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2011年8月

2011年8月31日 (水)

東京スカイツリー、柴又帝釈天、矢切の渡し、キッコーマン醤油工場見学

広島から叔母が来てくれたので、千葉東京の名所めぐりの観光してきました。

まず、行ったのは醤油にこだわりがある叔母さんたっての希望で野田のキッコーマン醤油工場に行きました。

節電のため工場見学ができませんでしたが、工場内にある「まめカフェ」でせんべい焼き体験と「売店」で買い物しました。

Imgp8591↑まず「まめカフェ」 に行きます。

Imgp8592↑入り口で食券を購入します。ぶっかけうどんとしょうゆ豚汁は売り切れでした。

Imgp8580↑うなぎの寝床のようなつくりの奥にカウンターがあります。 

Imgp8585↑電熱器の上でせんべいを焼きます。

Imgp8586↑焦げ目をうまくつけるため、何度もひっくり返します。なかなか手間がかかります。火力にムラがあるのかゆがんでしまいます。

Imgp8587↑焼きあがったところで醤油を刷毛で塗ります。両面塗って、最後にもう一度火で軽くあぶります。醤油だけの味付けですが、なんだか美味かったです。210円で3枚焼けます。

Imgp8582↑豆乳しょうゆソフトクリーム250円です。絶妙なバランスの醤油味のソフトクリームで正直かなりいけます。

Imgp8590↑しょうゆの味くらべということで冷奴が無料で食せます。キッコーマンの3種類のしょうゆで試食できます。 

Imgp8594↑売店です。工場限定販売の「もろみ味」420円などを購入しました。

Imgp8595↑もう一つの工場売店限定「キッコーマンオリジナル携帯用ストラップ」315円もありました。

工場見学の最終時間は11時、まめカフェ、売店の営業が13時まででした。どうも節電によるものと思われます。10月からは午後の営業も再開することからも間違いないでしょう!残念でした。

次に親父の希望で「矢切の渡し」に向かいました。

Imgp8597↑柴又公園駐車場から「矢切の渡し」が見えました。渡し舟の運行を電話で確認すると雨が降ったので今日はもう営業しないとのこと。残念ですがとりあえず、渡し場に向かいます。

P8315892↑「矢切の渡し」と「柴又」の観光案内版です。

P8315893↑渡し舟は運行していないのに人だかりがあるので近づいて見ます。ビデオカメラがあります。撮影のようです。
近づいてみると、さまーずの三村さんと大竹さんでした。カメラで撮影しないでということで、写真はありません。

P8315896↑ところが、彼らだけ渡し舟に乗っています。まあ。別料金なんでしょうが、なんだかなあ・・・。

P8315898↑松戸側に向かっています。

2↑カジュアルすぎる服装なわりに静かな撮影のようで、真ん中の女性は誰かしら?

3↑遠すぎてよくわかりませんね。

P8315910↑矢切の渡しを柴又側から松戸側を望みます。

P8315912↑柴又方面に進みます。

P8315915↑とりあえず「柴又帝釈天」に向かいます。

P8315923↑柴又帝釈天です。思ったより広いです。人はほとんどいませんね。

P8315922↑寅さんおみくじの自動販売機がありましたが、動いていませんでした。残念。

P8315921↑「寅さんお守り」1000円でした。お守りの袋部分が寅さんの上着そっくりの生地で作られています。寅さんファンの親父に買ってあげました。

P8315927↑「山本亭」の庭を通り抜けます。

P8315928↑「寅さん記念館」の裏口です。

P8315929↑寅さん記念館の壁面にあったオブジェ?ひょっとしたらライトのシェードかも?です。絶妙なデフォルメの寅さんですね。

柴又から帰るがてら、東京スカイツリーにふらふらと向かって進んでいくと、無事近くに到着できました。工事中なので専用駐車場はないので、コインパーキングに車を停めて近づくことにします。

P8315932↑駐車場から東京スカイツリーを普通に写真を撮ると入りきりません。

P8315933↑突端を入れて撮影するとこんな感じです。近づきすぎて旨く写せませんね。

P8315934↑地面スレスレから見上げる格好で叔母と東京スカイツリーを写しました。空の明るさで顔は映りませんね。フラッシュを焚くことにします。

Imgp8601↑ギリギリまで近づくと工事が良く見える場所に出ました。東京スカイツリーの根元にはビルになっていました。手前の川は北十間川ということです。遊歩道も出来るようですね。

Imgp8602↑浅草方向を望みます。アサヒビールの金のオブジェが見えますね。

Imgp8600s↑近いので真上を見上げるような感じで全景が写せます。高さ634mあるのでしょうが、比較できるものが無く、それほどの高さがあるように感じません。

Imgp8599_2↑展望台をズームしました。良くしたが見えるつくりになっているようですね。ここに写っている部分だけで高さ300m分はあるはずですが、真下から見ているので、とてもそんなに高度差があるように見えませんね。

Imgp8580s↑曇り空なので発色が今ひとつですが、度迫力の東京スカイツリーです。しかも、なんだか後光が差しているような感じですね。(周りが暗いのはレンズ性能のせいだったりして・・・)

そんな叔母さんと両親による東京千葉の名所めぐりが終わりました。

2011年8月28日 (日)

防災訓練に参加しました。

第32回九都県市合同防災訓練千葉市会場の防災訓練に参加しました。

Imgp8549Imgp8557  今回は千葉市緑区の有吉中学校で行われました。

災害時給食訓練を担当しました。Imgp8553

自衛隊と赤十字の協力での訓練です。
飯ごう炊飯でもするかと思っておりましたが、時代は進歩しております。

ハイゼックス包装食というものを700食作りました。

作り方は簡単です。
1 ハイゼックスの袋にお米1カップと水1カップを入れます。
2 袋の余った部分を手でしぼり袋内の空気を抜いて折り曲げて輪ゴムをくくります。
3 煮立てた鍋に袋を入れて20から30分間袋ごと煮ます。Imgp8556
4 その後、袋を取り出し10分間程度蒸らします。

味付けのために梅干が2個入っています。Imgp8574
見た目は平常時に食べるには興がそがれる格好ですが非常時には大変便利な食事の方法です。

ハイゼックスという耐熱ポリプロピレン樹脂から作った炊飯袋で災害時にきれいな水の少ない中、衛生的に非常食を作れ、食すことができるという優れものです。

煮る水は多少汚れてていても問題なく、食べる際も手が汚れても袋から押し出す要領で食べれることが出来ます。

さて、訓練は化学消防隊やヘリコプターによる救助訓練などいろいろな災害パターンを網羅した内容でした。Imgp8564Imgp8565Imgp8569Imgp8563t   

かなり暑くなりましたが、市長さんをはじめ、関係者や地域、ボランティアのみなさんの熱心な訓練ぶりに頭が下がります。

Imgp8572t
↑最後の熊谷市長さんの訓話シーンです。

これもやはり東日本大震災があったからでしょうか?
いずれにせよ地域の人たちと協力することが災害時には必要ですし、訓練を含め普段からの意識と備えが必要ですね。

2011北海道マラソンで猫ひろし激走中です。がんばれ!そして完走しました。

午前中の仕事を終えて、帰宅してみると、家のテレビにマラソンが放映されていた。

はて、世界陸上の男子マラソンかと思ったが、北海道マラソンでした。

マラソンにさほど興味の無い家族がなぜ見ているかと思えば、猫ひろしが出走しているので見ているらしい。

中継しているフジテレビの地デジのデータ放送を見ると猫ひろしでいっぱいでした。

P8285891↑ゼッケンが猫ひろしって特製ゼッケンですね。

日本国籍を捨てカンボジアに帰化申請し、認められればカンボジア代表としてロンドン五輪出場を目指すとのこと、なんだか少し変な気もしますが、カンボジアでも望まれているようですし、がんばって欲しいですね!

猫ひろし!がんばれ!にゃー!

追記:2時間47分で無事完走しました。自己記録より10分遅れ。暑かった様で上位も軒並み記録ダウンしてましたし、まあ、仕方ないですね。

2011年8月24日 (水)

【書評】坊っちゃん 夏目漱石/著

Boccyan
いまさら夏目漱石の「坊っちゃん」の書評とは恥ずかしいばかりであるが、諸々の事情から試みるものである。(子どもの読書感想文がらみ)

実は私は、小説「坊っちゃん」の舞台である四国は松山の出身であるのだが、東京出身の坊っちゃんからこの松山は散々な街と評されている。

有名な松山到着時の文章であるが、『乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。』と随分と小さな街の小さな汽車とかなり小馬鹿にしたような描写である。

その後も『それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)より立派でない。大通りも見た。神楽坂(かぐらざか)を半分に狭くしたぐらいな道幅(みちはば)で町並(まちなみ)はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張(いば)ってる人間は可哀想(かわいそう)なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵(たいてい)は見尽(みつく)したのだろう。』とこれまた東京と比較してのひどく厳しい評価である。東京の大きさと比較されては、どこも勝負にならないのですがね。

それでも一つだけ褒めているところがあって、正直嬉しくなる。『おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及(およ)ばないが温泉だけは立派なものだ。』住田の温泉とは有名な道後温泉のことであろう。若さと東京出身者の傲慢さを持ちながらも、坊ちっゃんが、根は正直であることを醸し出す著者ならではの見事な描写である。

わが故郷松山が舞台ということで、小説よりもその描写がどうしても気になるところであるが、最も気の毒だったのが、宮崎の延岡のことである。『延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの云うところによると船から上がって、一日(いちんち)馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日(いちんち)車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿(さる)と人とが半々に住んでるような気がする。』松山以上に、厳しい田舎として描写されている。

恐らくは夏目漱石が主たる読者である都会人に対するサービス精神でやや誇張気味に描写していることと何より主人公坊っちゃんがまだ若く、地方を知らない都会人、ようはただの世間知らずであるという部分を分かりやすく表現するためであろう。

そんな無鉄砲で世間知らずな坊っちゃんにハラハラしつつ、最後の決闘のある種の秩序だった展開が印象的だ。
この決闘場面において、卑怯で小賢しい赤シャツには正義感の強い山嵐が、下っ端の野だにはまだ若造の坊っちゃんがそれぞれ正面から対峙し、やっつけている。
これにより、この決闘はもちろん、物語全体が未熟ながらも正しき方向に進んでいる印象を与えてくれて、読んでいるこちらも妙に安心できるものとなっている。

それにしても、100年以上前の作品とは思えない文体の軽妙さと新鮮さを今なお感じられ、魅力的な主人公に感情移入しやすい見事な作品だ。不朽の名作と呼ばれるに相応しい作品と改めて感じられた。

最後にこの小説で坊っちゃんが下女の清にあてた手紙の文章が実に印象的なものだと今回改めて気がついた。
『「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」』

なんだか、現代の携帯メールの文章のように思えてきた。実のところ、いつの世も若者が発する言葉とはこんなものかもしれない。(笑)

2011年8月21日 (日)

24時間テレビマラソン歴代ランナー

日テレの24時間TVマラソンの歴代ランナーは以下のとおりです。

1992年 間寛平(1回目)200キロ※猛暑で150キロ地点リタイヤ 
1993年 間寛平(2回目)200キロ
1994年 ダチョウ倶楽部(肥後克広 寺門ジモン 上島竜平) 100キロ
1995年 間寛平(3回目)600キロ 神戸~東京を7日間で完走
1996年 赤井英和 100キロ 日本列島を600人がリレー
1997年 山口達也 100キロ
1998年 森田剛  100キロ
1999年 にしきのあきら  110キロ
2000年 トミーズ雅 150キロ
2001年 研ナオコ 85キロ
2002年 西村知美 100キロ
2003年 山田花子 110キロ
2004年 杉田かおる 100キロ
2005年 丸山和也 100キロ
2006年 アンガールズ (田中卓志 山根良顕) 100キロ
2007年 萩本欽一 70キロ
2008年 エド・はるみ 113キロ
2009年 イモトアヤコ 126.585キロ
2010年 はるな愛 85キロ
2011年 徳光和夫 63キロ
2012年 佐々木健介・北斗晶一家 120キロ
      リレーの内訳(4人(500m)→健介(61.6km)→健之介(6km)→誠之介(4km)→北斗(47.9km)
2013年 大島美幸(森三中) 88キロ
2104年 城島茂(TOKIO) 101キロ
2015年 DAIGO 100キロ
2016年 林家たい平 100.5キロ

今年ランナーである徳光和夫さんは先ほど無事ゴールしました。
完走したところですが、何キロ走ったのだろうか?
気になって調べてみると63キロでした。70歳にしては良くがんばりましたね。

それにしても間寛平さんの200キロは群を抜いていますね。
私も24時間で200キロは自信がありません。

まあ、この企画は、鍛えているランナーでなく、ほとんど走ったことのない人が人生初の限界の挑む姿に感動してもらうものですからね。

2011年8月20日 (土)

第23回萩往還マラニック大会記憶集が送られてきました。

今年5月の250km完走以降、燃え尽き気味に加え、猛暑でランニングを様子見しているこの頃です。今日も走っていませんが、かなり涼しくなったので、暑いからという言い訳できませんね。(笑)

さて先日、山口100萩往還マラニック大会の封筒が郵送されてきました。
しばし、未開封で放置していたのですが、本日開封してみると、胸が熱くなるものが入っていました。

記録や参加者の完踏記で構成された記憶集と私の劇走の写真が同封されていました。記録集はよく送られてきますが記憶集は初めてです。主催者の熱い思いが込められていますね。
P8205867

リアルな写真付きなので、苦しくてもがんばった萩往還のことが思い出され、ちょっとこみ上げるものがありました。(写真は主催者の特別サービスだと思います。ありがたいとともに、思ったより良い顔して走っている姿で意外でした。(笑))

日本で珍しい距離250kmの大会というだけで、凄いのに、ここまで参加者の思いに応えようとしてくれる姿勢に感動です。

限られた時間とお金のことを考えて、来年は不参加と思っていましたが、その決意も揺らぎました。

どうしようかなあ・・・

2011年8月18日 (木)

ペルー旅行記32(世界遺産リマ旧市街観光編2&帰国編)

実質的なペルー旅行での観光は終わりましたが、バスの車窓や自由時間でアルマス広場周辺の世界遺産たる数々のコロニアル建築の写真を撮りましたので最後にご紹介します。

Imgp7557 ↑アルマス広場を巡る馬車です。ガイドブックによると5ソル(約160円)

Pc093193

Pc093194↑デサンパラードス駅です。コロニアル様式の建物です。駅としては機能してないとか・・・

Pc093195↑線路があるにはありますが・・・

Pc093196↑遠くの山に巨大な十字架が見えます。

Pc093199↑内装は極めて豪華です。何のためなのでしょうか?駅舎としては不釣合いな気がします。

Pc093198↑駅ですが図書館にもなっているようです。

Pc093200↑天窓です。綺麗だと思って撮ったのですが、ピンボケなのが残念です。

Pc093201↑駅から外に出ます。やっぱり駅舎とは思えない雰囲気ですね。偉い人専用の駅舎でしょうか?

Pc093202↑ゴムで飛ぶ蝶々のおもちゃを売っていたおじさんです。1ドルなので買ってしまいました。

Pc093203↑駅方向を振り返ります。

Pc093204↑木造テラスのある建物です。カテドラルの隣ですね。

Pc093206↑カテドラルです。19世紀初めに建て替えられたものだそうです。

Pc093211

Pc093207↑リマ市庁舎です。これは1944年に建てられたとのことです。外観はネオバロック様式、内装はルネッサンス様式だそうで、世界遺産になる前からそんな建物建てるとは、大したものです。

Pc093208↑大統領府です。インカ帝国を滅ぼしたピサロの邸宅跡地に1600年に建ったもので、現在の形は1938年改築によるものだそうです。

Pc093215↑アルマス広場の噴水です。金色の柵がしてあって中に入ってはいけないようですね。

Imgp7559↑ウニオン通りです。ピンボケすいません。旧市街のメインストリートで、いかにもなペルーのおのぼりさん目当ての衣料や雑貨のお店が多かったです。外国人旅行者である日本人の私が欲しくなるようなものはまったくなしでしたね。

Imgp7558↑それでもこの雑貨屋さんでペルー風のバッグを物色しました。英語が通じず、電卓で値段交渉しましたよ。商売とはいえ、上のほうにかかっているバッグなど、いくつも見せてくれました。完全にペルー国内のおのぼりさん御用達だと思います。楽しい買い物でした。

Pc093217 ↑アルマス広場の夜景です。馬車に代わっての遊覧列車風の自動車がありますね。

Pc093218↑市庁舎のライトアップも幻想的です。

Pc093240↑この高級ホテルでペルー最後の晩餐です。ホテルの名前は忘れてしまいました。

Pc093239↑とてつもなく長い廊下を通ります。

Pc093225↑天井の高い豪華な部屋を貸し切っての食事です。ガイドさんは高級だとかなり力説していました。すでに死にそうな下痢になっていた私にはどうでも良い状態でした。(笑)

Imgp7563↑食事が終わってバスで空港に向かいます。深夜0時ころ発の便に乗ります。

Imgp7564↑リマの国際空港でチェックインします。ペルーともお別れです。

Pc103251↑アメリカ大陸の夜明けです。もうすぐロスアンゼルスに到着です。

Imgp7573↑ロサンゼルス国際空港に到着です。

Imgp7578↑時間があるので空港外に出ます。

Imgp7579↑早朝のアメリカの空です。

Imgp7581↑寿司屋さんがあります。さすが日本に近いロスアンゼルスです。

Imgp7582↑ガイドさんお奨めのラーメンがある和食のお店です。

Imgp7583↑最後の歓談中です。このツアーで初めて知り合った方々ですが、今となってはとても寂しいものです。

Imgp7584↑ペルーのプーノのホテルから持ってきたコカ茶などのティーバッグです。コカは茶といえどもアメリカへの持ち込みは厳禁とのことで、廃棄する前に記念撮影します。

Imgp7589↑アメリカ大陸を離れます。長い旅路の最終飛行です。

これで、ペルー旅行記は終わります。
長い長い旅行記にお付き合いいただきありがとうございました。

次の旅行でまた遇いましょう!

次>:ペルー旅行記01(食事編)
前<:ペルー旅行記31(世界遺産リマ旧市街観光編1)

2011年8月17日 (水)

がんばってくれた物たちへ

あまり物や道具を大事にする性質ではないのですが、機能重視で使えるかには拘るとともに、そうした縁あってめぐり合って、苦楽をともにした物には、愛着が湧くものです。

P8065773 まず、市原高滝湖マラソンの参加賞だったTシャツです。
薄いグレーでお気に入りで、4年ほど着込んだ結果、背中が破れました。
マラソンの参加賞で初めてのリタイアです。
いつまでも切れるかのように丈夫だと思っていたのですが・・・

P8165853 もう一つは、17年前にニュージーランドで購入した登山用の大型ザックです。85Lです。P8165855
当時、日本では扱っていなかったmacpacというブランドです。
シンボルの山はニュージーランド最高峰のマウント・クックですね。
ペルー旅行で久しぶりに復活しようとしたのですが、ショルダー部分が朽ちて、アルミフレームと分離し、ザックを支えることが出来なくなっていました。
P8165858
大きすぎて日本の山ではあまり使いませんでしたが、新婚旅行を含めニュージランドに3回、カナダ1回は同行したはずです。
彼のニュージーランドでの勇姿です。
Nz98_55

それから革のハーフコートもボロボロなので処分することにしました。

なんだか寂しいですね。
朽ちゆきしものたち、ありがとう!

ペルー旅行記31(世界遺産リマ旧市街観光編1)

南半球で2回目のパラグライディングを体験して、いよいよ世界遺産リマ旧市街に向かいます。が、その前に日本人しか立ち寄らない隠れ観光スポットにちょっと寄り道します。

Pc093092 ↑観葉植物を人力で運んでいますね。なんだか和みます。

Pc093100↑着ぐるみ軍団です。仮装行列?お祭り?でしょうか?チーバくんが懐かしいですね(笑)

Pc093096↑在ペルー日本大使館をバスの車窓から望みます。

Pc093115 ↑在ペルー日本大使公邸跡です。つまり1996年(平成8年)12月17日(現地時間)に、ペルーの首都・リマで起きたテロリストによる駐ペルー日本大使公邸襲撃および占拠事件の現場です。翌1997年(平成9年)4月22日にペルー警察の突入によって事件が解決するまで、4ヶ月間以上かかった。在ペルー日本大使公邸人質事件とも呼称される。
大使館で起きた事件ではなかったのですね。大使公邸だったのですね。

Pc093110↑日系ガイドのセルジオ島袋さんの説明では、日本のマスコミが大挙押し押せ、日本語ガイドは大忙しだったそうです。まさにバブル状態。

Pc093111↑正門には当時の銃弾貫通した穴が残っています。

Pc093114↑銃弾貫通穴から日本大使公邸跡の中を覗きます。建物は取り壊されていますが、庭木はまだ少し残っているようですね。

Pc093107↑公邸跡のはす向かいに紫の花咲く樹がありました。歴史の傍観者だったのでしょうか?

Pc093118↑公邸跡の通りの名はトーマス・エジソン通りです。

Pc093124↑聖母マリア広場?

Pc093125↑有名な建物だと思いますが名称は忘れました。

Pc093129 ↑旧市街アルマス広場への道は見事な大渋滞です。

Pc093135↑サンマルティン広場です。正面の建物で豪華な夕食だそうです。

Pc093136↑サンマルティン広場その2です。

Pc093139↑ペルー建国の父、初代大統領のサン・マルティン像です。

Pc093147↑リマのアルマス広場に到着です。

Pc093149↑サンフランシスコ教会です。内部観光に向かいます。

Pc093164↑聖人サンフランシスコさんでしょうか?

Pc093167↑カタコンベ(地下墳墓)です。このようなものがいくつもいくつもありました。数万体あるとのことです。

Pc093172↑地下から聖堂内部の天井を望みます。なんだか気分は地下牢な感じです。

Pc093176↑バロック様式の見事な教会ですね。

Pc093178 ↑尖塔の上に鳥です。ガイドさんによればコンドルに近い種類の鳥だそうです。さすが南米ペルーです。

Pc093183↑サンフランシスコ教会の図書室は南米最古の図書館だそうです。内部撮影は禁止なので外側から。映画に出てくるような格調高い図書館でした。Pc093185↑聖堂内部です。

Pc093190↑精緻な装飾です。

Pc093189↑教会か宗派の紋章でしょうか?

Pc093210↑ペルーのリマ、サンフランシスコ教会にある「最後の晩餐」絵です。現在未公開とのことで、絵葉書でご勘弁を(公開されていても写真は無理でしょうが・・・)。ペルーらしいのはテーブル中央のメインのご馳走がクイ(南米ねずみ)の姿焼きなところです。

次>:ペルー旅行記32(世界遺産リマ旧市街観光編2&帰国編)
前<:ペルー旅行記30(世界遺産リマの新市街でのパラグライダー空中散歩編)

2011年8月16日 (火)

ペルー旅行記30(世界遺産リマの新市街でのパラグライダー空中散歩編)

いよいよペルー旅行最後の観光に向かいます。
世界遺産のリマ旧市街の中心部に入る前に天野博物館、海上レストランでの昼食、さらにはパラグライダーでの空中散歩とまずは寄り道編です。

Imgp7506↑まず天野博物館を見学しました。ペルーの実業家天野芳太郎氏個人の収蔵物による博物館です。館内の撮影が全面禁止により博物館の外観しかありません。小さな博物館ですが、ペルーの考古学においての役割は相当大きな意味のある博物館と思いました。特に、チャンカイ文明に係る資料は豊富で染織物は素晴らしいコレクションでした。

04_2 ↑館内の様子です。(天野博物館公式サイトからの転載です。公式サイトはこちら

Pc093029  ↑海に突き出している桟橋上にある高級シーフードレストランで昼食です。早朝に必死でたどり着いた海岸が直ぐそこです。なんだかなあ・・・

Pc093030 ↑レストランはこんな感じです。La Rosa Nautica(ラ・ロサ・ナウティカ)という名のレストランです。著名人も良く訪れるらしく、太平洋に突き出た桟橋上、すなわち海の上のロケーションと相まって、地元でも有名なレストランのようです。ギネスにも載っているとか。

Pc093041 ↑レストランから外を眺めているとなにやら飛んでいます。

Pc093043 ↑パラグライダーです。直ぐそこの崖の上から飛んでいるようです。早速、ガイドさんに相談します。

Pc093049 ↑崖の上のマリア・ライヘ公園に到着です。ナスカの地上絵が花で再現されています。これは「手」ですね。

Pc093050↑ナスカでは本物の写真が撮れなかった「猿」がありました。

Pc093058 ↑マリア・ライヒ公園を進むと恋人のたちの公園になります。ガウディっぽい造形ですね。

Pc093060 ↑恋人たちの公園のシンボル、芸術家ビクトル・デルフォン氏制作の抱き合う恋人のモニュメントです。ここではこのポーズをとるのがしきたりだとガイドさんがツアーの人に促していましたが、やっている老カップルはいませんでしたね。(笑)

さて、ここで30分程度の自由時間となりました。ガイドさんとパラグライダー飛行への交渉に行きます。
55ドルでした。早速、準備します。

Pc093065 ↑飛行前にレクチャー受けます。「風を待って、合図があったらジャンプしろ」みたいな指示だったはずです。

Pc093068 ↑風を待ちます。

Pc093070 ↑風をはらみました。いよいよです。

Pc093072_2  ↑テイクオフです。

Pc093074 ↑崖から海側に出ます。偏西風が崖にぶつかって上昇する気流に乗って高度を上げます。以上、ガイドさんにデジカメ1号を渡して撮ってもらったものです。

ここから携帯したデジカメ2号による上空からの空撮をご覧ください。

Imgp7511 ↑空中散歩の始まりです。実は15年前にニュージーランドで一度経験しているので、二度目で、多少怖さに慣れています。

Imgp7512 ↑恋人たちの公園のモニュメントが眼下です。この高度感、なかなかでしょ!

Imgp7522 ↑タンデム(2人乗り)パラグライダーのパイロットと私です。飛行時間は10分間。メチャクチャ割のいいバイトだと思います。

Imgp7524 ↑海上レストランです。さっき食べたところとは違うと思います。

Imgp7527↑ラルコ・マル・ショッピングセンター近くを飛行します。そういえば、このあたりには電線が無いですね。前方にパラグライダーがいますね。

Imgp7532 ↑下にもパラグライダーが飛んでいます。海に近いのが墜落を想定したとき、少し安心します。陸地に激突より海なら助かるかもって(笑)

Imgp7536 ↑海岸線を南下しておりましたが、このあたりでUターンして引き返すようです。それにしてもビルの直ぐ近くを飛ぶのには、びっくりです。絶対に日本では、許されないことでしょうね。

Imgp7538 ↑Uターンで旋回中です。今度はラルコ・マル・ショッピングセンターが右手に見えます。

ここから数分間、動画撮影しました。

動画その1はショッピングセンター近くです。

動画その2はビルスレスに飛んでいます。

離陸地点に戻るべく北上します。離陸地点を過ぎて、またUターンして、いよいよ着陸ランディング体制に入ります。

Imgp7546 ↑右手に見える着陸地点に向けて進みます。

Imgp7550 ↑高度をだいぶ落としています。着陸地点とほぼ同じ高度で進みます。上昇気流があるから大丈夫なんでしょうが、素人としては少し心配です。

Imgp7552 ↑前方の着陸地点まであと150mくらいです。

Imgp7554 ↑もうすぐそこになりました。生きて帰れるまであとわずかです。

Imgp7555 ↑あと高度3mくらい。カメラで写真撮っていていいのだろうかと思いつつ、シャッター切っています。(笑)

Pc093087 ↑ガイドさんのデジカメ1号で着陸直後のショットです。一風吹いたら、また舞い上がりそうですね。

Pc093089 ↑無事、パラ部分を切り離せました。

Pc093090 ↑パイロットと飛行の成功を祝して、2ショットを撮ってもらいました。無事帰還できて嬉しかったです。

まさかペルーでこんな楽しいアクティビティに出会えるとは思いませんでした。
ガイドさんは当然命の保証はしない。自己責任だということで、ツアーの方も私のほかにももう一人だけの飛行体験でした。
一緒のツアーの人たちは、自分達の代表として私が参加するだろうとの期待にも応えられました。

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2011年8月15日 (月)

ペンギン1年生とペンギン6年生に部屋の模様替えもしました。

お盆に帰省の予定が三男坊の体調不良で、特段することのないお盆になりました。

なので熱戦続く夏の甲子園高校野球観戦三昧ですが、途中に子どもらとプールに行ったり、ソファ2つ買ったりしました。

とりあえずそのうちのソファが1つ来たので、リビングの模様替えしました。

Imgp8531
長い間がんばった先輩ソファにもうひと踏ん張りしてもらいます。部屋が狭くなりますが・・・

ついでにペンギン1年生と6年生を買ってしまいました。
可愛さに釣られて買ってしまいましたが、どうしましょ・・・
P8155850
小さいのがペンギン1年生、大きいのがペンギン6年生です。

とりあえず、こちらに住んでもらうことにしました。↓
P8155852

【書評】葬式は、要らない&【書評】戒名は、自分で決める 島田裕巳/著

SoushikiKainyou 
徳川幕府が宗教統制と民衆統治を行うために創設されたのが寺檀制度であることは知っていた。寺と檀家という関係を義務化することで両者を上手にコントロールしようとしたもので、それが見事に日本固有の制度として機能し、根付いていったと認識している。

現在もなお、職住一体の生活が営まれている田舎と呼ばれる地縁関係がまだまだ強い、地方の農漁村地域においては、寺檀関係はそれなりに機能しているようであるが、都会においては、寺との関係は失われてしまっている。

つまり近代化の中で、寺と家との関係性が別のものに成り代わられ、次々と失われていったためであるが、例外的に先祖崇拝と葬式については、今日まで寺が請け負っているからである。

よって、親父の代からサラリーマン家庭となった我が家は墓を持たず、寺との縁が切れて、我が家の宗派が何なのかも、知りません。

そんな都会人から見ると寺との関係が生じるのが葬式の時だけとなるのも無理からぬことで、従来からのしきたりを維持したい寺側と思惑違いが生じてしまいがちとなるのだろう。

前置きが長くなったが、寺の僧侶による葬式と戒名について、寺側からでなく、宗教学者である著者がその成り立ちから問題点まで学者らしい見識で判りやすく綴ってあるのが本書2冊である。

歴史的経緯などは私の認識に誤りの無いことをほぼ確認できたが、では実際に葬式となった時に、寺から僧侶を呼ばない葬式ができるのか?戒名なしという選択が出来るのか?となると実に難しい話だ。

生前から家族と死んだ時のことを良く話し合っておくこと、それが重要と言うことなのであろう。

2011年8月14日 (日)

【書評】北の海鳴り 小説・中島三郎助 大島昌宏/著

Uminari
 これは、中島三郎助の伝記小説である。
 恥ずかしながら私は中島三郎助を知らなかった。

 この人は幕末の人である。倒幕の志士ではない、幕府の役人である。しかも中級以下の役人である。

 しかしながらこの人の事績は尋常ではない。

 まず、ペリー艦隊つまり黒船来航時に最初に黒船に乗り込んだ日本人である。無役であったが、とっさに浦賀の副奉行と名乗って、乗り込んだ機転と度胸の座った役人である。
 また、日本で初めての国産洋式帆船「鳳凰丸」を作った人である。
それを聞き及んだ長州藩士桂小五郎(後の木戸孝允)が弟子になっていたこともある。つまりは維新の三傑の一人である桂小五郎の師匠なのである。
 また幕府が創設した長崎海軍伝習所に第一期生として入所し、同期の勝海舟から非常なる信頼を得ているのである。
 その後は軍艦操練所の教授方を勤め、勝海舟が咸臨丸でアメリカに行っている間は、その代理として職を全うしている。
 江戸無血開城後は薩長への恭順を潔しとしない旧幕臣として榎本武揚らと北海道函館に行って、蝦夷国の函館奉行並に入れ札で任じられたのである。
 最後は、函館で二人の息子と戦死したのである。息子以外の部下は全員退去させて。

 今、函館では中島三郎助が戦死した場所に中島町が作られ、彼の命日である5月15日前後には三郎助祭が催されるらしい。

 以上の事績に加えて、三郎助の残された妻子に係る人々の厚情からも彼の人柄がしのばれる。
 例えばあの有名な清水の次郎長が彼の妻子の庇護をしていたり、娘の一人は木戸孝允の養女になったりと、彼に関わりのあった人の厚意から、ものすごく人望の厚い人であったことが明らかであろう。

 久しぶりにかっこいい男に会えた気がします。
 語り継ぐに値する日本人だと思います。
 いつか中島三郎助ゆかりの浦賀や函館を訪れて、彼の功績をしのんでみたい。

2011年8月13日 (土)

夏の甲子園の都道府県別勝率順位

夏の甲子園で熱戦が繰り広げられていますね。千葉県在住なので千葉県習志野高校の快進撃は嬉しい限りです。(本当なら応援に行くつもりでしたが三男棒の体調が悪く断念しました。)

そうは言いつつ高校野球は高校卒業まで住んでいた愛媛県勢が気になります。高校時代に県別の勝率を見たとき愛媛県が首位の一位でとても嬉しかった記憶があります。

それで調べてみると以下のとおりでした。

順位 出場回数    勝ち  引き分け 優勝 4強
 都道府県  試合数    負け  勝率  準優勝 8強
  1 愛媛   67 175 114  60 1 .655  6 5 11  8
  2 大阪   93 230 148  82 0 .643 10 5  6 18
  3 神奈川 72 178 113  65 0 .635  6 3  5 10
  4 和歌山 78 188 117  70 1 .626  7 5 10  9
  5 広島   76 177 109  67 1 .619  7 4  2 16
  6 高知   55 135   82  53 0 .607  2 2  4 10
  7 兵庫   94 215 130  85 0 .605  7 3 10 14
  8 愛知   90 206 124  82 0 .602  8 1 11 13
  9 奈良   52 122   73  49 0 .598  2 0  4  9
10 沖縄   44 104   61  43 0 .587  1 2  4  5
11 京都   88 199 115  83 1 .581  4 9  4 17
12 千葉   70 155   89  66 0 .574  3 3  5  9
13 東京 130 277 154 122 1 .558  6 3  7 28
14 徳島   50 108   59  48 1 .551  1 3  2  5
15 岐阜   59 128   69  58 1 .543  1 4  5  8
16 福岡   81 164   87  77 0 .530  4 2  7  6
17 山口   64 133   70  63 0 .526  1 6  2  8
18 静岡   77 161   84  76 1 .525  1 6  2 10
19 香川   62 124   65  59 0 .524  2 1  7 12
20 岡山   56 113   58  55 0 .513  0 1  5  5
21 熊本   54 111   56  54 1 .509  0 3  4  5
22 鹿児島 60 120   60  60 0 .500  0 1  5 10
23 埼玉   55 109   54  55 0 .495  0 2  5  4
24 宮城   59 116   57  59 0 .491  0 2  2  7
25 大分   64 117   56  61 0 .479  1 0  1 12
26 群馬   64 119   56  63 0 .471  1 0  6  4
27 宮崎   53   98   45  53 0 .459  0 0  2  4
28 茨城   59 102   46  56 0 .451  2 1  1  2
29 栃木   55   96   43  53 0 .448  1 1  2  4
30 佐賀   53   88   37  50 1 .425  2 0  1  1
31 滋賀   42   70   29  41 0 .414  0 1  2  2
32 山梨   47   80   33  47 0 .412  0 0  2  2
33 福井   67 112   45  67 0 .402  0 0  3  6
34 長野   89 143   56  87 0 .392  1 3  5  8
35 青森   52   84   32  51 1 .386  0 1  1  4
36 石川   53   84   32  52 0 .381  0 1  2  2
37 長崎   56   92   35  57 0 .380  0 0  3  4
38 台湾   18   29   11  18 0 .379  0 1  1  3
39 満州   20   32   12  20 0 .375  0 1  3  1
40 秋田   66 102   37  65 0 .363  0 1  4  3
41 鳥取   66 102   36  66 0 .353  0 0  5  6
42 福島   50   76   26  50 0 .342  0 1  0  3
43 島根   55   82   28  54 0 .341  0 0  3  6
44 三重   50   74   24  49 1 .329  1 0  0  4
45 北海道140 206 67 137 2 .328  2 1  1 14
46 新潟   53   73  22  51 0 .301  0 1  0  4
47 富山   52   73  21  51 1 .292  0 0  0  5
48 岩手   70   98  28  69 1 .289  0 0  3  5
49 朝鮮   20   28    8  20 0 .286  0 0  0  4
50 山形   51   68  17  51 0 .250  0 0  0  1
順位 出場回数    勝ち  引き分け 優勝 4強
都道府県  試合数    負け  勝率  準優勝 8強

まだ愛媛県が1位ですね。
優勝6回、準優勝5回、勝率0.655と人口150万人の小さな県ですが、立派な野球大国です。
野球王国四国で鍛えられただけのことはあります。
四国では高知県6位、徳島県14位、香川県19位。すべて勝率5割を超えています。

わが千葉県ですが、優勝3回、勝率0.574の12位です。

今回の夏の甲子園は、習志野高校を応援しましょう!
次は習志野対金沢になります。16日の第一試合。石川県代表の金沢高校との試合になります。

2011年8月10日 (水)

トップバリュ バーリアルラガービールを飲んでみました。

Aeon_pb_beer_2

イオンが8月9日、プライベートブランド商品となる生ビール「トップバリュ バーリアルラガービール」を発売したとのニュースに接し、早速マックスバリュに買いに行きました。

さすがビール。第三のビールとは味わいが違います。苦味がほど良くドカンと来ます。それからドイツホップを使っているからなのか、和製ビールとはちょっと違う味わいに仕上がっています。寒い時期に合うビールだと思いますね。

販売はスーパー「イオン」や「マックスバリュ」、コンビニエンスストア「ミニストップ」、イオンのネットショップ「イオンショップ」。価格は350ml缶で158円。1ケースは3,750円。アルコール分は5%。

2011年8月 8日 (月)

脱原発の実現に向けて

脱原発

まぎれもなく今、旬なキーワードだ。
原子力発電を止める。私もその選択の魅力を十分に感じている一人ではある。

ここ最近の報道を見ると、この脱原発、どうやら政治の主要な論点になりそうだ。
政権奪還を目指す自民党は脱原発を掲げられないことに民主党は気が付いたのかも・・・。
このご時世では脱原発が有効な投票行動に結びつくのは必定。
争点が単純化する選挙になるとその結果が実に心配だ。

さてこの原子力、まさにパンドラの箱である。

核分裂反応を起こさせることで、通常では得られない膨大なエネルギーを得られる。
現代人の生活で必要とする膨大なエネルギーを効率良く得られることが原子力を利用する理由である。
しかしながら、生命に大きな悪影響を及ぼす放射能(放射性物質)を生じさせる。

今回、日本は自ら被曝した。福島は取り返しに時間のかかるとても大きな傷を負った。日本も傷を負った。
われわれが脱原発を実現するには、もっと根本から深く考えないといけないのだ。

この問題の本質は、単に原子力発電をどうするかでなく、原子力で得られるエネルギーを含めたわれわれが必要とするエネルギーをどう調達するかなのだ。

わが国の発電量の約3割が原子力発電だ。
水力発電も夜間に行う水力発電のための揚水を原子力発電が担っている。
水力発電も原子力発電が無ければ半減だ。
火力発電の燃料のひとつである石油は99%以上が輸入で、それができなくなれば、日本はただちにエネルギーが枯渇する。自動車だって動かなくなる。天然ガスや石炭とて同じことだ。しかも化石燃料の燃焼は地球温暖化を加速させる。
化石燃料に依存はできないのだ。

そう考えると日本人はエネルギーを使ってはいけないのだろうか?
使わないという決意を持って脱原発を進む固い意志があるのだろうか?

期待したい自然エネルギーであるが、現代日本が自国で調達できる自然エネルギー(再生可能エネルギー)だけでは今のエネルギーはもちろん、電力量すらまかなえない。
わが国のエネルギー問題は本当に真剣に考えなければならない。

ところで、脱原発に一気に傾くこの日本の風潮は、150年前の幕末の尊王攘夷で沸騰した状況に似ている気がするのだが、気のせいだろうか・・・

そうした国難といえる非常時を克服してきた日本人の叡智に期待したい。

余談:
 さてこの核分裂であるが、自然界においても自然発生するものである。
 それを天然原子炉と言います。
 地球上にも太古に存在していたものです。
 原子力とは実は一つの自然現象という一面もあるのです。

2011年8月 7日 (日)

なでしこリーグ初観戦しました。

P8075793

我らがジェフのレディースのホームゲームがなでしこジャパンの凱旋後、初めて市原臨海競技場で開催されたので、見に行きました。対戦相手は日テレ・ベレーザでした。

まず目に付いたのが、先日急逝された元日本代表で松本山雅の松田直樹選手への横断幕です。

P8075799 ↑マツ忘れない、気持ちのこもった横断幕に松田選手も天国から見てくれているでしょう!

P8075806

観戦も無料、駐車場も無料、臨時バスは200円でした。

試合に先立って、なでしこジャパンの丸山市原市市民栄誉賞の授賞式がありました。
副賞のお米の米俵が良かったですね。

P8075796 

夕立とその後かなり蒸し暑い中でのゲームとなりました。
入場者数は5000人くらいでしょうか?

なでしこジャパンのメンバーとしては、
ジェフには丸山選手、ベレーザにはレッドカード退場の岩清水選手と最年少だった岩渕選手がいました。

P8075831↑日テレ・ベレーザ。左端が岩清水選手です。

結果は以下の通りです。

ジェフユナイテッド市原 対 日テレ・べレーザ
・千葉レディース    
       1    前半    2
       0    後半    1
       1            3

44分 細川 元代  GOAL 31分 小林 弥生
                35分 小林 弥生
                81分 岩清水 梓

ジェフ千葉レディースが1対3で日テレ・ベレーザに負けました。

P8075813 ↑ベレーザの猛攻

P8075827 ↑ジェフの反撃

ジェフの攻撃はスピードはありましたが単調でしたね。
日テレはパスワークが一段上でサイドからの攻撃が素晴らしかったです。
ジェフの巻き返しを期待しましょう!

それからジェフのDFにアグレッシブで印象的な選手がいました。
背番号5の細川選手です。
テクニック的にはまだまだなでしこレベルではないようでしたが、将来楽しみです。

P8075823 ↑細川選手です。モヒカンというのも印象的でしたが、キック力も男子並でした。

ちなみにオリンピックアジア予選後の9月23日にフクアリでINAC神戸と対戦します。
有料のようですが、澤選手、海堀選手、大野選手、川澄選手、近賀選手となでしこジャパンの主力選手がINAC神戸にはいるので、観戦者も相当増えるでしょうね。

楽しみです。

【映画】光のほうへ

Hikari1
光のほうへ 邦題のタイトルが秀逸というかこれ以外にはないですね。

デンマークの名匠トマス・ヴィンターベアによる人間ドラマ。少年時代の辛い過去を抱えたまま別々に暮らしていた兄弟が、母親の死をきっかけに再会し、過去や家族、現在と向き合おうとする。本国アカデミー賞では14部門にノミネートされたほか、各国の映画祭で絶賛を浴びた。静謐な映像と、希望を感じさせるクライマックスが鮮烈。

スタッフ
監督 トマス・ヴィンターベア 
プロデューサー モーテン・カウフマン 
脚本 トマス・ヴィンターベア 、 トビアス・リンホルム 
原作 ヨナス・T・ベングトソン 
撮影 シャルロッテ・ブルース・クリステンセン 

キャスト
ニック ヤコブ・セーダーグレン 
ニックの弟/マーティンの父 ペーター・プラウボー 
ソフィー パトリシア・シューマン 

悲劇的な子供時代を過ごし、人を愛する術も、愛される術も知らずに育った兄弟の物語

福祉先進国として世界に名だたるデンマーク社会であっても社会の末端組織であり人間形成の根幹となる家庭に大きな問題がある場合はどうしてもうまくいかないということを現代の寓話として表した映画だ。

ちゃんと生きているのに空回り、負の連鎖から抜け出すことができない。
それでもそこで短絡的になったり逃げ出したりすればそれで終わりなのだ。

私の好む大きな喪失からの立ち直りというパターンのストーリーながら、本当に長く長く何十年間ももがき続けて、これ以上無い底に行き着いた所でのエンディング。映画ながらにホッとした瞬間だった。

光の方へ向かって欲しい。
今度こそ間違えずに光のほうに向かって行ってくれ!

幸せな人もそうでないと思っている人も是非見て欲しい逸品です。

2011年8月 6日 (土)

【書評】TRIP TRAP 金原ひとみ/著

Triptrap
現代の若い女性を主人公とする短編集だ。
携帯、セックス、倫理観、計画性、女性が誇るべき家事育児能力の無自覚な喪失。
現代社会の利便性に依存し蝕まれてしまった人間としての生活の崩壊。
なかでも依存のひとつとして薬が出てくることが多くて、読んでいるこちらはどうにも落ち着かなくなるのがいかんともし難い。(そもそも他者や物に依存する生き方というのが、男の自分には根本的に理解できない。)

『三人で笑っていると、今日私のした事が何だったのかすっかりわからなくなった。』

自らに甘くても生きていける現代日本というところは、ある意味、自律的な成長ができなければ、単にブロイラーのように呼吸をし、太り続けているだけな世界かもしれない。
今日したことの意味が判らなくても生きていける幸せ、それによって失われているものが何かあることがわからない悲劇。

現代ならではのなんとなく生きていける余裕を彼らは自由であると錯覚しているのだろうか・・・

実際のところ、私が共感できないこの主人公のような行動規範を持つ人は、どの程度いるのだろうか?
まだまだ非主流、すなわち少ないことを希望しつつ、本当のことを私は知りたい。

追記:他者の書評によると、金原作品としては、読みやすいとのこと。
   根本的に世界が違うと言うことか・・・

2011年8月 3日 (水)

【書評】空白の五マイル 角幡唯介/著

5mail_2

副題は「チベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む」

冒険とは、自ら求めて危険を冒すこと。改めて感じ、肝に銘じました。

チベットからヒマラヤ山脈の東端を越えてまさに180度Uターンして、インド洋に流れる大河ツァンポー川。その語源は、チベット語であり、本当の名は、ヤルツアンポー(ヤル川)。川の名としては、インド側で呼ばれる「ブラマプトラ川」の方が知名度大で、世界地図にも載っています。ウィキペディアでは「全長2,900km。源流はヒマラヤ山脈の北側で、チベット高原南部を東進した後ヒマラヤ山脈東端をかすめ南下、インドのアッサム州を西へ向け横断、ガンジスに合流する。その合流点では世界最大の広大な三角洲を形成している。」となっている紛うことなき世界の大河の一つですね。

これほどの大河なれど、私が180度Uターンと称したように、大きく屈曲し(大屈曲部といわれる)、しかもヒマラヤ山脈東端をえぐるように流れています。その大渓谷部分がツアンポー渓谷といわれ、グランドキャニオンを超える世界一高低差のある大渓谷と称されています。そのツアンポー渓谷の5マイル部分が探検家垂涎の未踏地として残っていたのです。

1924年にキングドン=ウォードが探検できなかった5マイルを、現代まで残った最後の地理的空白部としてこう呼んだ。
ファイブ・マイルズ・ギャップ、「空白の5マイル」と。

著者は早稲田大学探検部出身で、少し後輩に石川直樹さん(彼がどこかでこの本の書評を書いていたので読んだのです。)がいます。
その彼が、危険を顧みず、職を辞してツアンポー渓谷を踏覇した記録がこの本です。

山登り(といっても歩くだけですが)している私は、著者の描写で十分に山の感じや大変さを感じ取ることが出来、わくわくドキドキしながら一気に読みました。著者とは較べることの出来ないほどのスケールの小さなミニミニ冒険しかしたことの無い私にとって、前近代の伝説的な冒険譚でなく、同じ時代に生きる、どこかで遇ったかもしれない、話したかもしれない、普通の青年で、それはひょっとして自分だったかも?というようなまさに羨ましーなーというお話でした。(ただし、若いときにこのような感化を受けていたら、能力のない私は冒険に行って直ぐに死んでいたでしょうね。)

それにしても、この本を読めるのは、著者の勇気と奇跡的な幸運のおかげでした。誰も住んでいない助けの来ないことが確実でまさに死と隣り合わせの場所を単独行で進むのですから・・・。ほんの小さなアクシデントですら命取りになるでしょう。

第八回開高健ノンフィクション賞受賞。普通の文体による身近な感じと写真を後半部まで見せなかった構成の秀逸さは読後の充実感で満腹になりましたね。

また冒険のような旅に出たい!(笑)

最後に著者の冒険とは直接かかわりの無い話ですが、珠玉の名言がありましたので紹介します。

「彼はあなたたちのために、まだ発見できる何かを残しておいたのよ」ツアンポー渓谷の空白部分を5マイルまで縮めた伝説のプラントハンター、キングドン=ウォードの奥さんが空白部で幻の滝を発見したアメリカ隊の人に言った言葉。

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