【書評】北の海鳴り 小説・中島三郎助 大島昌宏/著
これは、中島三郎助の伝記小説である。
恥ずかしながら私は中島三郎助を知らなかった。
この人は幕末の人である。倒幕の志士ではない、幕府の役人である。しかも中級以下の役人である。
しかしながらこの人の事績は尋常ではない。
まず、ペリー艦隊つまり黒船来航時に最初に黒船に乗り込んだ日本人である。無役であったが、とっさに浦賀の副奉行と名乗って、乗り込んだ機転と度胸の座った役人である。
また、日本で初めての国産洋式帆船「鳳凰丸」を作った人である。
それを聞き及んだ長州藩士桂小五郎(後の木戸孝允)が弟子になっていたこともある。つまりは維新の三傑の一人である桂小五郎の師匠なのである。
また幕府が創設した長崎海軍伝習所に第一期生として入所し、同期の勝海舟から非常なる信頼を得ているのである。
その後は軍艦操練所の教授方を勤め、勝海舟が咸臨丸でアメリカに行っている間は、その代理として職を全うしている。
江戸無血開城後は薩長への恭順を潔しとしない旧幕臣として榎本武揚らと北海道函館に行って、蝦夷国の函館奉行並に入れ札で任じられたのである。
最後は、函館で二人の息子と戦死したのである。息子以外の部下は全員退去させて。
今、函館では中島三郎助が戦死した場所に中島町が作られ、彼の命日である5月15日前後には三郎助祭が催されるらしい。
以上の事績に加えて、三郎助の残された妻子に係る人々の厚情からも彼の人柄がしのばれる。
例えばあの有名な清水の次郎長が彼の妻子の庇護をしていたり、娘の一人は木戸孝允の養女になったりと、彼に関わりのあった人の厚意から、ものすごく人望の厚い人であったことが明らかであろう。
久しぶりにかっこいい男に会えた気がします。
語り継ぐに値する日本人だと思います。
いつか中島三郎助ゆかりの浦賀や函館を訪れて、彼の功績をしのんでみたい。
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