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2011年10月

2011年10月31日 (月)

人生の朝7時とは、羨ましいですね。

10月から始まった月9ドラマ「私が恋愛できない理由」の第2話での印象的なフレーズです。
Getsu9

年齢を3で割った数字を1日の時間に見立てての人生の立ち位置、というか時間軸をシンプルに表したもので、かなり感心しました。

そして私はドラマの勝村政信さんと同じようにもう午後3時なのですね。

午後3時ですか・・・。
思ったより、ずいぶんと黄昏時が近い感じに、ちょっとあせりを感じました。

まだまだ気持ちは午前7時のつもりなのですがね。(笑)

さてさて、走りますか!

2011年10月28日 (金)

世界地図変えました。

急に中国の地理(華北省とかの配置)が気になってそれが載っている世界地図はないかとネット見ていると、さすがにそこまで載っている地図は無かった。

それでも南極大陸とか海底の地形まで載っている世界地図があったので、部屋の模様替えも含めて、購入しました。(ぴったり1000円、大きさはB1の109cm×79cm) Pa296314

色合いの感じもいいなあと思って購入したのですが、実際に壁に貼ってみると、隣の日本地図と色合いがかぶっている・・・

なかなか難しいものです。

ちなみにこれまで貼っていた世界地図はこちらです。Pa296313

今、見比べてみると、国旗がアクセントとして、いい感じであり、情報として捨てがたいですね。

2011年10月25日 (火)

ちばアクアラインマラソンが来年開催です。

Post_3 開催日時:2012年10月21日(日)午前10時スタート
開催種目:マラソン(42.195km)
開催場所:木更津市役所周辺(スタート・フィニッシュ)⇔海ほたる
制限時間:6~7時間
定  員:15,000人
参加資格:満18歳以上の男女(高校生は除く)
参 加 料:10,000円
コース発表:2011年秋
ランナー募集:2012年春
公式サイト:http://www.chiba-aqua-run.com/2012/

いやあ、本当に実現しましたね。有料道路を借り切っての千葉県で3つ目のフルマラソンの大会が・・・
良くも悪くも政治のなせるわざですね。

そんな事はともかく、ぜひとも走りたいですね。
千葉県民として、市民ランナーとして、キャッチフレーズのとおりに・・・
「ちばを走ろう~アクアラインの風にのって~」

追記
Chibakun201110開催まであと362日だそうです。
県庁ロビーにチーバくんのカウントダウン人形がありました。
チーバくんも走るのかな?

2011年10月24日 (月)

ラグビーW杯、地元ニュージーランドが優勝です。

23日の深夜、決勝戦のテレビ放送を見てしまいました。
ラグビーはよくわかりませんが、24年ぶりの優勝のかかったニュージーランドを見たかったので・・・。
今日のお仕事が心配です。(笑)

決勝の相手は世界ランキングが3位に上がったフランスです。
予選プールでの直接対決ではNZの完勝であったことや準決勝の試合展開がフランスはひどかったこと、さらに地元開催という地の利からニュージーランドの絶対優位だと思っていましたが、華麗なシャンパンラグビー復活で、後半はかなりフランスが押す展開でした。

スコアの経過は、
前半は5対0でNZの1トライのみ
後半は3対7でフランスの1トライのみ
結局、8対7の僅少ロースコアでNZが逃げ切りました。

それにしても、両チームともパスワークが素晴らしく、スピードあふれる攻守の逆転が多い目の離せない見事な決勝戦でしたね。そしてペナルティも少ない。

しかし、ラグビーのワールドカップ決勝は、主力が怪我で戦線離脱が多くて、その点は実に残念です。ぶつかり合いですから仕方ないですね。緊急招集が当たり前なあたりが、サッカーと違いますね。

2011年10月23日 (日)

山の師匠、無念のハセツネリタイアでした。

結果が気になり、公式サイトの速報を見ていて、そこには3つの関門とゴールの情報が載っているのですが、第3関門に師匠の名前が載っていなくて気になっていたところ、山の師匠からメールが送られてきました。掲載します。

ハセツネ残念ながらリタイアです。第2チェックポイント50km地点にて時間はかなり余裕残り10時間あったのですがリタイア。膝が震えとハムストがつってアウト。やはり試走とトレーニングしなければ完走はできない事体験しました。また装備についても見直さなければと思います。
天気はスタート小雨ウェアはユニクロ長袖でしたが、暑く水2リッターしか持っていなかったので三頭山の沢にて給水しましたが、パンしか食料なく余計水が足りなくなりました。山道は泥まみれで、シューズはAPブラスでも大変でした。スポルティバが良いみたい。

過酷なレースですから、練習不足は体力的にも精神的にも、マイナスに働きます。
来年は、なんとか私もエントリーしたいですね。

2011年10月22日 (土)

第19回日本山岳耐久レースの途中経過その1

19thhasetsunecup_top
わが山の師匠が第19回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP 2011年)に出走しています。

途中経過が出ているかと公式サイトを覗くと、すでに優勝が決まっていました。

大会結果出走者数 2,157名 (男子 1,920名 女子 237名)

優勝!! 相馬 剛  フィニッシュタイム 7:37:18

第15回大会で優勝したのが、この相馬選手ですね。それ以来の久しぶりの優勝です。第1回おんたけウルトラの時、トイレで隣だったという思い出があるだけですが、なんだか嬉しいですね。近年、調子を落としていましたが、これで完全復調でしょうか。

さて、山の師匠ですが、第一関門に名前が出ていました。
制限に時間内に通過しています。
しかもなかなかの好タイムでした。

山中は雨かもしれませんが、比較的気温が高そうなので、このまま走りきって欲しいですね。

【ハセツネカップとは?】
奥多摩山域(距離71.5km 累積標高差4,500m以上)を13時にスタートし、制限時間24時間で走りきる山岳レースです。

コース概略
五日市会館前スタート→今熊神社→市道山分岐→醍醐丸→生藤山→土俵岳→笹尾根→三頭山→大岳山→御岳神社→金比羅尾根→五日市会館前フィニッシュ

日本と名の付く唯一の山岳レースで、多くの人が憧れ、完走を目標にしている山岳レースです。
全国から猛者が集まり、優勝者は7時間台でゴールしますが、大半は15時間以上かかり、完走率70%のタフなレースです。
ただ、時季的に私とのめぐり合わせが悪く、まだ1回しか出ていません。
その時、なんとか完走しましたが、次は夜中にゴールしたいですね。

2011年10月21日 (金)

年賀状の季節になりました。

書店に来年の手帳を見に行きました。
今年も陰山手帳で行こうと思っているのですが、店頭に並んでいませんでした。
ネットでは出ているようなので、たまたま無かっただったのでしょうか?

さて本屋さんでの年末恒例といえば、手帳のほかには、カレンダーもそうなのですが、今年はそれらに負けず劣らず賑わっている新たなコーナーができていました。

それは年賀状作成本のコーナーです。以下のとおり充実していました。

111021_235201_3111021_235202111021_235301

平積みを数えてみると47種類。
縦置きもありましたので、それ以上の数があるということでしょう・・・。

10年くらい前から年賀状作成本とデータCDを活用しており、年々増えているのは実感していましたが、今年は大増殖したみたいですね。

結局、去年と同じ「デジカメ年賀状工房」を買いました。3年連続です。
添付の画像編集ソフトがなかなか使えるのですよ。ブログの記事でも活用させていただいています。
どの年賀状フレームを使うか、これから選択しますが、まずはどの写真にするか?その取捨選択が楽しみであり、大変な作業なんですよね。

2011年10月20日 (木)

会津駒ケ岳【日本百名山23】

Imgp0057 2133m 福島県

広く明るい山稜が続く南会津のたおやかな峰。湿原と高山植物、山腹の深い樹林は静かでやすらぐ。山麗の檜枝岐はそばと平家の里。(日本百名山地図帳から引用)

2011/10/02滝沢口からのピストン日帰り(片道6.7km往復13.4km)
05:36 林道入口 09:32
05:53 林道終点 09:20
06:42 水場   08:49
07:37 駒乃小屋 08:13
07:46 山頂分岐
07:50 山頂   08:00

【ひと言】標高差1400mですが、アップダウン(登りの途中に下ること)が少なく、楽な登山でした。樹林帯を抜けての湿原展望への変化はご褒美でしたね。それにしても東北道那須塩原ICから登山口までの距離が長い(約90㎞)です。道が良いのが救いですが・・・

ポイント
1 新ハイドレーションの初山行
2 山頂は氷点下
3 カメラケースの忘れ物
4 お土産は食用ほうずき、宇都宮の餃子

Imgp0002↑西那須野塩原ICから下道を90km、檜枝岐村の会津駒ケ岳登山口に到着したころちょうど夜が明け始めました。

Imgp0003↑登山口駐車場までの林道は閉鎖なので、国道沿いのテニスコート駐車場に停めました。奥を見てないので判りませんが、相当数停められるのではないでしょうか?

Imgp0004↑駐車場から3分、国道から登山口入口への林道を望みます。

Imgp0005↑国道から1分、林道が閉鎖されています。左手はトイレです。

Imgp0009↑入口から13分で、登山口に到着です。木階段で始まります。

Imgp0012↑樹林帯ですが、なかなかの急登な上りが続きます。ガシガシと登っていきます。

Imgp0014↑標識やベンチもあり、よく整備された登山道が続きます。

Imgp0016↑樹林の間から会津駒ケ岳が見えました。頂上部はなだらかな山容のようです。

Imgp0022↑燧ケ岳が見えます。山頂部は雲に隠れています。思ったより日が差してきません。

Imgp0030↑駒ノ小屋が見えてきました。

Imgp0041↑池塘の向こうに中門岳が見えます。

Imgp0045↑湿原に木道が小屋まで続きます。

Imgp0053↑駒ノ小屋に到着です。

Imgp0057↑駒ノ大池に会津駒ケ岳が映り込んでいます。風の無い静かな朝です。
Imgp0060↑駒ノ大池と駒ノ小屋を振り返ります。

Imgp0061↑高山植物の花のつぼみが有りました。名前は・・・

Imgp0063↑山頂と中門岳への分岐です。

Imgp0065↑見事な標識の立つ会津駒ケ岳山頂(標高2133m)に到着です。山頂独占です。

Imgp0066↑一等三角点です。

Imgp0068↑南側の眺望です。曇ってて眺望は今ひとつですが、こんな感じに見えるようです。

Imgp0069↑北側です。こちらは木が高くて眺望はゼロです。少し中門岳側に下って見ます。

Imgp0070↑少し下ると北側の眺望が開けました。真ん中直ぐ近くは、中門岳。その奥に山並みが見えますね。

Imgp0073↑望遠するとこんな感じです。

Imgp0076↑中門岳への木道です。

Imgp0077↑Canonのカメラケースを誰かお忘れのようです。

Imgp0078↑下山開始。駒ノ小屋方向を望みます。

Imgp0082↑駒ノ大池です。

Imgp0084↑駒ノ小屋の売店の品揃えです。アルコール類が充実していますね。寒いのでまったく飲む気はしませんが・・・

Imgp0085↑駒ノ小屋の外柱に掛かっていた気温計です。良く見えないかもしれませんが、氷点下でした。それほど寒い感じはしませんでした。風が無かったせいかもしれません。

Imgp0091↑燧ケ岳です。だいぶは晴れてきましたね。

Imgp0097↑会津駒ケ岳を振り返ります。これから樹林帯に入ります。

Imgp0101↑綺麗に整備されていますね。今年整備したところではないでしょうか?

Imgp0103↑日が差してきました。樹林の中まで明るくなってきました。一気に下ります。

Imgp0105↑これから登る人のいる登山口に到着です。まだ午前9時20分ですからね。

Imgp0106↑林道を駆け下ります。

Imgp0107↑登山口入口に到着です。

Imgp0109↑駐車場に戻りました。天気が予想より遅めに回復したようです。まあ、ゆっくりお土産でも見ながら帰ることにします。

Imgp0111↑たのせ直売所です。おじいさんが3人で売っていましたが、お客は私一人でした。

Imgp0112↑食用ほうずきを勧められたので買いました。甘味が薄く少し固めのさくらんぼみたいな感じでした。あとでテレビ見ているとアンデス原産でペルーでは日常的に食しているようでした。

Imgp0114↑そばの看板に釣られて道の駅番屋に寄ります。実はまだ朝早くて、途中何件も見かけた通常の蕎麦屋はまだ営業してないんですよ。

Imgp0116↑そばんという揚げパン付きのざるそばセットです。

Imgp0117↑東北復興支援で道の駅スタンプラリーがあるようですね。

Imgp0118↑東北道のSAで餃子買いました。千葉の自宅には余裕の2時帰宅となりました。なんだか余力十分な山行になりました。

【参考データ】
 滝沢口登山道 往復13.4km
 駐車場 50台くらい(テニスコート脇無料、登山口にトイレあり)
 山小屋 駒ノ小屋(標高2050m位)
 温泉  駒の湯、燧の湯(登山口近接)

かずさんの日本百名山登頂記録一覧表はこちらです。

2011年10月19日 (水)

草津白根山【日本百名山41】

Imgp9102 2171m 群馬県

礫や灰で白く輝く活火山。短時間でコマクサなどの高山植物に出会え、コバルトブルーの湯釜を眼下に望む。(日本百名山地図帳より引用)

【ひと言】久しぶりに単独でなく仲間との楽しい山行でした。当初は苗場山でしたが、天候悪化による急きょ変更での草津白根山となりました。二度目のお気楽な登山でしたが、今回は三角点にも到達し、満足のいくものでした。

2011/09/23 草津白根山日帰り 8km+2km

07:21 駐車場
07:36 山頂ロープウェイ駅
07:56 から釜
08:15 遊歩道最高地点
     散策・休憩
09:15 三角点分岐
09:27 三角点(2165m)到着
09:49 三角点出発
09:57 三角点分岐
10:28 本白根山展望所
11:06 鏡池到着
11:18 鏡池出発
11:55 山頂ロープウェイ駅
12:12 駐車場到着
12:35 駐車場出発
12:46 湯釜展望所到着
13:00 湯釜展望所出発
13:15 駐車場

ポイント
 久しぶりに仲間との山行
 苗場山からの急遽変更
 八つ場ダム通過
 幻の三角点到達
 三角点ハンターとの遭遇
 西の河原温泉で入浴

Imgp9081↑ヨット部ハイキングチーム3人揃い踏みの写真です。

Imgp9039↑苗場から草津に向かう道中、八ツ場ダムの建設現場を通りました。立派な橋ができていますね。

Imgp9046↑とてつもなく幅広なダム湖になるかもしれませんね。

Imgp9049↑駐車場から白根山に向かいます。

Imgp9051↑リフト乗り場で右に曲がって、から釜に向かいます。

Imgp9053↑整備された登山道を進みます。

Imgp9056↑から釜に到着です。ガスに覆われてい ます。

Imgp9057↑コマクサも時期が遅く枯れています。

Imgp9061↑遊歩道最高点を目指します。

Imgp9065↑遊歩道最高地点(標高2150m)に到達です。

Imgp9066↑草津白根山最高点(標高2171m)方向です。ハイマツの中を進みます。

Imgp9067↑途中まで進むも前進不能となって退却します。

Imgp9068↑万座温泉に下る道まで進みました。少し広いので休憩することにします。

Imgp9074↑なみちゃんがバーナーとコッヘルを持ってきてくれていました。お湯を沸かしてスープ作ってくれました。単独行では味わえない楽しさです。

Imgp9071↑三角点への通路を発見しました。三角点を目指すおじさんが進んだのでわかりました。後に続くことにします。

Imgp9079↑閉鎖されたルートなので、すっかり道が荒廃しております。潅木に覆われ木のトンネル、まるで「となりのトトロ」に出てくる獣道のようです。ここを屈んでくぐって先に進みます。笹や潅木に囲まれ眺望は望めません。

Imgp9081↑登山道のない幻の三角点(標高2165m)に到達です。現実的に到達できる最高点です。

Imgp9082↑三角点と靴です。笹に覆われていますね。多少は踏み跡が残っているところを観るとたまに来訪者があるようですね。

Imgp9087↑後から三角点ハンターのおじさんも来ました。全国900余りある一等三角点を目指しているそうです。

Imgp9092↑帰路に着きます。前方に最高点(2171m)の峰が見えます。

Cimg0980↑ハイマツに覆われた道無き道を下り、遊歩道に戻ります。

Imgp9107↑から釜の展望台です。

Imgp9110↑展望台に向かいます。

Imgp9115↑草津白根山(本白根山)展望台です。標高2160mの最高点です。すっかり晴れてきました。
Imgp9118↑南方向を望みます。

Imgp9113↑展望台から最高点を望みます。雪の積もった冬ならたどり着けそうな気もします。

Imgp9120↑鏡池です。

Imgp9127↑鏡池に下りると鴨がいました。

Imgp9130↑鏡池から駐車場に戻ります。

Imgp9135↑沢を渡渉します。

Imgp9139↑最後は林道を進んで駐車場に戻ります。

Imgp9143↑駐車場から湯釜の展望台に行きました。入浴剤の色ですね。昔は湯釜の直ぐ近くまで行けたのですが、今は禁止となったようです。

Imgp9152↑湯釜の展望台から下りるところです。左手に駐車場、正面は本白根山方向で弓池です。

Imgp9155↑西の河原温泉(露天風呂)で汗を流します。巨大な湯船(50mプールくらいの大きさ)だけ、洗い場の無い温泉でした。

【参考データ】
 駐車場から 往復5km
 駐車場 200台くらい(有料、売店、トイレあり)
 山小屋 不明
 温泉  草津温泉

かずさんの日本百名山登頂記録一覧表はこちらです。

2011年10月18日 (火)

四万十川ウルトラマラソンで先輩がハチにさされて帰ってきました。

昨日こんなニュースを見つけました。

 16日午前11時頃、高知県四万十町野々川の県道で、「第17回四万十川ウルトラマラソン」に参加していたランナーがアシナガバチとみられるハチに相次いで刺され、10人が近くの診療所に搬送された。

 いずれも頭を刺されていたが、軽症。

 同マラソン実行委員会によると、搬送されたのは県内外から参加した33〜60歳の男性8人、女性2人。1494人が出場した100キロコースの24キロ地点付近で襲われた。スタッフが沿道の雑木林を調べたところ、アシナガバチの巣があった。(2011年10月16日19時25分 読売新聞)

実は私の先輩が、四万十川ウルトラマラソンに参加し、このニュースを知った月曜は先輩は高知県からの移動日で休暇されていたので、私が「先輩、ハチに刺されていたりして・・・」と職場で軽口叩いていたら、本当に刺されていました。(先輩ゴメンナサイ)

今朝刺されたところを見せてもらいましたが、それは右腕で完全に腫れ上がっていました。
先輩は診療所への搬送は断って走り続けたようです。刺された人は相当数いたようで、そのうちの一部の人、特に頭を刺されたような人は、搬送されたようですね。(だから俺はニュースに載った人ではないと主張していました。)

先輩が通過するころにはハチはコース上を相当数、飛んでいたとのことで、いったん立ち止まるものの、その場にいた3人のランナー揃ってダッシュで突破したそうです。通過後、右腕に痛みがあって、刺されたことがわかったとのことでした。他の2名もお尻とか刺されたとのことです。

その後は右腕を刺され痛みを感じつつ、気分もだんだん悪くなりつつ、走ったそうです。暑さもあって、60㎞過ぎで力尽きたようです。
参加者との会話で走りこみ不足を実感されたようで、先輩は来年のリベンジを誓っていましたから、楽しみですね。(直近の河口湖のフルマラソン(11月)に急きょエントリーしたとのことです。)

結果は出ませんでしたが記憶に残る大会になりましたね、先輩(笑)

追記:練習嫌いの私が言うのもなんですが、先輩は仕事が多忙すぎて、走りこみ不足でしたね。月100㎞ぐらいしか走っておらず、1回の最長でも30㎞程度で、100㎞の完走経験もないとなると、完走は極めて困難です。24時間テレビのように完全サポート、制限時間24時間でやっと完走ですから・・・。

【書評】五つの旅の物語 写真・文 椎名誠

Tabi
この五つの旅はいずれも著者らしいスケールの大きな旅だ。
旅とはこういうものであるべきと願い、憧れる。

旅の内容は以下のとおり
・砲艦リエンタール号 マゼラン海峡をいく
・チベットの聖山カイラス巡礼記
・ロシアの極北狩猟民族イーゴリさんと犬の話
・チャーリーのイッカククジラ狩り
・タクラマカン砂漠「楼蘭」探検記
あとがき的に「五つの旅。そのほかの旅」

その人が動けば、何かが動く。
何が起きても、その人は受け止められる。

そんな人の旅は、その人生に似て、豪気かつ繊細だ。
想像を絶する旅が確かなものであったと物語る写真がまた素晴らしく羨ましい。

彼と同じような旅は到底できないが、力の限りぶつかっていくような旅はこれからも続けたい。
安穏とした旅行ばかりでなく・・・。

改めて、そう思った。

2011年10月17日 (月)

ニュージーランドがオーストラリアに圧勝!世界一に王手 ラグビーW杯準決勝

ラグビーワールドカップニュージーランド大会の準決勝が行われました。
テレビ放映は月曜午前2時開始だったので、録画して早めに起きて見ました。

さてこの試合、世界ランキング1位と2位の対決であり、事実上の決勝戦との前評判です。もちろんニュージーランドのオールブラックスが世界1位です。※ちなみにオーストラリアはW杯2度優勝で、世界ランク2位の強豪です。愛称はワラビーズ。聞きなれない名ですが、オーストラリアに生息するカンガルーの一種から因んだようです。)

NZと豪はオセアニアの隣国同士で、英国の植民地という歴史的経緯まで同じです。まさに兄弟国というような感じですが、隣国ゆえのライバルでもあります。国の大きさ、人口でオーストラリアが圧倒しているのですが、スポーツに関しては、ニュージーランドの対抗心はものすごいものがあります。

かつてNZでホームステイしていた時、もっとも人気のあるスポーツ、「クリケット」の対オーストラリア戦があり、町の通りから人が消えて、ほとんどの男性はビール片手に仲間と集まってテレビ観戦していたようです。(私もその一つに混ぜてもらいました。)

日本と韓国がスポーツで対戦する時に、韓国がライバル心むき出しで、盛り上がるのと似ている感じなのではないでしょうか。

話がそれましたが、地元開催で久し振りのW杯制覇を狙うNZは試合開始からオーストラリアを圧倒していました。
まさに、攻撃は最大の防御とばかりに、攻め続けていましたね。そして前半6分にノヌーが先制トライ。

その後、さすがにオーストラリアは日本のように、NZに簡単に突破をさせず、一進一退の攻防でしたが、守勢からの攻勢になかなか反転できずに、逆にペナルティをおかし、PKで少しずつ加点されていきました。

結局、NZがオーストラリアをノートライに抑え、20対6で快勝。

決勝戦は初優勝を狙うフランスと10月23日(日)です。
テレビ放映は、日本テレビで 24:55〜26:50です。

これも観ないと・・・

登山のコツ02(バテない登り方)

結論:鼻呼吸で楽しくしゃべりながら登ることがバテない登り方です。

登山の楽しみの一つは、頂上に立つこと。
そのためには、登ることが必要です。
しかし登山での登りは、家の階段や駅の階段のように、一息で登れる長さでは有りません。

山の大きさ高さによりますが、大概は数時間から半日、長ければ数日かかります。
登山を始めたばかりの頃は、相当に体力がある人でも、うまくペースが作れずバテてしまいがちです。私も体調や天候不良、あるいは高度障害に対応できず、バテバテの山行となったことがあります。
(今は、日帰り単独行なので、体調と天候を見極めて、ベストコンディション時に自分のペースで登山しています。比較的安全かつバテなくなりました。たとえば、本日の早朝は雨だったので、登山を取止め、これを書いています。)

一度バテると、何度でもバテてしまい、苦しい山行となりますので、まずはバテない登り方をする必要があります。

さて、ここでいうバテるとはどういう状態か定義付けると、体調は良かったのに何だか急に疲労し身体が動かなくなるとします。
これは概ね、無酸素運動に陥って、筋肉に乳酸がたまって、筋力パフォーマンスが急激に低下する場合です。

無酸素運動にならないようゆっくり登り有酸素運動を続けようと思っても、登りはどうしても瞬発力が必要な場面が出てきますので、かなり注意が必要です。あとは、無意識に適度なペースを守ろうとして、いつの間にか無酸素運動に突入したりします。

そうならないような有効な手段としては、私は鼻で息を吸うことを意識します。

実はかつて私は心拍計(ハートレイトモニター)の数値で、有酸素運動の維持を図っていましたが、しばらく経験すると、口から息を吸うような場合が、オーバーワーク、すなわち無酸素運動突入の目安だと気が付きました。

逆に考えると、鼻で息を吸うことを続けられていれば、それは有酸素運動が主な状態であり、長い時間、運動し続けることができるのです。つまりこれがバテないということです。

登りは傾斜が変わりますから、無意識のペース維持が無酸素運動に陥るので、呼吸で気をつけてみてください。口で息するようになった場合、直ちにペースを落としてください。

そんな呼吸状態をあまり意識しないで自然に実現する良い方法があります。
「しゃべりながら登る」というものです。
しんどくなると自然としゃべれなくなりますから、直ぐに気が付きます。

ただ、しゃべりながら登るというのは、相当な心肺能力が要るのですがね。
大概は苦しい登りは、無口になってしまいます。
ですので、普段から長時間動くことを鍛錬し慣れておくことです。

以上、バテない登山は楽しい登山の基本ですから、ひとつのコツとして参考になれば幸いです。

登山のコツ01(熱い時は飲む、寒い時は食べる)

2011年10月16日 (日)

【書評】太陽の涙 赤坂真理/著

Taiyo_2
その名は「ヒヌカムイ」。
舞台は沖縄諸島のどこかの島。(たぶん)
放射線に耐えうる金属とねじを古代の技術で作ることができる唯一の島。

その技術ゆえに、核融合炉が作られてしまった島。そのエネルギーはその島では使うことができない。本島に送られるだけ。

それにより、主人公は恋人を失い、決意する。
伝説の剣で「ヒヌカムイ」を止めて、自らも核融合炉で消滅した。

福島第一原発の放射能漏れ事故の前に書かれたこの叙事詩のような短編は、歴史的な大事件により極めて教訓的な寓話、いや予言的神話として、これからも存在し続けるだろう。印象的な大島梢さんの挿絵とともに、本著は不朽の名作となるかもしれない。

2011年10月15日 (土)

ヨット大会は中止でした。

本日は年に一度のヨット大会の日でした。

去年はプロジェクトで多忙だったので2年ぶりの参加です。
練習しないでランニングと山登りばかりしているので、2年ぶりに乗る予定でした。

が、低気圧の通過に伴い、風が強く、今日は無理だろうなあと思いつつ、今年の幹事団体、つまり事務局は、私の所属する団体なので、ヨットハーバーに向かいました。

稲毛ヨットハーバーの風速計では、平均風速15m、瞬間最大20mですから、当然、赤旗、出艇禁止でした。

Imgp9235↑ハーバーの気象情報画面です。

Imgp9236↑当然、帆走見合せです。

Imgp9241↑荒れるハーバーの様子です。奥のうねりが見えますでしょうか?湾奥でこの調子ですから、外海には出られません。

関係者と協議の上、順延となりました。
順延日程は、部下の結婚式と重なっているので出場はもちろん、運営に参加できません。
まあ、仕方ないところです。

久しぶりに部員が集まったので、ヨットの確認をすることになりました。
実は台風15号で、艤装品(つまりヨットの部品でマストやロープなど)が流失してしまい、3艘のうち、使用可能なのは1艘となったので、その確認というわけです。

Imgp9244↑所有艇をシート(ロープのことです。)で固定し直しました。

このまま、寒くなり、海も荒れて、万年初心者の私が乗ることは叶わない時期になりますので、また来年まで乗らないかなあ・・・。

ヨット部員として、来年はもう少し乗ります!めざせ、ヨットマン!!(笑)

2011年10月14日 (金)

閑話休題、マラソンネタを2つ。

閑話休題、マラソン・ネタを2つ。
↑シカゴのマラソン・ベイビーとその家族

【話題1】
英男性がマラソン中にバス乗車、レース後発覚でメダル剥奪
ロイター 10月13日(木)14時54分配信

 [ロンドン 13日 ロイター] 英北部ノーサンバーランドで9日に行われたマラソンレースで3位に入った男性ランナーが、レースの途中でバスに乗っていたことが判明し、メダルを剥奪された。

 メダルを剥奪されたのは、ロブ・スローンさん(31)。大会主催者によると、スローンさんは、32キロを過ぎた地点で観客用のバスに乗り、その後コースの最終部分を走り、自己ベストのタイムでゴールした。

 大会ディレクターでロサンゼルス五輪銀メダリストのスティーブ・クラム氏は、BBCテレビに対し、「参加した選手の中で、タイムが前半より後半の方が速かったのは彼だけだった」と話した。

 またクラム氏は「彼は最後の8マイル(約13キロ)で五輪選手になったか、ゴールするために何か他の手段を使ったのだろう」と冗談交じりに語った。

 スローンさんは当初、不正があったと疑われていることについて、「ばかばかしい」と一蹴していたが、主催者が調査を始めると、反則行為を行ったことを認めたという。

【話題2】
マラソンゴール直後に陣痛、27歳米女性が無事女児出産
2011年 10月 11日 11:54 JST

[シカゴ 10日 ロイター] 米シカゴで9日に行われたシカゴ・マラソンに参加した妊娠中の女性が、ゴールした直後に陣痛が始まり、病院に直行して女児を出産していたことが分かった。病院の広報らが10日、明らかにした。

 出産した女性はシカゴ出身のアンバー・ミラーさん(27)で、妊娠39週で42.195キロのレースに出場していた。

 ABCニュースの電子版に掲載されたインタビューで「半分は走って、残りはゴールまで歩く計画を立てていた」と語ったミラーさん。シカゴ・トリビューン紙によると、レースでは、2マイル走り2マイル歩いてを繰り返してゴールしたという。

 ミラーさんは現地時間9日午後10時29分に2人目となる子どもを出産した。赤ちゃんはジューンちゃんと名付けられ、母子ともに健康だという。

 病院の広報によると、医師たちは、妊娠中のミラーさんが行っていたトレーニングについては知らされており、マラソン出場にも反対しなかった。

【ひと言】それにしても日本でも世界でも、男性は情けなく、女性は強いですね。

2011年10月12日 (水)

W杯サッカーアジア3次予選で日本に負けたタジキスタン監督のコメントが素晴らしいの巻

サッカー日本代表のダジキスタン戦は8対0で快勝し、テレビで楽しく観戦できましたが、ネットで以下のようなタジキスタンの監督のインタビューが載っていました。

タジキスタン監督「日本はウズベクや北朝鮮と比較にならないほど強い」
SOCCER KING 10月11日(火)22時52分配信

11日にブラジル・ワールドカップ(W杯)アジア3次予選の第3戦が行われ、日本はホームでタジキスタンと対戦し、8−0で大勝を収めた。

大敗を喫したタジキスタンのアリムジョン・ラフィコフ監督は、試合を以下のように振り返っている。

「昨日の前日記者会見で言ったとおり、今日は守りに徹する。そのつもりでプレーしたが、完全な守備というのは芸術に等しい。我々はその域には達することができなかった。見事な勝利をした日本を心から祝福したい。これは実力の差、当然の結果と言えるだろう。日本はビッグなチームだった」

「昨日の会見では、なぜそんなに控えめなのかとも言われた。今日の結果で、どうして昨日のような言葉が出たかお分かりいただけたと思う。冷静な自己分析によるものだ。ただし、我々の選手たちは最後まであきらめずに走った。日本を抑えることはできなかったが、あきらめなかった選手たちに心から感謝したい」

「日本はウズベキスタン、北朝鮮とは比べ物にならないほど強かった。今日、日本がほぼベストメンバーで戦ってくれたことに感謝している。私たちは勉強しにきた身分だ。苦い経験ではあるが、私も選手も、今日の結果を受け止めて将来に活かしていきたい。何よりも日本に感心したのは、無駄な動きが一切なかったことだ。最後の3分間も全力で走っていた。これには感銘を受けた」

「我々のホームで戦った場合、このような立派なスタジアム、芝生ではなくて、環境はもっと劣悪になる。ピッチの条件によって、日本のサッカーがどう変わるか。そこに関しては多少期待している。ただ、日本とタジキスタンは残念ながら同レベルではない。芝生の状態いかんで縮まる差ではない。これは冷静な判断。ただし、ホームの観客が喜ぶようなサッカーを見せたいと思っている」

「(最後までクリーンなプレーを続けたが?)ラフプレーには走らない、クリーンなプレーを心がけるというのを選手たちは理解している。私たちは日本の選手をけがさせるために来たわけではない。日本はもっと高い目標を置いているチームなので、こんなところでけがをさせては申し訳ない。それに、偶発的に手や足が出ることはあるが、日本の動きが速くてそれもできなかったのもある」

【ひと言】
 相手に対して常に敬意をもって接し、感謝の念まで持つ。
 一監督の弁ではありますが、このようなコメントを貰うとタジキスタンという国に対し、好感を持たざるを得ませんね。
 リップサービスだとしても、こんな素敵なリップサービスをできるってことが素晴らしいですね。

2011年10月11日 (火)

【テレビ】激走モンブラン!2011(NHK BS1)

今日は、テレビ三昧の日だ。「幸福の黄色いハンカチ」を観て感動し終わった後に、録画中の激走モンブランを追っかけ再生して観てしまった。

昔のレコードのようにA面とB面に分かれていた。50分を2本、一気に観てしまった。

サブタイトルはA面「あの、夢の頂へ」、B面「はるかなる、170キロ」での2部構成になっていた。

Aの方は、日本最強のトレイルランナーである鏑木毅選手を中心にトップ選手の競走をドキュメントしていた。
これはこれで面白かった。

Geki

しかし、Bの方は一般参加の日本人市民ランナーにスポットを当てられ、身近なものとして食い入るように観てしまった。主役は三好礼子さん、私より8歳も年長の女性ランナーだ。

Geki2

うーん、この素晴らしいレースに出たい!

この大会の名称は、ウルトラトレイル・ド・モンブラン(The UTMB)だ。
あの有名なモンブランをぐるり一周するレースだ。

距離は170km、累積標高差9500mで時間制限45時間30分。
日本を代表する山岳レースである日本山岳耐久レース(通称ハセツネカップ)の距離も累積標高差もほぼ倍、富士山を5合目から山頂までの標高差約1300mなので、富士山5合目から山頂まで7往復以上だ。
参加者は2300人強、日本人選手は109人の参加している。ほぼ一般の市民ランナーだ。

今年、日本でも姉妹大会として富士山麓を一周するウルトラトレイルマウントフジ(The UTMF)が開催される運びでしたが、大震災で延期となりました。エントリーしていただけに残念でした。

絶対的な距離と累積標高差の超大さ、さらに完走を阻む時間制限と全てが厳しいレースなので、今まで以上に鍛えに鍛えなければ、時間内完走はおぼつかないが、スキルとして一つ足りないものに気が付いた。

それはストックを使うことだ。トレイルランニングでも登山でも私はストックを使用しない。雪山の時には借りたりするが、まったく旨く使いこなせない。
ちなみにストック無しの選手は、テレビで見たところ、優勝したキリアン選手ら一部の選手だけしかいないようだ。(タイツもテーピングもストックなしで完走し3回目の優勝となったキリアン選手の膝ってどうなっているんだろうか?)

もちろん日本の鏑木選手もこのレースではストックを使用している。いわんや一般参加の市民ランナーは使っていない人はいなかった。

膝や脚への負担軽減には必須なのだろう。累積標高差の小さい萩往還マラニック250kmでも、最後は膝が死んでしまっていたし・・・。

あー、スパルタスロンも出たいが、このUTMBも出たいなあ・・・。
しかし、もし出たら、アルプスの絶景に何枚写真撮ってしまうのだろうか(笑)

追記:
 鏑木選手が走っているときに何を考え、どんな気持ちであるかコメントしていた。
 苦しいレースだったようで、先の戦略について、思考することができず、どうすればリタイアできるかを考えながらも、リタイアしたくないと思って走っていたとのこと。呪文のように痛い、苦しい、ダメだと思いながら走っていたらしい。
 走る力のレベルは異なるものの、心の葛藤といった心情の部分は、一般の市民ランナーとまったく一緒なんだなあと思って、ちょっと嬉しくなった。

2011年10月10日 (月)

【テレビ】プロフェッショナル仕事の流儀(NHK)を久しぶりに観ました。

100回までは観ていたプロフェッショナル仕事の流儀でしたが、最近はすっかりご無沙汰でした。

今日は161回目でSMAPスペシャルということで、観ました。

上海公演を含むドキュメンタリーになっていました。

等身大の彼らを初めて見た気がします。
まわりの虚像に困惑しつつ、ひたむきに努力し、懸命に応えようとしている姿など・・・

特筆すべきは、96年にメンバーから脱退した森且行(もり かつゆき)さんのことに触れていたことです。
これまで6人だったころの写真や映像をとんと観ることがなかった(つまり見せていなかった)と思うのですが、さすがNHK!よく踏み込みましたね。

メンバーもそれに対してコメントを出していましたね。

あとは木村拓哉さんが千葉市出身であることを公言して千葉市のイメージアップに貢献してくれたなら、夢のようなことなのですが・・・

東北五山制覇なれど名城は2つでした。

初日は寝坊で出発が3時間以上遅れ、行楽渋滞とも重なり、2山1城でしたが、2日目はほぼ予定通りで、東北五山(正確には那須岳は関東ですが・・・)は全て無事登頂できました。

当初の予定表は以下のとおり
①八幡平(1613m)岩手県 東北自動車道・松尾八幡平IC 24km
 八幡平山頂レストハウス0:30山頂 往復1時間
(17km)
②岩手山(2038M)岩手県 東北自動車道・滝沢IC 10km
 柳沢(馬返し)0:40一合目0:40五合目0:40八合目避難小屋0:40山頂 往復4時間
(40km)
③早池峰山(1913m)岩手県 東北自動車道・紫波IC 40km
 河原の坊1:30山頂1:00小田越0:20河原の坊 往復4時間
(220km)
④蔵王山(1841m)宮城県 東北自動車道・白石IC 蔵王エコーライン 33km
 刈田岳駐車場0:30蔵王山 往復1時間
(148km)
⑤那須岳(1917m)栃木県 東北自動車道・那須IC 16km
 山麓駅先0:30峰の茶屋跡0:40朝日岳1:00三本槍岳 往復4時間
(245km)
自宅

百名城
 盛岡城(盛岡市内丸)滝沢ICから14km
 多賀城(多賀城市市川立石)仙台城から18km
 仙台城(仙台市青葉区川内)蔵王山、山形城から60km
 久保田城
 山形城(山形市霞城町)蔵王山から40km
 二本松城(福島県二本松市本町)白石ICから66km
 若松城
 白河小峰城(福島県白河市郭内)那須ICから23km

プラン
10/8
02:00 自宅出発
05:00 那須岳登山
09:00 下山
11:00 蔵王山登山
12:00 下山
13:00 山形城着
14:00 出発
15:00 仙台城着
16:00 多賀城着
17:00 出発
21:00 松尾八幡平IC着
    就寝

10/9
05:00 八幡平登山
06:00 下山
07:00 岩手山登山
09:30 山頂
11:00 下山
11:30 盛岡城着
12:30 出発
14:00 早池峰山登山
18:00 下山
24:00 自宅着

Imgp0277 Imgp0286 Imgp0296Imgp0310 Imgp0332 Imgp0337 Imgp0338 Imgp0425 Imgp0617 Imgp0646

日の出に夕焼けと天気に恵まれ見事な景色を堪能できました。

2011年10月 9日 (日)

機動戦士Zガンダムが見られます。

機動戦士ガンダム
7メートルの高さのΖガンダムの巨大モビルスーツです。

岡山県津山市にある道の駅久米の里に展示してあります。
個人製作でかつ、動くというのですからびっくりです。

詳しくはこちらを参照ください。

2011年10月 6日 (木)

甲斐駒ケ岳【日本百名山77】

Imgp8866 2967m 長野県・山梨県

甲信国境上にあり、信州側では西駒という。山稜は険しく西側の鋸尾根や尾白川、黄蓮谷に数々のバリエーションルートを持つ。(日本百名山地図帳より引用)

2011/09/19 甲斐駒ケ岳北沢峠からの往復日帰り

05:35 仙流荘駐車場着
06:02 臨時バス出発
06:49 北沢峠
06:55 テント場
07:17 仙水小屋
07:41 仙水峠
08:44 興津峰
09:05 直登分岐
10:21 山頂着
10:43 山頂発
11:15 直登分岐
11:39 興津峰
12:08 双児山
12:33 中間点
12:55 北沢峠
13:00 1時発バス出発
13:50 仙流荘バス停着

【ひと言】甲斐駒ケ岳って、白くて柔らかで美しい見かけながらも、実はゴツゴツした登り甲斐のある山でした。しかし、登山慣れして油断したため、いろいろ準備不足でうまくトラブル(岩場、水不足)を回避できず、そのため当初の計画も完遂できず無念な結果に。それはそれとして、とても楽しい山行でした。

ポイント
1山頂直下からの直登ルート選択で四苦八苦
2ハイドレーション破損
3直登登山者との慰め合い
4頭くらくら、高山病?地震病?高所恐怖症?
5時間不足に水不足で無念の撤退
6鹿の窓に興奮

Imgp8810↑道中、曇りで雨もときどき降っていましたが、 高速を降りて南アルプスの麓で雲に切れ間が出てきました。

Imgp8811↑駐車場に着くと雲がわずかとなりました。天気予報どおり快晴が期待できそうです。

Imgp8812↑長野県側の玄関口、戸台口の仙流荘の駐車場です。広いです。河原にもっと大きな駐車場が有ります。200台は停められるでしょう。無料でした。

Imgp8813↑仙流荘前のバス停です。始発の15分前、5時45分ですが、すでに登山者が待っています。

Imgp8815↑南アルプス林道バスの時刻表と運賃表です。北沢峠までは1,100円+持回り品運賃200円の計1,300円です。持回り品は18L以上のザック相当ということです。私は、アドベンチャーライト10、つまり10Lのザックなので、1,100円で乗りました。

Imgp8819↑定刻6時5分の数分前に2台目の臨時バスに乗ることが出来ました。補助席使用しないゆったりした乗車で出発できました。

Imgp8827↑戸台谷の向こう側に鋸岳(2,685m)が見えます。アルプスらしい岩場の稜線です。

Imgp8834↑目指す甲斐駒ケ岳が見えました。

Imgp8836↑バスに乗ること約50分、北沢峠に到着です。

Imgp8837↑仙水峠経由で甲斐駒ケ岳を目指すことにしたので、山梨県側に少し降り、仙水峠への分岐に進みます。

Imgp8838↑北沢駒仙小屋の幕営地です。

Imgp8840↑沢沿いの道を仙水峠目指します。

Imgp8843↑丸太の橋です。

Imgp8844↑仙水小屋脇を通過します。

Imgp8846↑振り返ると小仙丈岳が見えます。このときは午後にはアタックするつもりでした。

Imgp8848↑岩の河原を進みます。ゴロゴロした感じが特徴的です。

Imgp8852↑仙水峠に到着です。雲海の向こうに奥多摩の山並みが見えます。

Imgp8853↑仙水峠からみた摩利支天です。圧倒的な存在で迫っています。その左側に甲斐駒ケ岳が見えます。

Imgp8859↑尖がった山が見えます。特徴から鳳凰山の地蔵岳のオベリスクだと思います。

Imgp8861↑駒津峰への樹林の稜線を登ります。

Imgp8863↑仙丈ヶ岳の山頂も見えてきました。

Imgp8868_2↑中央アルプスの山並みです。先週空木岳に登りました。

Imgp8871↑鳳凰三山の向こうに富士山が顔を出しました。

Imgp8872_2↑駒津峰手前の分岐です。甲斐駒ケ岳がいよいよ迫ります。

Imgp8874↑振り返ると深い深い戸台谷が見えます。

Imgp8876↑甲斐駒ケ岳の圧倒的な迫力です。雪渓のように見えるほど白い砂礫が綺麗ですね。Imgp8877↑六方石の脇から甲斐駒ケ岳を望みます。

Imgp8878↑振り返って六方石を見ます。でかい石が稜線上に鎮座しています。

Imgp8879↑巻き道と直登に分岐がありましたが、迷った末、直登を選択しました。これが試練の岩登りとなりました。 素人のわが身には厳しすぎる岩場でした。

Imgp8880_2↑岩場で悪戦苦闘して行き詰まって見上げると月が出ていました。垂直に近い岩の様子が厳しさを表しているでしょ!

Imgp8884↑ここを登っていきます。なかなかでしょ!

Imgp8885↑岩場で岩の間を抜けた時にハイドレーションパック(給水用)が破れました。とりあえずバンドエイドで補修して進みます。

Imgp8886↑この岩場を登ってきたんです。厳しかったです。(岩登りに慣れた人には楽勝コースらしいですが・・・)

Imgp8887↑まさに一難去ってまた一難。丸印でルート表示はありますが、くらくらするような岩場の連続です。

Imgp8895↑横を見ると富士山が見ました。見える富士山が大きくなっていることは、だいぶ登ってきた証ですね。

Imgp8896↑実は一息ついているところです。富士山とは反対の方角、西方に見える中央アルプスです。逃げ場のない稜線をただ上に登るのみです。

Imgp8897_2↑岩場を抜けてトラバースして巻き道に合流のようです。(と思ったのが大間違い)

Imgp8899↑と思ったら、この岩場です。

Imgp8900↑横を向くとこんな感じ。高所恐怖症の私には過酷過ぎます・・・。

Imgp8901↑頂上まであと僅か、砂礫に浮石だらけですが、岩場の苦しさに較べれば・・・、がんばります!

Imgp8902↑甲斐駒ケ岳(2967m)の山頂到達です。 駒津峰から1時間38分。巻き道の通常コースタイムでも1時間30分なのに、なれない岩場で悪戦苦闘、疲労困憊、ハイドレーションシステム破損ながらも、無事の登頂に感謝です。

Imgp8904↑いつもの三角点と靴(モントレイル・マウンテンマゾヒストGTX)です。

Imgp8907↑祠です。

Imgp8903↑山頂標識その1です。

Imgp8910↑山頂標識その2です。

Imgp8923↑南西方向に向かい合う南アルプスの女王、仙丈岳(3033m)が私を招いていますが、今日は直登での時間浪費、疲労増大、給水破綻のため、日帰り2山制覇はあきらめます。
Imgp8909↑鳳凰山の後ろに富士山です。

Imgp8911Imgp8922↑南アルプスの山並みです。左側の高い峰が富士山に次ぐ日本第二位の北岳です。その右に間ノ岳、その隣は悪沢岳、赤石岳、塩見岳だと思います。

Imgp8915↑中央アルプスの南側の眺めです。中央やや右側の高いところが空木岳だと思います。

Imgp8916↑右にパンして、中央アルプス北側です。中央やや左の尖がったのが宝剣岳でその下に千畳敷カールが見えます。中央やや右の一番高いのが木曽駒ヶ岳でしょう!

Imgp8906↑北東方向に八ヶ岳連峰です。右側の一番高いところが赤岳、左側の丸い山が蓼科山ですね。

Imgp8921↑直下に魔利支天が見えます。

Imgp8919↑黒戸尾根です。日本屈指の標高差を誇る登山道ですね。甲府平野まで続きます。

Imgp8925↑山頂の絶景を堪能しましたが、仙丈岳を諦めつつ、1時のバスに乗るべく、下山に向かいます。急傾斜の巻き道を降ります。というか、鎖がない直登ルートは足の置き場が見えないので、ザイル(ロープ)を使う以外に降りようがありません。この巻き道も滑りやすそうで、かつなかなかの傾斜で下りるのは怖いですね。

Imgp8926↑団体さんが降りていますね。

Imgp8927↑山頂を振り返ります。

Imgp8929↑滑落しそうな傾斜をトラバースします。

Imgp8931↑まるで砂漠のような山肌です。すぐそこに北岳が見えます。

Imgp8937↑登りで苦しんだ直登ルートの稜線です。写真だと大した傾斜に見えませんね。

Imgp8943↑直登ルートと巻き道ルートの分岐まで降りてきました。なんだか懐かしいです。

Imgp8963↑降りは仙水峠でなく、正面に見える双児山経由で直降りで北沢峠を目指します。一度下って少し登るルートです。

Imgp8966↑こんな道を下りました。駒津峰に隠れてもう甲斐駒ケ岳は見えませんね。

Imgp8967↑双児山の向こうに小仙丈岳が見えます。

Imgp8971↑双児山手前で振り返ります。駒津峰の後ろに甲斐駒ケ岳が見えますね。

Imgp8972↑双児山山頂(2649m)に到着です。いよいよ劇下りの始まりです。

Imgp8973↑木陰が嬉しい樹林帯を下ります。1時のバスに乗るべく先を急ぎます。

Imgp8974↑中間点に到着です。1時のバスに間に合いそうです。

Imgp8976↑無事1時前に北沢峠に到着です。前泊の登山者で長蛇の人です。

Imgp8979↑長野と山梨の県境である北沢峠です。お尻を見せているバスは山梨側の広河原に行くバス、こちらを向いているのが、私が乗り込む長野県側のバスです。

Imgp8982↑バスの車窓から甲斐駒ケ岳を見ます。峻険な山ですね。

Imgp8983↑鋸岳です。山に穴が開いています。「鹿の窓」というところで、山梨県側に抜ける登山ルートになっているそうです。拡大します。

Imgp8983t↑真ん中の光っているところが「鹿の穴」です。ここをくぐる、考えただけでわくわくします。が、調べてみると相当の山岳上級者のみがいける場所のようです。確かにこの写真だけでも、鹿くらいしか通れそうにないですわな。

Imgp8985↑河原は林道から400m下だそうです。すごい谷ですね。

Imgp8986↑仙流荘に到着です。運転手さんは一昨日、「鹿の穴」をくぐってきたそうです。ただものでない運転手さんのようです。

無謀な甲斐駒ケ岳、仙丈岳の日帰り2山制覇の夢は途絶えましたが、情報不足や装備不足などありの油断大敵な登山でした。
次の登山は気を引き締めて登ります。

【参考データ】
 北沢峠から 往復8.5km
 最寄IC 中央自動車道・伊那IC
 駐車場 仙流荘に200台くらい(トイレあり)
 アクセス 仙流荘から北沢峠まではマイカー規制有り(バスのみ)
 山小屋 北沢峠に多数有り
 温泉  仙流荘

かずさんの日本百名山登頂記録一覧表はこちらです。

2011年10月 5日 (水)

熊本市が20番目の政令指定都市に!

 政府は10月4日、熊本市が求めていた2012年4月1日からの政令指定都市への移行を認め、今月18日に政令を閣議決定する方針を決めた。2010年4月の相模原市に続き全国20番目の政令市が誕生する。九州では1963年の北九州市、1972年の福岡市に次いで3番目。

 移行の人口要件は、熊本市までは70万人以上に緩和されているが、今後は従来の百万人以上に戻る。現在のところ、合併で百万人以上の都市をつくる動きはなく、政令市は全国20市体制が当面続く見通しだ。

 人口要件は21世紀に入った2001年、市町村合併を促すために緩和。2005年の静岡市から昨年の相模原市まで人口百万人未満の6市が政令市に移行した。熊本市は昨年3月に周辺2町を編入合併し、人口約73万人と要件を満たした。

政令指定都市一覧
都市   移行年
大阪市  1956
名古屋市
京都市
横浜市
神戸市
北九州市 1963
札幌市  1972
川崎市
福岡市
広島市  1980
仙台市  1989
千葉市  1992
さいたま市2003
静岡市  2005
堺市   2006
新潟市  2007
浜松市
岡山市  2009
相模原市 2010
熊本市  2012(予定)

2011年10月 3日 (月)

【映画】海洋天堂(Ocean Heaven)

Kai1
脚本に惚れ込んだジェット・リーが、ノーギャラで出演を熱望。一切のアクションを封印し、自閉症の息子を持つ父親役を繊細に演じ、俳優としての新たな魅力を開花させた感動ドラマ。脚本は『北京ヴァイオリン』で観客の涙を絞ったシュエ・シャオルー。撮影にクリストファー・ドイル、音楽に久石譲と一流スタッフが顔を揃える。

【スタッフ】
監督 シュエ・シャオルー 
製作 ビル・コン 
脚本 シュエ・シャオルー 
撮影 クリストファー・ドイル 
美術 イー・チュンマン 
音楽 久石譲 
編集 ウィリアム・チャン 、 ヤン・ホンユ 

【キャスト】
ワン・シンチョン ジェット・リー 
ワン・ターフー ウェン・ジャン 
リンリン グイ・ルンメイ 
水族館館長 ドン・ヨン 
水族館職員 ジュー・ユアンユアン 
水族館職員 カオ・ユアンユアン 
教師 チェン・ルイ 
タン校長 ヨン・メイ 

素直に感動できる映画である。
器用に生きられないこと、もどかしく感じるし、なんだか面倒であるが、その純真さは憧れてしまう。

エンディングで「平凡であるが偉大な全ての父と母に捧ぐ」とあった。
実に素敵なフレーズだ。

が、これがひっかかった。
お父さんはこの映画の主人公であり、偉大さを体感できたが、お母さんは話に出てこない(むしろ逃げたかのような印象な)ので、どうもしっくりこなかった。

今考えると、お父さんの偉大さは、お母さんの代わりをしているからで、もともとはお母さんが担うべき偉大さだったということか。

映画とはいえ、主人公が思いつめ(悲観的)すぎな気がしますね。
周りがちゃんと支えてくれているのに・・・
そのもどかしさがこの映画のみどころか(笑)
Kai2

2011年10月 2日 (日)

【書評】ひとり日和 青山七恵/著

Hitori 第136回芥川賞受賞作らしい。だから読んだわけではない。選んだ理由は、「蟻族」で21世紀の日本の若者の典型的な生き様が描かれている作品として上げられていたからだ。

主人公は20代前半のフリーターの女性。70歳超の母親の叔母と住んでいる。税金や社会保険を支えるべき世代ながら未だ社会に寄生し、その自覚すらない若者だ。しかも自分を大切に出来ない若者像なのだが、それでもそれなりに働いて、社会に順応して、人間として成長していくようなお話だ。

ゆるいゆるい生き様が許される日本、高い高い意識とプライドで擦り切れてしまう中国、それぞれに若者が生き辛い世の中になっているようだ。

ゆるいながらも、それなりには向上していこうとする日本で良いのかも知れない。

2011年10月 1日 (土)

【書評】マルガリータ 村木嵐/著

Maru
天正遣欧少年使節をご存知だろうか?歴史上の事象として、教科書にも載っていることであるが、ネットで調べてみるとびっくり、同名のアイドルユニットが最近誕生したらしい・・・。

本著は、歴史上の一大事件「天正遣欧少年使節」のその後を舞台とする歴史小説である。
天正遣欧少年使節は、1582年に伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの少年4名がヨーロッパに派遣され、日本人として初めてローマ法王に謁見し、8年後に帰国したことである。帰国後は、ザビエルも属したイエズス会の修道士(後に司祭)となって、日本でのキリスト教の布教に尽力した者達である。最後は、禁教となり、悲劇的な最後を迎えるわけであるが、そうした厳しい時代背景が彼らの生き様を打ち砕く、不条理な圧力となっている。

本著は、4人のうち、後にキリスト教を捨てた(棄教)千々石(ちぢわ)ミゲルを主人公に、棄教の本当の理由や彼の周囲の理解者と使節4人の友情を描ききった話である。

歴史上の結末を知らないことから、先の読めない展開とキリシタン弾圧という不条理な死が直面する世界感に苦しくこちらも押しつぶされそうになる小説でした。

主人公の千々石ミゲルが棄教というもっとも不名誉な生き様をさらしながらも、それを選んだことで使節の残り3人の生きる道を作っていったということが、歴史的事実の中で紛う事なき輝きを放つ真実のように思えてしまいます。

自分が生きることの意味を確信し、使命として持ちえた人間の強さ、それを読むだけで、とてつもなく強い衝撃的な出来事として経験したかのように心に刻み込まれるような小説でした。

棄教という表面上の思いではなく、内面での深い信仰と3人の仲間への思いが見えなかった「たま(千々石ミゲル棄教後の妻)」が夫の信心が見えなかったことを最後に嘆くのであるが、見ないからこそ彼を信じることが出来た、そうした関係性による信頼感の醸成もあるのだということ、それが一つの救いに感じましたね。

遠藤周作氏の「沈黙」といい、キリシタンの殉教という、日本独特の歴史的事象は、どうして起こるのか。
名著が生まれる源泉でもあるのですが、辛抱強く、思いの深い民族なんでしょうか・・・

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