防災無線の大切さ
千葉市、防災無線で津波警報流さず…大震災の日
2011年4月23日(土)11時36分配信 読売新聞
東日本大震災が発生した3月11日、千葉市の東京湾沿岸部に津波警報が発令されていたにもかかわらず、同市が防災無線で住民に警戒を呼びかけていなかったことがわかった。
自動的に警報を防災無線で流すシステム「J―アラート」が改修工事中で作動せず、手動による放送も手が回らなかったという。
市総合防災課によると、災害時の市の対応をまとめた地域防災計画では、津波警報が発令された場合、防災無線で住民に警戒を呼びかけると定めている。東日本大震災では、東京湾沿岸部に同日午後3時31分に津波警報が発令されたが、沿岸部の同市中央、美浜両区にある防災無線41か所から警報は流されなかった。津波警報は翌12日午後1時54分、注意報に切り替わった。
震災による津波は東京湾でも観測され、隣の市原市で0・9メートルを記録。千葉市内では沿岸部の住宅で床上3棟、床下17棟に浸水被害が確認された。同課は「被害確認などに追われ手が回らなかった。防災無線で安全確保を呼びかけるべきで、反省している」としている。
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「避難して」防災無線で呼びかけ続けた2職員
2011年4月19日(火)3時8分配信 読売新聞
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東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の防災対策庁舎で危険を顧みず、防災無線で住民に避難を呼びかけ続けた職員がいた。
危機管理課の三浦毅(たけし)さん(52)と遠藤未希さん(24)で、家族らの懸命の捜索も実らず、今も行方がわからないままだ。2人がいた庁舎を、町は「震災を後世に伝える象徴に」と、保存を検討している。
「10メートルの津波が予想されます。急いで、高台に避難してください」
課長補佐の三浦さんは地震が起きた時、庁舎2階の放送室で遠藤さんらと避難を訴えた。約30分後、庁舎にも予想を超える波が来た。「毅さん、もういいから屋上に逃げよう」。同僚の勧めに、「もう一回だけ言わせてけろ」と答えた姿が最後に目撃されている。
三浦さんの妻ひろみさん(51)は当時、庁舎から約20キロ北の会社で勤務。自宅へ戻り、夫の声を聞きながら近くの山へ逃げた。しかし、声は途絶えた。
「逃げたんだ」。そう信じていたが、連絡はつかず、翌朝から、無線は別の声に。「代わりを頼むような人じゃない」。ぼう然とした。
震災1か月の11日、庁舎で夫の手がかりを探した。泣きながら「お父さーん」と叫び続けた。「『いやー、参った』と笑って戻ってくる気がしたのに……。この状態では」。雨の中、鉄骨がむき出しになった庁舎を見上げ、ため息をついた。
「私だけご飯を食べて、暖かい布団に入って、ごめんね。声で助かった人も多いと思うよ。お疲れさま」。ひろみさんは声を振り絞る。
遠藤さんも三浦さんと交代するまで、無線で呼びかけを続けた。
遠藤さんの母美恵子さん(53)は当時、養殖の仕事で海岸にいた。逃げる途中、娘の声を聞いた。気がつくと、遠藤さんの声は途絶えていた。夫の清喜さん(56)と避難所を巡り、がれきをかき分けて、まな娘を捜し続けた。
遠藤さんは1年前、同課に配属。昨年7月に結婚し、今年9月の披露宴で着るドレスを美恵子さんと選びに行くのを楽しみにしていた。「声に助けられた」。そう感謝する住民もいる。しかし、「庁舎が高台にあればもっと多くの人に呼びかけられ、本人も助かったのでは」と、割り切れない。
清喜さんは「娘にはありがとう、ご苦労さま、と伝えたい。でも……もう一度、笑顔が見たい」と話した。
危機管理課は職員5人で、2人が行方不明になったほか、課長が死亡。佐藤仁町長は庁舎について「津波を伝えるため残し、慰霊碑や献花台を設けたい」と話す。町は震災後、防災無線のスピーカー105か所を目視で確認。被害を免れたうち約60か所で放送を再開する。(井手祥雄、浜名恵子)
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