日本4度目のアジアチャンピオンに!
120分の死闘も川島の数え切れないスーパーセーブによって、1対0で逃げ切りました。
最後のフリーキックビビリました。
いやあ、良かったです。見てて疲れましたが、日本代表の4度目のアジアカップ優勝、おめでとうです。
キーパー川島のスーパーセーブとザック監督の厳しくも温かい采配。
先は長いですが、ワールドカップ予選が楽しみです。
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120分の死闘も川島の数え切れないスーパーセーブによって、1対0で逃げ切りました。
最後のフリーキックビビリました。
いやあ、良かったです。見てて疲れましたが、日本代表の4度目のアジアカップ優勝、おめでとうです。
キーパー川島のスーパーセーブとザック監督の厳しくも温かい采配。
先は長いですが、ワールドカップ予選が楽しみです。
日本とうとうゴールです。延長後半5分。
1対0です。
長友がDF振り切ってのクロスを李がダイレクトボレーの完璧なゴールでした。
日本、先制されそうなところを、またも川島のスーパーセーブ。
いよいよ、0対0のまま、ラスト15分です。
日本、負けててもおかしくない状況でしたが、ゴールキーパー川島のスーパーセーブ2つでしのぎました。
いつもの日本の展開と言えば、そうなのです。
延長で一発、決めていきましょう。
右サイドの内田選手に期待です。
オーストラリアに押し込まれつつも、零封していた日本の4バックディフェンスから岩政を入れて3バックに変更しました。
いやあ、良く見ているというか、選手を休ませない、さすが厳しいですね。
両サイドが動けるようになって、日本の攻撃にリズムが出てきました。
しかし、スタジアムは日本を完全に応援していますね。ホームみたいです。
残り20分、がんばって欲しいですね。
オーストラリアがオセアニアサッカー連盟からアジアサッカー連盟に移って、ずいぶんたちますね。
オーストラリアがオセアニアからアジアに移った理由としては次のように言われています。
ワールドカップでのオセアニア出場枠は0.5枠。
0.5枠ってどういうことかと言いますと、オセアニア予選で1位になって、他地域の0.5枠と出場権をかけて戦うわけです。南アフリカ大会では、ニュージーランドが他地域(南米か北中米かアジアのどこかと戦ったはず)を破って見事出場しましたね。
オセアニアでは絶対の強さを持つオーストラリアですが、0.5枠のため、他地域との試合で何度も涙を飲んだので、4枠を持っているアジアに鞍替えしたと言うわけです。
そして南アフリカ大会では、アジア予選を勝ち抜き、アジア代表として出場を果たし、目論見を達成したわけです。
アジアカップ2回目の出場でオーストラリアは決勝まで進出。初のタイトルに手が届くところまで来たわけですが、アジアカップはやれないですね。
オーストラリアはまだアジアじゃないだろう!
そんなにアジアをなめてもらってはねえ・・・
そういうこともありますので、日本にはアジア代表としてもがんばって欲しいですね。
追記:まあ、オーストラリアがアジアに加盟と言うのは、違和感があるもののアジアとの距離感からまあ許せるところですが、例えば、オーストラリアがヨーロッパになることは可能なのだろうか?あるいは日本が南米に加盟するとか・・・
前半終了、0対0です。
さすがオーストラリアは強いですね。
でかくて、強くて、空中戦はもちろん強くて、思ったより足元もうまい。
よって日本のサッカーができておりません。
ここは後半のスタミナ勝負でしょうかね!
香川がいればなあ・・・
この冬は寒さが厳しく、どうしても着込みがちです。
特に冬場、極端に乾燥する関東地方においては、衣服の着脱等によって、静電気が発生しやすく、ドアノブ等の金属に触れるたび(正確には接触直前)に、火花と強烈な痛みを覚える方も多いと思います。
かくいう私もそのひとりです。
さて、この静電気をためない方法と、簡単に逃がす方法を、この間、テレビで放送していたのでご紹介いたします。
まず静電気を体内に溜めてしまうのは、地面にうまく逃がせない(放電できない)ときであるとのこと。
そういえば、室内にいるときは、静電気で痛い目にあった記憶が少ない。(外から中に入るときが静電気で感電するパターンですよね。)
それはつまり、靴を履いているときに起こりやすいためで、その理屈は靴底がゴム製の場合に、地面に放電できず、金属に触れる瞬間に体内の静電気が放電されて、イテっとなるわけです。
なお、靴底が皮革であれば、静電気がたまらないらしいのですが、靴底が皮革のものって、高級品しかないじゃないですか・・・
そこで、最近の私の静電気対策はどうしているかといいますと、定期的に靴を脱いで、地面に靴下の足をくっつけて、放電しています。(ちょっと変な所作ですが、効果抜群です。)
その他に、静電気を簡単に放電する方法ですが、天然素材に触れるというのが、比較的安全だそうです。
木、コンクリート、石などです。
家や自動車に入るときは、一度地面に手をつけるなどして、金属に触るというのが効果的らしいです。
私的には一番怖いのは、自動車から降りるときです。これは、よく喰らってしまいますよね。
降りる動作時に静電気が発生してしまうのだから、回避が実に難しいですね。
動作を始める前に金属部分を触るようにしますが、時々失敗してしまいます。悔しいことに、そのときはかなりビリっときてしまいます。
なお、これまで静電気がすごかったのは、真冬の北京に行った時でした。数分おきに強烈にビリっときてましたね。一緒に行った仲間と今でも話題に上るくらいですから
追記:私の敷布団シーツは起毛ですごく肌触りがよくて、気持ちがよいのですが、夜中、寝返りを打ったりすると、青白い光が発せられます。
最初は、目の錯覚かと思っておりましたが、どうやら静電気の光のようです。痛くもなく、とても奇麗なのですが、不気味です。
とても綺麗なので写真撮影したいのですが、難しいでしょうね。
GK川島のスーパーセーブ連発で、PK戦、韓国を零封!
3対0で勝利しました。
日本、宿敵韓国に5年ぶりの勝利で、アジアカップ決勝進出。
4度目の優勝を目指します。
延長後半残り1分で韓国が同点ゴール!
延長終了し、PK戦になりました。
さあ、気を取り直して、PK戦だ
延長前半、PKのこぼれ玉をゴールで日本1点リードです。
後半の終盤は、韓国に攻められましたが、何とかしのいで、延長戦に突入です。
イエローカードいっぱい貰っているのが気がかりですが、ここで勝てばよし!
1対1で同点です。
いやあ、後半の日本の怒涛の攻撃。
惜しかったです。
前半36分、本田から長友に絶妙のパスでゴール前で前田にアシストして前田が同点ゴール!
これで1対1の同点!
さあ、できるよ!今日の日本は!
日本のファールによる韓国のペナルティキックで1点先制されました。
日本が押していただけに悔しい。
でも、まだまだ
日本のスタメンは以下のとおり。FWとMFは私が適当に割り振りました。
<GK>川島永嗣
<DF>内田篤人、岩政大樹、今野泰幸、長友佑都
<MF>長谷部誠、遠藤保仁、本田圭佑、香川真司
<FW>岡崎慎司、前田遼一
3大会前の準々決勝対ヨルダン戦でのGK川口の奇跡のスーパーセーブ連発での勝利がとても印象深いですが、それ以降のアジアカップでの日本の強さは、ちょっと異常な感じです。
香川と岡崎の決定力あるFWに期待ですね。
その名のとおりの番組です。世界の名峰をNHKらしくまじめに連れて行ってくれます。
アルピニストではない番組ディレクター(ほとんど素人)がガイドの案内のもと、とても素人ではいけないであろう絶景の世界に挑戦してくれるのです。
正直、見ているこちらが手に汗というか、緊張してしまいます。大丈夫か?と
これまで私が番組で連れて行って貰ったのは「モンブラン(アルプス)」「アウヤンテプイ(ギアナ高地)」「マッターホルン(アルプス)」です。
これを観たら、自分も行く!
そう思ってしまいました。
まずいですね。
そんな恐ろしい番組です。山好き、海外旅行好き、限界への挑戦好きの私にとって・・・
追伸:ハイビジョンの美しさが余すことなく活かされています。息を呑む美しい景色にうっとりです。
私は、痩身なせいか、とても寒がりです。
今は家の中ですが、上は7枚、下も4枚着込んでいます。
それでも寒いです。
寒いなら、じゃあ食べるかと思って、自分で登山する時のために作った格言を思い出しました。
「暑いときは飲む、寒いときは食べる。」
そもそも山は標高や天候や体調によって、体感気温がめまぐるしく変わります。
早め早めに判断して手を打つ必要があります。服の着脱はもちろんですが、それに加えて、飲食も重要だと思います。
山を登っている時は、ついつい一生懸命になって、水分補給を怠りがちですが、「暑い」ことには気がつきます。
その時、この自分格言を思い出して、給水します。
また、トレランで走っていると、汗をかいて身体が少し冷えて、さらに疲れからスピードが落ちたりしたときに、寒さを感じたりします。
その時も、自分格言を思い出して、食べて栄養補給します。
おそらく日常生活においても、これは使えると思います。
「暑いときは飲む、寒いときは食べる。」
理念や信念、筋の通った生き様、そんなものが好きで、だからこそノンフィクションやドキュメンタリーが好きなのですが、そんな私では絶対に創作できない小説でした。
名前の漢字からずっと男性が書いたものだと思っていたら、女性でした。
でも納得です。これは男では書けない。
人の生き様とは、理屈じゃない。だらしなく見えて、つまり惰性や怠惰で流されているように見えても、それだけでもない。曖昧で説明不可能な、一見ただ意地を張っているだけのような、不可思議なものを拠り所としているのかもしれません。
小説の内容は、戦前戦後に活躍した美人女優の流転の人生をクロニクル(年代記)風に綴っているお話です。
「事実は小説よりも奇なり」と言いたくなるような事実(本当は小説ですが)の話です。
ところで、この話をどれくらいの現代の日本女性が共感できるのだろうか?尋ねてみたいですね。
(私は、そんな生き様もありだし、やっぱり女は強いよなと思いましたよ。)
今日は土曜日、ランニング13kmの後、いつものように水分補強もしないで、直ちに子どもとお風呂に入って、出てきたら、すぐに夕食が始まった。
最高に喉も渇いているので、ビールがさぞやうまいだろうと思っていると、今日はいつものビール(正確には第3のビール「コクの時間」)がないと言う。
買いに行こうとすると、ご近所さんから貰ったという缶が出てきた。
なんだ、ビールあるじゃんと、グイッと飲むと、いつものとは味は違うものの、そこそこ渋みがあってのどにガツンと来た。
まずまずじゃないかと、飲んでいると、なんだか酔っ払った感じ。
「いいね、これ。走って疲れているし、酔っ払ったからすぐ寝そうだよ。」と家族に話しかけていると
「何言ってるの?ノンアルコールだよ!」
「またまた、ただの糖質ゼロじゃん!」と缶を見てみると、ノンアルコール炭酸飲料だった。
え、えーーーーーー!いやはや、参りました。
アルコールがなくても酔っ払った気になるとは、最高に便利じゃないですか(笑)
「明日からビールと思って、これにすれば?」との勧めに苦笑いでした。
いまだに、酔っ払った気がするのですが・・・
走りすぎでしょうか?酒弱すぎでしょうか?(笑)
この本で、正直、咽び(むせび)泣いてしまうとは、思いませんでした。
(しかも満員電車の中でしたから、参りました。)
私はこの本のタイトルの「ドラッカー」という経営の神様の教えがどんな風なものか、知りたくて読み始め、それが野球部の実例に合わせて実にわかりやすく書いてあり、これはいい本で売れる訳だと思って終盤まで読んでいました。
しかしながら、この作品はそれだけではありませんでした。
わかりきっていながら、ベタに泣かせることのできる、ある意味、見事な作品でしたね。
私なら、この本の題名は、「ある弱小高校野球部の栄光」とかにして、サブタイトルあるいはキャッチフレーズとして「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」にするかなあとは思いますが、一気にそれを本のタイトル(題名)にするセンスに脱帽です。
本当に、本のタイトルは、いろいろな意味で重要ですね。
このタイトルと表紙がなければ、咽び泣くことも、いやそもそも読むことがなかったわけですから・・・
ドラッカーの経営論に感銘しながら、小説にも感動して泣けてしまう。
二度おいしい作品です。(しかも、とにかくわかりやすい話になっていますしね。)
これは亡き妻へのラブレターそのものである。
私は、著者のことはもちろんのこと、著者の奥様(恵子さん)も当然、存じていないのであるが、この本を読めば、こちらが生前親しく接したかのような気持ちになってしまう。
奥様が亡くなられてから、日々の生活を送りながら、いろいろなエピソードを順不同で想い出しながら、それを丹念に綴っているところが、余計に亡き妻に対する思いの深さを感じさせてくれます。
読んでいて、自然と涙が出てしまう、しみじみとした作品です。
『人はふつう、いろいろなことをやり残したままで逝ってしまう。身辺整理をしたうえで逝ける人はごく少数だろう。仕事にせよ、家のなかのことにせよ、しかけたままで終わっていく。家に戻った時(注:亡くなる約1か月前に一時帰宅された)、家内は身辺整理をしたかったと思う。
私の手を借りて、何度か自分の部屋へ行ったが、すぐに体力も気力もなくなってしまった。
家内が逝って二年近くなるが、いまだに家内の部屋を片づける元気がない。』
この情景を読むと、いたたまれなくなるとともに、昔読んだ本のとおりなんだなあっと思いました。こちらを参照ください。
追記:この本を読んで思ったことの一つに、「死」というものがあまりに非日常となっていることに気がつかされました。
これだけ悲しむことができ、表現できるのは、著者の類まれなる感受性の高さによるものでありますが、それに加えて、非日常的に感じているということと悲しむだけの余裕があると言うことだと思います。(非常に冷たい視点ですが・・・)
幸いなことに、ここ何年も、私は近しい人を見送っていない。
不治の病が多く、災害や戦争が日常的であった百年前であれば、死は身近な存在であったのだろう。
著者が妻の死をなかなか受け入れられないように、私も非日常的であると感じている死を、生きている側の立場だけで受け入れられないような気がする。
死をなかなか受け入れられない、現在の平和な日本であって良かったということでしょうか・・・
ではなぜ走ることが嫌いな人のほうが圧倒的に多いのか?
それは走ることで発達した優れた脳がそうさせているせいだ。
太古、エネルギーを無駄に消費することは、生存を危うくするだけであった。だから、効率の良いエネルギー消費を選択しなければならず、そうした脳がなければ生き残れなかった。
危険から逃げたり、獲物を求めて走る必要のなくなった現代人にとっては、もはや走ることはまったくの無駄なのだ。
ごろんと横になってエネルギー消費を抑えるのも、これまた太古から刻み込まれた本能なのです。
自らの労力の代わりに化石燃料によって快適に動く乗り物ができてわずか100年。先進国が食べ物に不自由しなくなってわずか50年くらいか。
その社会の進歩に脳が完全に順応していないのだ。(というか順応する必要はないだろう。)
だから現代人にとって、走ることには理由が必要だ。
運動不足解消とか何らかの理由によって走り始めた人の何人かは、もはや当初の理由を超えて走り続けてしまっている。
私もその一人だ。
なぜ走るのか?
うまく説明できないというか、わからない。
確かに大会に出ると決めると走るモチベーションが高くなるのだが、それだけが走る理由ではない気がする。
やはり太古の時代から走って生き抜いてきた先祖からの遺伝子が活性化したとしか云いようがない。
現代において体を動かす運動・スポーツはあまたあれど、長く走ること(ランニング)は不確実性の低い地味な運動である。不確実性の高い野球などのスポーツに比べて、劇的な面白みはほんとに少ない。なのに長期間続ける人が多いのは、まさに飽きることがない、本能に近く、そして何歳になっても可能な運動だからなのだろう。
まあ、正確な理屈など、どうでもいいさ、スイッチの入った私は今日も走るのだから(笑)
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ヒトはなぜ走る
【書評】BORN TO RUN走るために生まれた クリストファー・マクドゥーガル著
【テレビ】地球イチバン 世界一走り続ける民 メキシコ・ララムリ
新しい職場に移って、ランニングが趣味であることがそこそこ浸透してきている。
まあ、服装からして聴かれるから答えるからであるが・・・
そのあと、良く聴かれるのは、
「俺はできない。どんなことが楽しくて走るの?」
この質問に実は私もうまく答えられない。なぜ走るのだろうか?
4年ちょっと前は、まったく走っていなかった訳だし、今考えても、ランナー、特に趣味で走るいわゆる市民ランナーに対し、同じ質問をしただろう。
ご承知の方もいるかと思いますが、かずさん、遺伝とか進化とか歴史を考えるのが大好きです。
私の仮説は「走ることは生きること」だったんではないかと。
自分が走り続けることから導き出した結論は、理屈や感情ではない、もっともっと身体に刻み込まれた本能に近いものではないかと
似ていると思ったのは、川面や海はもちろん、洗濯機の水流や蛇口から流れ出る水滴など、ついついヒトが見とれてしまうのも、太古からの歴史が遺伝として色濃く残っているのだと思っています。
それは、水に棲んでいた時代なのか、水に苦労した石器時代の幻影なのか。
「走ることが生きること」だったとは、どういう意味なのか、この前、本「BORN TO RUN走るために生まれた」に興味深いことが書いてあった。
その部分第29章には、以下のようなことが書いてありました。
ある学生と教授のやり取りです。
学生「ヒトが直立したのはうまく呼吸をするためではないか?それができればうまく走ることができる。」
博士「人間は走るために進化したというのかね?」
学生「はい」
博士「種は自分が得意なことに応じて進化するのであって、不得意なことであることではない。人間は走ることは大の苦手だ。」
学生「ええ、それはわかります。ではなぜ、われわれは(他の類人猿より)強い生き物ではなく、(長く走れるという)弱い生き物に進化したのでしょう?これは武器をつくれるようになるはるかまえの話です。とすると、遺伝上の(他の類人猿に対する)優位性は何だったのでしょう?」
博士は、人類の歴史を知識で振り返った時に、骨格的に貧弱であったホモ・サピエンスが生き残り、生物として屈強かつ優秀であったネアンデルタール人が結局滅んだのはなぜか?思い巡らせた。(かなり省略)
走らない動物、豚やチンパンジーには、アキレス腱がない。もっとも人間に近いチンパンジーには土踏まずがない。また走ると揺れる頭を固定するための項靱帯(こうじんたい)が人間にある。それは犬、馬にもある。が、チンパンジーにはない。
やはり人間は走るために進化したのだ。
では、なぜ走るために進化したのか?
「弓矢が発明されたのは2万年前。槍の穂先は20万年前。ほっそりして脚の長いホモ・エレクトゥスが登場したのはおよそ200万年前。ヒトは登場してからほとんどの時間、素手で肉などの食物を獲得していたことになる。」
博士は暑い中、犬と散歩していたとき、暑くて息切れして動こうとしない犬を見て、思いつきます。「実際に動物を走らせ続けて殺すには、どれくらい時間がかかるだろう?」
動物を走らせ続けるには、スピードで劣るヒトにとっては、相当に困難である。単純に追いかけていたのでは先にヒトがバテてしまう。ではどうするのか?遥かにスピードのある獲物の動きを読み、チームで連携して間断なく追い詰めていかなければ、動物を走らせ続けることは到底不可能である。もはや実証しようにも、現代人ではこの狩猟方法は不可能なのだ。これは数百万年にわたる命がけの決断をへて磨き上げられた戦略と技術の融合なのだ。つまり、人間だけが行える長距離走は、他の生き物にとうてい不可能な脳と身体の連係により進化してきたのだ。
今なお、アフリカにいるごく少数のブッシュマンはこうした狩猟を行っているという。
走らせ続けられた草食動物は熱を発散できなくなって、泡を吹いて、倒れてしまうらしい。
走るということは、やはり古代の進化において必要だった力、生きることそのものだったということだったのです。
ということであろうがなかろうが、今日も走りますよ!かずさんは
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走ること(ランニング)が嫌いな人が多い理由
【書評】BORN TO RUN走るために生まれた クリストファー・マクドゥーガル著
【テレビ】地球イチバン 世界一走り続ける民 メキシコ・ララムリ
(足が痛まなくなり)私は長く走れるようになった。長く走れるため、ぐっすり眠れて気分はリラックスし、安静時の心拍数はみるみる下がっていった。おまけに性格まで変わった。不機嫌さとかんしゃくがほとんど消え、妻から喜ばれた。有酸素運動が強力な抗鬱剤であるのはわかっていたが、これほど気分を安定させ、瞑想にふけらせる力があるとは知らなかった。
4時間走っても自分のかかえる問題の答えが得られないとしたら、もうその答えが見つかることはない。
27章の一節であるが、まったくの同感だ。私に言わせると、「12kmの帰宅ランでの瞑想により、日中の大概の問題が解決して、そのままお風呂に直行し、リラックスして眠ることができる。」
この本の大部分は、今なお実在するメキシコ奥地にいる走る民族タラウマラ族(別称ララムリ)とアメリカのウルトラランナーとの対決に向けての話なのですが、印象に残るのは、走りそのものについての記述だ。
以下、25章はシューズメーカーにとっては実に頭の痛い内容てんこ盛りですが、うなずくことばかりでした。
「シューズのサポート機能をどんどん増やすことで、われわれは足を自然な状態から遠ざけてきたんだ(中略)
人は何千年もシューズなしですごしていた。シューズにいろいろな矯正機能を加えようとすれば、過剰に足の機能を補うことになると思う。
直す必要のないものまで直すことになる。裸足になって足を鍛えれば、アキレス腱や膝、足底筋膜などに問題が生じるリスクは減るだろう」
帰宅ランで裸足はリスクが高いので、裸足になったつもりで走っていることにしましょう。
ストレッチをするとかえって逆効果で、ストレッチをしたランナーは、(しないランナーより)けがをする確率が33パーセントも高いことが判明している。
かずさんもストレッチはしていません。しかも故障に悩んでいません。嬉しいような、本当にこのままストレッチしなくていいのでしょうか・・・
法則1 「最高のシューズは最悪である」
最高級シューズを履くランナーは安価なシューズのランナーに較べてけがをする確率が12.3パーセントも大きい。
統計上の数値なのでしょうが、たぶん、最高級シューズを履くのは最高レベルの人たちで、練習がハードで故障するのではないかと思う。
法則2 「足はこきつかわれるのが好き」
新品シューズより履き古されたシューズの方が安全で、シューズがすり減ってクッション材が薄くなると、ランナーは足をコントロールしやすくなる。いや、コントロールしなければならなくなる。衝撃の恐怖から逃れるために
サイズ大きめの磨り減ってへたれ気味のトレランシューズを使っています。自然と足が鍛えられているのかしら・・・
法則3 「人間は靴なしで走るようにできている」
プロネーションはすっかり悪い言葉になってしまったが、本来それは足の自然な動きにすぎない。足は内転(プロネート)するようにできている。
プロネーションの動きを見るには、シューズを脱いで家の周りを走ってみるといい。路面が堅い場合、足はシューズを履いていたときの習慣をいったん忘れ、自動的に自己防衛モードに切り換わる。あなたは無意識のうちに足の外側で着地し、小指から親指にかけてそっと転がすようにして、足をフラットにするだろう。
それがプロネーションだ。ショックを吸収するこのおだやかなひねりがあるから、土踏まずは縮まるのである。
プロネーションって聞いたことはありましたが、これだけ判りやすく説明されると納得です。私のシューズのソールは見事に外側が磨り減っていますが、プロネーションのせいだとすれば、とても良いことなんですね。
「シューズを履くのは、足にギブスをはめるようなものだ」(中略)シューズが仕事をすれば、腱は硬くなり、筋肉はしなびるというわけだ。足は戦いを生きがいとし、プレッシャーのもとで強くなる。怠惰にすごさせたら、衰弱するだけだ。徹底的に使いこめば、(土踏まずは)虹のように見事な弧を描く。
靴に限らず、怠惰は嫌いです。話はずれますが、日本人の大好きなマスクも嫌いです。あれも喉を怠惰にさせます。結果、風邪を引きやすくなります。マスクをする家族は風邪引きさんで、マスクをしない私は風邪を引きません。風邪を引かない術は別にあるのですよ。それを実行しています。ちなみに自分が風邪引いて(めったに引きませんが)咳をしているときはエチケットとしてマスクはしますがね。
ケニア人トップランナーに共通していることは、驚異的な足の弾性がある。それは彼らが17歳になるまで靴を履いて走ったことがないためだろう。
ケニア人の凄さに異論ありませんが、そのあとはちょっと主観的かつ差別的で言いすぎかな・・・
ここからはそのほかの章で印象に残った文章の抜粋です。
われわれと同じで、タラウマラ族にも秘めた欲求や不満はあるのだが、誰もが信頼しあい、仲裁にはいる警察もない社会では、欲望を満たし、恨みを晴らす場がなくてはならない。その場合、酒盛りにまさるものがあるであろうか?
誰もが酔っ払ってはめをはずし、そして多少の傷や二日酔いという罰を受け、身体のほこりを払い落として毎日を生きていくのだ。
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アンダーライン部分の社会を再活性化するというシステムそのものでしょ!
「身体はショックを受けないと、柔軟にならない」(中略)毎日同じことをくりかえしていると、筋骨格系はすぐに適応の仕方を割り出し、自動操縦に切り替える。だが、新たな難題-小川を飛び越える、特殊部隊よろしく丸木の下側を這う、肺が張り裂けそうな全力疾走をする-に不意をつかれると、多数の神経と付随する筋肉が突然、電気が走ったように動きだす。
これは少し耳が痛い話です。ただし帰宅ランは残業で疲れて苦しい状態に適応してくれていると思うと、ウルトラで苦しくなった場合に適応していけるものと信じてくりかえして帰宅ランしていきますよ。
ウルトラランナーを前にすると、ヴィヒルは実験室で純粋な標本を扱うときのような、すがすがしい落ち着いた気分になった。いんちきなスーパープレーにだまされることはない。(中略:このあと笑顔でドーピングしてきたトップアスリート達の描写が続く)
では、誰の笑顔なら信用できるのか?簡単だ。森のなかの変人たちの笑顔なら。
ウルトラランナーにはだます理由がなかった。得るものなど何ひとつないからだ。名声も富みもメダルもない。(中略)ウルトラで優勝しても、もらえるものは最下位の完走者と同じベルトバックルのみ。
この一文はウルトラランナーの端くれとして、とても嬉しいエールのような文章です。
ただ残念ながら、すっかり人気スポーツ化した現在のウルトラでは、賞金が出て、名声も富みも得られるようになりましたがね。
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最近、グレゴリーのミウォックを購入して以来、すっかり快適なフィット感にはまって、そればかりを背負ってランニングしていたところでしたが、久しぶりにドイターのアドベンチャーライト10を背負って、ランニングしました。
久しぶりのドイター、良かったです。見直しました。
何が良いかと言いますと、背中の高い位置でホールドしているところです。
肩甲骨あたりに重心がある感じで、走るときのバランスがとりやすく、とても良いことを改めて実感しました。(それに加えて個人的には背中の接触面が立体クッションになっているのも気に入っています。)
なにより、ドイターは頑丈なので、帰宅ランはしばらくこちらにすることにします。
最新のアドベンチャーライト10の公式サイトはこちら
(私の持っているものとはちょっとデザインが違います。)
ペルー旅行でいろいろお世話になった交通機関についてまとめました。
まず自動車編です。
↑自宅から成田空港までの乗り合いタクシーです。片道2500円、往復4000円と重い荷物を運ぶことを考えると、かなりリーズナブルな値段です。千葉市内限定のようです。詳しくは西岬観光公式サイトで
↑ツアーのバスです。なかなか良いバスです。
↑三輪タクシーです。たくさんいました。特に地方では。一度乗ろうとしたのですが、そこには行けないとかで乗車拒否されました。
↑チチカカ湖畔のプーノで乗車拒否して去っていく三輪タクシーです。
↑マチュピチュ遺跡入り口と麓の町アグアスカリエンテスを往復するバスです。狭い山道用にマイクロバス仕様でマチュピチュ遺跡の写真がペイントされています。
↑マチュピチュ遺跡からトレイルランニングで下山した時にすれ違ったバスです。
↑小型バスしか走れないクスコ市内専用のバスです。早速売り子さんがいます。
↑リマのアルマス広場の観光自動車です。ディズニーランドにあるような乗合自動車ですね。
↑クスコのサクサイワマン遺跡を案内してくれたフォーさんと愛車のトヨタのプロボックスです。
↑安全のため車につけなければいけなかった反射板です。後ろのワゴンにも付いていますね。巨万の富を得た政治家(反射板の輸入会社社長)がいなくなって廃止となったそうです。
↑リマのアルマス広場近くにいた完全武装の装甲車です。治安は大丈夫かと不安になりますね。
次は鉄道編です。
↑ペルー鉄道の列車です。クスコ・マチュピチュ間を走るビスタドームです。
↑マチュピチュ遺跡の麓の町アグアス・カリエンテスの街中をペルー鉄道の線路があります。店の軒先を走る感じですね。
↑日に数本しか走っていない列車を運良くカメラに収めることが出来ました。遮断機も無く目の前を通過していきます。
↑このクスコ-マチュピチュ間の路線のポスターです。1910年にマチュピチュ遺跡が発見された時には既に運行していたようです。
次は船編です。
↑伝統的な葦のボート2つでできた観光用の双胴船です。浮力を増すために空いたペットボトルを数千個使用しているそうです。
次は飛行機編です。
↑サンフランシスコ往きの飛行機です。ジャンボではないようです。
↑サンフランシスコでペルー行きに乗り換えた機内画面表示です。赤道を通過したようです。
↑ペルー入国です。リマ国際空港は深夜0時を過ぎたところですが、それなりに人がいます。
↑リマからクスコへの国内線の飛行機です。予想外に最新鋭機でした。
↑クスコ国際空港です。盆地なので山に囲まれています。盆地を囲む山際スレスレを降下していく様は雲で視界が遮られる事と機体が揺れることと相まって、なかなかスリル満点でした。無事に着陸できて嬉しかったです。
↑フリアカからリマに向かう国内線の飛行機です。これも最新鋭のボーイング787でした。
↑ナスカの地上絵遊覧飛行のセスナ機の中です。操縦席の直ぐ後ろの席になりました。
↑急旋回の様子。ナスカの地上絵を見せるために最後はほとんど真横になります。
ホントに最後、番外編でパラグラーダー編です。
↑タンデムパラグライディングしました。空中散歩は楽しかったですよ。
以上、乗り物編ということで、乗車、乗船、搭乗したものや、街で見かけたものを載せてみました。
ランニング親父になって、子ども達を出走させている唯一の大会である本大会に今年も参加しました。
この大会は、非常に珍しいことに小学1年生から出走可能です。
1,2年生は親との併走が条件ですが、三男坊も小学3年生となり、今年はお父さんの出走はなくなりました。
子どもの成長を喜ぶとともに、なんだか少し寂しいでね。
さて、今年は5年生の次男坊と3年生の三男坊が出走です。
目標は、次男坊は昨年以上のタイムと三男坊は一人での完走(ビリッケツにならない)でしたが、達成できました。
その達成に向け、長男坊のサポートも素晴らしく、本当にとても嬉しく、いや最高の感動をいただきました。
走るという私の遊びがこの日ばかりは、家族にとって大事なものを呼び起こしてくれる貴重な一日となりました。
ありがとうございました。
ペルーのお店とお土産の特集です。観光客なので偏ったお店と土産になりますが、ご覧ください。最後にペルーで買ったお土産の一覧があります。(ペルー旅行記一覧はこちらから)
↑2日目のナスカ遊覧飛行後に立ち寄った御土産物屋さんです。種類がとても豊富です。
↑今思うと買っておけば良かったと思うものがあるのですが、ペルー滞在初日では買う気が起きなかったです。仕方ないでしょう。
↑最終日に来ていたらかなり買っていた気もしますが、よく考えてみると、ドル表示だったので、ここは少し高かった気もします。
↑この陶器製のリャマは買っておけば良かった一品です。残念です。
↑この変な形と思ったリャマのオブジェですが、帰国後、ガイドブック見てびっくり、遺跡から発掘されたリャマの像を模した物だったようです。知らないとはまったく・・・。これも買い損ねました。
↑こうしたちっちゃなキーホルダーもここほど豊富なところはなかったですね。
↑これが一押し土産!ナスカの地上絵が彫られた石。普通の石ですが、ナスカの地上絵に興味のある人には最適なお土産ですよ。1個1.5ドルでした。17個買いましたが、重いのが難点でした。柄より小さめのものから選びました。ちなみに黒い塗装されている右側は、確か1個2ドルでした。
↑食べ物関係です。インカチョコテハ(7ドル)は美味しくてここしか売っていなかったので良かったです。マチュピチュ板チョコは、5ドルでしたが、スーパーでは5ソルでした。つまり2.5倍の値段でしたね。
↑クスコ中心部にある日系人によるアルパカ製品のお店「多門」です。
↑日本人向きの品揃えと何より偽アルパカでなさそうな安心感にリーズナブルな値段で良かったです。マラスの塩22袋、アルパカ帽子(5ドルから)4つに、アルパカチェアマット2枚(12ドル)購入しました。
↑クスコからチチカカ湖に向かう時に立ち寄ったリャマ・アルパカ・ビクーニャがいたお店です。
↑今、じっくり見直すとペルーっぽい柄が多いですね。このときは、直前にクスコの多門でアルパカ製品を買いだめしたので、買う気が低かったですね。少し買っても良かったかも
↑牛の守り神、トリート・デ・プカラ。守り神として屋根に飾るらしく沖縄のシーサーと同じ感じだそうです。
↑このプカラ、マチュピチュ山(標高3050m)の山頂にも飾ってありました。写真中央下。びっくりです。
↑リマのサンフランシスコ教会のひょうたん細工。とても精巧な民芸品で、街角で売り子が良く売りに来ていたが、買わずじまい。これも買って帰ればよかったと後悔した逸品。
↑駅の待合所です。ツアー客は1時間半近くいた場所です。私は雨の中ひとり遺跡見物に出かけたので、ここには5分くらいしかいませんでしたが・・・。左手にカフェがありました。
↑この中から選びました。銀製品ということで重さで値段が決まりました。
↑インカ十字のチャカナのペンダントです。確か50ドルくらい。私はこの半分くらいのを買いました。
↑マチュピチュの麓の村、アグアスカリエンテス(温泉の村と言う意味)の温泉のチケット売り場です。
↑温泉の入場券(10ソルまたは5ドル)です。ドルで払いましたが、3割高ですね。現地通貨のソルがお得です。
↑橋を渡ります。入場券売り場から300mはありましたね。遠いです。
↑荷物預け場所です。お金を払うと鍵付ロッカーに収納してくれます。私はおじさんを信用して鍵なしの無料にしました。(本当は現地通貨ソルを持ってなかったので・・・)
↑露天、男女混浴、水着着用の温泉です。立って浸かり、底は砂利が敷いてありました。お湯はかなりぬるいです。が、マチュピチュ遺跡の向かい側にある印象深い山の裏側が見えて、感激です。
↑クスコのアルマス広場でバス待ちの数分間に中学生くらいの女子から6ドルで買った人形と指人形5体。結構良くできていましたよ。
↑リマのラルコ・マルという海を一望する高級ショッピングセンターにあったサンリオショップ。日本のキャラクター物はペルーでも人気のようですね。
↑リマのアルマス広場に隣接する普通の衣料・雑貨のお店。英語ほとんど通じず、電卓で値段交渉。女性物バッグを25ソル(約800円)で購入。いろいろな種類を見せてくれて気持ちよく買い物できました。
↑クスコはペルーの山岳地域の中心都市らしく、お店や市場ばかりでした。地方から買出しに来るんでしょうね。
↑クスコからマチュピチュに向かう聖なる谷の手前のバス休憩の露店。ほんとに現地の人の内職って感じです。
↑もう一つの聖なる谷手前のお店。トイレ休憩もできました。有料ですが・・・
↑ガソリンスタンドです。バイク改造した3輪車が現地のタクシーのようです。
↑オリャンタイタンボ遺跡手前の露店。雨でなければ良かったのですが・・・
↑持って帰ったお土産全てです。
①ペルー帽5つ(6ドル~)
②チチカカ湖で買った刺繍入りレタータペストリー(15ドル)
③アルパカマット3枚(10ドル~)
④ペルーハット(10ソル)
⑤銀製ペンダント2つ(計58ドル)
⑥ペルー模様の巾着に入ったインカの塩20袋(1袋2ドル)
⑦ナスカ地上絵模様の石17個(1個1.5ドル)
⑧マチュピチュミニグラス3個(1個6ドル)
⑨手製指人形5個(計3ドル)
⑩革製コースター(天野博物館製)5枚(1枚3ドル)
⑪インカコーン40袋(1袋1ソル)
⑫アルパカ製セーター(18ドル)
⑬刺繍入り鍋敷き2枚(1枚6ドル)
⑭コカキャンディー(2ドル)
⑮チョコテハその1
⑯マグカップ(5ドル)
⑰チチカカ湖で買ったペンダント2個(各1ドル)
⑱手前:ナスカ模様の革製キーホルダー、奥:ピスコ酒小瓶5本(1本4.4ドル)
⑲インカコーラ2本(1本1ドル)
⑳ペルー風ショルダーバック(25ソル)
21板チョコ(マチュピチュパッケージ)20枚(1枚5ソル)
22インカチョコテハ9箱(1箱7ドル)
23黒いトウモロコシ2本
24チョコテハその2
25手製インカ人形(3ドル)
26チョコテハその3
27クリスマスチョコ&アルパカ人形(3ドル)
28ホホバオイル(25ドル)
29蝶々のおもちゃ(1ドル)
30マチュピチュトランプ3個(各4ドル)
>次:ペルー旅行記06(乗り物編)
<前:ペルー旅行記04(花・植物編)
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今年で4回連続(最初は風邪で未出走)の参加となります第37回市原高滝湖マラソン大会ハーフマラソンンの部に参加してきました。
結果は、予想通りの大失速!過去最悪の結果となりました。
5ヶ月間の練習不足とプロジェクトの疲れは大きかったようです。
タイム 1時間47分14秒
5km 24:48
10km 50:38(25:50)
15km 1:16:53(26:15)
20km 1:41:49(24:56)
ゴール 1:47:14(05:10)
5kmのラップが25分を切れないんだから、まったくダメダメですね。
昨日の送別会で2次会まで行って、飲みすぎ寝不足も影響大だったとは思いますが・・・
さて、会場の様子は以下のとおりです。
気温は10度と低いながら快晴無風で絶好のコンディションでした。
↑ハーフマラソンンの部の表彰式です。今年は千葉国体も終わってチーバくんもいなくて寂しい限りです。
↑ゼッケン番号による抽選がありました。当たりませんでした。景品のチーバくん欲しかったなあ・・・
↑市原の五井にあるインド料理店「サマナラ」が出店していました。左下切れていますが、ナン焼き釜を持ってきて、焼きたてのナンが売られていました。
↑今年もしいたけ汁と甘酒(ノンアルコール)が無料で振舞われていました。うまいんですよ!
これからまじめに走って、まずは4月の鶴沼ウルトラとかすみがうらマラソン大会でリベンジしますよ!
次は花と植物についての写真です。花と植物なんて、そこらにあるものを手当たり次第に撮ったので、何の種類か、さっぱりわかりません。すいませんが、わかる方、どなたか教えてください。
↑クスコ・マチュピチュの間にある聖なる谷で見つけた四葉(下)と五葉(上)のクローバーです。
↑サボテンの花の芽?背景はマチュピチュ遺跡とワイナピチュです。
↑クスコのコリカンチャの庭園で咲いていた花その1です。特徴のある花です。
↑トトラの茎の中は食べられるということで食べました。サトウキビのようだと言ってました。(サトウキビを知らないので・・・)食べた感じは、柔らかく、ちょっと甘みがありましたね。長ネギのような生臭さはありませんでした。
↑15年前に大事件の現場となったペルー日本大使公邸跡のはす向かいの花です。名前忘れちゃいました。
距離の離れた南米だけに植生が違っているようです。もう少し花の名前覚えたいですね。
次はペルーで出合った動物について記述します。いたから写真撮っただけですので、写真の説明など間違っていたらごめんなさい。
ペルーはアンデスのど真ん中で、アンデスに自生するラクダ科の動物、リャマ、アルパカ、ビクーニャが有名らしい。特にアルパカは日本のCMでブレイクしていますよね。
まずはウィキペディアから抜粋
<リャマ>
リャマ、ラマ、ジャマ (llama)は、哺乳類ウシ目(偶蹄目)ラクダ科の動物である。体高約1.2m、体重70~140kg。南アメリカのアンデス地方に多く住む。姿はラクダと似ているが、背中にコブはなく、全身が毛で覆われている。白い毛のものと茶色の毛のもの、白と茶色がまだらになったものがいる。足から頭までの体長は1m程度。頭から尻までの長さは2m程度。まつげが長く目はパッチリとしている。性格はおとなしく、人に慣れやすい。
<アルパカ>
アルパカ(学名:Vicugna pacos、英語名・スペイン語名:alpaca、ケチュア語名:allpaqa、羊駱駝)は、南アメリカ大陸原産の家畜の一種であり、1種。鯨偶蹄目- ラクダ亜目- ラクダ科に分類されるビクーニャ属(genus Vicugna)の模式種ビクーニャ(V. vicugna)からの派生種。
極めて良質な体毛を具えており、古来、衣類を始めとする生活用品への体毛の加工利用が品種改良の目的であった。
<ビクーニャ>
ビクーニャ(学名:Vicugna vicugna、スペイン語:vicuña、ケチュア語:wik'uña)は、南アメリカ大陸のアンデス地方に棲息する草食性哺乳類の一種(1種)。鯨偶蹄目-ラクダ科に分類される、有蹄類である。
以上の説明では、さっぱりわかりませんな。見た目も見慣れない日本人にとって、区別不能です。
一般的には体の大きさで区別するのが簡易で判りやすいとのこと。
リャマ>アルパカ>ビクーニャ
しかし、これでは単体でいた時に判らないわなあ・・・
そうそう、ガイドさんが言っていたのは、リャマは耳が立っていて、アルパカは耳が横気味だそうです。
前置きはこれくらいにして、撮って来た写真をご披露させていただきます。
↑こんな感じでリャマは人を怖がりません。こちらも牛ほど大きくなくて安心です。
↑白いフサフサしているのが多分、アルパカではないでしょうか・・・。茶色は・・・アルパカ?リャマ?
↑これは毛が実に長い。アルパカじゃないかな?リャマだったごめんなさい
↑この子らはビクーニャ!圧倒的に小さいし、そう説明されていました。
↑ビクーニャはかわいいバンビみたい。希少種で毛は特に高いらしくそこら辺にはいないとのことです。(盗まれちゃうから)
そのほかの家畜もいましたよ。
↑まずは牛さんです。ここはチチカカ湖上のウロス島。すなわち葦(トトラ)でできた浮島の上ですね。
↑海抜4000m以上の高原(クスコかたチチカカ湖の間)で放牧されている牛です。ペルーはスペインの植民地だったので、闘牛が盛んで、ここら辺はもっぱら闘牛用の牛が飼われているそうです。走るバスの車窓から撮影したので写しの悪さはご容赦ください。
ここからは主に野生・自生動物です。なので、名前などよくわかりませんが、あしからず
↑マチュピチュ遺跡の石切り場跡にいた野うさぎです。アンデスウサギって言ってました。
↑15倍ズームが役立ちました。野うさぎらしく耳が小さめですね。
↑これは観光客用に飼われていたオウムです。が、ペルーはアマゾン源流。すぐ近くにいっぱいいるのかも?
↑チチカカ湖のフラミンゴです。これは観光用に飼われているものでしたが、湖面を飛ぶフラミンゴがいました。写真撮れませんでしたが・・・。
↑リマの太平洋に面する海岸にいた鳥です。かもめの一種でしょうか?
↑なんとかズームして撮ったのがこの写真です。コンドルに近い種類だそうです。ハゲタカとかハゲワシの仲間でしょうか?ペルーに来て、コンドルは見られませんでしたが、それに近い種類ということでちょっと嬉しかったです。こんな都会で何を食べているんだろうか?
ここから昆虫編です。
↑マチュピチュのリャマの糞と糞ころがしです。どこにいるかわかりますか?
↑マチュピチュ山の登山道にいた蜂の一種だと思います。日本で見たことない蜂に見えますね。
さて、ここからはちょっと番外編です。
↑チチカカ湖畔のプーノにあるコンドルの丘に巨大コンドル像です。標高は4017mです。
↑チチカカ湖畔プーノのピューマの丘のピューマ像の頭部分です。
↑マチュピチュ手前の聖なる谷のオリャンタイタンボ遺跡にあったリャマの頭の装飾のあるポールです。洒落ていますね。
ツアー参加であまり寄り道しなかった割に動物達を撮る事ができました。
もうちょっと名前がわかればよかったですが・・・
一人称での語りの世界にみるみる引き込まれ、日本が中国やアメリカと戦争していた時代背景にすんなりと、あたかもその時代にいるかのような、タイムスリップしたかのような時代感の演出にすっぽりと浸ることができます。
そして、そうした時代ならではの生活を嘆くことなく楽しんでいた主人公の生き方に感情移入していったところで、唐突にそれが終わりました。
なんで?と気になる直後に、エピローグのような二人称の世界が展開されて、さらに三人称の世界にまで広がって、一人称では見えなかった真実があぶりだされていきます。
最後に、予想もしなかった上質のミステリーのような趣のある、不思議な自叙伝的恋愛小説でした。
これは本当にあった話なのではないかと、いまだに思ってしまう、予想外の読後感を味わうことができる小説でした。
(以下、当初の書評)
題名から創造できないストリー展開でした。
歴史好きの私ですが、どうしても歴史上の人物に関心がいってしまいます。
作家も藤沢周平よりも司馬遼太郎が好きです。
それは歴史上の偉大な人物を丹念に描いているからです。
そんな私にとって、戦争中の庶民の生活は、「欲しがりません勝つまでは」のスローガンそのもののステレオタイプ的な認識しかありませんでした。
しかしこの作品では、戦争中ももっと豊かで文化的な生活、どこか戦争とはかけ離れた浮世じみた、現代の日本にも繋がる脳天気、ご都合主義的な雰囲気が漂っていたんだと、そういう描写でこの物語は進むのです。
私と同世代の作者がどうしてこの時代の雰囲気をつかんでいるのか?実に不思議ですが、その描写は、リアルの太平洋戦争の東京を捉えているとしか思えません。
ほとんどは、主人公であるタキおばあさんの独白で進みますが、最後尻切れトンボ終わります。そして最終盤では、タキおばあさんの甥っ子が独白に出てくる人物に直接話を聞いて、最後に大きなどんでん返しが起きるのです。
戦争中の生活感ある描写にばかり感心していた私にとって、最後は見事な驚きでしたね。
なんだかとりとめのない書評になりましたが、この本は、われわれの戦中イメージの変革と上質のミステリーに近いエンディングで実に印象深い本であるということを伝えたいのです。ほんとに素晴らしい本でした。
食事の次はお宿ということで、ペルーで滞在したホテルのご紹介をします。
2・3日目 リマ ベスト・ウエスタン・エンバハドーレス・ホテル 202号室
LIMA BEST WESTERN EMBAJADORES HOTEL
↑外観はこんな感じです。旧市街でなく新市街のミラフローレス地区にあります。
↑こじんまりしたホテルでロビー小奇麗ですが狭いです。フライト&フライトで深夜2時、皆さんお疲れですね。
↑テレビは天井付けです。テーブルと椅子がちょっと小さいですね。
↑窓際からドア側を写します。クローゼットと冷蔵庫があります。
↑洗面所はこんな感じです。清潔感はありますが、バスタブがないのが痛いです。
4・5日目 マチュピチュ(アグアスカリエンテス) サンチュアリオ 206号室
MACHU PICCHU SANTUARIO
↑外観です。後ろは大絶壁の山です。この向こう側にマチュピチュ遺跡はあります。
↑部屋からアグアスカリエンテス駅の方を望みます。(ウルバンバ川上流方向)
↑同じ窓からマチュピチュ方向(ここからは見えません。)です。ウルバンバ川下流方向
6日目 クスコ マベイ・ホテル・パラシオ・インペリアル
CUZCO MABEY HOTEL PALACIO IMPERIAL
↑玄関を外から写します。歩道ぎりぎりまである狭い入り口ですね。
↑208号室の扉です。この撮影で鍵を持ち忘れロックアウトくらいました。
↑パンするとこんな感じです。異国情緒たっぷりな内装と絵画で雰囲気あります。
↑ペルーに来て初となるバスタブです。お湯を入れ始めるのが他の部屋より遅かったせいか最後は水しか出なかったので寒かったです・・・
↑なんとNHKの朝の連続テレビ小説「てっぱん」を見ることができました。
↑6階食堂前の絵画です。明朝、借り上げタクシーで向かうサイサイワマン遺跡の絵です。
↑食堂です。雰囲気がありますね。インペリアルって帝国かなあ・・。さしずめクスコの帝国ホテル?
7日目 プーノ ラ・ハシエンダ・プーノ 305号室
PUNO LA HACIENDA PUNO
↑コンドルの丘からホテル方向を望遠します。右端の中心線よりやや下の白い建物がホテルだと思います。
8日目 リマ ベスト・ウエスタン・エンバハドーレス・ホテル 603号室
LIMA BEST WESTERN EMBAJADORES HOTEL
↑今回は6階の部屋なので景色が変わりました。ガスが高い部分ほど強くなっています。
↑低い建物も多く首都リマ中心部の高級住宅街の雰囲気がありますね。
↑チェックアウト前の写真です。部屋はこんな感じでした。基本的に2・3日目と同じ設備でしたね。
以上でペルー旅行時に滞在したホテルの紹介は終わります。豪華ホテルはなく、すべてリーズナブルなスタンダードなホテルばかりでした。
昨年12月に行ったペルーの旅行記です。
最初に、まずは最も重要な食べ物編です。
1日目 機内食
↑12月1日(木)17:05発のNH008便の機内です。ようはANA全日空です。
↑最初の機内食です。時間は現地時間換算で午前4時すぎです。シーフードのクリームシチューです。
↑一眠りした後の機内食2食目です。朝食らしいハンバーガーですね。
↑自分でハンバーガーをセッティングします。なんだか料理しているみたいで楽しいです。
↑2日にサンフランシスコで乗り継いだLAN航空の最初の機内食です。16時40分くらい。メニューはチキンクリーム&ライスです。美味かったですよ。
2日目リマ・ピスコ・リマ
↑こんな感じでいただきました。コンソメスープはなんとも言えない異国風味で、残しちゃいました。
↑ナスカの地上絵遊覧観覧が終わった後のピスコでの昼食会場風景です。
↑ピスコなのでピスコサワー頼みました。それとコカ茶。しかし、ピスコサワー頼んだのは私一人とは・・・。ご当地でいただくピスコサワーは最高でした。
↑メインはヒラメのムニエルでした。味付けもヒラメもうまかったですよ。
↑デザートのケーキです。ナプキンの文字がくっきりで、ちょっと広告写真みたいじゃないですか?
↑隣のペルー人団体客が食していた巨大ステーキです。まじで靴底以上でした。ピンボケ許してください。
↑肉と野菜の煮込みです。パサパサなご飯が異国な感じです。日本人向けかしら?
↑プリンです。日本のに似ています。似せて作ったのかな?結構な大きさと甘さでお腹いっぱいになりました。
3日目 リマ・クスコ・マチュピチュ
↑早朝出発のリマ-クスコの機内軽食です。あまーいお菓子などです。
↑クスコとマチュピチュの中間、オリャンタイタンボ近郊の西洋風のバイキングでランチです。
↑バイキングということもあり山盛りです。ここはペルー色が薄く、肉の味付けが多種類で、日本人に合う美味しい味でした。それはそれで現地色が薄まり少し寂しいのですが。ジュースは生パイナップルです。
↑デザートです。果物のうち南国系(マンゴー、パイナップル、スイカ、メロン)は豊富です。
↑私の席からの眺めはこんな感じです。サンクチュアリな感じと言うのでしょうか、ペルーっぽくありません。ここには、アルパカやリャマも観光客用にいました。
↑オリャンタイタンボ駅からペルーレイルのビスタドームでマチュピチュに向かいます。その車内での軽食セットです。小粋で美味しいつまみでした。左はソフトクッキー、右は野菜とチーズのオリーブオイル和え
↑マチュピチュのホテルでの夕食です。前菜は香草などの入ったトーストです。
↑メインの香菜のチキン巻き?うまかったですが、ご飯はチラシ寿司風に見えましたが、味はペルー風でした。
↑デザートはカラメルソースのケーキです。右にあるのは食事中演奏してくれたペルーの民俗音楽を演奏してくれたフォルクローレのCDです。
4日目 マチュピチュ
↑ホテルでの朝食です。シリアル&ヨーグルト、果物などです。他にパンもありました。コーヒーは南米らしいドロっとして濃い感じです。
昼食は、マチュピチュ遺跡に近接している唯一のロッジでのバイキング(立地の良さから値段は相当高いらしいが、内容は普通レベル)をツアーが用意されていましたが、ワイナピチュ登山に向かい、昼食キャンセルしました。
↑マチュピチュのスナックコーナーで遅いランチ。ミックスサンドに生オレンジジュース。オレンジジュースはその場で生オレンジを機械で搾っておりました。美味しかったです。
↑夕食は自由でしたが、ツアーみんなでマチュピチュの美味しいレストラン「INDio FeLiz」(インディオ・フェリス)でとりました。
↑ペルー風スープです。これまたボリュームありました。付け合せのピクルス?も美味かったです。
↑メインのオムレツです。右端のです。それにしても付け合せの果物と野菜のすごいこと・・・。食べ切れませんでした。
5日目マチュピチュ・クスコ
↑マチュピチュのホテルでの早い朝食です(午前5時)。自由行動ですが、当然、朝からマチュピチュに行くためです。
↑マチュピチュ遺跡から走って下山し、麓の村アグアスカリエンテスの温泉に入った帰り道に寄ったお店で軽くランチ取りました。
↑チキン&アボカドサンドです。ポテトが大迫力です。集合まで時間がなくて焦りましたね。
↑現地のお店といった感じで美味しくいただけました。奥に見えるは、ペルーで一番人気のある清涼飲料水のインカコーラです。
↑マチュピチュから乗ったペルーレイルの軽食です。トマトのチキン載せに蒸しポテトの牛肉載せ。いずれも美味でした。それと右上に白いごま粒?みたいのがまぶしてあるチョコです。
↑クスコのホテルに到着してのコカ茶です。生のコカの葉にそのままお湯を注いでできます。日本人には緑茶に近くて、飲めます。
↑クスコのホテルでの夕食です。白い麺も入っていて、一見、坦々麺風です。辛くなく甘いスープです。
↑デザートのフルーツです。高地のクスコでもフルーツいっぱいです。メインは魚のフライでしたが、高山病なのか撮影し忘れました。
6日目 クスコ・チチカカ湖・リマ
↑クスコのホテルの食堂です。伝統があるのか高級感を感じます。
↑6時朝食開始が、準備が約30分遅れました。果物などちょうど切っている最中で、少ししか用意されていません。食い意地張ってないのと予定に余裕があったのでいいですけど・・・
↑パンの種類は豊富でしたし、美味しかったです。高地なので料理が難しいでしょうね。
↑クスコ旧市街にあるレストラン「ビストロ370」で昼食です。まずはスープから。旧市街のインカ時代からの石積みの上に建つ建物の2階にあるのですが、どうも傾斜しているようです。スープのラインが左右上下均等でないでしょ。
↑パイナップルジュースです。3400mの高地でこの後、4355mまで向かうのでアルコールは自重しました。
↑アイスクリームです。実は下に敷いてあるランチョンマットがペルーっぽくて、欲しいほどでした。写真はありませんが・・・
↑クスコ郊外の何とかという村で有名なパンです。大きいでしょ!。堅くて味は今ひとつかと思いましたが、分けてもらって食べてみると出来立てはやわらかく、とても美味しかったです。
↑チチカカ湖畔のホテルでの夕食です。高山病の症状(頭痛)で食欲はなく、アルコールも自重しました。スープは坦々麺似の麺入りスープです。
↑マスのムニエルです。日本人好みの淡白で生臭くない美味しい魚料理でした。ちょっと大きいですが・・・
7日目 チチカカ湖・フリアカ・リマ
↑プーノのホテルにトイレ休憩で戻ってコカ茶をセルフでいただきます。
↑クスコからリマへの国内線での軽食セットです。甘いお菓子セットです。
↑リマに戻っての夕食は日本食です。寿司バーもあり繁盛していました。
↑低地に戻ってビール解禁です。CRISTA(クリスタ)というペルービールです。苦味が特徴的でした。
↑松花堂弁当です。限られた食材でそれらしく作ってありました。何よりジャポニカ米のもちもちとして甘い白米が嬉しかったですね。
8日目 リマ
↑2・3日目のホテルでの朝食です。もう何がそこそこ美味しいかわかっています。
↑昼食会場は、海岸(太平洋)に面する洒落た高級レストランです。ギネスに世界一豊富なメニューがあると掲載されたとのことです。たしか400種類以上だったかな?添乗員さん一押しのイチゴ生ジュースを注文しました、ピスコサワーはサービスですが、これまで飲んだピスコサワーの中では一番アルコールが強かったです。ペルー・日本の国旗とともに
↑ペルー名物のセビッチェです。スズキのマリネといったところでしょうか?付け合せにジャイアントコーンがあります。でかいです。
↑シーフードパエリアです。イカ、エビなど具沢山でした。大きなホタテも付いています。
↑デザートはフルーツです。緑のキウイのように見えるんもはサボテンの実だそうです。
↑サボテンの実の拡大写真です。堅い種が多く、とても食べやすいものでなく、しかも味も・・・でした。
われわれはコースメニューでしたが、ギネスの載ったというメニューの豊富さを実感しにバイキング会場に見学に行きました。
↑デザートのケーキの切り分けるのが惜しいくらいのデコレーションです。
↑ペルー最後の食事場所です。旧市街の伝統あるホテルでした。天井が高い一室でのコース料理です。
↑チキンのクリームソースがけです。低地に戻って食欲は戻ったのですが、下痢ピー状態で、余裕がありませんでした。
↑信じられないくらい真っ直ぐで長い廊下でした。ゴージャスでしょ!
9日目 機内(リマ-ロスアンジェルス-成田)
↑ロスアンジェルスの空港内の寿司屋さんです。日本よりちょっと高いくらいの値段設定でした。
↑添乗員さんお勧めのラーメンのお店です。たしか10ドル弱でした。
↑私は食べませんでしたが、皆さん食べていました。5時間のトランジット待ちでしたし。
↑ペルーから持ってきたお茶のティーパックです。左端はコカ茶。アメリカでの手荷物検査の前に処分しました。
↑NH0005便に搭乗。ビールを頼むとプレミアムモルツでした。日本ですね。
↑照り焼き鳥丼に味噌汁に蕎麦です。和食の誘惑に負けました。この後、同じツアーの人からさらにもう一個、照り焼き鳥丼もらいました。さすがに満腹です。下痢なのに・・・
以上がペルー旅行の食事です。あまり変なものは食べませんでしたが、果物などの生ものが当たったのか、最後は下痢で大変でした。正直、もう一度味わないと死ねないというほど美味いものには出会いませんでしたが、ペルーならではの美味しさを堪能できました。
正月三が日、最後の休みの日であり、8日(土)の市原高滝湖マラソン大会のハーフ出場への調子確認もかねて、いつもの6.5kmコースを久しぶりに全力RUNしてみた。
いやあ、ぜんぜんダメでした。
自己ベストには遥か及ばず、最低ラインの30分切りも達成できず、30分55秒でした。
ここ1週間はそこそこ走っておりましたが、その前の約5ヶ月の練習不足の代償の大きさを感じました。すぐに息が切れてしまいました
今週末のハーフは記録より練習の位置づけとあきらめて、5月の250kmまでの4ヶ月は、集中して練習します。
大変人気があるとのことで、社販で購入したとのことです。
ちなみに楽天ではバウムクーヘン部門1位となっておりました。
厚く切られた一輪のバウムクーヘンで、うまくナイフで切り分けられるか不安な大きさでしたが、しっとりかつ密度の濃い生地で型崩れすることなく、すんなりと切ることができました。
このしっとり感がこのバウムクーヘンの売りのようです。
味は甘すぎず、それでいて程良い濃厚さがあり、しっとり感とあいまって、とても美味しくいただけました。
4人家族でも十分なボリュームですし、値段も楽天では1800円と手頃ですし、ちょっとお勧めな一品ですね。
会社概要
[ 社名 ] 株式会社ヤタロー (ヤタローグループ)
[ 創業 ] 1933年2月 (創立/1948年8月23日)
[ 所在地 ] 〒435-0046 静岡県浜松市東区丸塚町169
楽天ホームページ
http://item.rakuten.co.jp/yataro/jiichirou_baumkuchen/
高校生の頃はまったガンプラですが、長男坊にサンタから今現在のガンプラがプレゼントされていました。(笑)
※説明するまでもなく「ガンプラ」とはアニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデルです。
長男坊らにとって、ガンプラとは「ケロロ軍曹」でケロロが一生懸命作っていたプラモデルという認識です。
それもあっての今回のプレゼントなのですが、部品数が多く、とても精密で長男坊は最初はできないと言っていたが、がんばって熱中して完成させていた。
このがんばりは、こちらの目論見どおりでしたね。
出来上がったガンプラは、私が作っていたころのガンプラとは別物の精巧さで、ちょっと出来が良いので写真とってみました。
接写に堪えるだけの精巧さでしょ!
リックドムとかグフとか、ガンダムの好敵手のモビルスーツプラモデルを作りたくなりましたね。
昨年の一年の計ですが、概ね達成することができました。
これも家族をはじめ、皆様方の多大なるご協力のおかげと感謝しております。
さて、年も改まりましたので、今年の一年の計を発表いたします。
1 長男の高校受験準備に協力する。
2 250km&160kmを完走する。
3 新しい職場で質の高い仕事をする。
具体的な方法は、これから考えますが、今年もやり遂げます!
そして、皆様のご協力への感謝を忘れずに・・・
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