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2011年2月 3日 (木)

【書評】<動物のいのち>と哲学 コーラ・ダイアモンド、スタンリー・カヴェル、ジョン・マクダウェル、イアン・ハッキング、ケアリー・ウルフ著 中川雄一訳

Animals

これは哲学の本である。しかも、相当著名な哲学者が真剣に論じた著作である。
よって哲学について、まったくの素人である私ではもはや論じようがない。が、それすら無謀にも書評したい。

この本のテーマは、人間以外の動物の尊厳、いのちの尊さを人間はどう取り扱うのか?動物には人間と同じような生きる権利があるのではないか?と言うようなことを論じているのだが、現実の事象やデータを駆使して論じるのではなく、机上でのみというか(それが哲学らしいのでしょうが)、小説の主人公の言動を基に論じ合っている、実に不思議な構成の本である。

哲学を論じるとは、こういう手法が必要なのだろうか?哲学について知らないので、まずはこの本の構成について、説明を加えたい。

まず、軸となるのが2003年にノーベル文学賞を受賞したジョン・マックスウェル・クッツェーが、1997年と翌98年にプリンストン大学で行った記念講演「動物のいのち」に対し、著名な哲学者が次々と論じていくという内容である。

この講義は、クッツェーが自身の小説の主人公になり代わり講義を行うという、劇中劇のような講義だったようで(それすら何で?ですが)、その衝撃的な主人公の発言や考え方が哲学者の興味を触発させたようである。(むろん、クッツェーはそれを狙って一石、いや巨石を投じたのでしょうが・・・)

講義のなかで最も衝撃的なのは、ホロコーストの残虐性を表すのに用いられる「ユダヤ人が羊のように屠殺された」という比喩を、主人公は「動物はユダヤ人のように殺される」というふうに反転させて使うところである。これには、講義の聴衆はもちろんのこと、この本を読んでいた私にも同様な衝撃を与えた。

この本は<動物といのち>について論じているのだが、自己の論を展開しつつ他論の反証において他者の思考法方法にはこういう欠陥があるというような論評になり、哲学的思考方法を論じていることに変化しているように私には見える。

哲学を論じるということは、私など一般人はひとつだと思っている客観的な視点が、実はある偏った見方そのものであり、ゆえに間違っているということらしい。

経験則といわれるような実体験と言語ゲームといわれる言語による現実の捉え方が、結局のところ乖離していて、それを認識した上で、・・・。
ようわからんね。書いていて・・・(笑)

死者とは対話できないが、死者は同じ人間で、生前に会話していたりしているが故に、死を哲学できるという論を基に、同じ生き物である動物の死を論じることができるのか、そうでないのか?
簡単にまとめるとそういう話でした。(いやあ、まとまったかな?)

いや、まったく、まとめることなどできません。そんな本です。
ともかく人間は他者には、言語でしか説明できないのであるが、言語での説明は言語ゲームとなることがあると言うことだけは分かりました。

追記:なぜこの本を借りて読んだのか、よく思い出せない。ただ、「ヒトはなぜペットを食べないか」という本を読んだだけでは飽き足らず、いや、偏った知識となることを自ら避けようとして、タイトルにつられて予約したのではないかと思います。
 しかし、難しかったです。
 まあ、ともかく一番感心したのは、この本を中川雄一さんが訳されたことです。あらゆる意味で凄いことですよ、これを訳すというのは。

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