【書評】「自分」から自由になる沈黙入門 小池龍之介著
実に面白いタイトルである。著者は私より一回りも若い僧侶らしい。
禅問答のような不可思議な文章にも思えるが、自らの仏道修行に基づく哲学的な思索は、実にあっぱれである。
このような書きっぷりを著者が読んだら、こう言われるだろう。
「意見あるところに欲あり、それ邪見なり。自分濃度高め過ぎること要注意」ってところでしょうか・・・
しかし、一般世間的には、「自分の意見を持て!」と言われているんですがね。
以下「著者」の特徴的な考え方をまとめてみました。
自分濃度
みな、無意識的に自分は特別な人間だと思い込んでいる。その特別な自分が語る話は、当然有意義なものだと思い込んでいるが、そうした「自分」についての話は、相手にとっては基本的につまらないものである。
「自分が、自分が」と自分濃度を濃くすればするほど、本人からはガツガツした物欲しそうな雰囲気が漂うようになり、他人との交際がギクシャクして、不幸せになる。
逆に、「自分が、自分が」という考えを薄めれば薄めるほど、自分に備わっている物欲しそうな雰囲気が取れてきて、周囲との交際も自然とすんなりゆくようになる。
美味しいお菓子をつくるのに、「自分」というアクの強い成分は、小さじ一杯で十分である。
イイカゲンな相槌
相手がツマラナイ話や聞きたくない話をし始めたら、上手に話の腰を折ってあげることが大切。
その際に、打ってつけなのが「イイカゲンな相槌」
「ふーん」「そっか」「そうですか」などで、その話題を終了に持っていく。
無駄な会話でお腹がいっぱいになりそうになったら、ゴチソウサマの意を込めて、「ふーん、なるほど、そうですか」の一撃をお見舞いするのが良いでしょう。
正しさの猥褻さ
正しいこと、それ自体は大切なれど、「自分」の正しさを言い張ることは、たいていの場合、周りの人にとって有害である。
「正しいこと」は、他者を攻撃するためや、自己の欲のために使われる瞬間に、もはや正しくともなんともない、聞かされる側にとって、迷惑千万な猥褻なものに転落する。
納得してくれない相手を「論理的に正しい議論」によって論破してもムダ。「相手に変わって欲しい」と思うのは欲と怒りの心であり、相手はよけい頑なになって変わらなくなる。
逆に、相手に変わって欲しいという猥褻な欲望を捨て去れれば、相手が変わってくれる可能性がある。
自分をイライラさせる他人が周りにいるのは、自分自身のせい。自業自得である。
欲望の罠
本当はどっちでもいいことを「こっちのほうが良いからこうすべきだ」といった気持ちにさせ、駆り立ててしまうのが、「欲望」である。
そんな「欲望の罠」にはまらぬように、「本当はどっちでもいいんだ」と肝に銘じておく。それが、執着少なく、「自分濃度」を薄めてあげる道でもある。
例えば恋愛において、ドキドキ感と安心感は両立せぬものであり、片方しか手に入れられず、どっちを手に入れても、不満足。これが、まさに「欲望の罠」
僕らを決して幸せにすることがない欲望。その解毒剤は、「ドッチデモイイ」「ドウデモイイ」
この、「ドッチデモイイ」「ドウデモイイ」は、投げやりに思うことでなく、「どうなっても最終的には受け入れられるよ」という潔さであり、軽やかさである。
それが結果として、互いの関係を大切にすることになり、ひいては相手に対する優しさにつながる。
キモチに意識をロック・オン
どこにあるか分からないフワフワした「キモチ」に意識を集中してありままに感じ取ることは、練習すれば誰にでもできる。(これを念力という。)
練習によって得た念力により、自分の中にやってきて暴れ回っている感情(キモチ)がいったい何なのかをよく見極めたたら、ロック・オン。
そこに「気持ちよさ」があるなら「気持ちよさ」に、「苦しさ」があるなら「苦しさ」に向かって、意識を一点集中。その結果、欲望の罠から脱出することができる。
①自慢話したくなったとき
自慢話は、自分を分かってもらいたいという「欲望」と自分の評価を気にする「プライド」が暴れまわって、我を忘れている状態。
よって「評価してもらって気持ちよくなりたいよー」と恥ずかしげもなく暴れ回っている「キモチ」をロック・オンし、意識を集中しながら、「気持ちよさ」を味わい尽くすと、「欲望」や「プライド」が薄まり、優美なる沈黙を保てるのである。
②感謝してもらえないと感じたとき
何か他人にしてあげたときは、「感謝して欲しい」という欲望が少し混じるもので、感謝されないと「感謝して欲しい」という欲望が満たされず、苦しくなる。
こうした「苦しさ」や「情けなさ」をロック・オンし、イライラした「キモチ」に対して意識を集中。このイライラをすみずみまで実感し、残さずきれいに食べ尽くせば、「苦しさ」や「欲望」が減り、澄んだキモチが戻ってくる。
【所感】
自分は心の平静さを保ちたいと思うが、そのことも「欲望」になってしまうのでしょうか?それでもやはり、保ちたい。
しかしながら、現代社会は、多くの「欲望」が激しくぶつかる社会に他ならない。
仕事場では、著者の教えをどうやって実行し続けるのか・・・。不可能としか思えないんですよね。
そんな思いが頭から離れられないが、ふと著者の言う「勇敢なる沈黙」を実行しているのではという同僚がいることに気がついた。
彼女は真面目でおとなしく、それゆえ、皆から大事にされているが、特徴的なのは自分のことを自発的に語らないということだ。
また、リアクションが極めて少なく、おそらく多くの人は、会話を盛り上げるのに窮してしまっているように感じるのだが、それって、「自分濃度」を低くして対応しているってことにも思えてきましたね。
ともかく彼女のことは同僚後輩としてとても可愛く思う(容姿も含めて)のであるが、感情を露にしないとか、少ないリアクションとか、自分の生き方との違いが大きすぎて理解不能に陥ることがあるんですよね。まあ、それも彼女と接する楽しみでもあるんですが・・・
参考まで著者が開設しているHP「家出空間」を紹介します。
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