知らせ

◆◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
◇ ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2012     2012年5月18-20日開催
◇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◇ 大会申し込み抽選結果のお知らせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

かずさん 様

この度は、「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2012」にお申し込みいただき誠に有難うご
ざいました。

今大会は定員を大幅に超える申し込みがありましたので、ご連絡の通り厳正な
る抽選をさせていただきました。

抽選結果につきましては下記URLよりRUNNETにログインいただき、マイページ
よりご確認ください。

当選者の入金期限は12月16日(金)とさせていただきます。
期限内にお支払い手続きがなかった場合は、当選は無効となりますので、予め
ご了承ください。

※三次募集はおこないません。

■抽選結果の確認方法はこちら
http://runnet.jp/help/my/answer_n243.html

■Myページのログインはこちら
https://runnet.jp/runtes/entry/myRaceInfo.php
※Myページの「出場予定大会」-「抽選申込済み大会一覧」はページの下部に
ございますので、画面を下までスクロールしてください。

■入金手続き方法はこちら
http://runnet.jp/help/my/answer_n236.html
※当選された場合はステータス欄の「当選(未入金)」ボタンをクリックした
後、決済状況欄の「決済する」ボタンをクリックしてください。
エントリー情報をご確認のうえ、入金手続きをお願いいたします。

==================================================================
       ◇◇ 大会インフォメーション ◇◇
==================================================================

◇大会オフィシャルホームページ
http://www.ultratrailmf.com/
⇒2011年末リニューアル予定。
大会についての情報は随時更新されていきます。

◇特別協賛
株式会社ゴールドウイン "THE NORTH FACE" http://www.goldwin.co.jp/tnf/
日本ゴア株式会社 http://www.gore.com/ja_jp/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     ウルトラトレイルマウントフジ大会事務局  

      MAIL: mt-fuji@ultratrailmf.com
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

結果はこんな感じで確認できました。
Taikai2

いやあ、当たっちゃいました。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しいのですが、実のところすでに90kmの部を優先エントリーで入金済みなのです。
お金の問題だけなのですが、なかなかの大金だし、悩むところです。

2011年12月 7日 (水)

【書評】エベレスト登頂請負い業 村口徳行/著

01_2
「(エベレスト登山で)一番重要なことは、仕事はサボってもトレーニングだけはサボらないということを理解すべきだ。山登りにはそれだけの価値がある。だから真面目にトレーニングをして挑む。簡単なことだと思う。」

まったくそのとおりだ!(笑)
最後に書いてあった上の文章に出会って、この本を読んでよかったと思いました。

著者は、エベレストに6回登頂している。なぜ6回もか・・・。
実はカメラマン。エベレストをテーマに撮影し、テレビ取材には必須の人物のようだ。
もちろん登山においてもスペシャリストだ。

少なくとも野口健さんなどとは比べ物にならない技量をお持ちの方のようだ。
(実際に野口健さんのエベレスト登山に同行し、直接指南している。本著の中の野口健さんとの登山に関する記述はある意味特筆ものです。)

そりゃそうだ。エベレストに単に上るだけでなく、撮影するために上るのだから・・・。
例えるなら、マラソン大会で最後まで走り続けるペースランナーみたいなものだ。
尋常の技量ではできない。生死もままならない高所に登る相手の都合に合わせて登山し、撮影するのだから。

また三浦雄一郎さんの70歳と75歳の2回のエベレスト登頂最高齢記録を樹立した時も同行している。

大好きなテレビ番組であるNHKの世界の名峰グレートサミッツのエベレスト他、多数の撮影もされている。まったく知らなかったです。私よりも10歳上で、今なお高所での撮影を続けられている、凄い人ですね。

かの山田昇さんともエベレストで邂逅していたようです。まあ、エベレスト周辺に居れば、一緒になることもあるでしょうな。

グレートサミッツ観る楽しみがさらに増えました。

2011年12月 6日 (火)

原発パニック

世界最大の原発建設中のインドに避難!? 迷走する日本人一家
(SPA! 2011年11月8日号掲載) 2011年12月2日(金)配信

◆日本から避難したはずが世界最大の原発施設建設中のインド南部へと近づく悲しき一家!

大竹香織さん(仮名・35歳)夫/子供1人

 3歳になる息子の内部被曝を恐れるあまり、インドに移住してしまった家族がいる。移住先を決めた理由を「日本から遠い国だから」と話すのは大竹香織さんだ。

「東京に住んでいたんですが、放射能が怖くて、家族で私の実家がある長野県長野市に避難しました。それでもやっぱり心配だったので、夫も仕事を辞めて一家全員でインドまで移住することを決めたんです」

 福島第一原発から東京都心までの直線距離は約220kmで、長野なら約265km。さほど変わらない距離を避難するならば、インドまで避難したのは正解だ。

「子供のことを考えて、ムンバイから暖かい気候の南部に移動するつもりです。ケララのほうに行こうかと思ってます」

 ここで、何よりも大竹さん一家は大いなる矛盾に気づいていない。

 インド最南端のケララ州は美しい景観ながら、世界有数の高自然放射線地帯。年平均3.8ミリシーベルトで、最も高い場所では年20ミリシーベルト以上。文科省が定めた子供の基準値上限の被曝量を浴びてしまう。さらに、インドは世界最大規模の原発建設を予定しており、ケララからも近い。

「でも、ケララでアーユルヴェーダのヨガ学校に通いたいから……。講師資格を取ってから日本に帰ります」

 避難とは何なのか。少なくとも彼女からその答えは見いだせない。

― 放射能パニック家族の狂生活【2】 ―

【ひと言】
 この女性は、インドでヨガの学校に通いたかっただけの気がしますね。日本に帰ることが予定されていますし・・・
 現代社会の便利さの恩恵は膨大なエネルギー消費によるものであるわけで、生活そのものを変革し、エネルギー消費を抑えることを目指さないと根本的な解決は無理ですね。

2011年12月 5日 (月)

高妻山【日本百名山35】

Imgp09612353m 長野県

戸隠表山に対して「裏山」といわれ、表に隠れながらも高々とそびえる姿が美しい。峻険な稜線は修験者の格好な修行な場だった。(日本百名山地図帳から引用)

2011/11/02 日帰り 往復12km
12:11 戸隠牧場入口P 19:46
12:29 登山口 18:58
13:10 帯岩鎖場 18:10
13:29 一不動避難小屋 17:48
13:45 三文殊 17:34
14:11 五地蔵 17:10
14:21 七薬師 16:57
14:45 八観音 16:37
14:54 九勢至 16:28
15:45 高妻山山頂 15:54

【ひと言】雨飾山との同日制覇はとても苦しい山行になりました。一不動からは修験道らしいアップダウンが続き、距離、標高差以上に疲れます。下山はヘッドライトとなり、帯岩の鎖での降下では緊張し、最後は真っ暗で平たんな牧場で迷いに迷いました。高妻山での夜間登山はもうしません。

ポイント
1 昼過ぎからの登山
2 塩不足
3 疲労困憊時の判断、撤退か進軍か?
4 苦しい修験道
5 午後3時半の登頂
6 下山は2時間のヘッドライト行
7 暗闇での恐怖の鎖場降下
8 牧場での道迷い
9 追越車線走行違反

Imgp0932↑戸隠キャンプ場から始まります。

Imgp0935↑戸隠牧場を進みます。

Imgp0936↑戸隠山が見えます。ナイフエッジの稜線がここからでも見えますね。

Imgp0939↑牧場の放牧地から登山道に入ります。帰路にここから迷ってしまいました。

Imgp0940↑緑の回廊の看板です。午前中登った雨飾山も含まれていますね。

Imgp0941↑牧場敷地の境です。ここから本当の登山です。

Imgp0942↑明るい樹林の登山道を登ります。

Imgp0943↑沢を渡渉します。ここから十数回渡渉することになります。

Imgp0944↑沢を直登していきます。

Imgp0945↑一枚岩の滑滝です。滑りやすそうで、いやなところですが、鎖があるので安心です。

Imgp0950↑帯岩です。5mくらい直立に登って、右にトラバースします。明るいうちはそれほどでもないですが、帰りは怖かったですね。

Imgp0951↑トラバースはこんな感じです。1mくらいの垂れ下がった鎖が20本くらいトラバース沿いに続いています。写真だとさほどの傾斜に見えませんが、落ちるとやばい落差があります。

Imgp0954↑一不動避難小屋です。

Imgp0955↑まだ1時半ですが、もう下山者が一休みしています。ここからが修羅場でしたね。

Imgp0957↑登ってきた沢です。上から見るとなだらかに見えてしまうが不思議です。

Imgp0958↑スタートした戸隠牧場です。

Imgp0959↑二釈迦という地点です。このあと数字の十まで、名前が付いた場所が続きます。

Imgp0961↑目指す高妻山の雄姿が見えてきました。まだまだ遠く、まだまだ登らないといけないようです。

Imgp0963↑三文殊です。

Imgp0965↑たぶん中間点になる五地蔵山です。一番奥の高いところから左に稜線沿いに進むものと思われます。

Imgp0966↑四普賢です。実はペースが上がらず、山頂往復だと還りは夜だと思い、五地蔵まで進んだら引き返そうと思っていました。

Imgp0967↑五地蔵です。塩補給しようと塩キャラメル持って来たつもりでしたが、無かったので、カロリーメイト補給して、少し元気が回復したので、もう少し先を目指します。

Imgp0968↑時間が無いので、五地蔵山直下の分岐を直進します。

Imgp0969↑六弥勒です。

Imgp0971↑右は妙高山、左から2番目が火打山だと思われます。

Imgp0973↑七薬師です。

Imgp0974↑八観音です。

Imgp0975↑高妻山です。まだまだ山頂遠いです。

Imgp0976↑九勢至です。

Imgp0978↑振り返ります。この稜線を歩いてきました。

Imgp0979↑歩きにくいごつごつした岩の道を登ります。

Imgp0981↑最後の稜線の登りに出てきました。いやあ、長く苦しいのぼりでした。

Imgp0982↑十阿弥陀です。アップダウンが厳しく修験の道らしい登山道でした。ともかくこれで、ほぼ山頂まで着きました。

Imgp0983↑十阿弥陀から山頂までの眺めです。最高地点はあの少し高い部分のようです。

Imgp0985↑最高地点に着きました。

Imgp0986↑高妻山三角点です。

Imgp0988↑北アルプスです。鹿島槍ヶ岳に五竜岳ではないかと・・・

Imgp0989↑北アルプスの北側です。右が白馬岳だと思います。

Imgp0990↑うーん、これは方向的には雨飾山の気がしますが、さっき登ったときと山容が違うような・・・

Imgp0991↑こっちが雨飾山かも(笑)

Imgp0992↑いや、こちらが雨飾山だと思います。じゃあ、その前のは、なんだ?

Imgp0995↑左、火打山、右、妙高山。いずれも百名山です。高校時代の友達と登った懐かしい山です。

Imgp0996↑もうすぐ4時です。夕暮れ迫ってきました。下山し始めます。

Imgp0999↑稜線を下っていきます。

Imgp1001↑五地蔵山くらいまでは明るいうちに下りたいところです。

Imgp1002↑高妻山を振り返ります。

Imgp1005↑七薬師です。すっかり暗くなりました。

Imgp1006↑ヘッドライト装着です。上はLED LENSER H7で光量、照射範囲ともに調節可能なもので文字通り頭につけます。下はX-field XF11032で1480円と安価ですが、9LEDなので近距離ではかなり明るく、軽量かつ長時間電池が持つので腰に装着して足元を照らします。

Imgp1007↑ヘッドライトで照らしての五地蔵です。

Imgp1009↑一不動に着きました。沢を牧場に向けて下ります。心配事は、帯岩の鎖場です。うまく降りれるかしら・・・。そればかりが頭から離れません。

Imgp1010↑懸案の帯岩の鎖場を無事通過できました。見上げつつ写真を撮ります。いやあ、ビビリましたね。ヘッドライトで照らされたわずかな部分しか見えず、近くはフレアで眩しくて、かなり難しかったですね。明るい時間に登っていなかったら、降りるのは無理かも・・・。

Imgp1011↑牧場のゲートに到着です。着いたと思って安心したわけではないのですが、このあといつの間にか牧草地に紛れ込んでしまい、牧場内を彷徨いました。

Imgp1012↑真っ暗な牧場で方向感覚無く30分以上彷徨って、牧場の柵沿いに大回りに進んで、見覚えのある看板を見つけました。牛と糞に遇わなくて良かった。

Imgp1013↑牧場出口が閉まっていました。脇の通行可能部分から抜け出します。

Imgp1015↑駐車場です。下の反射しているのが、車のボディの反射です。ともかく無事の下山、良かったです。

★総括
先にも書きましたが、稜線から山頂までが長く、しかもアップダウンが続きます。早い時間の出立が必要です。それにしても戸隠山経由での往復だと、さらに長い上に、蟻ノ戸渡りという両側が切り落ちたナイフエッジの狭小なヤセ尾根を通過する必要があり、さらに時間が必要と思われます。山小屋は避難小屋しかなく、健脚、上中級者向きです。

【参考データ】
 戸隠牧場登山口 往復12km 標高差1183m
 最寄IC 上信越自動車道・信濃町ICから15km
 駐車場 戸隠牧場前駐車スペース50台(無料・トイレなし)
 山小屋 一不動避難小屋(無人)
 温泉  黒姫あたりに温泉があるかも?

かずさんの日本百名山登頂記録一覧表はこちらです。

2011年12月 4日 (日)

【書評】ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜 佐瀬稔/著

Imgp8968 世界一高い山はご存知エベレスト(別名チョモランマ)で8848mだ。では世界には標高8000mを超える山はいくつあるのか?

実はたった14しかない。しかもアジアのヒマラヤ山脈とカラコルム山脈にしかない。この8000m峰を14座登頂する、それは14サミッターと呼ばれている。未だ世界にわずか21人しかおらず、日本人はまだ誰も達成していない。
最初に達成したのは、ラインハルト・メスナー(イタリア)で1986年に、翌年にイイジ・ククチカ(ポーランド)という登山家で、その次はと目されていたのが、本著の主人公、山田昇さんである。

残念ながら、1989年2月、厳寒のアラスカ・マッキンリー登山中に遭難死された。日本屈指の冒険家である植村直己さんと同じように。

つまり本著は日本の登山家としては、かなり著名な山田昇さんを描いたドキュメンタリー作品だ。

控え目、朴訥、誠実、勤勉、明朗、柔和、優しいという形容が似合う、まさにとてつもなく人の良いおじさんだ。といっても、亡くなった時はまだ39歳。既に今の私よりかなりの年下なのですが。

しかし、この人の登山は凄まじい。
若い頃の国内の名だたる岩壁をひたすら登攀。
その実力を買われて海外遠征し、8000m級の高所での無類の強さ。
エベレストもK2(世界第2位8611mながらもエベレストとは比較にならないほど難しい山)も無酸素登頂を果たす。

冬季5大陸最高峰登頂を目指しての、最難関アラスカ・マッキンリーでの遭難事故が残念です。

おそらく、8,000m級の高所では日本史上最強の登山家だと思います。

最後に、この本は、スポーツ・ドキュメンタリーですが、人間ドキュメンタリーとしても珠玉の出来映えだと思います。

2011年12月 3日 (土)

ドイター アドベンチャーライト10 とうとう引退です。

私のドイターのアドベンチャーライトでしたが、とうとう引退の時が訪れました。

ファスナーが壊れたのです。ん?チャック?ジッパー?とにかく写真のとおりです。Imgp8964

片方が完全に脱落しましたが、ザックには両サイドに付いているので、とりあえず維持できております。が、もう一つが脱落すれば、完全なる悲劇が生じますので、やはり引退ですね。

Imgp8965 Imgp8967

2008年から、ほぼ毎日の通勤と、百名山登山、トレイルランニング大会、そして海外旅行とまさに体の一部といって良いほど、使い込んだだけに、かなり寂しく、残念です。

とりあえず、後継はグレゴリーのミウォック(カイエン)です。01 グレゴリーなので、ぴったりフィットで超快適ですが、質実剛健なドイターのように、さすがに4年は持たないでしょうね。

追記:ファスナー、ジッパー、チャックの違いは製造する会社名の違いでした。

【ファスナー】1891年、アメリカのホィットコム・ジャドソンという人が靴紐を結ぶことを不便に感じ、それを解決しようと考案したのが始まり。それを博覧会に出品。   
ある弁護士が注目し「ユニバーサル・ファスナー社」を設立。生産を開始する。ファスナーは、英語の「fasten(締める)」からきている。

【ジッパー】B.Fグッドリッチ社が靴に採用し、「ジッパー」と名づける。それ以後、アメリカでは「ジッパー」という呼び方が定着している。

【チャック】昭和初期、広島県御調郡向島に日本開閉器工場というファスナーをつくる会社があった。その後、その会社から枝分かれした人が「チャック・ファスナー」という会社を設立。

2011年12月 2日 (金)

【書評】モノが語る日本列島史 旧石器から江戸時代まで 藤本 強/著

Mono
考古学とは推理小説の世界であるようだ。本著を読めば、まさにそのことが明らかである。遺跡・遺構とそこから出てくる遺物、そうした物言わぬ物的証拠(モノ)から、当時の社会を推測していく。そこはまさに探偵が犯罪を推理している世界そのものだ。そんなことは常識なのかもしれないが、私は本著のおかげで今回初めて実感できた。

1994年刊行の古い書籍である。日進月歩の考古学の世界において、本著が展開する説明は、一世代古い、あるいはもはや間違った解釈になっているかもしれない。
それでも、本著は見事に考古学の魅力ある世界を紹介していることは疑いのないものである。

文献資料のない縄文時代、弥生時代はもちろんのこと、文献が豊富な江戸時代であっても、当時のモノから文献だけでは得られなかった当時の生産、物流、生活状況について、確認できることが、よくわかりました。

(縄文時代に)日本列島には、農耕を受け入れる機会は何度か訪れていた。ところが、それを受け入れることなく従来の生活が続けられていた。(中略)多雨多湿で夏にはきわめて高温になる日本列島の自然、そこで農耕する作業効率と採集する作業効率を比べ(中略)、雑草との闘い、これが日本列島の農耕の最大の問題であり、その欠点を取り除くものとして営まれるようになったのが水田による稲作農耕なのではないか。

いったん定着した弥生文化は、縄文時代に利用されていた生態系の活用システムをもとり込み、各地に異なった生態系の利用法を確立していく。両文化の摩擦が見られず、きわめてスムーズにしかも速い速度で転換がなされたようだ。
このような転換がスムーズに行われた背景として、弥生文化が縄文文化には利用されなかった生態系を利用するシステムだったということと、縄文文化自体の行き詰まりに直面していたと考えられる。また縄文文化が採集社会の中にあって異常なほど発達した社会組織を持っており、受け入れる体制が整っていたことも想像できる。

歴史好きを自認している私としては、かなり興味が薄い古墳前の時代考察について、ものすごく勉強になりました。

本著を読んでの思いは、日本人は、多くの外来文化に接触しながら、自分達に合わせて、最適な形で取り入れることを続けてきたということですね。

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