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2011年5月

2011年5月31日 (火)

リース契約の印紙税

 リース物品等の契約書に貼付(つまり納付)しなければならない印紙税額を調べたところ、基本的に非課税でした。

 平成元年の印紙税法改正により、非課税文書扱いに変更されたためです。

 しかし、「リース契約書の書面の記載内容によって扱いが異なる」という不確定要素があり、基本的に非課税扱いという点にご注意ください。

 記載文面の内容によって、印紙税が課税されるケースもあるようですね。
(リースによる賃貸借に加えてメンテナンス等の付帯条件があるような場合など)

 このあたりは、税務署に確認するのが確実ですので、手間を惜しまれませんように。

追記
 気になったので調べてみた結果を書きとめました。
 恥ずかしながら、今まで知りませんでした。

2011年5月30日 (月)

【テレビ】DEEP PEOPLE(ディープピープル) NHK

今日はまた帰宅ランをサボって、早く家に着きました。

漫然とテレビを見ていたら、このタイトルの番組に出会いました。
NHK総合 毎週月曜日の23:00~

何回か観たことがあったのですが、今回は「女子マラソン」でしたので、特に真剣に観てしまいました。

この番組は、タイトルのジャンルの極めたトップレベル3人によるフリートークショーです。

この司会者のいない形式による最大の特徴は、そのジャンルに身を置いた人で無ければ気にしないながらも、実は重要な事柄について、熱く語ってもらえることです。

今回の女子マラソンは、次の3人でした。
山下佐知子さん 91年世界陸上東京大会銀メダリスト
有森裕子さん 92年バルセロナ五輪メダリスト 96年アトランタ五輪銅メダリスト
千葉真子さん 03年世界陸上銅メダリスト

高橋尚子さんや野口みずきさんといった天才金メダリストと違い、ものすごい人ながらも手に届きそうな感じのこのお三方でなければ語ってもらえなかったであろう内容は次のようなものでした。
1 レース中のポジション取り
2 スペシャルドリンクの中身
3 ライバルの疲れの把握のポイント
4 先行するランナーの抜かし方
5 3人の素足

一番びっくりしたことは、彼女達の素足です。
山下佐知子さんのものすごい外反母趾、有森裕子さんのこれまた痛々しい内反小指にはびっくりでした。(私も外反母趾気味ですが、山下さんの外反母趾はこれまで見た外反母趾(ネットや雑誌)でも最高に曲がっていました。とても走れる足とは思えませんでした。)
ちなみに千葉真子さんの足は理想的な足でしたね。

トップランナーだった彼女達のトークを聞いて、少し、走るモチベーションが上がりましたね。
明日からがんばりましょう!

2011年5月28日 (土)

【映画】ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人

Hd [ストーリー]
ニューヨークの小さなアパートで暮らすアート収集家夫婦を追ったドキュメンタリー。郵便局員のハーブと図書館司書のドロシー夫妻は、自分たちの給料で買える値段であること、そしてアパートに収まるサイズであることを条件に、約30年間で2000点以上ものアート作品を収集してきた。そのコレクションには名だたるアーティストたちの無名時代の作品が多数含まれており、ある日、アメリカ国立美術館から寄贈の依頼が舞い込む。

[キャスト・スタッフ]
キャスト: クリスト、ジャンヌ=クロード、リチャード・タトル、チャック・クロース、ロバート
・マンゴールド 監督・プロデューサー:佐々木芽生 編集:バーナディン・コーリッシ 音楽:デビ
ッド・マズリン

[作品データ]
原題:Herb & Dorothy 製作:2008年 配給:ファイン・ライン・メディア、NPO TSUMUGU

映画は「芸術的な娯楽」と位置付けているので、ドキュメンタリー映画は観ないことにしているのですが、面白いという噂を基に鑑賞しました。(私は大のドキュメンタリー好きですが、通常はテレビかノンフィクションの本で堪能しています。)

確かに面白いドキュメンタリーでした。芸術作品を扱っているので、劇場で観るのも効果はあると思います。

美術について詳しくない私にもわかるように、さりとて映画に雰囲気を壊さない程度の解説とした監督の気配りが嬉しいです。
堅い話でもなく、映画鑑賞するように劇場で楽しめました。
誰もが楽しめるドキュメンタリーに仕上がっていて、上々の出来です。

まあ、その分、掘り下げ方が浅くなっていますが・・・。

それにしても、このご夫妻の仲睦まじく、価値観がほぼ同一なことは、驚嘆に値します。
一心同体というか二身同体のごとくです。

ただの労働者の二人、完全なる中級階級ながら多くの芸術家から4,700点あまりの作品をマンハッタンのアパートに収集し、それを無償で美術館に寄贈したのですから、驚愕です。

芸術に親しむとは、高尚な知識や高額なお金が必要なのではなく、芸術に対する熱い思いと優しい愛情なのだと初めて気が付きました。

芸術家の作品全てを見る。それは作者の成長や作風の変化を知り、芸術家の全てを理解すること。

彼らのコレクションの考え方は二つ。
1 コレクションは売らない。
2 自分達が買える金額でアパートに収納できる小さな作品

とにかく、人生を堪能している見ていて楽しくなる老夫婦でした。
この素敵な老夫婦の二人を映像で見ることができること、それがこのドキュメンタリー映画の全てですね。

2011年5月27日 (金)

【拉麺通信】海空土(かいくうど)[千葉市若葉区]

【拉麺通信】海空土(千葉市若葉区)
昼御飯を考えて走っていたら店前の駐車場が空いていたので久しぶりに立ち寄りました。
食券を買わずに着席しようとしたら「初めてですか?」と声かけられました。
「すいません、久しぶりなもので」

そんなやりとりの後、やはり「つけ麺」の細麺を選んでしまいました。

旨かったです。

煮干しの濃厚スープは健在でした。

でも食べ終わると次は背脂こってりな豚骨系を食べたいなと思う食欲旺盛な自分がいました。(笑)

2011年5月26日 (木)

【書評】弩(ど) 下川博/著

Do このタイトルを見て、まず漢字の意味がわかる人は少ないと思う。
プチ自慢かもしれないが、歴史好きの私とて、中国や西洋の弓の一種で、漢の高祖劉邦が暗殺されそうになった武器だったなあという知識や思い入れしかなかった。

さて、この小説、わが書棚におかねばならない逸品でした。

時は鎌倉末期から建武の親政、南北朝初期のお話。
舞台は因幡(鳥取県)の国の智土師郷(ちはじごう)という農村。

器量人である小作人の吾輔(ごすけ)がさまざまな人の助けによって商売に成功し、村を豊かにし、村長になって、悪党から村を守るという話で黒沢明監督の名画「七人の侍」を思わせる展開となっている。

まず私が気に入ったのは、文体だ。ここ最近、翻訳もの、ビジネスものが続いたせいもあるのか、である調で無骨な猛々しさのある文体が清清しくも小気味よく、故に気持ちが良いし、話の内容や展開スピードに合っているからだ。

そして小説自体も、いきいきとした農民や農村描写の中で話が進むのだが、主人公とその周りの人たちの生き様は、多くの問いを投げかけてくるのだ。宗教とは?学問とは?家族とは?商売とは?経済活動とは?戦争とは?人間とは何か?と無学な主人公の立場に何度も何度も問いかけられつつ、それぞれに一つの解をあぶりだしていく。
しかしながら、話は小難しく説教くさくなるわけでなく、主人公たちの内面の葛藤に対する理解を助けるものであり、よって展開の速い、手に汗握るサスペンスな時代小説ながらも、小説に振り切られること無く最後まで話に付いていける要因になっているのだ。

さて、作者についてですが、この方は脚本家として活躍された人でした。話の面白さから、きっと近いうちに映画かドラマ化されるのではないかと思います。

最後に、特筆すべきは、時代小説には珍しく魅力的な女性が自然発生的にあまた出てきます。その男女バランスの良さもこの本の魅力の一つです。

よって100%、お奨めしてしまう逸品です。おかげで寝不足になりました。(笑)

2011年5月25日 (水)

久しぶりのランニング

萩往還マラニック250kmの完走以来、実に20日ぶりにランニングしました。

といっても左足は完治しておらず、わずか2kmのミニランニングでした。

回復途上の左足に神経を集中させての走りとなって、久しぶりなことと相まって、ぎこちない走りになりました。(笑)

痛みはまだまだ根深く、完治への足どりの遠さに、気が滅入りましたが、それでも終盤は、左足の痛みも薄れて、これまでのように痛みを忘れてのランニングこそが、回復の近道では?とも思いました。

さて、今月はこれで252km。ゆうに今月は500kmは走れるかと思っておりましたが、250kmの完走以降はさっぱりな展開ですね。私の限界なんでしょうか?

次のレースは3週間後の24時間走。

現状では走りきれるか、かなり不安です。

自信を回復して、臨みたいですね。

2011年5月23日 (月)

ペルー旅行記22(世界遺産クスコ旧市街コリカンチャ・太陽の神殿編)

さて、今日は世界遺産であるクスコの旧市街の観光です。サクサイワマン遺跡の観光も終えて、わがペルーでの楽しみはなくなりましたが、ツアー観光客として、まずはインカ帝国の宮殿かつ神殿であった「コリカンチャ」を観光しました。

Pc072421 ↑ホテルを出発します。

Pc072424 ↑サント・ドミンゴ教会(別名コリカンチャ)です。緑の芝生が綺麗なのが印象的です。インカ帝国の宮殿の石積みの上に教会を建てたものです。インカの石積みは、頑健で、大地震のときも崩れたのは後から建てた教会部分のみだったそうです。

Pc072438 ↑コリンカチャの入場券です。

Pc072441 ↑中庭のある典型的なキリスト教の教会に見えるでしょ!

Pc072440↑回廊部分です。宗教画が掛かっています。

Pc072442  ↑教会の中にインカの遺跡(コリンカチャ:宮殿と太陽の神殿)があります。

Pc072452  ↑各部屋の窓が一直線に配置され先の先まで見通せます。インカの石積みの精度の高さは、驚愕です。

Pc072450 ↑最小の石積み部分とのことです。

Pc072445 ↑指の先ほどの大きさです。

Pc072460  ↑宮殿だけに石積みの精緻さは際立っています。

Pc072463 ↑コリンカチャの模型です。アップにしたのは、もっとも大事で神聖な場所「太陽の神殿」部分です。金で装飾されていたそうです。

Pc072512↑金装飾のレプリカです。このレプリカは本物を模倣したのでなく、略奪したスペイン側のスケッチに基づくものだそうです。本物は一つもありません。略奪後、溶かして金の延べ棒になったとのことです。

Pc072500 ↑精巧な部屋です。

Pc072494 ↑スペイン統治下で教会に変えられた際に施された装飾の残存部分です。インカ文明の神殿のリユースなのですが、キリスト教もイスラム教も他宗教の建築物をリユースするとは、ある意味豪胆ですね。

Pc072485 ↑インカ帝国の歴代皇帝の肖像レプリカ?です。

Pc072508 ↑高貴な部屋の入り口です。部屋の名前がありましたが、忘れました。Pc072486↑西洋風の回廊部分です。

Pc072525 ↑中庭です。中庭の先に民家が建っていますが、何年か前に、市長さんが売り払ったため民家が建ったそうです。世界遺産なのですが・・・

Pc072526 ↑今は綺麗な芝生で西洋風ですが、インカ帝国時代はどうなっていたんでしょうか?

Pc072487 ↑キリスト教会の中庭ですね。Pc072542

↑中庭から教会の塔を見上げます。

Pc072491 ↑空は夏空です。

Pc072533↑太陽の神殿の始まりです。

Pc072536 ↑もっとも神聖な太陽の神殿部分です。右側部分は教会の建物です。頑丈な石積みを利用して建てたのでしょうが、今となってはスペインの傍若無人ぶり の名残りですね。

Pc072539↑太陽の神殿最奥部です。インカでもっとも神聖な場所は曲線で形作られる。まさにその典型の場所です。左に見える突起は、石を運ぶための突起で、通常は設置後、削られるのですが、神殿部分の場合、突起は残して装飾用の取っ手として使ったとのことです。

Pc072540 ↑彷徨える水の石壷とか行ってました。スペインによって強奪され、いろんなところに置かれて最後ここに落ち着いたとのこと。

Pc072545 ↑太陽の神殿部分(黒い壁の部分)と教会部分を外側から望みます。

Pc072546 ↑コリカンチャ(サント・ドミンゴ教会)を離れます。

<閑話休題>
世界遺産を雨露から守るための大屋根がありました。

Pc072521 ↑世界遺産を守るための屋根の裏側です。よく見ると、ところどころボードが剥離しています。それって落下したってこと?世界遺産を破壊したのでは?ペルーのおおらかさですかね。

>次:ペルー旅行記23(世界遺産クスコ旧市街アルマス広場周辺編)
<前:ペルー旅行記21(クスコのサクサイワマン遺跡編)

2011年5月22日 (日)

脚はまだ痛いながらも運動会に草野球、卓球とスポーツ三昧?

週末は、好天に恵まれ(日曜の夕方は雨になりましたが・・・)、スポーツ三昧日和でした。

草野球は、審判での出場のみ(脚が痛いので試合は欠場)でしたが、午後からは次男坊とその友達と卓球に勤しみました。

かずさん、実は中学校の時、卓球部でした。30年以上前の話で、当事はピンポン玉は白のみ、卓球台は濃緑で、服装も無地の暗色指定でした。最近のルール改正もまったくわかっていませんが、まあ遊びの卓球でしたので、子どもらのルール指導に従いました。(笑)

Kc3b0320

しかし、次男坊が自分のお小遣いで買った百均のぺらぺらの卓球ラケットでは、ダメですね。今度、ちゃんとしたのを買ってあげないと。

P5215042↑組み体操のハイライト、4段タワー

そうそう、土曜日の中学校の運動会は、親として感動しました。
それは、長男坊が初めてリレーの選手に選ばれたからです。
鈍足の親の血を引いているので、リレー選手の中では早い訳ではないので、本番では抜かされましたが、彼なりの全力疾走に涙腺が緩みましたね。
(その後、彼のリレーでの疾走を見た何人もの父兄からそのがんばりを称えてもらいました。地域コミュニティのありがたさも思い知りました。おゆみ野は新興住宅地ですが、温かい街ですね!)

最後に我が家のアイドル小4の三男坊は、宿題のなわとびに苦労してましたが、そのがんばりだけで、うれしかったです。(なお勉強では、まだ習っていないローマ字習得にかける執念はすごいです。)

さて、お父さんも仕事がんばり、脚を治して根性あるとこ見せますかね。

2011年5月21日 (土)

【書評】バウドリーノ(上・下) ウンベルト・エーコ著 堤康徳訳

Baudo 有名な「薔薇の名前」の作者の長編ファンタジー?作品です。
舞台は中世のイタリアやコンスタンティノープルやインド?
主人公のバウドリーノは農民出身ながら言語の天才で神聖ローマ皇帝の養子。
はるか東方にあるという司祭ヨハネの国への波乱万丈な遠征。

ほとんどホラ話だと思いますが、恐らくキリスト教徒には、おなじみの話が面白おかしく展開しているのだと思いますが、それには無知な日本人である私には、ファンタジーとして楽しめます。

著者の遊び心満載でまさに荒唐無稽な展開に、われわれ日本人には思いつくことは不可能な摩訶不思議さ満点のエーコ・ワールドを楽しめる一品です。

2011年5月20日 (金)

【書評】ムカッときたとき読む本 菊入みゆき著

【書評】ムカッときたとき読む本  菊入みゆき著
この本は多様な生き方が許容されるようになった現代においてイラッとさせられる人の行動を12のタイプに分類し、その傾向と対策をユーモラスに綴ったものです。

まずイラストが秀逸で、コミカルながらどこかに居そうな雰囲気で、実際に思い当たる人がいるとクスッときます。(笑)

ちなみに12のタイプは以下のとおりです。

1 人を見下す人たち
2 疑り深い人たち
3 八方美人な人たち
4 斜にかまえる人たち
5 すぐに自慢する人たち
6 悲観的な人たち
7 仕切りたがる人たち
8 嫉妬深い人たち
9 頑固な人たち
10 丸投げする人たち
11 なれなれしい人たち
12 卑屈な人たち

1と5は、俺のことじゃねえか?という内容で、読むのが苦しかったです。(笑)
が、深刻さはないので、うなずきながら笑えますけど。

追記
 この作者の著作を読むのは2つ目でした。
 1つ目は、「やる気が出ないときに読む本」でした

2011年5月19日 (木)

階段利用の効用

東日本大震災以来、東京電力管内では、さまざまな節電を実施しておりますね。

わが社でも、先の記事で掲載したとおり、照明(自動販売機も含む)とエレベータを間引いて電気使用量を抑制しております。

今日は研修なので研修所に行ったのですが、左足は萩往還マラニック250kmの後遺症で痛いながらも、エレベータを利用しないで階段を歩いて上り下りしました。

研修所は事業部門と同居しているので、そこにはそれなりの社員がいるのですが、みんなエレベータを使わずに階段を歩いておりました。さすがです。

さて、研修が終わって4階から階段を歩いて降りていると、これまた不思議なことに普段はめったに会ううことのない他事業所の知人ら3人に会いました。

一人は8年前に同僚だった当事新人だった若者で、ずいぶん久しぶりに話をしました。懐かしかったです。「かずさんでも、長(リーダー)になれるんですね!」なんていう軽口をたたいてくれて、言われたこちらも、当事と変わらぬ扱いに、むしろ嬉しくなる邂逅でした。

少し階段を下りると、次はこの間も飲んだ後輩でした。実に熱心に私の近況などを聞いてくれて、階段での短い会話を楽しくすることができました。

そしてさらに進むと、最後に、知らない若い女性に少し時間をおいて会釈されました。
ん?と顔を見ると、やはり身に覚えの無い若い女性な感じながらも、こちらも軽く会釈すると、向こうから「写真ありがとうございました。額に入れて飾っています。」とのこと。

わかりました。先日結婚式に出た後輩の嫁さん(新婦さん)でした。
花嫁さんのときのお化粧と衣裳しか見ていなかったのでわかりませんでした。

向こうもその時以来のはずなのに良く覚えていてくれて、しかも気の利いたコメントまでいただけるとは、感心です。こちらがほんとに嬉しくなりましたね。

エレベータが動いていればきっと遇えなかった三人と今日、偶然にも会えたのは、節電様さまですね。

【書評】黒船前夜 渡辺京二著

Kurohune  この本のサブタイトルは、「ロシア・アイヌ・日本の三国志」となっているが、これは少し行過ぎたイメージを植えつけてしまうと思う。私は古代中国の三国志のイメージ(3つの国が勢力争いをする)を持ったのだが、そのような歴史の展開にはなっていない。(アイヌを国家とするならば表現上間違いではないのですが・・・)

冒頭からやや批判的なことを書いたが、この本は、よほどの歴史好きの方でないと、読む終えられないと思う。特徴的な文体と併せて、歴史的な大事件を扱うものでなく、小さな出来事の積み重なりを紡いだものなので、内容が地味にならざるを得ず、くわえてその理解には、黒船来航前の歴史の知識がないとさっぱりイメージが湧かないと思われるからである。

しかしながら、この本は、私にとってとても印象的なものになった。

歴史的大事件である黒船来航以前のほとんど光を当てられない鎖国時代のロシアとの接触を丹念に書かれているからである。

そして、その歴史において、唸ってしまったのは、予想外なことなのだが、江戸幕府の役人の偉大さを再認識してくれたことである。、(著者はあまり褒めていないが・・・)

中央政府があまり乗り気でない、しかも手探りの政策・事業に対し、江戸幕府の蝦夷地などに派遣され実務を取り扱った現地の下級役人は、少ない情報や資金、権限の中、最大限の努力をし、なかなか的確な判断を下しているのだから、これは最高級の評価に値するものだと思いました。

江戸中期以降のロシア来航に対し、蝦夷地の探検と幕府直轄化による既成事実の積み重ね、対ロシアとの意思疎通困難な中での外交交渉など、当時の状況から見て、今から検証してみるとかなり素晴らしい対応だと思います。(ただし、著者はあまり評価していないようですが)

ロシア来航の意図などの情報が少なく、よくわからない事象に対し、結果的にそれなりの善処となっている。偉大な先人の存在に、嬉しくなっちゃいます。歴史的人物にはなりえない私も大いに習って、先例の無い困難な状況下でも自らに与えられた事業をそれなりの評価を受けられるように成し遂げたいものです。

2011年5月17日 (火)

快盃(かいはい)KAIHAI 第3のビールです。

キリンの「コクの時間」を失ってから迷走を続ける第3のビール探しですが、また新たな銘柄を見つけました。

快盃(かいはい)KAIHAI です。

Kaihai

飲んだ瞬間、韓国の発泡酒ではと感じました。

買ったときには確認してなかったのですが、原産国は韓国でした。

発泡酒らしい軽いテイストですが、辛さもあり、のど越しの切れ味もありで、日本人の好みには合うのではないでしょうか?

緊急避難的に購入したビールですが、当たりでしたね。(350cc1缶83円くらいですし、コストパフォーマンスも良いです。)

2011年5月16日 (月)

ペルー旅行記21(クスコのサクサイワマン遺跡編)

ペルーでの古代文明探訪の旅において、空中都市マチュピチュ、ナスカの地上絵の次に訪れたかったのが、巨石によるインカ帝国の巨石建造物で、スペイン軍と激闘を繰り広げたインカ帝国の要塞であるクスコのサクサイワマン遺跡でした。参加したツアーのコースには入っていないのですが、クスコのホテルからの出発が午前9時なので、そのわずかな時間を使って何とか訪れることができました。その私独自の企画を実現してくれた現地ガイドとその友達のフォーさんに感謝です。当初は単独行だったのですが、昨夜、ガイドさんと打ち合わせしていたのを見ていた同じツアーの若者2名が、私のサクサイワマン遺跡探検に興味を持って、急遽一緒に行くことになりました。なんだかそれも楽しいハプニングでした。

Imgp7363 ↑ホテルの食堂前にあったサクサイワマン遺跡の絵です。今から出発ですが、わくわくします。Imgp7361 ↑ホテル6階からの景色です。盆地の山には雲がかかっていますね。

Imgp7367 ↑茶色の屋根に規制されている世界遺産クスコの街並みです。

フォーさんとは、7時にホテル前で待ち合わせです。スペイン語と片言の英語しか話せない生粋のペルー人でした。こちらも片言の英語で珍道中の開始です。

Imgp7371 ↑送迎の車です。トヨタのプロボックスですね。

Imgp7372 ↑7時20分くらいですが、すでにチケット売り場に並んでいます。ほとんど現地の人のように見えます。実はここでフォーさんがんばってくれました。外国人用4遺跡セットの入場券70ソル(約2100円)だったのですが、ペルー人用1遺跡入場券40ソルの購入に成功しました。いやあ、ラッキーです。

Pc072279 ↑さっそく巨石なサクサイワマン遺跡です。

Pc072278 ↑これぐらい巨石です。同行した若者1にポーズとってもらいます。(笑)

Pc072282 ↑巨石巨石です。この石は成分分析からクスコ盆地の山向こう30km先の石切り場から運ばれたとのこと。こんな大きな石をこれだけの量を本当に運んだのか?いくらなんでも無理な気がします。

Pc072286 ↑2段目に上がります。

Pc072287 ↑2段目の石積みも立派です。

Pc072293 ↑3段目の石積みを上がれば、最上段です。

Pc072297 ↑若者2名は早くも遺跡の頂点で写真撮っていますね。

Pc072299 ↑遺跡からクスコ市街を望みます。

Pc072300 ↑右にパンします。山の上の方まで住宅が広がっていますね。

Pc072304 ↑クスコ市街の中心部アルマス広場をズームします。

Pc072313 ↑サクサイワマン要塞頂上部の遺跡です。宮殿とか天守閣のようなものがあったのではないでしょうか?

Pc072318 ↑クスコ市街側の斜面の遺跡の跡です。この要塞は実際にスペインからの侵略者ピサロと戦ったのですが、戦意に乏しいインカ軍は一度は撃退しながら放棄したらしいです。敗れたスペイン軍は、要塞を壊そうとしたのですが、巨石部分は壊せなくて、木造建築部分とこのような小さな石の部分を壊しただけだったようです。

Pc072320 ↑発掘中のエリアは進入禁止でした。

Pc072321 ↑実に印象的な道しるべです。しかしこの写真をとった私は、進むべき順路を間違えているのかしら?

Pc072327 ↑サイサイワマン遺跡の要塞部分の反対側にも遺跡があります。祭壇というか神殿跡のようです。これから向かいます。

サクサイワマン要塞の堅固さをご覧ください。だけど考えようによっては、無駄に巨石を積んでいるようにも思えます。(笑)

要塞の向かい側の神殿の頂上から要塞の全容が良く見えました。ただし28mmの広角では、3分割でした。サクサイワマンの威容をご覧ください。

Imgp7375

Imgp7376

Imgp7377

これをパノラマ機能でつなげるとこうなります。

Imgp7374 ↑サクサイワマン遺跡の全容です。巨石がジグザグに並んでいて、こっちから攻めるのやめたくなりますわな。

Pc072354 ↑神殿の説明を勝手にしてくれたおじさんです。ほとんどスペイン語でよくわかりませんでした。あとでしっかりガイド料を求めてきましたけど・・・。

Pc072359 ↑おじさんが言うには玉座だか、神官の席らしい。

Pc072364 ↑ここにも同じような席があるらしい。地震で崩壊したとのこと。

Pc072387 ↑キリストの像の立つ丘が見えます。

Pc072393 ↑リャマに民族衣装を着たインカの女性。観光客の写真撮影用でしょうか?こちらは15倍ズームではるか遠くから撮影してしまいましたが・・・

Pc072396 ↑キリストの丘の手前からサクサイワマン遺跡を望みます。巨石で巨大な遺跡です。

Pc072402 ↑キリストの像です。クスコ市街から良く見える丘の上に立っています。フォーさんに頼んで寄ってもらいました。もう9時まで時間がなくなりました。一路、クスコのホテルに戻ることにします。

Pc072415 ↑バスは通らないであろう狭い路地を抜けて戻ります。

Pc072419 ↑無事に9時のバス出発に間に合いました。写真の男性がフォーさんです。送迎代は30ソル(約900円)でした。ガイドさんがチップ要らないといっていたので、それだけでしたが、ここの平均的な賃金的には、十分な稼ぎなのでしょう。英語も片言ながら親父ギャグが笑えました。「サイサイワマン?ノット、セクシーウーマン!」忘れられないギャグ?でした。

追記:実はサクサイワマン遺跡の岩の上で派手に転倒し、カメラをかばったため、左ひじ付近を痛打しました。2ヶ月くらい痛かったです。今も触ると少し骨が変形している感じ。骨折(ひび)していたのでしょうね。

>次:ペルー旅行記22(世界遺産クスコ旧市街コリカンチャ編)
<前:ペルー旅行記20(クスコへの列車とバスの旅編)

2011年5月15日 (日)

千葉マリンスタジアム改めQVCマリンフィールドに行ってきました。

本日、快晴の下、今シーズン初めての千葉ロッテの公式戦を観戦してきました。
そうなんです。球場の名前が変わっていました。
QVCマリンフィールドです。千葉マリンスタジアムが懐かしいです。

P5154958

さて、試合結果ですが、残念ながら、千葉ロッテは楽天に負けました。

P5154942

さて、マリンの状況ですが、2点ご報告します。

1つは、フィールドウイングシートに防球ネットが設置されていました。
これで安全性は高まりましたが、臨場感となにより選手達との交流が絶たれてしまいましたね。実に残念なことです。

P5154945 ↑1階内野自由席前列からですと、手前の内野自由席の柵と奥のフィールドウイングシートのネットで2重の網目越しの観戦になりました。 かなり見づらいです。

もう1つは、東日本大震災の液状化被害がひどく、また復旧していないということです。
球場の駐車場は閉鎖され、幕張メッセ大駐車場も収容能力が6000台から2000台に削減されていました。復旧工事中でした。

P5154946 ↑球場の広場も陥没して立ち入り禁止中です。

P5154965 ↑駐車場も復旧工事中です。

P5154970↑こちらも復旧工事中です。

追記
 球場は耐震性が十分なので、地震時はその場で待機してくださいと場内アナウンスがありました。そんなことにも東日本大震災後の影響を感じましたね。

ペルー旅行記20(クスコへの列車とバスの旅編)

いよいよマチュピチュ、アグアスカリエンテスを離れます。往きと同じように列車(ビスタドーム)でオリャンタイタンボまで往き、その後はバスでの旅となりました。天気が良くて、帰路ならではの演出(民族舞踊ショーとファッションショー)もあり、マチュピチュ遺跡完全制覇の余韻を感じながらの楽しい道中となりました。

Imgp7282  ↑集合場所の駅前に時間ぎりぎりに到着です。まだ少し時間があるので、露店に土産物買いに行きます。(駅の構内から入り口とその外側を写したところ)

Imgp7281 ↑一番駅に近い土産物屋さんでお土産を買いました。マチュピチュのトランプ3つとナスカ地上絵図柄のマグカップです。

Imgp7288 ↑ペルーレイルのビスタドームのチケットです。47ドル(4200円くらい)のようですね。駅名はアグアスカリエンテス駅でなくて、マチュピチュ駅なんですね。

Imgp7283 ↑待合室からプラットフォームに進みます。

Imgp7284 ↑222号?こちらは最後尾。A号車なので最前列に向かいます。

Imgp7285 ↑ペルーレイル(ペルー鉄道)のエンブレムです。左上マチュピチュ、右上アルパカ?リャマ?、右下インカの石積み、左下コンドルだと思います。

Imgp7290 ↑今日は快晴で、ビスタドームの天窓から聖なる谷を囲む山々の頂まで良く見えます。

Imgp7291 ↑線路沿いを地元の人が大きな荷物を抱えて歩いています。やはりクスコへの道路は無いのでしょうか?

Imgp7295 ↑軽食のサービスです。左はトマトに鳥肉のサラダ?、中はポテトと牛肉そぼろ和え、右上はデザートのチョコでした。小さいながらどれも美味しいです。

Imgp7297 ↑ビスタドームの威力発揮です。天窓からアンデスの山並みが良く望めます。雨季なのにこの快晴、ラッキーですね。

Imgp7300

Imgp7301

Imgp7326 ↑雪が見えます。5000m級のアンデスの高峰でしょう。

車中でショーが始まりました。スペイン語、英語に続いて、日本語でのアナウンスがありました。

Imgp7302↑まずは、このあたりの地方のお祭りに使う衣装を着ての民族舞踊?のようです。

Imgp7305 ↑ブタのお面でしょうか?サービス満点ですね。

次はファッションショーです。南米ペルーならではのアルパカ製品を着用してのファッションショーです。

Imgp7308 ↑まずは男性です。

Imgp7310 ↑車内後方から次は女性モデルがやってきます。

Imgp7312 ↑ちょど私の席の少し前でポーズを取ってくれます。

Imgp7322 ↑男女交互で着替えては次々と着てくれます。BGMはアップテンポなペルーの民俗音楽で車内も盛り上がります。

Imgp7325 ↑あれっ?そのパンツは・・・。さっきのブタ面のお兄さんだ。

Imgp7332 ↑最後は3人全員の揃い踏みでポーズです。楽しいショーをありがとうございました。1両編成のビスタドームに3人の車掌さんに運転手と助手の計5名の乗務員のようですね。列車の旅は贅沢なのですね。

Imgp7336↑車掌さんの制服に戻っていよいよファッションショーで来たアルパカ製品の車内販売です。さっき実物を見た具体的な着用イメージに加え、ペルーレイルでの販売という安心感で売れ行きは好調でした。いずれも100ドル以上のそれなりのお値段でした。隣席の女性は、お母さん用に2着買っていました。そのうちの一つは3つ上の写真のパープル系のショールでした。
男性用は伝統的なペルー柄で良かったのですが、日本では着いなあと思い、買いませんでした。

Imgp7338 ↑そろそろ聖なる谷が開けてきました。オリャンタイタンボに着くようです。

Imgp7339 ↑オリャンタイタンボ駅に到着です。ここからバスに乗り換えます。少し雲ってきましたね。

Pc062177 ↑バスはしばらくクスコ行きの線路と平行して走ります。壁いっぱいに来年のペルー大統領選の候補者名が書かれています。

Pc062178 ↑山肌に字が書いてあります。

Pc062181 ↑これも大統領候補の名前でしょうか?

Pc062189 ↑ウルバンバ川を渡って、高原地帯に入ります。

Pc062195 ↑ウルバンバの街です。新興都市な感じです。

Pc062197 ↑剃り残しの髭が一本みたいな、ひょろっと伸びた木?サボテン?みたいなものが・・・。百年に一度咲くアンデスの幻のサボテンだったりして・・・

Pc062202 ↑アンデスの高嶺に白雪だ!ついつい山に目が行く私です。

Pc062200 ↑ちょっといい感じの高峰ですよ。

Pc062209 ↑高原地帯です。

Pc062210 ↑オアシスのように緑豊かな場所もあります。

Pc062217 ↑耕したところがまるでパッチワークのようです。

Pc062246 ↑高原の町です。

Pc062252 ↑クスコが見えてきました。

Pc062262 ↑クスコ街を歩く女性たちです。

Pc062264 ↑クスコのホテルに到着です。

Imgp7345 ↑クリスマスの装飾のロビーです。クスコ・マチュピチュのガイド、ロベルトに明朝、クスコのサクサイワマン遺跡観光を相談すると、友人のフォーに30ソルで送迎をお願いしてくれました。明日が楽しみです。

Imgp7346 ↑コカ茶のサービスです。クスコは標高3400m。高山病の症状軽減に効果があるそうです。

Imgp7348 ↑ホテル6階からのクスコの夜景です。

Imgp7351 ↑盆地にあるクスコらしい夜景の広がりです。

Imgp7356 ↑ホテルの螺旋階段です。

Pc062265 ↑部屋の外に出て写真を撮ります。左の絵は、明朝観光予定のサクサイワマン遺跡です。実は、鍵を忘れて外に出たので、オートロックで締め出されました。フロントに行って、開けてもらいました。

Imgp7358 ↑ホテルでNHKが放送されていました。朝の連続テレビ小説「てっぱん」が見られるとは思いませんでした。

夢のようなマチュピチュ紀行は好天に恵まれ、無事に終わりました。

マチュピチュという大きな目的を達したので、明日からは、少し気楽なペルー旅行になりそうです。

>次:ペルー旅行記21(クスコのサクサイワマン遺跡編)
<前:ペルー旅行記19(マチュピチュ温泉と夜散策編)

2011年5月14日 (土)

ペルー旅行記19(マチュピチュ温泉&夜散策編)

本日は、マチュピチュ山(3050m)に登頂後、マチュピチュ遺跡(標高2450m)まで下山し、人生最後のマチュピチュ遺跡を堪能したのち、下山バスに乗らずに、トレイルランニングで麓の町アグアスカリエンテス(標高2000m)まで駆け下りました。

残すマチュピチュでの最後の訪問先は、アグアスカリエンテス(意味は温泉の町)温泉です。

Imgp7251↑アグアスカリエンテスの街中を温泉のあるウルバンバ川上流部(町の中心から徒歩10分)に向かいます。歩くのにもきつい上り坂を、人力で建設資材を運んでいます。きつい労働に頭が下がります。

Imgp7252 ↑町の商店街の先に温泉の入り口が見えてきました。お店ではタオルや水着を売っています。私はそれらを持参してきたので不要ですが。

Imgp7253 ↑温泉の入り口です。10ソル(約300円)でしたが、現地通貨のソルがないので、ドルでお願いすると5ドル(約450円)でした。この温泉は公共機関のようで、ドル換算レートが悪いようです。

Imgp7254 ↑温泉のチケットです。5ドルって書いていないので、管理事務所のおじさんが自分で5ドル受け取って、自分の財布から10ソルを入場料として払っているのかもしれません。ガイドブックには、ソルの現金しか支払えないと書いてありましたし

Imgp7255 ↑温泉入り口から結構歩きます。(300mくらいか)。ウルバンバ川を渡って、反対側を進みます。

Imgp7256 ↑橋の上から温泉方向を写しますが、まだまだ先のようです。アンデスの秘湯と言っても良い雰囲気です。

Imgp7257 ↑やっとアグアスカリエンテス温泉が見えてきました。日本の温泉とはだいぶ雰囲気が違いますね。

Imgp7259 ↑荷物預かり所です。おじさんが独りいます。鍵なしの棚に置くのは無料、鍵付の棚に入れるのは有料(3ソルくらいでしたか?)とのこと。おじさんは管理してくれないの?少し不安になりましたが、ソル持っていないし、パスポートも持ってこなかったので、無料に預けます。

Imgp7265 ↑雰囲気のあるいい感じの休憩所です。

Imgp7261 ↑更衣室です。まずまず綺麗ですが、床が濡れているのが、落ち着きません。スノコなどに慣れている日本人的には床が濡れた場所で着替えるのは、ストレスがたまるのですね。

Imgp7263 ↑正方形のプールが並んでいます。水深は深いです。立って入ります。座ってゆっくりできません。水着着用なので男女混浴です。湯はぬるめ(おそらく37度くらい?)で、茶色に濁っています。循環式でなく溜まり湯なので、清潔感はありません。プール底は砂利敷きです。

Imgp7262 ↑景色は最高です。右のとんがった山の向こう側が、マチュピチュ遺跡です。ジャングルっぽい雰囲気ですが、虫や蚊がいないのが不思議な感じです。いっぱいいそうなのですが・・・

Imgp7268

Imgp7267 ↑先客に同じツアーのご夫婦さんがおられました。その方に撮ってもらった写真です。背景は温泉を眺められるカフェです。ここから眺められる風景は、ひとつ上の写真です。ある意味、アグアスカリエンテスでは最高のカフェかも

Imgp7273 ↑お腹がすいたので、アグアスカリエンテスの街中で昼食をとります。

Imgp7272 ↑アンデスっぽい内装のお店です。オフシーズンなのかガラガラです。

Imgp7277 ↑お土産に欲しいと思っていたアルパカのチェアーマットが椅子に敷いてありました。売ってもらおうかな?と一瞬思いました。

Imgp7275 ↑ミックスサンドです。18ソル(約600円)くらいでした。ボリュームは十分です。

Imgp7278 ↑通りから見たお店の外観です。ホテルに戻って、荷物を受け取って、集合場所のアグアスカリエンテスの駅に向かいます。

Imgp7279 ↑ホテル方向とマチュピチュ遺跡方向を写して、アグアスカリエンテスを後にします。

追記:前夜の外食&散策編

Imgp7169 ↑今日は食事も自由。マチュピチュ一番のシェフのお店「インディ・フェルツ」に行きます。

Imgp7170 ↑お店の外観です。

Imgp7171 ↑お店の内観です。

Imgp7181 ↑メニューは日本語始め、6カ国ありますね。

Imgp7186 ↑お店にビジネスカード(名刺)を貼るのがここの流儀のようです。店いっぱいに貼ってありました。

続いて、アクセサリーショップに行きました。

Imgp7192 ↑インカ十字「チャカナ」のディスプレイです。

Imgp7191↑店で一番高いアクセサリーです。いくらだったか忘れました。

Imgp7190↑店主オリジナルのアクセサリーです。値札はありません。値段はすべて重量によるとのことです。

Imgp7188 ↑チャカナのアクセサリーです。気に入ったのでこれを買いました。30ドルくらいだったかな?

Imgp7193 ↑マチュピチュ麓の町アグアスカリエンテスののアルマス広場です。

Imgp7194↑ホテルのフリーインターネットでWebメールを閲覧します。日本語で表示されるなんて便利な世の中です。(日本語で入力はできませんが・・・)

>次:ペルー旅行記20(ビスタドームでのクスコへの列車の旅)
<前:ペルー旅行記18(マチュピチュ遺跡番外トレイルランニング編)

2011年5月13日 (金)

B級グルメ カップラーメン なるものを食しました

エースコックのカップラーメンに「B級グルメ探訪」という新シリーズが出たようです。

Imgp8139

東日本 山形 鳥中華 と 西日本 愛媛 塩ちゃんぽん です。

わが故郷、愛媛にこんなラーメンがあったなんて知りませんでした。

Imgp8141

山形は天童市のそばつゆのラーメンのようです。
愛媛は八幡浜市のいりこだしと鶏がらスープのラーメンのようです。

いずれも説明の通りの味でしたよ。想像してみてください。
B級グルメらしい、初体験の少し変わったラーメンなのですが、双方とも存在感のある美味しさでした。

Imgp8140

次は、何が出るのでしょうか?

2011年5月12日 (木)

地震、余震、予言に惑わされつつ、募金は台湾が一番だ!

地震学者 房総半島沖での大地震発生の可能性を指摘
2011.03.18 07:00

未曽有の大災害となった東北関東大震災。余震はこれから数か月間続き、震源域の南北両端で多発するという地震学者も少な くない。また地震発生直後からは、長野や新潟など別の場所を震源とする地震が多発しており、"さらなる大きな地震が起こ るのでは?"と日本中が恐怖に怯えている。

そんななか、3月13日に放送された『NNN緊急特番東日本大地震』(日本テレビ系)で東京大学地震研究所の纐纈(こうけつ) 一起教授が語った予測が専門家の間で話題になっている。

それは今回の大地震の震源域の南にある房総半島沖を震源とした大地震が起こる可能性があるというものだ。前述の纐纈教授 と一緒に地震の研究をする東京大学地震研究所の大木聖子助教が彼の説をこう説明してくれた。

「今回の地震は同じプレート内で起こっているんです。最初の震源地から北へ、南へとドミノ倒しのように広がったんです。 房総沖はいま、その倒れてきたドミノを頑張って支えている状態で、いつ倒れてもおかしくない。だから房総沖に大きな地震 が起こっても不思議ではないんです」

さらに京都大学名誉教授の川崎一朗氏もこう指摘する。

「(房総沖地震の)可能性はあると思います。スマトラの地震のときも、3か月後に震源の東側の近い場所でマグニチュード 8.7の地震が起こっています。房総沖は北にある今回の震源域と同じプレートにありますからね。それと同じようなことが起こ るかもしれないんです」

※女性セブン2011年3月31日・4月7日号

地震専門家が警戒する「茨城と千葉での直下型地震」の誘発
2011.04.21 16:00

今回の震災での余波は余震域となっている東日本だけにとどまらない。大地震が起きた際には、離れた位置で「誘発地震」が 起きることが少なくないのだ。1944年に起きた東南海地震では太平洋側で起きたにもかかわらず、4年半後に日本海側の福井県 で誘発地震を起こしている。琉球大学・木村政昭名誉教授が説明する。

「今回は太平洋プレートの北側で地震が起きました。地震が起きてプレートのストレスが取れましたが、今度はプレートの南 側にストレスがかかってきます。房総沖は地震の可能性が強まったといえるでしょう。大地震による誘発地震の危険性はそれ ほど注目されていませんが、規模も大きいですし、余震以上に充分警戒する必要があるでしょう」

木村教授はこれまで「地震の目」という考え方で地震の予測に取り組んできた。

「従来の地震の予測はM7前後の大きな地震が起きていない空白域を見つけ、そこで数十年後に起こるだろうとするものでした 。しかし、なかなか正確には予測できない。そこで私が考えたのが地震の目でした」

木村教授によると、空白域の中でも体には感じることのない小さな地震が密集して起きている部分があるという。空白域にそ うした地震の印をつけていくと、黒目のような形になる。それを木村教授は「地震の目」と呼ぶのだという。

「こうした地震の目ができる空白域に限って、過去に大地震が起きているんです。小さな地震が頻繁に起きるようになったら 近いうちに、その回数が多ければ多いほど大きい地震が予測されます。この方法だと、地震が起きる場所と時間と規模を予測 できるんです」

そんな木村教授がいまいちばん警戒が必要なのは、千葉と茨城で起きる直下型地震だという。
「今回の地震で日本全土にストレスが加わっているといえるでしょう。首都直下型を誘発するのではともいわれていますが、 そこにはいまのところ地震の目はありません。何も予兆のないところにはすぐに地震は起きません。ただ、茨城や千葉は以前 から、近いうちにM6を超える地震が起きるのではないかと予想されていました。こうしたエリアでは、かなり危険性が強まっ ているといえるでしょう」

※女性セブン2011年5月5日号

<台湾>「11日に震度14の大地震」予言で大騒ぎに
毎日新聞 5月11日(水)19時5分配信

 【台北・大谷麻由美】台湾中部・南投県埔里で予言者を名乗る自称「王先生」という男性が「東日本大震災から2カ月の1 1日に震度14の大地震が起き、高さ170メートルの津波が台湾を襲う。100万人以上が死亡する」などと予言。4月下 旬からインターネットで広まり、埔里にはこの話を信じる一般市民ら数十人がコンテナ約200個でシェルターを作る騒ぎと なった。

 台湾気象局は「『震度14』は存在せず、予言に科学的根拠はない」として惑わされないよう呼び掛けた。しかし、シェル ターには飲料水や米、燃料などの物資が大量に運び込まれた。予言した地震発生時刻の午前10時42分37秒が近づくにつ れ、見物人や台湾メディアでシェルター周辺はごった返し、警官約100人が出動した。

台湾:震災支援、突出の謎…親日派多く企業のメンツも
 【台北・大谷麻由美】東日本大震災で台湾からの義援金が今月13日までに48億5374万台湾ドル(約139億円)になり、1人当たりでは恐らく世界最大とみられる。日本への支援の背景には、日本好きの国民性や、企業のメンツなどがありそうだ。

 台湾の人口は2300万人で1人当たりの義援金は約600円。人口約4900万人の韓国が聯合ニュースの集計で計556億ウォン超(約42億円超、4月中旬現在)、人口3億人の米国で同国赤十字社に寄せられた義援金が1億2000万ドル(約99億円、3月末現在)であるのに比べても台湾の突出ぶりが目を引く。

 台湾は1895~1945年まで日本が統治した。李登輝元総統のような日本語教育を受けた世代が今も活躍し親類関係も多い。経済的な結びつきも深く、長い。対日貿易総額は中国に次ぐ2位、日本からの輸入額は1位だ。「台湾企業は日本のおかげで大きくなれたという意識が強い」(外交関係者)。義援金は恩返しの意味を含む。また、寄付は実名公表が多く、企業のメンツもあって額が増えた。

 昨年の訪日者数は、韓国、中国に次いで多い約127万人。人口の5・5%が日本に行ったことになる。3時間前後で気軽に行ける日本は、身近で治安が良く、漢字が読めて便利なのだ。昨年1月の世論調査では、52%が「最も好きな国」に日本をあげ、2位の米国(8%)、3位の中国(5%)を大きく引き離した。

 台湾(中華民国)は72年に日本、79年に米国と外交関係が無くなった。しかし、経済や安全保障の面で日米は特別な存在のままだ。重要性と親近感から海外ニュースは日本や米国関連ばかり。地元テレビ局と同様にNHKも見られる。東日本大震災の当日、台湾人の多くは深夜までNHKの生中継を見ていた。

 台湾の世新大学放送管理学部の羅慧※助教授は支援拡大の背景を、台湾でも地震が頻発することによる日本への共感のほか▽情報発信力の高い芸能人によるチャリティー番組▽台湾メディアの特徴でもある扇情的な報道--が影響し「日本を助けなければ、と感情的に揺さぶられた」と分析する。民衆の反応を受け、馬英九総統ら政治家たちが熱心に支援したのも効果的だった。

 中国の存在感の陰に隠れがちな台湾にとって、人道支援は国際社会で存在感を示す重要な機会でもある。今年2月のニュージーランド地震の際は、日本より先に救助隊を現地に派遣した。

 ※は「雨」の下に「文」

2011年5月11日 (水)

萩往還マラニック大会の記録速報が公表されました。

いやあ、待ちに待った第23回萩往還マラニック大会の記録が発表されました。

それによると、250kmの部は399人の出走で、222人が完走、完走率は55.6%でした。

ちなみに私の順位は93位でした。ほぼ想像したとおりでした。

最後尾からスタートし、序盤はがむしゃらに走って100番くらいになったものの、初日から仮眠していたので、一時は200番(チェックポイントでは監視員が記録していたのでわかるんです。)になりましたが、最後は93番まで上がり、まずまずですね。

目標の36時間なら、なんと!9位です。

ちょっと望外な望みだったかしら・・・

はやく左足を回復させて、走りたいこのごろです。

2011年5月10日 (火)

浜岡原発の停止要請受諾に思う

菅総理大臣による浜岡原発停止要請に何より驚いたが、中部電力も内閣総理大臣のなりふりかまわない停止要請に抵抗するよりも、従う方が得策との判断により、事態はよい方向に収束した感があります。

しかし、総理大臣による停止要請とは菅総理も普通の総理大臣とは思えない決断でした。

そういう意味では、ものすごい総理大臣、いや政治家かもしれません。(独断専行なのが吉と出ている分にはいいのですが・・・不安です。)

内閣参与の涙の辞任会見も消し飛びましたし・・・

それにしても思うのは、東海地震震源域が静岡県の半分くらいを占めていたこと。
浜松には親戚がいますが、引越しした方がよいのではと勧めたくなりますね。

耐震強度がおそらく最高レベルの原子力発電所して様子見しようという事態なのですからね。

あと、東海道新幹線や東名高速道路も利用しないように考慮しないといけないかも?

追記:南関東に住む者としては、浜岡原発停止は悪くない話です。関東の西に位置する一番近い原発でしたからね。原発容認論者としては、情けない反応ですが・・・

2011年5月 8日 (日)

萩往還マラニック大会を完走しての感想

萩往還マラニック大会250kmを何とか完走して、4日が経過しました。

思った以上に左足の状態が悪いうえ、回復が思わしくありません。
これまで筋肉痛はあったものの、足の屈伸に支障が出る腱の腫れ(腱鞘炎?)がここまで悪化したのは初めてです。

それだけタフなコースであり、250kmという距離のダメージが以下に大きいことだったと痛感しております。
特に月間300km程度しか走っていないトレーニング量では、それに耐えるだけの身体になっていなかったと言うことなのでしょう。

さて、参加してわかったこの萩往還250kmの私なりのポイントをお伝えします。

1 睡魔との闘いが厳しいこと
2 坂道対策をどう選択するか

まず、1の睡魔との闘いですが、判っていたのですが想像以上でしたね。
250kmの部は、例年5月2日の午後6時スタートですが、実際の起床時間はもっと前でしょうし、仮にそれを同日午前6時起床とすれば、ゴール制限時間の4日午後6時までだと60時間後になります。ちなみにほぼ同距離のギリシアのスパルタスロンですが、午前7時スタートで制限時間は36時間です。40時間程度起きていればよいことになります。

60時間だと起き続ける事すら困難な上に、250kmを走る疲労を考えると睡魔との闘いは実に厳しいです。

私は、結局仮眠3回、計3時間睡眠をとりました。眠気に弱いため、積極的に仮眠を取った結果ですが、前後の時間を含めれば4時間以上のロスが生じたと思われます。

できるだけ直前まで睡眠をとったうえで、2日目夜間の仮眠所で1時間半程度の仮眠で切り上げることがタイム短縮のポイントだと思います。

次に、2の坂道対策の戦略的選択ですが、これは萩往還マラニックのコースは舗装路中心でアップダウンがあるものの走れないレベルの坂ではなく、そのうえでどうするかということです。

実際のところ、走り続けるるには厳しい上り坂なのですが、ここを我慢してどれだけ走り続けるかが、タイム短縮のポイントであり、ここを走らないという選択が体力温存、ひいては完走へのポイントでもあります。(つまり上り坂を走らない、すなわち平地をしっかり走りきることこそ、完走に向けてのポイントです。)

私の場合は、上り坂が大の不得意なので、上り坂でかなり歩きましたが、逆に言うと、その上り坂をしっかり走ることができれば、タイムの短縮も可能ということになろうかと思います。

それにしても、250kmでの左足の損傷、長引きそうです。

追記:
 この萩往還マラニック大会ですが、なんだかまた出場したくなる大会です。
 250kmという驚愕の距離設定もさることながら、各エイドに見られる温かみのあるサポート、ゴール前約30kmの萩往還での他のカテゴリー選手との邂逅とエール交換の素晴らしさなど、大会に参加してよかった、山口県に行ってよかったと思わせるところでしょうか。
 ともかく素晴らしい大会です。

萩往還マラニック大会250kmの部完踏記6(ゴール編)

いよいよゴールに向かって、最も厳しい萩往還残り35kmを駆け抜けます。

Imgp8111↑(07:40)215.2km地点の東光寺前(第10チェックポイント)です。

Imgp8112 ↑これで全部のチェックポイントをクリアしました。チェックポイントごとに異なるパンチがその証拠です。リュックにしまって、完走のゴールを目指します。左足は曲げることも伸ばすこともできない状態ですが、やるしかないですね。

Imgp8113 ↑(09:30)萩往還入り口(関門時間15:00)の上り坂に入ります。緑色のCゼッケンのランナーとすれ違います。4日午前6時に山口をスタートした70㎞の部の選手です。

Imgp8114 ↑(09:48)川沿いの萩往還です。今日はすがすがしい快晴のようです。

Imgp8115 ↑(10:10)225.9㎞地点の明木エイドです。まんじゅういただきました。

Imgp8116 ↑(10:10)明木はイベント開催中のようです。宿場町らしい風情の中、賑わっていますね。

Imgp8117 ↑(10:25)一升谷からのだらだらと続く長い上り坂です。暑さと疲労で完全に足が止まり、1時間以上かかって登りました。何人ものランナーに抜かれて行きました。

Imgp8118 ↑(12:26)235.7㎞地点の佐々並エイド名物の豆腐です。250㎞ランナーには特別なのか、2つ勧められて、いただきました。美味かったですし、これでいよいよゴールまで約14㎞を実感しました。

Imgp8119 ↑佐々並エイドです。少し離れて休憩しています。エアーサロンパスを脚中にかけて、最後の14㎞に臨みます。

Imgp8120 ↑右に90度パンして、進むべき道を望みます。正面に見える山を越えていきます。

Imgp8121 ↑(13:26)上長瀬の私設エイドです。長瀬川沿いの小さな集落ですが、例年、手作りの草もちを振舞ってくれる名物エイドでしたが、今年は既製品の饅頭での振る舞いでした。おばあちゃんらが、「もうできんようになって」との弁明に胸が詰まりました。「今まで手間隙かけての心温まるおもてなしを続けていただきありがとうございました」。最高標高の板堂峠(標高545m)に向かいます。

Imgp8122 ↑上長瀬エイドで走り始めるためにデジカメをリュックにしまうときにシャッターが切れたようです。メッシュ越しに逆さになった写真です。

Imgp8123 ↑(13:58)夏木原キャンプ場(関門時間17:00)前の長い長い県道を登りきって、萩市から山口市に入りました。いよいよ最後の萩往還に戻ります。

Imgp8124 ↑(14:02)243.6㎞地点の板堂峠(標高545m)を通過します。ここから得意の下りです。脚は上がりませんが、最後まで悔いの無いよう走ります。

最後の最後に250㎞のランナーに抜かれました。ラストに抜かれるのは、初めての経験でした。上がらない脚を懸命に上げて、最後まできちんと走ってゴールできました。

36時間切りなぞとんでもありませんでしたが、無事ゴールできて良かったです。
とりあえず満足です。

Imgp8125 ↑(14:56)ゴールのある香山公園の記録証の発行テントです。ウェーブスタートで約14分遅れだったので、記録は44時間40分でした。

この後、荷物置き場に行って、直ぐにタクシーを拾って、山口駅に行って、新幹線の指定席を確保しました。東京への最終ののぞみの残り4席の指定席を幸いにもゲットできました。

その後、大会貸切の銭湯(亀山湯)に向かい、2日間の汗を流しました。

さっぱりして、山口駅に戻り、新山口駅で新幹線に乗り換え、種類を選べなかった駅弁とビールを買って、指定席に座って、一気に食べて飲んで、東京まで爆睡して帰りました。

自宅には、午前0時過ぎに帰り着きました。

<前:2日目夜間走行編

萩往還マラニック大会250kmの部完踏記5(2日目夜間走行編)

小一時間の仮眠のつもりが、あまりに気持ちのよい布団と毛布、温かいもてなしに仮眠所である宗頭文化センターに3時間の滞在した後、萩市街に向かうことになりました。

Imgp8095 ↑(00:01)175.7km地点の宗頭文化センターでの食事です。温かいお味噌汁が最高でした。

Imgp8096 ↑食事会場風景です。ここから最後のゴールまで残り18時間弱で臨むことになります。みなさん体力的にはぎりぎりなはずですが、悲壮感無く、楽しみながら走ろうかって感じがとても印象的でした。

00:30に宗頭文化センターを出発。0時までに出発が、完走の一つの条件のようで、ほとんどのランナーは出発したようで、道中にランナーが居らず、実に不安でした。

Imgp8097 ↑(01:02)179km地点の藤井商店第7チェックポイントに到着ですが・・・

Imgp8098 ↑道路の反対側にチェックポイントがありました。ここから鎖峠(標高231m)に向かいます。熊の出そうな名前の峠です。

Imgp8099 ↑坂を上ると、大きな国道(191号線)に出ました。左側の道路わき斜面に何気にランナーが仮眠してました。

Imgp8101  ↑(01:44)182.2km地点の鎖峠(標高231m)に到達です。熊なんぞいない明るい国道ですが、この時間は車も通っていません。三見駅に向けて得意の下りを下ります。ちなみに三見駅への道は真っ暗な川沿いの遊歩道で脇には廃屋ありで、とても女性ランナーが一人で走れるようなところでなかったです。

Imgp8102 ↑(02:41)188.1km地点の三見駅第8チェックポイントに到着です。時間ぎりぎりのランナーの方々は、ここまで寝ないできているため、仮眠しているランナーもちらほらいます。こちらは帰りの新幹線の時間もあるので、先を急ぎます。

Imgp8104 ↑(03:12)山陰本線沿いに萩市内に向けて民家のまったくない旧道?を進みます。その途中のエイドです。温かいお茶をいただきました。何度も踏み切りで線路を跨ぎます。8年連続完走されているランナーと同行しして進みました。私の多少速いペースについていきながら、話をしていた方が眠くないとのこと、こちらも道不案内につきとても心強い同行でした。玉江駅に近づいて、私が先行しました。

Imgp8105 ↑(04:08)195km地点の玉江駅に到着です。駅の待合室がエイドになってランナーが休んでいます。

Imgp8106 ↑(04:08)玉江駅内のミニエイドです。こんな深夜にとても助かります。大会スタッフの厳正でありながらも温かみのある運営に感謝です。グレープフルーツをほおばり、息を吹き返して、去年はたくさん歩いてしまった萩市内を走りきる強い気持ちで望みます。

疲労困憊、足はパンパンなれど、ここから、約10km走り続けることができました。

Imgp8107 ↑(05:57)206.9km地点の萩市対岸の笠山の裏側(日本海側)の虎ヶ崎(第5食事場所兼第9チェックポイント)に到着しました。夜が明けてしまいましたが、まずまずのペースで満足です。140kmの部のときは、歩いての到達でしたが、今回はそこそそ走れての到着で満足です。

Imgp8108 ↑カレーライスとオレンジです。何回目のカレーライスでしょうか?最後、山口市内に向けてラストランです。(といっても560mの峠越えの35kmですが・・・)

Imgp8109↑虎ヶ崎からの朝日です。

Imgp8110 ↑岩場に釣りをする人がいますね。

さあ、いよいよ最後、山口市内のゴールある瑠璃光寺までのランニング残すのみです。

>次:ゴール編
<前:2日目昼間走行編

2011年5月 7日 (土)

萩往還マラニック大会250kmの部完踏記4(2日目昼間走行編)

夜が明けてからは、日本海側の風光明媚な岬や海岸線をまさに縫うように、走ります。

Imgp8062 ↑(06:01)87.2km地点、2回目の食事場所となる海湧食堂です。

Imgp8063 ↑中華丼?ランナー向けに小盛でした。私は普通盛でも大丈夫なんですがね。

Imgp8064 ↑(06:48)先を急ぐランナーには用の無いだれも使っていない座敷がありましたので、また30分仮眠してしまいました。ここから150m内陸に入ったところに第1荷物引渡し場所の油谷中学校があります。荷物を送らずに全部背負った私は、この片道150mの往復300mの短縮を図ったつもりでしたが、30分も寝てては、時間的な優位は無く、多くのランナーにまた抜かれてしまいましたね。

Imgp8065 ↑(06:56)仮眠でリフレッシュして走り始めると「楊貴妃の里」?この奇妙なフレーズになじみがあります。思い出しました。昔来た事があるようです。15年前にはまさかこの地を自分の足で走るなどとは夢にも思いませんでした。

Imgp8066 ↑(07:25)海を臨む道路を西に進みます。

Imgp8067 ↑(07:59)本コースの最西端となる俵島の付け根にたどり着きました。

Imgp8068 ↑(08:27)98.5km地点の俵島第2チェックポイントです。ここで一緒のなった大阪のおばちゃんランナーにペースを尋ねると「ゴールは47時間かな?」とのこと。疲労で動けないながらも、少しピッチを上げることにしました。

Imgp8069 ↑段々畑から日本海を望みます。

Imgp8070 ↑この海岸には津波のような白波が連続して発生しておりました。サーフィンにはもってこいだと思っておりましたら、ちゃんとサーファーがいました。

Imgp8071 ↑(09:00)俵島からの帰路、私設エイドで水をいただきました。地元の方の嬉しいサポートです。

Imgp8072 ↑大浦漁港です。

Imgp8074 ↑(09:54)107.8km地点。川尻岬・沖田食堂第3チェックポイントです。3回目の食事場所です。関門時間は13:00です。約3時間前の到着でした。

Imgp8073 ↑うどんかカレーライスとのこと。迷わずカレーにしました。結構美味しかったです。

Imgp8075 ↑(10:05)川尻岬方向?

Imgp8076 ↑(10:33)山口の棚田20選にも選ばれている見事な棚田です。先ほどまで海岸線を走っていたのですが、いかに登ってきたかがお分かりになるかと思います。きつい坂道でした。こんなアップダウンの連続なのが萩往還マラニックの特徴です。

Imgp8077 ↑(11:02)厳しい坂道が続きます。先行する黒ランナーさんは、千葉市の蘇我から来られたとのことで、少し話をしましたが、のぼりの弱い私は、遅れだしたところです。この後、下りとなり、下りは強い私は、彼を追い越して先行したのですが、分岐を間違えて200mくらい先行したときに、後ろから大声で道間違いを指摘してくれて、助かった次第です。こうした助け合いが起きるのも、この萩往還マラニック大会ならではのよいところですね。感謝に堪えません。ありがとうございました。

Imgp8078↑(11:26)立石観音です。龍宮の潮吹きに釣られて道間違い起こすところでした。

Imgp8079 ↑(11:27)117.7km地点。立石観音第4チェックポイントです。

Imgp8080 ↑(11:36)チェックポイントの近くにお店がありました。ここから次のチェックポイント千畳敷までは長く厳しい上り道、しかも最も暑さ厳しいお昼時、ベテランランナーが飲料水やアイスを購入しているのを見て、私も真似しました。アイス最中を食べて、スポーツ飲料を購入しました。漁がないと思われる今日は本来なら休業なのでしょうが、マラニックの参加者のために開いてくれているのだと思います。しかもペットボトル100円で売っていました。

Imgp8081 ↑(12:44)いやになるほど続く長い上り坂の間、必死で前に進んでおりましたが、そろそろ千畳敷かと思ったところが、まだまだ続く上り坂にため息がてら写真を撮ったところです。

Imgp8082 ↑(12:56)125.4km地点の千畳敷第5チェックポイントに到着です。250kmのほぼ中間点ですが、既に疲労困憊です。関門時間は17:00、約4時間前の到着でした。

Imgp8083 ↑(12:57)曇っていて写真でははっきりしませんが、眼下に海が望めます。ここも昔、観光に来ましたね。標高330mから、平地の黄波戸口のエイドに駆け下ります。

Imgp8085↑(13:47)131.1km地点の黄波戸口エイドに到着です。ここも地元の方々のボランティアの手厚いサポートと激励に勇気百倍です。

Imgp8084↑(13:55)ここではカップラーメンのサービスがありました。ちょっと胃腸がもたれ気味だったので遠慮しましたが、みなさん美味しそうに食べていましたね。

Imgp8086 ↑(14:57)黄波戸峠(標高86m)を越えて、長門市街に入りました。セブンイレブンの看板表示711mという几帳面さとジョークに感心し思わず写真を撮りました。この手前の歩道で、上がらなくなった足がわずかの段差にけっ躓き、転倒しました。左手の甲の川が綺麗にむけ、出血の負傷しました。足が上がらなくなり、走るスピードも出なくなりましたね。

Imgp8087 ↑(15:35)仙崎湾です。

Imgp8088 ↑(15:39)143.3km地点の仙崎公園エイドに到着です。飲み物のサービス中心です。ここから青海島の鯨墓の往復ルートになることから、多くのランナーがこの場にリュックを置いて、走っていますが、正規ルールに基づいて、私は自分の荷物を背負って、進むことにしました。そんなプライド高いランナーも1,2割はいた感じです。

Imgp8089t ↑(15:50)震災後のACのCMで有名となった金子みすずさんの記念館がこの山口県長門市にありました。駐車場は満車らしく、入場者が多いようですね。

Imgp8090 ↑(17:19)153.8km地点です。青海島の海岸沿いのアップダウンの道で半島の先にある鯨墓第6チェックポイントに到着しました。このルートは行き止まりの往復ルート(往復約20km)で、先行して戻ってくるランナーとエール交換しながらの気持ちのよいランニングになりました。スタートから24時間近く経過し、とてもつらい時間帯ですがね。

Imgp8093 ↑(18:03)第3食事場所の静ヶ浦キャンプ場の食堂に到着です。

Imgp8092 ↑一家で経営している感じで、子どもたちの給仕に和やかな気持ちになりますね。

Imgp8091 ↑メニューはうどんかカレーライスで、カレーライスです。スパイスの効いたカレーでした。

Imgp8094 ↑(19:08)青海大橋を下って、長門市街の仙崎公園に向かいます。この少し手前で、大阪のおばちゃんランナーとすれ違いました。3時間近い遅れ、心配ですね。

仙崎公園のエイドに立ち寄って、そのまま、一路仮眠所の宗頭文化センターを目指しました。足底筋(ようは土踏まず)がパンパンで痛いので、開いていた薬屋さんでエアーサロンパスを購入。エールと共に、試供品のサロンパスまで付けてくれました。このお店も、ランナーのために開けてくれていたんだと思います。
その後、複数のランナーが休憩しているコンビニで、またもアイス最中とジュースを購入し、街灯のないランナーが前後にもいない暗い道を走って、まだかまだかと待ち望んだ宗頭文化センターに21:30に到着。すぐさま、毛布にもぐりこんで、仮眠しました。

>次:2日目夜間走行編
<前:1日目夜間走行編

2011年5月 6日 (金)

萩往還マラニック大会250kmの部完踏記3(1日目夜間走行編)

日本海に向けての初日の夜間走行です。

Imgp8048↑上郷駅前の国道9号線を地下道を通って、内陸部に向かいます。

Imgp8049 ↑(20:34)21.8km地点の湯の口エイドです。二本木峠を越えてきたので、一息つけました。

Imgp8050 ↑(21:13)27.8km地点の下郷駐輪場エイドです。この辺りはまだまだ余裕の楽しいランニングです。

Imgp8051↑(21:44)32.0km地点の美祢高校前エイドです。この前後、街灯のない川沿いの道をランナーが黙々と一列で走りました。夜間走行の安全のため、主催者から配られランナーみんながLEDで青色に光るバッチを背中に装着して走ったのですが、それはまるで蛍の光の列のように、漆黒の闇の中、ゆらゆらと漂う美しい光のまたたきとなり、とても印象深く、感動的な風景でした。

Imgp8052 ↑(22:24)主催者の確認ポイントです。場所はよくわかりません。

Imgp8053 ↑(23:10)44.0km地点の西寺交差点エイドです。ガソリンスタンドに設置されています。そうめんをいただきました。小さな紙コップの一口サイズでしたが美味かったです。さらに背負ってきた菓子パンを食べてエネルギー補充しました。

ここから日付変わって、5月3日(火)です。

Imgp8054 ↑(00:54)57.6km地点のトンネルです。厳しい山越えでアップダウンが多くなり、疲労も重なり、たいぶ眠くなってきました。

Imgp8055 ↑(01:03)58.7km地点で第1チェックポイント兼食事場所の豊田湖畔公園に到着です。主催者確認シートをチラッと見ましたが110番くらいでした。最後尾スタートですので、290人くらいは、追い越したということでしょうか?

Imgp8056↑(01:08)食事はうどんとおにぎり2個です。ちょっとおにぎりは固めでした。

Imgp8057 ↑(01:56)眠さに弱い私は、こここで机に突っ伏して約30分仮眠しました。この30分の仮眠でまた100人くらい抜かれたようでした。

Imgp8058 ↑(02:57)67.1km地点の俵山温泉エイドです。まんじゅうをいただきました。かなり寒くんばっており、吐く息は白く、このエイドではストーブが焚いてありましたね。このあと砂利ヶ峠(じゃりがたお)標高260mの厳しい上り下りがありました。大坊ダム沿いの下りを快調に飛ばしたのですが、ここですっかり脚にきましたね。途中、前方の歩いていたランナーが、側溝に落ちました。どうも眠って歩いていたようです。大丈夫ですかと声をかけると、「眠っちゃたよ」と笑って答えてくれたので、そのまま追い越しました。

Imgp8059 ↑(04:43)80.4km地点の新大坊エイドです。プロのマッサージコーナーがありましたが、気が緩みそうなので、パスしました。ここで尊敬している山崎次郎さんと話ができました。

Imgp8060 ↑(04:58)15分仮眠しました。この後、トイレですっきりして、出発しました。もうすぐ日本海です。

Imgp8061 ↑(05:20)日本海側の油谷湾に架かる油谷大橋からの夜明け前です。

目標とする日本海までの疾走は成し遂げました。2回仮眠したので、タイム的には今ひとつの展開です。36時間での完走はとても難しい状況になりました。

>次:2日目昼間走行編
<前:スタート編

2011年5月 5日 (木)

萩往還マラニック大会250kmの部完踏記2(スタート編)

スタート場所に向かいます。

Imgp8029↑荷物置き場から直ぐ向かいの香山公園内のスタート地点に向かいます。

Imgp8030 ↑スタート30分前の午後5時半。西日でまだ暑いくらいの気温です。すでにスタート最前列は早くスタートしたい選手が並んでいます。ウェーブスタート(時差スタート)なので、私は最後列からスタートすることにします。※ウェーブスタートとは、50人くらいの集団毎にスタートし、公道での混雑を緩和するものです。個々の記録タイムはスタート時からの計測になりますが、関門の制限時間は一緒です。48時間ぎりぎりでの完走を目指す人にとっては、少しでも早くスタートしたいでしょうね。私は、道順に自信が無いので、後ろからのスタートにしました。

Imgp8031 ↑開会式です。国宝の五重塔前で行われるのが趣き深いですね。

Imgp8033  ↑午後6時直前、いよいよスタート間近です。緑色のマットがゼッケンタグのタイム計測開始するところです。あまり近づくと反応しそうなので、このあたりから写します。

Imgp8034↑沿道には応援する人がいます。

Imgp8036  ↑午後6時、第一陣がスタートしました。

Imgp8037 ↑がんばって一緒に走りぬきましょう!

Imgp8039 ↑(18:14)午後6時14分に私のいる最後尾グループがウェーブスタートしました。

Imgp8040 ↑立ち止まって振り返ります。完全に最後尾であることを確認して、走り始めます。

Imgp8042 ↑(18:29)山口駅前を通過します。

Imgp8043 ↑(18:36)6時半もすぎ、黄昏てきました。一度、川を渡って、向こう側の橋で再度、川を渡ります。より安全な走路を通るためです。

Imgp8044 ↑椹野川沿いの歩道(山口市内)を通ります。写真を撮りつつ、日本海(約90km地点)までは、絶対に走りきるつもりで、追い越していきます。

Imgp8046 ↑実に走りやすい道です。だいぶ暗くなってきました。

Imgp8047 ↑(19:32)最初の休憩場所、上郷駅前エイド(13.2km地点)です。ここでヘッドライトを装着します。

ちょっと飛ばしすぎかな?と思いつつ、信号待ちなどある道をキロ6分程度の快調なペースで進みました。
いよいよ、ここから、初日の山道の夜間走行に入ります。

>次:1日目夜間走行編
<前:スタート前編

萩往還マラニック大会250kmの部完踏記1(スタート前編)

国内有数の超長距離マラソン大会である山口100萩往還マラニック大会の最長距離部門であるカテゴリーA250kmに参加しましたので、何回かに分けてご報告します。

さて、この大会ですが、走行距離250kmという国内では有数の長距離大会です。
個人、同好会レベルでの超長距離大会は、いくつもありますが、地元の後援や警察ときちんと協議して開催される大会としては、国内最長距離の大会と思われます。

今回の250kmの参加者は、名簿上429人でした。数人程度は欠席しているかもしれませんが、400人以上であることは間違いないでしょう。

ちなみに昨年の参加状況ですが
エントリー365人、当日出走339人 完走者152人 完走率44.8%です。

改めて調べてみたら、凄い数字ですね。特に完走率が低いですね。びっくりです。

朝一番の電車に乗って、昼過ぎに山口駅に着きました。まずは、スタート地点に隣接している香山公園内にある受付に向かいます。

Imgp8014 ↑歓迎垂れ幕があります。

Imgp8015 ↑受付です。ゼッケンや給水用エコマグカップをもらいます。250kmの道中、少しでも軽量化したいところですが、給水を受けるためにはこのエコカップが必要とのこと。旅の道連れです。
それから、東日本大震災の募金とチャリティグッズ販売もしておりました。募金しておきました。

Imgp8017 ↑荷物置き場です。表現は悪いかもしれませんが、どう見ても廃墟というか廃屋でした。

Imgp8016 ↑ブルーシートの上に荷物を置いて着替えます。雨がしのげるだけで、贅沢はいえません。なお他にも荷物置き場あるようです。

Imgp8010 ↑山口県庁に表敬訪問します。

Imgp8012 ↑おいでませ!山口国体まであと152日、おいでませ!山口大会まであと173日です。

Imgp8019 ↑威厳のある旧県庁舎です。

Imgp8018 ↑知人の職場を表敬訪問しました。とんだ珍客に驚いておりましたが、楽しい再会となりました。リハ大会直前の緊迫感がありましたね。

Imgp8008↑受付に向かう道中のバスから前方を走るラッピングバスを写しました。おいでませ!山口国体、おいでませ!山口大会

Imgp8021 ↑知人と会っていたので遅れての聴講となりましたが、ウルトラマラソンセミナーがありました。ウルトラマラソン道を追求する大会ならではの催しですね。

Imgp8020 ↑スライド上映による多彩なウルトラランナーによる講演でした。とてもためになると共に、ウルトラランナーへの道のりの厳しさを感じましたね。

Imgp8024 ↑15時から全員参加の説明会です。主催者あいさつが歴史と伝統に加え、温かみのあるあいさつで、感動しました。
その後、注意点などを詳しく説明を受け、装備変更を決意しました。シューズは信頼感のある5号機(モントレイルのハードロック)に、ウェストポーチからリュック(ドイターアドベンチャーライト10)にすることにしました。

Imgp8022 ↑選手名簿と本レースで最も重要なチェックシートです。チェックシートに全てチェックしてゴールしないと認定されないので。チェックシートの右側は5箇所の食事券が綴られています。

Imgp8026 ↑他にうどん券が配られました。到着後は食べられるかどうかわからないので、早々に食べることにしました。

Imgp8028 ↑150円のわかめ飯を付けていただきます。漬物が美味でした。

この後、荷物置き場に戻って、着替えて、スタート会場に向かいました。

>次:スタート編

萩往還マラニック大会の後遺症

萩往還マラニック大会250kmを激走を終えて、丸一日が経ちました。

後遺症というと大げさですが、現在の身体の状況は以下のとおりです。

筋肉痛は、左肩が最高に痛いです。リュックを45時間近く背負っていたせいだと思います。マッサージを受けたいところです。

右足は、人差し足指が腫れてヒリヒリしております。マメはできていませんが、低温やけどのような感じでしょうか?

左足ですが、膝裏と足首が腫れております。関節としての機能が失われております。
曲がったままで、伸ばすこともそれ以上曲げることも非常に痛く、走ることはもちろん、歩くこともままなりません。足を引きずって歩いています。

そのため我が家の階段ほか、手すりが付いていることをありがたく感じたのは初めてでした。

左足は、膝裏と足首に湿布を貼っております。
じんじん内部に浸透して効いている感を感じたのは初めてですね。

薬は偉大ですね。

明日から仕事。現在の仕事はデスクワーク中心なので、まあ、なんとかなるでしょう!

250kmは、一般人の限度を超えていることを感じる一日でした。(笑)

2011年5月 4日 (水)

萩往還マラニック大会結果速報

とりあえず完走しました。

時間は44時間40分でした。完走記はこちらです。

おかげで新幹線に乗って本日中に千葉に帰って来られそうです。

新幹線では爆睡するんでしょうね

前回の「怖い石鹸」の教訓から指定席を山口駅にひとつしかないみどりの窓口に並んで確保できました。

それにしても左足首が腫れて痛いです。まだ250kmの身体にはなっていなかったようです(笑)

萩往還マラニック大会速報4

萩往還マラニック大会速報4
先ほど最終チェックポイントの萩市内の東光寺にたどり着きました。

あと残り30km、かつての参勤交代用の街道である萩往還(険しい山道あり)ですので油断なく完走成し遂げられますよう頑張ります。

(中央に先行するランナー見えます。)

2011年5月 3日 (火)

萩往還マラニック大会速報3

仮眠所(宗頭文化センター)に到着。175km地点です。残り75km。脚は満足に動きませんが頑張ります。

萩往還マラニック大会速報2

萩往還マラニック大会速報2
中間の125km地点の第5チェックポイントの千畳敷に着きました。

やっと半分ですが体力は数パーセントしか残っていません(笑)

果たしてゴールできるのでしょうか?

萩往還マラニック大会速報1

萩往還マラニック大会速報1
第二チェックポイントの俵島に到着しました。約100km踏破しました。

しかしきついですわ

ちなみにチェックポイントで一緒だった大阪のおばちゃんランナーに予想ゴール時間を尋ねたところ、「47時間くらいとちゃう」とのこと

制限時間ギリギリの戦いになりそうです。

2011年5月 2日 (月)

萩往還のスタート地点です

萩往還のスタート地点です
国宝である五重の塔前からスタートという素晴らしい大会です。

250キロメートルの部は429人のエントリーでした。

いよいよ午後6時スタートです。

2011年5月 1日 (日)

いよいよ明日は萩往還マラニック大会250kmです。

250kmを最大48時間走り続けるという萩往還マラニック大会がいよいよ明日です。

コース図は以下のとおりです。山口県のほぼ中央にある山口市をスタートし、時計回りに日本海に出て、萩を経由して戻ってきます。これで250kmぴったりです。

Map

本州最西端の山口県で開催されます。

なのに未だに千葉におります。

明日、朝一の新幹線で出立し、15時からの説明会に参加し、18時のスタートを迎える予定です。

その前に、知り合いのいる山口県庁に出向いて激励に行くつもりです。

さて、明日からのレースの装備ですが、今日、モンベルでウエストポーチを購入しました。

K1123647_3

クロスランナーポーチ M モンベル

【重量】145g

荷物を身体にフィットさせるという独自の視点から開発したウエストポーチです。ポケットはパワーメッシュを採用し、収納物の揺れを抑えます。

ドイター アドベンチャーライト10 でなく、このポーチで軽量化して、臨もうと思います。

軽量化を決めた要因は、先週の外秩父七峰縦走ハイキング大会(42km)で、500ccの給水でしのげたことで、エイドと食事場所18箇所での給水給食でまかなえる見込みができたからです。(一昨年の140km参加時もエイドと食事場所以外での給水給食しなかったですから)

ポーチに入れるものは以下のとおり
 デジカメ
 携帯電話
 現金とクレジットカード
 クオカードと健康保険証
 アミノバイタル顆粒
 胃薬・鎮痛剤
 サプリメント(鉄分)
 アーミーナイフ
 塩飴
 ビニール袋大(ポンチョ)
 予備LEDライト

 ちゃんと無理なく入りました。フィット感もよく、頼もしい限りです。

他には、防水LEDヘッドライトで夜間走行に備えます。

次に服装類ですが、以下のとおり
 ファイントラック フラッシュドスキンメッシュ ノースリーブタイプ
 発熱ロングシャツ(登山用)
 ハーフジップ半そでシャツ
 ボクサータイプパンツ
 スポーツタイツ ロングタイプ
 ハーフパンツ(ポケット3つ)
 5本指ソックス
 サンバイザー

シューズは以下のとおり
 8号機(アディダス ランニングシューズ)
 5号機(モントレイル ハードロック)
 ※5号機は100km地点の荷物に置いておきます。8号機が調子悪くなった場合に、最も信頼の高い5号機に変更します。
 5号機は頑丈すぎて重いので、走れる序盤には8号機のランニングシューズで勝負し、可能なら最後まで使用するつもりです。

タイムの目標ですが、36時間以内を目指します。(制限時間は48時間)
それはほぼ同じ距離であるギリシアのスパルタスロンの制限時間が36時間だからです。
2日18時に山口市をスタートし、3日の夜明け頃に日本海にたどり着いて、3日の日没頃には萩にたどり着いて、4日早朝にゴールの山口市戻るイメージです。

さてさて、途中で眠らずに走りきることができるのか?
脚や膝は完走まで持ちこたえられるのか?

どんな未知なる世界が待っているのか?
わくわくしてきます。
きっちり堪能してきます。
では、一眠りしたら、明朝には行ってきまーす!

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