【書評】還るべき場所 笹本稜平/著
人生というか生き様に直接影響を与える書に出会うことはこれまでなかった気がするが、本著は遅まきながらそういう書になるかもしれない。
人生の午後3時すぎの私には遅い気もするが、まだ間に合ったといえるかもしれない。
どんな話にもなるようなタイトルであるが、これは山岳小説である。超一流クライマーが山と私生活ともにパートナーであった最愛の女性を山で失うという絶望的な喪失からの立ち直りの話である。
クライマックスは、主人公翔平が再び山岳ガイドとして臨んだヒマラヤの高峰ブロードピーク(8,051m)公募登山隊が先行していて遭難したニュージランド隊を公募登山の範疇を超えて命がけで救出するシーンだ。↑右ブロードピークと左が世界第2位のK2(標高8,611m)
日本百名山で悪戦苦闘している私にとって、ヒマラヤ登山は、夢想だにしたことのないものであったが、クライマックス部分の手に汗握る展開に、ハートを鷲掴みされてしまった。
と、まあ、山好きな私にとっては、登山のシーンはそれだけで面白いのであるが、この小説では、珠玉の人生訓が散りばめられているのが、お奨めです。以下、引用します。
「そもそも人生というのはつまらんものだ。若いうちなら勢いで突っ走れる。なんにでも夢中になれる時期がある。それがそのうち惰性になり、世間のしがらみに絡めとられて、なにが面白いかわからなくなる。しかしな、本当の勝負はそこから始まるんだ。つまらん人生に花を咲かせるのが本当の才覚で、モチベーションが希薄になったなんて愚痴を言っているうちはまだ半端者だ。砂漠のような人生に、大輪の花を咲かせることのできる人間こそ一流だ」(主人公翔平の父の叱咤)
「人間は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だとわたしは思っている」
「死ぬ前にぜひK2の頂を踏みたい。これは勝つとか負けるとかの問題じゃない。長い人生で一度くらいは、魂の糧になるようなことをやってみたいんだよ。さもないとわたしは魂のレベルで飢えたまま死ぬことになる。(中略)山に登るという行為自体のなかにそれ(魂の糧)がある。(中略)『山がそこにあるから』というマロリーの言葉は、『なぜ山に登るか』という質問への答えではなく、それが回答不能な問いであることを示したにすぎないと。(中略)まさに卓見だ。私が求めている魂の糧とは、きみが言う『生きることによってしか表現できないなにか』そのものだ。それは無償の生という土壌からしか生まれない、この世でもっとも美しい花かもしれない」(60歳すぎてからヒマラヤ登山に人生を賭ける世俗の勝利者たるオーナー社長神津の弁)
人生とはやり直しのできない一筆書きのようなものだと思う。一度描いてしまった線は修正がきかない。できるのはその先をさらに描き続けることだ。たとえ予期せぬ手先のぶれで意図とは違う方向に筆が走ったとしても、そこから思いもよらない未来が開けることもある。(オーナー社長の秘書であったが社長失脚後も山のパートナーとなる大学山岳部出身の竹原の思い)
真の答えは登るという行為のなかにしかない。そしてそれは登山に限ったことではない。人生そのものの意味さえ、生きるという行為のなかでしか見出せないものだということを竹原は悟った。(中略)思わぬ方向にぶれた人生の一筆書きが、これからどんな図柄を描き出すのか。予断は必要ない。恐れることもない。勇気を持ってもう一度、自分の人生を生きてみることだ。お仕着せの人生はもう終わった。(竹原の思い)
「どんな目標への挑戦でも、いや人生そのものに対しても、絶望というピリオドを打つのは簡単なことだ。しかしそれは闘い抜いての敗北とは意味が違う。絶望は闘いからの逃避だよ。あるいは魂の自殺行為だ。(中略)絶望によって前に進もうという意志にピリオドを打つたびに、人は自らの生の品位を貶める。それを繰り返すたびに人生は腐っていく」(神津から主人公翔平への叱咤)
↑ブロードピークの稜線、背後に急峻な頂をもつK2がそびえます。
8000メートル級のヒマラヤは選ばれし者しかその頂に立てないことがよーくわかりました。体力、技術、財力ともに私の手に届くところにはないようです。でも、夢を見続ける事は、できますね。そのために、これからも努力はしますよ!
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