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2回目のウルトラマラソン100kmが近づいてきました。
今度の日曜日です。
山のマラソンであるトレイルランでは100km以上の経験は3回ありますが、平地の100kmウルトラマラソンは今度で2回目です。
2月のトルコ旅行、3月の激務とすっかり脚がなまっているのが、かなり不安です。
なんとしても10時間切りで、生涯の目標であるサブ10達成したいですね。
前半からオーバーペース気味に突っ込みます。
練習不足に加えて、気がかりなのは、シューズが決まらないこと・・・
前回完走に導いてくれた1号機はすでに引退。信頼感抜群だがかなり傷むの激しい2号機か、軽量俊足なれどサイズが小さめで圧迫感のある3号機のどちらにしようか悩んでおります。
前回の若潮マラソンでは3号機で無事完走、自己ベスト更新した余勢をかって、今回も3号機で出走したいものの、マメが恐怖です。前回のフルマラソンでは出血するほどのマメはできなかったものの、100キロとなるとかなり不安ですね。
最後の最後まで悩みますわ・・・
さて、参加レースですが、「第57回鶴沼ウルトラ100kmマラソン大会」です。某企業の陸上部を中心とした小団体が主催で、参加者増を危惧して、宣伝不可とのことですので、タイトルしか載せませんが、近くて安くて周回コースとじつに私向きな大会で、好きです。
皆様からの応援をいただければ幸いです。
見てのとおり満開です。いつもソメイヨシノより少し早く咲き揃います。
それにしても昨日今日と真冬の寒さでしたね
イスタンブールでも奇跡がおきて雨が上がりました。路面はずぶ濡れでしたので、さっきまで相当な雨だったと思われます。今回のツアーの晴れ男さんは相当すごいですね。
さて、イスタンブールでの最初の観光は、ブルーモスクです。
巨大で荘厳な建築物でした。
↑ブルーモスクに向かう途上にあった、かつての円形競技場跡に残るオベリスクです。エジプトからトルコのスルタンが運んだ(盗んだ)ものだそうです。
↑いくつ並んでいるんでしょうか・・・信仰の篤さを感じますね。
↑石造りの建物に、木造建築のような庇(ひさし)がなんだかオリエントな感じです。
↑見事なアーチの造形美ですね。日本建築では見ることのできないものです。
↑お祈りする場所です。礼拝の必要な金曜日は相当な人が来るのでしょうね。
↑重層的にドームと尖塔が重なっており、見事な外観の造形ですね。
トルコの首都であるアンカラからイスタンブールに向かう一等寝台列車です。
なんだか懐かしいようなとても旅情的な列車でした。
↑カッパドキアからアンカラに向かうバスの車窓からのぞむ夕暮れ。海ではなくて巨大な塩湖(琵琶湖の約2倍)です。
↑駅に設置してあったストーブです。形状はまるで電灯のようです。上の部分が燃焼しています。日本では見られないストーブですね。
↑出発まで1時間以上あるので駅の待合所の片隅でツアーのメンバーによって宴会開始です。しばらくしてお声かけいただいて、宴会に参加しました。禁酒であるイスラム教の国の中ではかなり飲酒に寛容なトルコですが、それでも駅員さんがやってきて、ビールをテーブルに載せないようにと注意されました(派手に飲酒するなということ)。ま、それも旅の思い出と言うことで・・・
↑客車を引っ張る機関車です。私の8号車から、先頭の機関車までは相当長かったです。
↑私の個室です。8号車の19・20番です。お一人様なので貸切ですね。
↑個室から扉側を写します。上部にボタンやら表示やらがあります。車内の温度調整に苦労しました。
↑テーブル下です。冷蔵庫もあります。中にサービス品が入っています。
↑それがこれです。ビスケットは日本にまで持ち帰ってしまいました。
↑ベッドメイクが終わりました。車掌さんがやってきて、私は一度個室から退室し、ものの15秒くらいで終わりました。というのも、ベッドメイク済みのベッドを特殊な工具で引き出しただけですから・・・。慣習に従い2リラチップとして渡します。(トルコ人ガイドさんに言われたのは、払わないといつまでも出て行かないとのこと。試してみても良かったかも・・・)
↑2段目を勝手に引き出して見ました。ベッドメイクされていたなら上で寝ようと思ったのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。
↑はい、寝台車でも宴会です!1号車と分散してしまったので今晩は3人です。少し寂しいですが、狭い個室なので、ちょうど良かったですね。
↑トルコ国旗の紋章がガラスにカッティングされています。かっこいいですね。
明朝5時にモーニングノックとのこと。5時半に食堂車で朝食。朝日のきれいな車窓での朝食がしたかったのですが・・・
じゃあ、おやすみなさい。
↑食堂車はこんな感じです。30分間隔で交代するのでウエイターたちは、めまぐるしく動いています。
↑朝食の内容トです。あとパンが一個ありました。まあ、車中ですし、こんなもんでしょう。
↑車窓からの風景です。カメラだけとっても小さな小窓から出して撮影しました。
↑終点イスタンブール(アジア側のハイダルパシャ駅)に到着です。
↑アンカラエクスプレスの客車プレートです。8号車に乗りましたが、7号車のプレートなのはご愛嬌ということで・・・
宴会に早朝の朝食とまたも寝不足になりましたが、とても印象深い寝台列車の旅となりました。それんしても、到着が予定より1時間以上遅れるとは・・・この路線は、他に電車は通らないんでしょうか?
ちょっと遅い報告ですが、3月7日に開催された第2回房総丘陵トレイルランは欠場しました。
トルコ旅行の疲れと激務により、体調低下を感じたこととに加え、当日が冬の冷たい雨でしたので、止めてしまいました。(去年の経験から川を渡る場所が何箇所もあるとともに、トレイルが雨に弱そうなのも気持ちがなえる要因でしたね、)
参加賞だけでも受け取りに行こうかと思ったのですが、その前に事務局に電話すると、参加賞を郵送してくれるとのこと。
嬉しい対応に、郵送をお願いする。また、膝痛で欠場を決めていて、私に参加賞の受け取りを託した後輩の分もお願いした。
やっと届いたのが下のソックスです。
Tシャツばかりじゃつまらないので、いい参加賞だと思いますね。
追伸:参加した師匠から当日の様子を聞くと、雨天のため迂回路によるコース変更があり、きつかったとのことでした。
無謀にもカッパドキアの奇岩を縦断しようとした記録です。
完全な情報と準備の不足、さらに時間切れと散々な結果でした。
↑カッパドキアの奇岩の稜線が見えます。稜線上は、木も生え、なんだか歩けそうな予感です。
↑ズームするとこんな感じです。直線的には到底登れそうにありません。
↑右にパンすると、高低差が小さくなっています。この先あたりから挑戦することとします。
↑少し右手に進んで、左にパンすると、ウチヒサールが稜線上から頭を出しています。もう少し、右から登るべく、進みます。
↑谷の部分の畑です。その一角に動物の骨が集められています。なんで?ちょっと不吉じゃない?前途が不安です。
(背景を見ると、この谷を進んでいけば、稜線上に出られた可能性が大きいと思いますが、何せ情報と時間が不足して、その再選択はできませんでした。)
↑稜線の切れた麓にたどり着きました。ここから正面の稜線上を目指すこととします。少し右から巻いて、登ることになるでしょう。
↑少し進んで振り返ります。まだ登っていると言えない緩やかさです。
↑ここが第一関門(高さ7mくらいか)でした。一度目のアタックではクリアできず、別ルートを探しましたが、ないので、この写真を撮って、再度アッタクすることにしました。(たいした傾斜に見えないと思いますが、もろい溶岩で、しっかり掴めないので、難しいのです。)
↑第一関門をクリアし、後ろを振り返ります。横を見るとこんな感じと言っていた岩(写真左側)の先端と同レベルの高さまで登ってきました。
↑よさらにじ登って、壁に出くわしました。あと10mくらい登れば、念願の稜線に出られそうな感じです。
↑右手を見ます。ギョレメの町が見えますが、右手にトラバースして進めそうにありません。左手も無理でしたので、前の写真の壁をよじ登ります。
↑5mくらい登ると左手の景色も開けました。到底左手も進めそうなルートはない状況です。
↑少し体をひねって、ファインダーも見ないで、足元を写しますが、足元は写っていませんね。
↑その後、3mくらい進むも、とても崩れやすい山壁(だから洞窟が掘られているのですが・・・)の前に、身体を保持できず、まさに壁面を8mずり落ちることになりました。その直後は、心に余裕なく写真がありません。
ちなみに、手袋とズボンのひざは、ずれ落ちながら必死で保持していたので、白い砂だらけでした。
↑稜線に登ることをあきらめ、先に進みつつ、降りて行きます。小さな穴が開いているのは、まさに鳩を飼っている洞窟でしょうか?
↑平らな農地に降りて、後ろを振り返ります。左側の斜面上部が、ずり落ちたところです。それ以外は到底登れるようなところはありません。(しかし、とても登れそうにないところにある穴はどうやって掘られたんでしょうかねえ・・・)
もう少し、ルートを確認しておく時間があればと悔やまれますが、怪我なく帰れたので、まあ良かったということで。
今日はいろいろなことがあって、ついつい自分に甘えてしまった気がする。
そういうじくじくした気持ちで家に帰ると子どもたちの通知表があった。
決して勉強ができる子どもたちではないが、愛してやまない彼ら自身のがんばりと成長を自分の知らない学校での活動に対する客観的な評価から十二分に感じ取ることができました。
それに比べて、親である私自身の不甲斐なさ、まさに後退しているとしか感じられない態度に嗚咽が出るほかない情けなさでした。
子どもたちにもらった前に進み続ける熱い思いを自分の糧として取り込み、明日から気持ちを新たに頑張ります。
わが子どもたちよ、ありがとう!
まったく期待感なく入ったハーバーシティ蘇我のフードコートにあるお店です。
少しとろみのある、それでいて、実にまろやかなスープでとても好きな味でした。
鮪、鶏、豚のスープをブレンドしているそうです。
ラーメン700円とフードコート内ではかなり割高感がありますが、次は鯛めしと食べることにします。
いただきました。
形はもちろんいいですが、味も良かったです。
甘党でない人へのバレンタインに良さそうですね
急遽、ガイドさんの計らいで、実際に洞窟に住むお宅を訪問することになりました。
↑ギョレメの町を洞窟住居見学に向かいます。いたるところが洞窟住居です。
↑家畜のしゃれこうべです。これも何か意味があるんでしょうか?
↑集合洞窟住居?しかしあの上にはどうやって行くんでしょうか?
↑白いスカーフのお母さんと奥からちょうど出てきたお父さんのお家です。
↑これがそのケーキです。とても美味しかったです。トルコはお菓子天国でした。
↑カッパドキアでいただいたケーキです。(背景ピンボケお許しを)
↑お父さんがさらに振舞ってくれます。もちろんいただきました。
↑さて、お庭から見える景色です。まさに世界遺産に住んでいますね。
↑ケーキを焼いておられた台所です。洞窟の中も近代化されておりますね。
↑ストーブです。観た事ない感じですので、トルコ風でしょうか。
↑お父さんとお話しすると、ニュージーランドのヘレン・クラーク首相も見学に来たとか。その時、いただいたのがこのポートレートとのこと。ここって、ちょっと凄くない?
↑ちょっと失礼かと存知ましたが、洞窟住居のトイレ事情を確認しました。きれいな推薦の洋式トイレでした。
↑お母さんのハンドメイドの売り場です。いっぱい無料を配っていて(私はもらい損ねたんですが)があって、商売っ気が感じられません。
↑帰路、おばさん(右下の女性)に誘われて、飛込みでお宅を訪問しました。
↑家の中はこんな感じです。おばさんは、自分のハンドメイドを売りたかったようですが、バスの集合時間もあり、すぐにお暇しました。ごめんなさいね。
とっても、興味深く楽しい洞窟住居訪問でした。この旅行でなければ味わえなかったとってもの印象深いツアー内容でいたね。
今朝、軽く走って駅まで向かっていると、運転しているおじいさんから声かけられました。
第一声ではよくわからず、道でも尋ねられたかと思い、聞き直すと
「駅まで送りますよ。乗っていきませんか?」と
いやあ、確かに駅までまだ1キロくらいあるところでしたが、特に急いでいた訳でもなく、なんとなく走っていただけで・・・
予想外の出来事に、戸惑ってしまいましたね。
「大丈夫です。」そう、反射的に答えてしまいましたよ。
ご老人の親切に旨く応えられませんでしたが、どうかお許しください。
お声かけしていただいたお志には、十分感謝しております。
トルコ旅行は、バンクーバーオリンピックに重なってしまいました。
大のオリンピックフリークとしては、実に悲しいことでしたが、HDDレコーダーにしっかり撮りためておきました。
結果がわかってはいますが、ゆっくり見直して堪能しています。
カーリング女子のイギリス戦は、すごかったですね。
今日は、とうとう女子フィギュアのショートプログラムを見ました。真央ちゃん、完璧でしたね。キム・ヨナも完璧でしたね。しびれました。
ではでは
ギョレメパノラマ。カッパドキアの絶景を眺められる場所です。このあたりはどこ観ても絶景ですが、ここは特にそれが凝縮された感じですね。
↑ギョレメの町です。完全に洞窟と同化していますね。(ブログ作成中に気がつきましたが、真ん中の建物って、今回泊まった洞窟ホテルでした。)
↑ウチヒサールです。ちょうど、さっきとは反対側から見ている感じですね。
↑雲の切れ間から光が差し込みました。それが、泊まるホテルでした。右側真ん中部分がギョレメ・カヤ・ホテル。それにしても凄い場所にあるホテルですな。
↑日本のおみくじを結ぶ木のように何かが結んであります。トルコと日本の共通性(同じモンゴル民族)のひとつでしょうか?
↑少し場所を変えて、クルチュラル谷です。谷というより広場ですね。
鳩の谷は、鳩がいっぱい住むというカッパドキアならではの独特の谷。
ウチヒサールは、まさにそびえたつ岩窟住居群でカッパドキアのシンボル的存在。圧倒的な迫力です。
↑バスの中から見事なテーブルマウンテンの連峰が見えます。日本にはない景観ですね。なんで平らになるんでしょうか・・・
↑ウチヒサールの威容です。自然景観としてすら異様なのに、生活空間なんですよね。信じられません。
↑トルコの魔よけである目玉とのツーショット!奥がピンボケなのは許してください・・・
↑鳩の谷の色を見てください。黄色にピンクですよ。晴天ならこの色鮮やかさがさらに増すところですが・・・
↑ピンクはこんな感じです。しかしあの洞窟は何のために掘られたんでしょうか?
さて、ここからいよいよウチヒサールに向かいます。
↑ウチヒサールを回り込んで、麓に到着です。まず左側からです。
↑さらに右にパンします。道があるので、駆け上ることにします。15分間の観光でどこまで行けるやら・・・
↑駆け上ること5分。特徴的な2本の岩がはっきり認識できますね。あなぽこだらけですね。
広角でのショットです。
↑そのちょっと左。ウチヒサールのシンボルの右側のところです。
いよいよカッパドキアです。かなり広範囲な地域で、その中にいろいろな奇岩が点在しています。まずは、シメジ岩が多いパシャバー地区です。
↑駐車場近くを離れ、早々に高台に上ります。景色が一気に雄大になりますね。
↑奇岩、奇岩、奇岩です。もう、だいぶ奥まったところに進み、観光客はいません。この真ん中の窪みがルートのようです。その直下がわりと大きな段差でした。私の後にトライしようとされた人もここで断念したとのこと。ここから先の景色はトレッキングシューズの賜物です。
↑どこまでも奇岩が続きます。45分間の観光ではどこまでいけるのか・・・
↑このあたりで引き返すというか下り基調で駐車場から離れないよう、回り込むように進むとします。
↑あと30分余裕があれば、あれらの奇岩に近づけるかも・・・。時間に制約のあるツアーの泣き所です。
↑渓谷っぽい場所を進みます。少し回り込めば、右手にある道を進めそうです。
↑来た道を振り返ります。われながら、すごいとこ進んできたんですね。
↑やっと駐車場に近づいてきました。が、ここからが少し苦労しました。
↑正面に降りられればすぐですが、断崖です。右手の道からうまく回り込めればいいのですが・・・
↑駐車場に戻るのに必死ですが、近くの奇岩に、思わず見上げてしまいます。
↑振り返ります。左手の筋のように見える道を通ってきましたが、なかなか断崖を回りこめません。
↑下の道に出たいのですが、まだまだ到底降りられそうもありません。
↑駐車場まですぐです。が、この高度差はいかんともし難い状況です。まだ回り込むしかないですね。
↑平べったいところからすとんと落ちて、平らになって、また断崖があって、ここと同じような高さに平べったいところがあります。ちょうど写真の左側から真ん中あたりに水平になっているところです。向こう側と同じような感じと思われるので、いったん駐車場から遠くなる反対側に降りることにします。
↑読みどおり、うまく道路に出られました。これで駐車場に戻れます。
↑下から進むと行き止まりです。さっきまではこの上にいたはずです。この断崖はとても降りられませんわな・・・
↑ちょっと太目のキノコ岩です。しかし、なんで三本組が多いんでしょうか?
↑ポキッと折れそうな岩です。下の穴は倉庫に使っている感じです。
↑ラクダさんです。観光用でしょうが、シルクロードの終盤地点ですし、昔からいたかも・・・
集合時間まで5分残して、無事到着しました。限られた時間は、有効に使い、それなりに堪能できました。
トルコの中で宗教色の強い内陸部の大都市。海沿いとはだいぶ違う雰囲気でした。
↑青空にそびえる尖塔に青いタイル。なぜか高い尖塔なのに影がさしていますね。
↑反対側にモスク(セリミエ・ジャーミィ)です。この手前の尖塔の影が映ったのでしょうか・・・
↑博物館の入り口上部です。今は博物館ですが、少し前までモスクで、由緒ある教団本部だったようです。昔は、トルコもアラビア文字だったようです。
↑猫を撮ったのですが、背景を見るととても不思議な感じのショットになりました。私のお気に入りの写真です。
↑コンヤの中心市街地にあるインジェ・ミナーレ博物館です。壁面は見事な装飾です。
↑ミナーレ(尖塔)部分のタイルも素敵です。20世紀になって、折れて高さは3分の1になったそうです。
↑綿菓子売りの少年たち。色鮮やかで綺麗なんですが、どうも安全性に心配がね。ごめんね・・・
↑トラムです。
↑コンヤの夕暮れの空です。軍用機工場があるらしく、さきほど超低空で2機飛んでました。突然の出来事に写真撮れませんでしたよ。
↑コンヤのホテルの回転扉。コンヤと言えば、世界無形文化遺産であるメヴレヴィー教団のセマー(旋回舞踏)の本拠です。うまく回転扉にデコレーションされていましたので撮りました。
パムッカレとヒエラポリスは世界遺産でも珍しい自然遺産と文化遺産の両方が世界遺産と認められた複合遺産です。
カッパドキアとともにトルコの中で、どうしても行きたかった世界遺産です。
↑いよいよパムッカレです。麓からバスの車窓越しにパムッカレを望みます。(白いのは雪ではなく、石灰ですよ)
↑遺跡越しにアルプスのような山並みが望めます。見事な絶景です。
↑円形劇場です。この後、パムッカレ(石灰棚)に没頭してしまい、予定時間内で再度ヒエラポリス探訪する時間がなくなりました。
↑左が進んできた道で、真ん中辺りが向こう側の山並み、右が石灰棚への道です。
↑左が上の写真の右側部分。山の上方向にもヒエラポリスが続いております。ここは、ほとんど発掘が進んでおらず、遺跡の多くはまだ土の中のようです。
↑石灰棚とのご対面です。遠方の山とのコラボが印象的です。その間に麓の町並みが見え、今日の空気の澄み具合は最高のようです。
↑みなさん、裸足で石灰棚に入っていきます。寒いので湯気がすごいです。
↑あの先まで、石灰を含む温泉が流れていた想像できませんが、かつては流れていたんでしょうな。あの先まで行ってみたい!と思いましたが禁止エリアです。
↑とうとう私も石灰棚に入りました。温泉の流れていない箇所は、裸足にはとてつもなく冷たい大地です。
↑石灰棚の麓です。緑の大地に青い湖沼とこれまた見事なまでに色鮮やかで不思議な景色です。
↑裸足で数百メートル進むと観光地から大自然の中に入った感じです。朝日が私の影を映し出しています。
↑だいぶ下って望遠で撮った写真です。石灰棚って水平に重なってますね。そろそろ戻ります。
↑だいぶ戻ったところで振り返ると二人組みが後ろから登場です。私以外にも物好きな人がいるようです。
↑せっかくなので写真撮り合います。べつにベタベタしなくていいんですけど・・・。大地はあまりに冷たいので、温泉が流れて暖かい水路を歩いて進みます。
↑やっぱり目を引くのは、石灰棚の造形美と青く澄んだ水と白さのコントラストです。
↑これは違う石灰棚です。この石灰棚には水がほとんど流れておりませんので、乾いています。傾斜がゆるく石灰棚の段差が小さくなって、それはそれでいい感じですね。
↑水深が浅いためか色は薄い水色ですね。少し先にもちょっとした石灰棚が続いています。
ここからは、ツアー同行者Yさんからいただいた写真です。石灰棚探索に時間食われて、観光できませんでした。私にとっては、滞在時間短すぎでした。
↑昔の写真では、大理石の柱に水着で腰掛けて温泉に入っている写真がありましたが、今は世界遺産になって無理なんでしょうね。
とにかく冬にしては信じられないくらいの快晴で、パムッカレの絶景を堪能できました。良かったです。ただ、1時間ちょっとの観光では、時間が短すぎます。
小アジア最大の古代都市遺跡群。
ギリシア時代には小アジアの最大の都市国家として君臨した。
当時の繁栄ぶりを伝える数々の遺跡として、野外劇場、図書館、アゴラ、浴場のほか、公衆トイレの跡なども見られる。
↑【ヴァリウスの浴場】南側入場口から入ってすぐに現れた遺跡。
↑【オデオン】音楽堂。1400人収容。これだけでも立派な劇場に思うが、野外劇場はこの15倍以上の収容が可能らしい。
↑【女神ニケのレリーフ】ニケはNIKEと書きます。スポーツメーカーのナイキですね。スウッシュ (Swoosh) はナイキのロゴマークであり、勝利の女神ニケの彫像の翼をモチーフにデザインしたとされている。とのこと。あるブログでは、ドレスのすそ、布のたなびいている部分と書いてある。確かにそっちの方が似ている。
↑【ヘラクレスの門】というらしい。レリーフが綺麗なので撮影しましたが、この巨大な遺跡の中では、実にこじんまりした門でした。しかも当日はこの辺りが大渋滞の状態でした。
↑【クレテス通り】この両側は商店が立ち並んでいたんでしょうな。
↑【クレテス通り】ズームアップしてみるとこんな感じです。この遺跡でかいです。
↑【ハドリアヌス神殿】綺麗なレリーフのある門のある神殿です。(後で知りましたが、レプリカでした。)
手前の女神像はティケ、後ろの像はメドゥーサとのこと。
【公衆トイレ】ちょっとお隣と近すぎるんではないでしょうか?まあ、当時の衣服はみんなスカート風だったので、脱ぐと言うより少しめくる感じだったので、まあ近くてもいいんでしょうが・・・
↑公衆トイレ近くで日向ぼっこしている猫ちゃんです。トルコは犬や猫が多かったですね。
↑【図書館】当時の図書館て、圧倒的な知の集積場所だったんでしょうな。
↑【図書館】後で近くによるかと思い、一番近づいた写真がここまででした。ちょっと後悔
↑【娼館への案内石板】足跡は方向示し、その左上のハートは、娼館を表していたとのこと。右下の四角の中に、キャッチコピーがあったのではないかとも。
↑【円形劇場】中央奥から。右手から奥に進む道が港に続く道です。
↑【港通り】もうすっかり海の面影はありませんが、当時は通りの先が港だったそうです。海が遠くなって、この街は徐々に寂れたそうです。
とにかくスケールの大きな遺跡でした。初めて観るローマ時代の都市遺跡で、感動しました。ガイドさんの説明も丁寧で分かりやすくしかも学術的で面白かったです。
↑エーゲ海に面する街。ダーダネルス海峡に挟まれた狭い半島を南下していきます。
↑港町です。地名不肖。ここからフェリーに乗ってアジア側に渡る予定でしたが・・・
↑今日のこの辺りの海は大荒れで、フェリー欠航です。堤防の上がずぶ濡れです。
↑フェリー乗車時にバスの車窓から撮った地図です。ここはECEABATという港町でしょうか?
↑反対側のアジア側にも小さなお城があります。ここで、ダーダネルス海峡の船の通行を監視していたんでしょうか?
↑お城の後方の山になにやら書いてあります。戦勝記念かなにかでしょうか?後で調べておきます。
↑あの有名なトロイ遺跡に到着です。このトロイは9層の都市遺跡だそうです。
↑屋根がついていた遺跡です。とっても大事な遺構なんですかね。上の方は復元したものでしょうか?下とは色が違っていますね。
↑神殿の後です。左前の穴のある石組みは、生贄台だそうです。穴は血をためる場所らしい。
↑イスタンブール空港の出迎えゲートにて現地ガイドさんの出迎えシーン
↑初日はホテルで過ごすようにいわれましたが我慢できずテオドシウス城壁を撮影。初めてのトルコの夜の一人歩きはちょっと怖かったです。
↑翌朝は朝から大散歩。こんな大城壁が6キロくらい続いて残っているんですよ。この内側が旧市街と呼ばれるエリア。
↑近くによるとこんな感じ(すでに少しよじ登っています。)ホテルからは1キロ以上は離れています。そろそろ戻ることを考えないと・・・
↑そう思いつつ、崩れているところからよじ登った写真。さらに前方の塔を目指します。
↑塔上から新市街(つまり城壁の外側)を覗いた写真。ここで幾多の攻防があったんでしょうかねえ。
↑戻ろうと振り返るとずいぶん細い足場を通ってきたことを実感。落ちたら死にそうな高度差に我ながら帰りビビリました。
↑今も旧市街に入る通路として使われている城門。崩れているところからよじ登った先が右側の塔部分です。かなり高いですよ。
【テオドシウス城壁】
東ローマ帝国の皇帝テオドシウス2世の命によって起工され、413年に完成したコンスタンティノポリスの大市城壁。 外部から幅約20mの堀、幅約14mの外周警戒路、高さ約9mの第一城壁(上の写真手前の低い部分。かなり崩れています。)、幅約20mの内周警戒路、内周警戒路から立ち上がる高さ約11m厚さ約5mの第二城壁と高さ約23mの警戒塔(上の写真奥の高い部分)から成る。(以上、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
千年間、東ローマ帝国の首都を守り難攻不落を誇った大城壁。最後は1453年にオスマントルコの征服王メフメト2世(トプカプ宮殿にて肖像画も確認)による大砲も利用した総攻撃によって陥落しました。そんな歴史背景もあり、とにかく観て触りたかった大城壁です。それができて感激でした。(ツアー中、特にガイドさんの解説もなく、ほとんどのツアー参加者は誰も気にしなかった城壁だと思いますが・・・)
昨日、このブログに不思議なコメントがありました。
はじめまして~
茶緑です(笑)
白い上着の方にゴール間際で抜かれたのですが、かずさんだったんですね。
お姉さんとのバトルが熱かったです。
ナンさんという方から記事「館山若潮マラソン無事完走です。」へのコメントです。
急いで自分のブログを読み返します。記事はこちら
ゴール間際に何とか抜き去ることができた「茶緑さん」からのようです。
彼のブログを覗きました。若潮マラソンが初マラソンだったようですね。それであのラストのスパートは只者ではありません。(おかげさまで自己記録の更新を導いてくれました。)
私なんか、初マラソンではゴールの手前で歩きましたよ。
それにしても、こんなネットでの出会いもあるんですね。
また、彼と熱いバトルしてみたいですね。(次は彼のポテンシャルからして私の完敗でしょうが・・・)
トルコで買ってきた伸びるアイスのトルコアイス(ドンドゥルマ)の作り方です。
①ボウルに本品と冷たい牛乳200ml(1カップ)を入れ、泡立て器で混ぜる。
電動ミキサーだと5〜7分間混ぜる。
②深さ3〜4㎝のアルミや金属製の容器に①を流し入れ、冷凍庫で2〜4時間冷やす。
③食べる前に、冷蔵庫で15〜20分間冷やしてからよく練る。
冷凍庫から出した時は、カチカチに凍ってたのですが、冷蔵庫に移して20分ほど待ったらモソモソって感じになりました。
がんばって2〜3分ほど練るとこんな感じに伸びましたよ〜!
とは、とあるホームページの記述を引用しました。
明日あたり作ってみましょうかね。
トルコ旅行中に、第2回房総丘陵トレイルラン&ハイクの参加通知書が届いておりました。
トルコ旅行中を含め、実に17日間もランニングしておりませんでした。
いやあ・・・、体重も4キロ増えて、すっかりなまっております。
距離は21キロ、去年も出ていますし、まあ、なんとかなるでしょう・・・
その、甘さが命取りか・・・
今回の参加賞の引き換えに足のサイズを聞いてきております。ソックスのようです。
珍しい参加賞ですね。楽しみです。
昨年一緒に参加した後輩ですが、足の故障が治らず、不参加とのこと。
代わりに参加賞をもらってくることになりました。
練習不足ながら昨年の記録は更新したいという無茶な願望が生じておりますので、結果に乞うご期待を!
トルコ旅行に先立ちというか持って行って機内で読み終わって、その後スーツケースの中に入ったままトルコを一緒に旅した本です。
大好きな作家である塩野七生(しおのななみ)さんの作品で、最初に読んだのは、いつだったかな?と裏表紙をめくってみると発行は平成三年で19年前なんですね。
当時、新品を購入したものでまだ綺麗な状態です。
さて、ストーリーの方ですが、西暦1453年のコンスタンチノープルつまり現在のトルコの首都であるイスタンブールでの話です。
カバーにはこう記されています。
−地中海に君臨した首都をめぐる、キリスト教世界とイスラム世界との激しい覇権闘争を、豊富な資料を駆使して描く、甘美でスリリングな歴史絵巻。−
歴史好き、トルコ好きな方、まあ、一度読んでください。
追記:1453年のコンスタンティノープル攻防の主戦場であり、この小説においてもクライマックスを飾ることとなるテオドシウス城壁は、現在もイスタンブールに超然と存在しております。難攻不落といわれるにふさわしい大城壁でした。トルコ旅行時の初日と翌朝に探検してきました。写真等はこちらから
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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