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2010年11月28日 (日)

【書評】ヒトはなぜペットを食べないか 山内ひさし著

Pet
(前略)つまり人類は、食・性タブーを枢軸に自家消費を禁じ他家消費を強制して社会を作り、平常時にはカテゴリーの混乱がおこるとアラームのようにタブーをけたたましく鳴り響かせたが、余りにケの日が続くと活力が枯渇してシステムが劣化し、既成秩序を維持してゆくことができなくなる。そこで、定期的、臨時的に時空の亀裂で短期間タブーを解除し、お祭り騒ぎを行って、カオスの潜在的な創造力を導入して、システムを活性化し、再賦活化しようとしてきたわけである。(後略)

 この本は、実に小難しい話が続くのであるが、ヒトがペットを食べないのは、ペットは家族同様であり、自家消費(親密な関係のものの消費)を禁じる社会において、当然にペットを食べなくなったということなのである。(たぶん、読んでいる人にはさっぱりわからない話でしょうから、後でもう少し具体的に説明します。)
 しかし、筆者の視点において、私にとって目新しかったのは、かつては社会システムの閉塞感を定期的に打破するため自家消費というタブーを一定期間解禁し、お祭り騒ぎをして、楽しんだ後、また自家消費を禁じる社会に戻って、長く社会秩序を維持していくというシステムを社会が持っていたということである。

 具体的には、食においては、お祭りの時には特に大事にしていた家畜(今日的にはペットに近い存在のもの)や通常は神に捧げる神聖なものを食したり、性においては、お祭りのときは手当たり次第の夜這いを許したり、極端なものでは近親相姦すら許されていた社会もかつてはあったというのが、自家消費、すなわちタブーの一定期間の解禁ということに当たるらしい。

 前述のアンダーライン部分の社会を再活性化するというシステムが、現代においては、社会規範が法律によって明確に定められている、いわゆる法治社会化によって、タブーの一定期間の解禁をうまく設定することができず、その結果、長い時間経過においては、当然に社会全般が硬直化して、社会全般で再賦活化できず、閉塞感が溜まり続けてしまうところが発生し、異常犯罪の多発などという病巣が発生しているのではなどと思うのは少し考えすぎだろうか?

 まあ、かずさんも、たまには飲みすぎて乱痴気騒ぎに巻き込まれるのも、こうした自己活力を再活性化するひとつの手段として潜在意識の中に組み入れられているのかも?なんてね(笑)

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