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2009年5月

2009年5月31日 (日)

倒れそうになりました。

今日は、あるイベントに着ぐるみで参加し、盛り上げてきました。

都合2時間くらい活動してましたが、今日はそこそこ暑く、着ぐるみの中は、サウナ状態で、そのせいか最後、気分が悪くなりましたよ。

しかも、気分が悪くなった場所は、隠れる場所もないところで、子供たちに取り囲まれており、倒れる訳もいかず、彼らに悟られないように元気に、気合で人目のつかないところまで退場しました。

一言でいうと、のぼせたというか、熱中症になったんでしょうな。

結構、鍛えていると思ってましたが、まだまだのようです。次回はがんばります!

2009年5月30日 (土)

旬なアスパラガスいただきました

旬なアスパラガスいただきました
北海道出身の後輩から旬で美味しいアスパラガスをいただきました。

この袋三ついただきまして、昨日からアスパラガス三昧です。美味しいですよ

幸せですわ。(^O^)

2009年5月28日 (木)

天地人狂想曲(雲洞庵と坂戸城跡)

   巻機山のある六日市町は、大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続の生まれ故郷であるらしい。

 町中のいたるところに生誕地を誇示するのぼりが立っていた。

 巻機山下山後、ゆっくり名物のへぎそばを食べたいところでしたが、ここまで来たら、兼続と景勝が修行した「雲洞庵」と景勝の居城であった「坂戸城」を見物しないわけにはいかない。

 ということで、まずは「雲洞庵」に向かう。

 道中大型バスに何度も出会ったが、あとで考えると全て「雲洞庵」に団体で来ていたバスのようだった。大河ドラマの影響はすごいですね。(私もその一人ですが)

 この寺は本当に、行き止まりに近い、山深い地でありながら、駐車場には何台も大型バスが停車していた。駐車場代を請求されないので安心していたら、拝観料は300円だった。

 何だと思って、一度は帰りかけたが、ここまで来たらと拝観することにした。Photo_2

 雰囲気のあるPhoto_3 立派なお寺Photo_4 でいい修行ができそうなPhoto_5 感じ(写真2-5)でしたが、思ったほど大伽藍ではありませんでしたね。

 またどうでもいいことですが、新潟アルビレックスの選手と思われる一団(写真6)がいましたね。 Photo_6

 せっかくなのでお守りを私と妻の両親4人分、いただきました。しっかり「愛」の字が刺繍されてましたが、それ故に買ってしまうところが、我ながらミーハーですな。

 入場時に20円出して、パンフレットを購入しましたが、お守り4つ購入すると、パンフレットいただきました。金額はともかく、かなり損した気分に・・・

 30分ほどで、退出し、坂戸城跡に向かう。(写真7)Photo_7

 ドラマでは、幼少で修行中の兼続がこの寺から脱走し、遠方の自分の屋敷に戻るシーンがとても印象的だったのですが、実際は4キロしか離れておらず、演出的に遠方と感じたのがなんだかなあ・・・って感じですが、それはテレビを見たこちらが勝手に想像したことなんでしょうな。いずれにせよ、近くてちょっと変な感じ。

 坂戸城は、ドラマではあまり印象深くなかったせいか、観光客もまばら。この城は、景勝が謙信の養子になる前の居城で、わずかな石垣(写真9)Photo_9 やただの草っ原である家臣屋敷跡(写真11)Photo_11 、ちっちゃな内堀(写真12)Photo_12 、生誕石碑(写真13)Photo_13 ぐらいしかなく、普通の観光客はがっかりでしょうな。案内図(写真14)Photo_14 と説明板(写真15)Photo_15 は写真のとおり 

 坂戸城の実城と呼ばれる山城部分は、この城跡の後ろにそびえる坂戸山の山頂(634m)にあるらしく、時間はあまりなかったので、すぐに駆け出して登り始めました。(写真17)Photo_17  

 これが結構なのぼりで、すぐに走れなくなるとともに、途中で、3日前にクマの目撃情報があったとの注意看板(写真18)Photo_18 はあるし、標高差は400m以上あるしで、思わぬ大変な山登りになりました。

 途中数人の下山者と逢い、巻機山ではなし得なかった登山中の人との邂逅が、とっても嬉しかったですね。

 30分で山頂の実城(写真19)Photo_19 に到着。そこはとっても眺めの良いところで、しかも午前の雨から比べるとかなり晴れ渡ったおかげで、麓の六日市町(写真20)Photo_20 はもちろんのこと、先ほど登った巻機山(写真21)Photo_21 や八海山(写真22)Photo_22 も遠方に見えました。

 帰路は、トレーニングがてら爆走し、17分ほどで、下山しました。

 後は、そばも食べず、土産も買わず、一路帰宅しましたです。

2009年5月27日 (水)

葱ぼうず(新潟の美味しいお店)

先日、新潟出張で、グルメでない私も何か美味しいもの食べたいなあと思っていた出張の前々日にふと思い出したのが、大学時代のサークルの後輩が新潟に戻っていたことです。
連絡するのは確か5年ぶりぐらいでしたが、時間もないので早速メールしました。翌日すなわち出張の前日に返信があり、食事をすることになりました。
新潟駅で待ち合わせてたら、遠くで手を振る姿を発見。20数年ぶり(本当は11年ぶりぐらいでしたが)でしたが、変わってなかったですね。
女性は年齢で大きく変わるものですが、変わらない容姿に思い出が蘇ります。

平日は行列ができてなかなか行けない店にいくことになりました。
店の名前は「葱ぼうず」です。→http://www.the-niigata.com/youkinatta/data/details/028.html

日曜の早い時間で、空いておりました。運があるようです。
洒落た内装もいい感じ。

学生時代、毎日のように遊んでいた友人Kの元奥さんでもあった後輩なので、あまりその話には触れないようにしつつ、しかし昔話に盛り上がりました。

いやあ、懐かしい話ばかりで、とても楽しかったですね。

料理も美味しく、「佐渡沖お造り盛合せ」や「のどぐろの一本焼き」は、秀逸でしたね。

途中で、彼女が再婚していることがわかり、人生の奥深さに感動しましたね。

とにかく、このお店はお勧めです。まだまだ食べたいメニューがありますので、次回も行きたいですね。

巻機山(まきはたやま)【日本百名山27】

  巻機山(まきはたやま) 1967m 新潟県

山名は山麓の機織伝説から。平坦で穏やかな頂稜は草原に池塘が点在する高山植物の宝庫。しかし山麓から頂上部へは急登が続く(日本百名山地図帳から引用)Rimg5066

【ひと言】残雪の多い5月末に加え、悪天候で一人の登山者とも会うことなく、この山塊にただひとり。ある意味最高に贅沢な山登りを満喫しました。

 桜坂駐車場⇔井戸尾根⇔山頂 3:52(▽3:38)

高速のPAで仮眠していたが、あまりの眠さに起き上がれなかった。起きても雨にテンションが上がらない。天気予報では、午後からは晴れるとのこと。それを頼りに予定より5時間くらい遅い出発

途中、六日市町は、天地人の直江兼続の生誕地であることに気が付くが、坂戸城跡を確認して先を急ぐ。

桜坂の駐車場に11時過ぎに到着。人気がない中、準備する。登山シートを投函(写真1)し、出発するも、クマ除け鈴を忘れて、戻る。Photo

11:23に再出発。樹林帯の急坂を進む。昨日からの雨で足場はゆるい。やがて四合目到着。(11:42)

先を急ぐと、また標識が。四合五勺って、中途半端な・・・Photo_2 (写真2)

11:55に五合目通過。のどの渇きを覚え、給水。急坂が続く。するとさらに中途半端な標識が・・・五合三勺って・・・

明るい樹林帯(写真3)を一人進んでいると、初めての小さな残雪が。これから先、いっぱいあるんだろうなと思いつつ進む。Photo_3

やっぱりいっぱいありました。雪を踏み抜かないよう慎重に進むも、今朝までの雨、今日はまだ誰もいないようで、踏み跡がない状態。かなり手探り状態で、ペースが上がらない。

六合目で、12:23 かなり時間がかかりそうな感じだ。ヌクビ沢(写真4)が少し見えてきた。霧よ晴れろよって祈りつつ進む。Photo_4
七合目で、おにぎり2個補給。

13時を過ぎて、丸太階段だらけの八合目(写真5)に到着。Photo_5

霧もだいぶ晴れ、ピークが見えてきた。Photo_6 前(ニセ)巻機山だろう。(写真6)

ニセ巻機山への上りで、とうとう巻機山の山頂(写真7)が見えた。Photo_7 ニセ巻機山に13:15に、登頂成功。(写真8)Photo_8

Photo_9 そこから下って、避難小屋(写真9)を通過し、最後の雪渓で、とうとう雪を踏み抜いた。右足が湿地に陥没して、ずぶ濡れだ。雪解け水は冷たかった。 (写真10)Photo_10

気を取り直して、最後の急坂を上る。残雪があり、慎重に進むとあっという間に頂上に到着。13:35Photo_11 (写真11)

霧も晴れて、見回すと、どうもここより高いピークが見える。そちらに進む。小さなケルンがつんでるところが一番高そうなところ(写真12)で、標識がないが、ここを山頂と認めて、山頂でお約束の食事を取る。誰も居ない山頂だ。Photo_12
しばし景色を堪能するも霧がまた出てきた。そろそろ帰ることに。しかし、誰にも会わなかった。やはり今日は私、ひとり?

急ぎつつも、いつもより慎重に駆け下る。ニセ巻機山からの下りで、一時、霧が晴れ、また巻機山が見えた。これが最後の山容(写真13)だと思い、写真に収めて、先を進む。Photo_13

予想通り、残雪だらけの明るい樹林帯で、踏み跡(写真14)を見失い、きっちり迷った。5分ほどうろうろして、ルートを見つけて進む。Photo_14

往きもそうだったが、融雪による水が、登山道を川のように流れている。Photo_16(写真15) できるだけ水を避けるも、限界がある。靴はもうどろどろだ。

高度が落ちると、登山道上の水もなくなり、快調に下った。15:15に、1台だけ停車している駐車場に到着。Photo_17(写真16) 今日は一人も登山者に会わなかった。この広い山塊に私一人で貸切だったようだ。

着替えて直ちに、天地人観光名所めぐりに出発した。

11:23 桜坂駐車場
12:23 井戸尾根(六合目)
13:15 ニセ巻機山
13:35 御機屋
13:41 巻機山山頂
13:54 ニセ巻機山
14:35 井戸尾根(六合目)
15:15 桜坂駐車場

【参考データ】
 登山道 井戸尾根ルート 片道5.5km往復11km 標高差約1200m
 駐車場 桜坂駐車場30台くらい(有料)
 山小屋 巻機山避難小屋(標高1800mくらい?)
 温泉地 六日町あたりにあるかも?

かずさんの日本百名山登頂記録一覧表はこちらです。

2009年5月26日 (火)

ああ運動会!

小学校の運動会がありました。ふたりのわが子が参加しました。いずれも私に似て、鈍足なんですよ。

でも、一所懸命走ってましたよ。それが嬉しかったです。

一方、ご近所さんと同じシートで見ていたんですが、見事に他のお子さんは、全員リレー選手。
まあ、その分、リレーの応援は、とても楽しかったんですがね。

それでも、借り物競争で、わが三男が3位になったのが、嬉しかったですね。たぶん、最初で最後の入賞となるのでは・・・

その日は、雨の心配もあったのですが、結局とても天気が良くて、腕は真っ赤に腫れてしまいました。

2009年5月25日 (月)

先週末のトピックス

先週末は、いろいろなことがありました。

23日
一所懸命なビリ
がんばったね、3位!

24日
150キロ巡航
トッキッキに入る
午前中で仕事終了
地元のラーメン通に教わる
百名城なるものの存在を知る
北方文化博物館
後輩との楽しい食事
車中泊

25日
雨で高速パーキングで休憩
百名山に一人ぼっち
雲洞庵発見!
坂戸城に熊?

詳細は後日ということで

2009年5月22日 (金)

栄養士のタマゴが考えた食育弁当 あさり 食べてみました

栄養士のタマゴが考えた食育弁当  あさり  食べてみました
菜の花に次ぐ第二段
前回より5円UPの595円でした。国産食材は高いんですな。

まあ、たまにはいいでしょう。

何せ通常は昼はインスタントラーメンですから(^。^;)

補足:蓋をとった写真も撮ったはずなんですが、見当たらず、弁当の中身が良く見えず、申し訳ありません。

2009年5月21日 (木)

今年のハセツネの出場断念

一縷の期待を持って、ハセツネの日程が、例年よりずれることを待っておりましたが、先日今年の日程が確定しました。

10月11日スタート!

その日は、やはり仕事で出られません。

覚悟していたとはいえ、かなり寂しいですね。

不思議なのは、トレーニングのモチベーションが下がってないこと。

最近しっかり走れておりますので、7月下旬の「おんたけウルトラトレイル100K」で、この悔しさを爆発させます。

2009年5月19日 (火)

恐ろしい石鹸の話

 我が家に、大事に放置されている石鹸が二つあります。
 その石鹸を、家族はちょっと恐ろしがって、そんな扱いになっております。

 実は、その石鹸は、私がお礼として新幹線の車内でもらったものです。

 それは、徹夜で萩往還マラニックで140キロ走った帰路の新幹線の中でした。

 その日は、GW中であり、指定席はなく、のぞみ自由席で、なんとしても座って、かつ眠る必要がありました。事情は、「GW4日で徹夜3回」の記事を参照ください。

 自由席の列の5番目くらいに並び、睡眠誘導剤代わりにビールも買って、博多始発で、小倉を経由したほぼ満員ののぞみに乗り込み、何とか2列席の通路側の自由席を確保したんです。すぐにトイレに行って、戻ってきたら、となりのお父さん、かなり酔っ払いで、私に自分のコップ酒を勧めてくれたんですが、私は、とにかく徹夜で眠いので寝る旨、伝えて寝ようとしたんです。

 しかし、そのお父さん、一つだけ話しがあると、つごう3回くらい話しかけてくるので、寝るのをあきらめ、ボランティアと思って、話に付き合うことにしました。

 そしたら、このお父さん、実は45歳ということで、私とあまり変わらない年齢で、しかも、これがびっくりなんですが、本日、刑期を終えて出所したばかりと言うのです。

 刑務所では、懲罰房に長期間入っていたことを自慢げに話し始めるし、しかもそれが結構大きな声なのには、参りました。また、酔っ払っていることもあり、同じ話が何度も出てくるのも、徹夜明けの私にはつらかったです。
 が、これは、なかなかできない経験と思い、それはそれは真剣に話を聞いてあげましたよ。

 ちなみに、風貌はやせ気味で今どきのメガネをかけており、いわゆる怖い感じの人ではありませんでした。

 彼は、大阪が住まいらしく、なぜ刑を受けたかは、聞きませんでしたが、これまで何度も入っているらしいのですが、今回は1年ちょっとなので、凶悪な犯罪で服していたわけではなかったのでしょう。

 それで、彼と別れる際に、どうしても受け取ってくれということで、おそらく出所時に支給されたと思われる5,6個ある石鹸のうち、2個を私にくれたのです。まあ、何度も辞退はしたのですが、あまりにしつこく礼を失するかと思い、最後はもらったという訳です。 

 しばらくは、この石鹸、我が家の中で大事に大事に放置されるんでしょうな。

 ちなみに、この石鹸はLUXというブランドのもので高級感がありますが、緑色のマジックで、両方とも684と乱暴に書かれております。

 684って?・・・

 怖いので尋ねませんでしたが、やっぱ識別番号なんでしょうな。

2009年5月17日 (日)

素敵なプレゼント(ブックカバー)

素敵なプレゼント(ブックカバー)
後輩からとても素敵な革製のブックカバーをいただきました。

ありがたいことです。

最近文庫本から遠ざかってたので何を読みましょうかねえ。

2009年5月14日 (木)

萩往還マラニックの装備について

萩往還での装備についてお話します。

服装
 ファイントラックスキンメッシュ(ノースリーブ)
 アンダーアーマー(長袖)
 ハーフジップシャツ(半袖)
 スポーツタイツ
 ハーフランニングパンツ
 三本指ぬきグローブ
 サンバイザー
ザック
 ドイター10Lザック(山口市街⇔萩市街)
 ウエストポーチ(山口市街⇔防府市街)
夜間装備
 ミニLEDヘッドライト
 ミニLEDハンドライト二つ
食料・飲料
 カロリーメイト3袋
 シリアルサンド6袋
 塩飴多数
 アミノ酸サプリ4袋
 アミノバリュー500ml1本
防寒対策
 ハーフジップシャツ(長袖)
その他
 デジカメ

外した装備
 ハイドレーションパック

前半と後半、夜間と昼間で装備を変えました。

軽量化を図り、重量に関するストレスは、抑えられたと思いますが、装備を道中に変えるために余計な時間がかかった点もあり、総合的な評価としては判断しかねるところがあります。

2009年5月13日 (水)

第21回山口100萩往還マラニック大会記録速報

本日、大会の公式ホームページに完踏者一覧速報が掲載されていた。

待ちに待った記録の一覧だ。

140キロの部は、出走412名、完走284名で、完走率68.9%だった。

この大会に順位表彰はないものの、一覧で順位は一応判るのです。

で、わたくしですが、34位でした。いやー、我ながら嬉しい。

出走者の上位一割という望外な結果に狂喜乱舞です。

これまで、いつも半分より後ろでしたので・・・・

来年の250キロの部の出走権は確保したのですが、さてどうしましょうかねえ・・・

2009年5月12日 (火)

第21回山口100萩往還マラニック大会を終えて

通過タイムは、以下のとおりです。

13.7k  1:26:39         
 エイドしゃもじ<約3分休憩>おにぎり2つ、給水
21.5k  2:19:39 ( 7.8k   50:00)
 第1CP(英雲荘)<約5分休憩>ミニクリームパン3つ、給水
29.3k  3:18:48 ( 7.8k   54:09)
 エイドしゃもじ<12:32休憩>卵うどん、おにぎり、給水、[トイレ]
41.7k  4:55:34 (12.4k 1:24:14)
 福祉センター<21:57休憩>おにぎり2つ、味噌汁、給水、[トイレ]
56.8k  7:23:36 (15.1k 2:06:09) 給水(民間エイド)、カロリーメイト2枚
 エイド佐々並市<約3分休憩>饅頭2つ、給水
66.6k  8:45:44 ( 9.8k 1:19:08)
 エイド明木市<約5分休憩>饅頭2つ、給水
70.3k  9:22:09 ( 3.7k   32:24)
 エイド萩往還公園<約7分休憩>チョコ2切れ、給水、[トイレ]
77.9k 10:23:19 ( 7.6k   54:09)
 第2CP(石彫公園)<約11分休憩>給水、シリアルサンド2枚
89.0k 12:13:02 (11.1k 1:38:43) [トイレ]
 第3CP・エイド(虎ヶ崎)<12:28休憩>カレーライス、オレンジ1/4、給水
97.3k 13:33:12 ( 8.3k 1:07:41)
 第4CP(東光寺)<約2分休憩>手持ち給水
105.0k 14:45:22 (7.65k 1:10:10)
 エイド萩往還公園< 7:31休憩>カロリーメイト2枚、給水、[トイレ]
108.7k 15:20:32 ( 3.7k   27:38)
 エイド明木市<約3分休憩>饅頭2つ、給水
114.3k 16:33:00 ( 5.6k 1:09:28)そうめん1口、レモン1切れ(民間エイド)
 釿ノ切峠(ちょうのぎりとうげ)標高405m<休憩なし>
118.5k 17:05:46 ( 4.2k   32:46)
 エイド佐々並市< 4:24休憩>豆腐2切れ、はちみつレモン漬
126.4k 18:31:03 ( 7.9k 1:20:51)途中民間エイドで、草餅1つ、給水
 板堂峠(いたどうとうげ)標高540m<休憩なし>
132.8k 19:11:56 ( 6.4k   40:05)

走行時間累計 17時間50分

休憩時間累計  1時間21分

2009年5月11日 (月)

第21回山口100萩往還マラニック大会(6)

<萩往還復路後半(釿ノ切峠(ちょうのぎりとうげ)→ゴール・瑠璃光寺)>2009050421
 峠の最高地点を過ぎると、間もなく舗装路から少し外れた萩往還らしい旧道を緩やかに下る。2009050422 山道に入り、激下る。2009050423 ここでライバル170番を再度捉えて、集落に出た。佐々並市(ささなみいち)だった。
 美味しいと評判の豆腐があった。2009050425 写真を撮って、食す。旨かった。ライバルたちも続々到着。若い女子中学生の薦めるレモンのはちみつ漬けを食した。甘酸っぱかったが、元気が出た。隣で豆腐二つ食べる人がいたので、私も申し出て、二つ目を食し、屈伸の後、ライバルたちに先行して出発。2009050426

 すぐに、集落から山裾の道を抜け、舗装路に出る。だらだらと長い上りだ。普段なら歩くところだが、先の少し先ののぼり傾斜が急になっているところまでと走る。ライバルに早々に抜かれたくないからだ。
 しかし、あれほどエイドでは人がいたのに、コースにはランナーがいない。はるか前方のランナーを追う。後ろもかなり離れた。歩き始める。

 一度舗装道路が途切れる。首切り地蔵の地点だ。また、長い上りの舗装路に出る。
 前から、中学一年生くらいの少年とすれ違う。餅を食べないかと差し出してきた。突然の申し出に余裕がなくなっていた私は、遠慮してしまった。あとで思うとせっかくの好意を無にしたみたいで申し訳なかった。
 そう思ってすれ違った中学生の姿を追って振り返ると、133番が追ってきている。すごい勢いだ。さらにその後ろから何か来ている。C185番ランナーも来た。70キロの部の先頭だ。スピードが違う・・・。あっという間に抜かれた。と思ったら、道路を横切った。2009050427

 向かった先は、農家の納屋に開設された私設エイドだった。明朝作っていた、あんこは草もちになっていた。さっきの中学生が持っていたものと同じだった。おばあさんに尋ねると近所の子供でさっきまで手伝っていたとのこと。ここで草もちをもらう。美味しかったので「旨い」と伝えるともう一つ薦められたが、走れなくなるからと遠慮させてもらった。

 厚くお礼を伝えて、走り出すとライバル170番が追いついてきた。エイドに寄らないで、私をパスして行った。

 170番は、きつい上りをものともせず、走り去っていった。夏木原キャンプ場の脇を通り過ぎつつ、他のライバルの存在を振り返りながら確認しつつ、走っては歩くを繰り返して進んでいく。もう後ろは振り切ったようだ。

 やっと舗装路も終わり、山道の萩往還に入る。2009050428 もうすぐ最高地点の板堂峠のはず。きつい上りながら、早足で進む。やがて、深夜の記憶が蘇る太鼓橋似の頂点部に。2009050429
 とうとう最後ゴールまで続く下りの始まりだ。

 気合を入れて、駆け下る。駆け下る。駆け下る。

 つぎつぎと先行するランナーをパスする。まず438番のランナー(こばんざめ走法の彼)をパス。彼はここに居たのか感慨深い。手には長い青竹を持っている。脚にきて、下りはまったく走れる状態でないようだ。ついついこちらは笑顔でパスした。

 あれほど先行された170番も捉えた。彼は、下りで走っていた。それでも私との速度の差は歴然。抜かれると、彼の脚が止まったのが見えた。もちろん、私とて無傷ではない。いつものように親指付け根は、皮が剥けてしまったようだ。顔をしかめながら、かまわず走る。

 好きな下りで走らずして、いつ走る!もう最後まで下りなので、歩けば、ずっと歩くしかなくなる。

 やがて、山道は終了し、舗装路に出る。後ろを振り返ると、赤い選手が追って来るのが見えた。392番か?

 ここまで、かなりのペースのはずだがと、思いつつ、さらにペースを上げた。気持ち的には、下りを跳ねるように駆け下っている。前方のランナーをパスしていく。ずいぶん前に勢い良く抜いていった133番もパス。

 後ろを振り返り、392番の追走を確認するが、姿は見えない。間違いだったのか?(はい、間違いでした。)

 抜き去ったランナーから何人も激励の言葉をかけてもらった。本当にありがたいことだ。

 山口市街がどんどん近づき、やがて市街地に。右折200mで瑠璃光寺の看板が見え、50mくらい前方に250キロのランナーの姿が。しかし、彼は私の姿を確認すると、残り200m全力で駆け出した。

 私は、彼のがんばりに敬意を評して、ペースを上げなかった。

 瑠璃光寺手前には、観光客やすでにゴールしたランナー多数がラストスパートしている選手に声をかけてくれる。いよいよゴールで、私も手を上げて彼らの声援に応える。

 五重塔を右手に左折して、フィニッシュテープに対して、カメラポーズをつけて、最後はゆっくりゆっくりテープを切った。2009050430

 132.8キロを走りきった。ICタグを返して、記録証を発行してもらう。19時間11分56秒だった。

 ゴールして最初に思ったことは、これで予定の新幹線に乗ることができる。(*^^)v

2009年5月10日 (日)

第21回山口100萩往還マラニック大会(5)

<萩往還復路前半(萩・東光寺→釿ノ切峠(ちょうのぎりとうげ))>
 川沿いの道を進み、松蔭神社脇を通過し、市街地方向に進む。松蔭大橋(近代的な橋ですが)を渡り、片側二車線の広い道路を、西に進む。
 説明会場で何度も話に出てきた、萩警察署前を直進して通過し、次の大きな交差点で左折し、狭い歩道上を進んだ。
 これまで、何度も目にした170番の選手が前方を歩いているのを発見。見るからに速そうなランナーだけに抜かしたいなあと思っていると、屈伸、ストレッチを行い、走り始めました。このあたりはまだ平坦ですが、走りは脚がまだ上がって、軽快に見え、私よりはるかに速く、あっという間に、差がついていきました。

 それに、くじけることなく、一歩ずつ走って、遅いランナーをパスしつつ、またも元気な133番に抜かれた。萩城下の天然の守りとなっていたであろう橋本川を渡り、とても可愛らしい萩駅前を通過。(後でルート確認すると、萩駅手前で左折するのが本当のルートでした。少し遠回りしたようだ。)2009050413

 跨線橋を渡り、田んぼの中を通る萩往還に入ってきた。目の前に山は迫ってきており、緩やかながら上りとなってきた。

 と、ここで前方から、ものすごいスピードのランナーが向かってきた。Cのゼッケンを付けている。どうやら本日午前6時にスタートした70キロの部のランナーのようだ。あのスピードからして、たぶん先頭ランナーだろう。時刻は午前8時40分くらい。石彫公園が折り返しだから、3時間ちょっとで折り返すと思われる。すさまじいスピードだと、感心しつつ、こちらに元気な声をかけて、通過。2009050414 その後、続々とCのゼッケンランナーが、比較的直線の下りを活かした猛烈スピードで通過していく。「がんばれ!」の声援に、きついであろうにちゃんと返事をくれるのが、感心だ。こちらは、そこそこの上りに、すでに歩いているというのに・・・

 やがて、萩有料道路脇の歩道に合流。あれ?って感じだ。明朝は、萩有料道路の歩道をずっと直進していたので、ルート間違えていたようだと気づく。まあ、仕方ない。

 この辺りも、傾斜がかなりきつく、暑さもあいまって、歩くほかない。上りに強いランナー何人か抜かされるが、仕方ない。

 やがて、萩往還公園に到着。105.0k 14:45:22 (LAP 7.65k 1:10:10)2009050415 明朝と違って、エイドができていた。アミノバリューを1本もらうが、給食にはさしたるものがなく、手持ちのカロリーメイトをベンチで食す。それから、アンダーアーマーの長袖シャツを脱いでリュックにしまった。キツイ上りだし、暑くなってきたので、もう半そでシャツで十分だろう。

 山道前だし、トイレも済まし、約7分の休憩。休憩中のライバル170番と215番に先行して、出発。

 いよいよ往路の第一関門である倅坂に向かう。ここまでだいぶ上ってきているので、倅坂の頂点まではあとわずかだろうと踏ん張る。それでも、ライバルの170番と215番に頂点間近で抜かれる。
 走行していると下り坂に。すぐに彼らをパス。あれだけ上りで速いのに、なぜ下りは私に抜かれるのか実に不思議だ。重力に逆らわず、脚を前に出せば良いだけなのに・・・・

 この辺りから、ゼッケンCの70キロの部とゼッケンFの35キロの部の参加者がどんどん向かいからやってくる。彼らは私にさまざまな激励を与えてくれるのです。
 「おかえりなさい」「お疲れ様」「頑張ってください」「ファイト!」「もう少しです」などなど

 正直、とても心にしみて、何度も涙が出そうになりました。ほんとにこの言葉に答えるべく、恥ずかしくない走りをしないとと、から元気を出してしまうのを止められませんでしたが、これが結局、いい結果の一つの要因になったと思います。

 倅坂の激下りをかっ飛ばし、田んぼの中の萩往還をひた走る。(実際はかなりスピードは落ちてますが・・)やがて、左折し、明木市の集落に到着。108.7k 15:20:32 (LAP 3.7k   27:38)2009050416_2

 エイドは、往路の人たちとわれわれ疲労困憊の復路のランナーで賑わっていた。饅頭を二つ食べていると、ライバルたちが続々到着してくる。ベンチでひっくり返っている人たちを横目に、歯を食いしばって、先に進む。

 すぐに一升の上りに。一升とは、この上り坂の間に、一升の豆を食べてしまうくらい長い上り坂ということらしい。2009050417

 九十九折(つづらおり)のような激上りでなく、山肌に沿って、適度に蛇行するだらだらとした長い上りです。しかし、走るにはかなりきつい上りで、250キロの疲労困憊ランナーは抜けるものの、ライバルたちには、抜かれていった。392番にライバルにも一度は抜かれたものの、長い上りの終盤で彼はひっくり返っていた。彼も私と同様、上りは苦手らしい。それでこの位置ってことは、下りと平地が早いのだろう。考えてみれば、上りでは抜かれたことがないのに、いつのまにかエイドで追いつかれていることから、下りと平地は相当速いのだろう。2009050418

 長い上りが終わって、短い下りで舗装路に。舗装路に出る直前に、私設のエイドがあり、そうめんとレモン漬けをいただく。レモン漬けは、酸っぱかったが、これで一気にリフレッシュ。舗装路の上りで、後ろから来る392番への意識もあって、走って上る。やがて、第二関門である標高405mの釿ノ切峠(ちょうのぎりとうげ)の標識を発見。114.3k 16:33:00 (LAP 5.6k 1:09:28)2009050420

2009年5月 9日 (土)

第21回山口100萩往還マラニック大会(4)

<萩市内(萩城跡→笠山→東光寺)>
 先行して到着した集団は、まだ休憩されているようですが、家族の要望を果たすべく、11分あまりの休憩の後、再出発した。一応右手に、ライトを持って、進むが、萩城の内堀を過ぎて、はて、コースは?そこにちょうどランナーが。ゼッケンをしていないが、こんな時間に走っているのは、レース参加者だと思って尋ねてみると、地元ジョガーのようだった。笠山への進路を教えていただき、その道を進むとすぐに、白い矢印線が路上に引かれていた。

 すぐに砂浜の海岸線に出た。(菊ヶ浜というらしい)2009050406
 その静寂で美しい情景を見ながら、確か幕末に高杉晋作が藩政クーデーターを起こしたときに、船で萩城下に迫った史実を思い出し、この海上にいたのだろうかなど、まったく関係ないこと思いながら、進む。と思われる人に、

 すると、公衆トイレを発見。しかも洋式だ。さっき、行きたかったのだが、トイレがなかったので、我慢していたのだが、ちょうどいい案配と、利用する。ちなみになぜ洋式かと言うと、もうかなり脚にきていて、長くしゃがみこめそうにないからだ。(^^ゞ

 しっかり用を足すと、夜がかなり明けていた。前方に何人もランナーが確認できた。4,5分経ったからであるが、いい目標ができたくらいに気持ちを切り替えていこうと思い、進む。

 250キロの部で疲れきったランナーの足取りは一往に重く、その何人か、抜いていく。なにせ、すでに35時間、約200キロ走っているわけで、歩いて当然、むしろ遅いとはいえ走っていること自体が驚愕すべきことだ。

 私も彼らに敬意を表して、抜かすときは、「お先に失礼します。」と一声かけて、抜かしていった。などと、えらそうに書いているが、実は私も、このころいっぱいいっぱいでした。140キロの部も含めて、何人もランナーを抜かしていたが、わき腹が痛くなってきて、走れなくなってきた。先ほど、カロリーメイトなどは食べましたが、わき腹痛になる量ではないはず。少し歩いて、痛みが治まって、また走るが、わき腹痛はまた襲ってくる。何度か繰り返しているうちに、すっかり気持ちが萎えて、とうとう歩き始めてしまった。
 笠山への道は、海沿いの平坦な国道の歩道であるが、歩道整備時期が古く、狭い上に、片側にずいぶん傾斜し、路面がかなりでこぼこで荒れている。実に走りづらいからと、言い訳しつつ、歩いていた。

 途中、地ビール工場があった。名称が面白い。萩にゆかりがあるといえばあるのだが・・・2009050407

 買って帰りたいところであるが、ビールのような重いものを買って走るのはきついので思いとどまった。

 当然、歩いていれば、走っているランナーに抜かれていく。何十人も抜かれた気がする。さっき抜いた、250キロの部で疲労困憊、年齢は二回りも離れているかもしれないような先輩にも抜かれていく。

 笠山は、萩市街の北方5キロくらいの位置に東側から突き出た形の小さな半島だ。萩のユースホステルに泊まったときに、観光した。元火山で、火口跡もあり、また野生の椿の群生地として有名です。

 やがて、笠山への左折に入り、再度走ることに。痛みなく何とか走れる。しかし、すっかりスピードは落ちてしまって、走っているランナーには抜かれていく。若い男女のランナーに抜かれ、丸坊主で私の友人であるミッチに似た感じのランナーにも抜かれた。それでも、笠山の周回道に取り付くと、急な上りだ。私はとても走れないが、早歩きで、前のランナーになんとか離されないように付いていこうとする。下りで、詰めて、上りで、離される展開で、がんばるうちに、歩いているランナーを相当抜いていく。丸坊主のランナーさんは、携帯で話していたり、また、私に次のチェックポイントであり、食事場所でもある虎ヶ崎のつばきの館まで、どれくらいでしょうかと話しかけてきた。

 さっき、1.5キロの表示があったことを教えた。実は、このあと彼と私は、ちょっとしたデットヒートを繰り返すことに。2009050408

 海上遥か先に見える萩市街を左手に、半島を先に進み、萩市街が後方変わり、さらに見えなくなって、やがて、第3CPのつばきの館に到着。89.0k 12:13:02 (LAP11.1k 1:38:43)2009050410

 ランナーが5,6人いた。すぐに注文しようとカウンターに進むと、逆側に10人くらいランナーがいた。出てくるのが、きっと早いだろうと、カレーライスを頼む。すぐに出てきた。一気に食べ始めて、写真を撮ってないこと気が付き、しばし中断。2009050409

 オレンジが出ているあたりが、心憎い。リフレッシュ効果抜群なんですよね。

 水をたらふく飲んで、出発と外に出るが、靴の中の石を取り除き、靴紐をしっかり結びなおして、屈伸して、先に進む。もう花はないが、椿の森を抜け、半島を一周する形で、もと来た道に戻る。説明会では、笠山の頂上にも上ってくださいとのことでしたが、私は以前来たことあるし、まあ、なにより疲労しているので先に進む。

 半島の付け根に戻ってきたところで、もうこれ以上、歩くわけにはいかないと、おまじないをかけることに。痛み止めを飲む。

 もうこれで、逃げるわけにはいかない。歩くための言い訳はできなくなった。ゆっくりでも、とにかく走り始める。

 海岸沿いの国道の歩道は狭いので、笠山に行くランナーと交差しないよう、陸側の歩道を進む。さすがに90キロを過ぎ、疲れは隠せないが、なんとか走れるようになってきた。そうすると、いつの間にか、前後にランナーがいなくなり一人旅に。やがて、第4CP東光寺に向けて左折。やがて前方にランナー発見。抜かして、松蔭神社に突き当たり、左折。ここも懐かしい。笠山から1時間で着くかと思ったが、前半、歩きもあったせいか、1時間を超え、思ったより川沿いの道が長く、東光寺前に到着。97.3k 13:33:12 (LAP 8.3k 1:07:41)2009050412
 エイドがなく、無人のチャックポイントだった。すぐに、392番のランナーも到着。なんとなく彼に抜かれたくなくて、手持ちのアミノバリューをリュックから取り出し、二口飲んで、すぐに出発。

2009年5月 8日 (金)

第21回山口100萩往還マラニック大会(3)

<萩往還往路(山口市街→萩城跡・石彫公園)>
 福祉センターを出て、右折し、スタート時とは逆行する形で、進む。瑠璃光寺前を通過すると、まだまだ街中ではあるが、勾配も出てきて、山道の気配がしてくる。天花橋で、迷っている数人と合流。説明会のとき、初参加者を挙手させていて、会場にいる半数以上が初参加者だったことからも、まだ山道に入っていいないのに、迷うのも道理だろう。よく見れば、橋の路上に、白い矢印線が引かれていた。2009050424 皆でそちらに進む。
 橋を渡るとすぐに民家がなくなり、いよいよ山道(舗装されている大きな道路ですが)に入った。傾斜もきつくなり、少し遅れ気味になるが、道に迷うことが怖く、先行するランナーたちの点滅する赤色灯から離れないように頑張る。

 そうしているとまた先ほどと同じように、私の後ろには、ランナーがいなくなる。私は、ぎりぎりでなんとかゆっくりでも走っていて、走っている集団としてはビリなのだが、歩きはじめたランナーは、すぐに私のはるか後方に下がってしまうからだ。

 この時間(真夜中11時過ぎ)は、まだ半月に照らされ、周囲の景色もおおろげにわかる。左手にダム湖(錦鶏湖)が見てる中、まだ上っていく。縦長のダム湖が終わり、しばらくすると本当の山道に。『萩往還』の立派な道標が立っていた。2009050317

 石畳が整備された走るには厳しい傾斜の山道を登り始めた。もうこの辺りのランナーは全員歩いており、走っているときより、ランナー間の差はつまり、前には赤色灯、後ろにはヘッドライトの白い光が、ゆらゆらと幾重にも見える。

 街灯はなく、頭上は木々にさえぎられ、月光も届かない、漆黒の闇の中を、不気味な泣き声(かえるのような感じ)が聞きながら、「ぜーはーぜーはー」という、自分の荒い息の響きとともに、ひたすら上る。

 途中、もう動けなくなって、木にもたれかかっているランナーに、一声かけて、抜いていったが、その直後、嘔吐する音が・・・。後方のランナーがまた声をかけているが、弱弱しくも「大丈夫です。」との返事の声を聞き、少し安心して、私は先に進む。

 途中、茶屋を再現したものか、東屋風の建物の脇を通り、昔の人は、現代とは、はるかに劣る装備(靴やリュック)の中、こんな厳しい峠を越えていたんだと、思ったりもした。

 きつい上りの道中、何人かは抜くものの、基本的には遅い私は抜かれるほうが多い。特に長いのぼりの後半は、私のスピードはぐんと落ち、どんどん抜かれていった。

 太鼓橋のような、きつい上り勾配から、徐々に緩やかな勾配になり、やがてくだり勾配になったところを過ぎると、下り基調となった。後から思うに、それが本大会ルートの最高地点である『板堂峠(標高560m)』だった。

 峠を過ぎて直後、得意の下りとなって、さっき抜かれた人たちを抜き返して集団の先頭に立った。舗装道路に出たところで、迷って別ルートからもどってきた集団と合流する。

 初めて参加した者には、当然ルートはわからない。やがて、誰かが白矢印線を見つけ、山道ではなく、舗装道路を下るのが本来ルートということになり、その方向に進む。

 進みながらも、私は少し疑っていて、集団(15名くらい)後方で様子見しながら進むも、しばらく下ると別の白矢印線が出てきて、ルートに間違いがないことを確信した。

 しばらくすると、農家の納屋らしいところに明かりが。ランナーも立ち止まっている。私設のエイドらしい。おばあさん2名が給茶してくれた。深夜1時くらいなのに、本当にありがたい。あんこを捏ねていた。明朝から配るのだろうか。2009050318

 感謝の言葉だけ置いて、走り出す。ゆったりとした下りの舗装路を駆け下る。

 舗装路から外れて、下ると集落に入った。佐々並市のようだ。待ちに待ったエイドに着いた。56.8k地点  7:23:36 (LAP15.1k 2:06:09)2009050402
 ここは、美味しい豆腐を出してくれるエイドとして、いろんなブログに書いてありましたが、この深夜には、まだ用意されていないようでしたが、お饅頭はいっぱいあったのでそれを食した。この集落の若者(高校生くらい)だろうか、10人足らずでエイドを切り盛りしているようだ。本当に暖かいもてなしに、頭が下がります。

 さて、もう一丁、大きな峠越えるかと、気合を入れて、走り出すと、萩往還らしい古街道のきつい上りを踏ん張る。エイドでリフレッシュできたおかげで、ずんずん進むと、今度は舗装路や田んぼの間の農道をゆっくり長く上る。

 そうしていると、夜中なので釿ノ切峠(ちょうのぎりとうげ:標高405m)を気が付かないうちに通り過ぎ、萩往還らしい山道に入る。すぐに長い長い下りに。一升谷への長い下りだ。得意の下りであるが、まだまだ他のランナーも元気なのか、ほとんど抜かすことはない。(抜かされもしないが)

 下りが終わって、集落に到着。明木市(あきらぎいち)という集落だ。66.6k地点  8:45:44 (LAP 9.8k 1:19:08)2009050403
 ここも先ほどと同じように、若者たちがエイドを切り盛りしているようだ。ありがたい。自然と感謝の言葉が出るんだよなあ。ここでも饅頭二つ食べ、給水して、いよいよ最後の倅坂に向かう。

 川沿いのほぼ平坦な萩往還を走る。途中橋を渡るとやがて、倅坂の山道に。きつい上りだ。これまでの二つの峠より標高がかなり低いはずだという思いで進んだせいか、逆に長い道のりに感じた。ここで何人かに抜かれた。上りきった後は、激下り。靴の中で足は前方に寄り、指先が詰まって、痛いが、これこそが山岳レースの痛みだ。普通のランニングシューズではもっときついだろうと思いつつ、駆け下り、先ほど抜かれたランナーたちを抜き従えて下る。このあたりになると、抜き抜かれつしているランナーがだんだん同じ面子となってきていて、言葉は交わさないものの、なんだか顔なじみで仲間のような気がしてくる。

 激下りはすぐに終わり、萩往還公園に到着。70.3k  9:22:09 (LAP 3.7k   32:24)

 駐車場の片隅で、二人のボランティアさんが、ちっちゃなエイドを設けてくれていた。午前3時半では、公式のエイドは設置されていないらしく。それを知っている人の善意のエイドらしかった。紙コップも少なそうだったので、リュックから初めてマイカップを取り出し、お茶をいただく。ミニチョコ2枚いただき、再出発。と思ったら、トイレを発見し、駆け込む。

 結局トータル7分あまりの休憩となり、集団からすっかり遅れた。有料道路脇の広い歩道をひとり駆け下る。やがて15名くらいの集団に再会。分岐で進路を迷っているらしい。初めての私には、進路を決める自信がないので、しばし見守っていると、やがて進路が分かったらしい。付いて走っていると、集団が早い集団と遅い集団に分離。中間にいた私は、好きな下りでもあり、早い集団の最後列を走る。(明るくなった帰路に判明するが、このルートは間違えでした。)この集団は、若者が多く、ランナーズハイかつ寝不足ハイで、やたらハイテンションで、笑いながら進む。この中の一人に、上下ジャージのみの若者がいて、ライトを持っていない。「こばんざめ走行したのか?」って、大笑い。ライト持たずに走るとは、夜目の利かない私には信じられない。よく、ケッつまずいたり、捻挫しなかったものだ。

 やがて、萩市郊外に出た。下りは終わり、平坦になった。工事中の跨線橋を渡るが、そのまま萩市街には入らず、左折。萩駅、玉江駅前を通るルートに。

 集団後方で付いてきた私ですが、平坦になると集団から少しずつ遅れ始めた。この集団とにかく元気だ。(後でこの集団にいた人と話をすると、ペース上がりすぎだったと話していた。)

 遅れてはいるが、前方の集団の姿は確認できるし、市街地だけに街灯の明かりもあり、寂しくもなく進めた。

 橋本川の河口の常盤小橋(歩行者専用の橋で、小橋といっても幅6,7mもある橋)を渡って、萩城下に進む。すぐに左折の矢印が。左折し、ふと顔を上げると、萩ユースホステルだった。2009050404 12,3年前に泊まった懐かしい宿だ。立ち止まって写真撮った。さらに先に進むが、前方集団は、見えなくなった。と思ったら、前方から逆送するランナーが。第2CPの石彫公園を教えてもらい、車のヘッドライトで照らされている、一角に到着(午前4時半)。77.9k 10:23:19 (LAP 7.6k   54:09)

 驚いたことに、送った荷物が野ざらしにおかれ、明かりは車のヘッドライト。いやあ、ものすごい手作り感だった。2009050405

 エイドのアミノバリューを1本飲み干し、このエイドには食べ物が置いてなかったので、自己食料で補給する。これまで事前の説明に反してエイドが充実しており、自己食料の消費が少なかったので、送った食料中心の荷物は、そのままにし、逆に、もうすぐ夜明けなので、手持ちライト1つ以外のライト2つをゴール地点までの戻り荷物としておいていくことにした。

2009年5月 7日 (木)

第21回山口100萩往還マラニック大会(2)

<序盤(山口市街→防府市街→山口市街)>
 午後6時直前となり、エイエイオーの掛け声で、最初の組がスタート!その後、2分毎に、掛け声とともに順々にスタート開始。私の組は5番目、8分遅れで掛け声とともにスタート。序盤、あっという間に先頭になりそうになるも、山口市内の道順を知らないので、自重しつつ、先頭集団で走る。途中、信号待ちが何度かあり、そのうち、同じ組の先頭からは離れてしまった。2009050309
 1キロちょっと進んだところで、山口市福祉センター近くに。リュックを置いていくため、左折し、75m先のセンターの入り口で、ボランティアの女性にリュックごと預けた。ビニール袋には、入れてもらえることになり、手間と時間が省けて、助かった。

 リュックを預け身軽になって、コースに戻ると、同じ組の集団は、私の前方となった。
 さて、私の装備でありますが、ライトは両手首と腰にすでに装着し、ポッケに1000円札というきわめて身軽な状態です。防府折り返しのこの部分は、一般道であるとともに、高低差が少なく、都合三箇所のエイドがあるので、軽量化を図って、後半への体力温存の作戦をとった。この決断は、説明会で今回出走するボランティアの青年がそうすると言っていたのに、私も乗らせてもらった格好である。

 同じ組の集団を少しずつパスしながら、山口駅前を通過し、2009050310 デザインに特徴の有る歩道橋を渡るころには、2分前にスタートした集団の最後尾に追いついた。

 凹凸の激しい少し狭い歩道で、彼らをパスしつつ、先を急ぐ。急ぐといっても、疲れにくいフラット走法を維持し、ペース的には、キロ6分(時速10キロ)以上の遅いペースの感じです。

 防府の途中に、鯖山峠(14.3キロ地点)という標高200m地点に向かい、そろそろ緩やかではありますが、確かなのぼりが、続き始めました。また、時間も7時近くとなり、かなり薄暗くなってきました。夜目の利かない私なので、腰のライトを点灯しつつ、進む。

 その途中に、追い抜かしたランナーに「かずさんですか?」と尋ねられる。なんと、コミュニティサイトのお仲間である『道草倶楽部人』さんでした。

 しばし、会話するも、ペースの違いを気遣っていただき、「お先にどうぞ」という言葉に見送られて、先を急ぐことに。実は、家族の強い要望で、明日午後3時の新幹線に乗らなくてはならなくなったもので、遅くとも午後2時ゴール、すなわち20時間以内での完走が至上命題となり、先を急がさせてもらいました。

 やがて鯖山峠の直前の最初のエイドである「しゃもじ」(13.7キロ地点)に到着。 13.7k  1:26:39 2009050311 峠の茶屋的なドライブインのようです。実は、このレース、食事券なるものがあって、この「しゃもじ」と「虎ヶ崎(つばきの館:89キロ地点)」で無料の食事ができるらしい。

 早めの食事を取ろうかと思いましたが、『道草倶楽部人』さんが「しゃもじは、往路では、食事が込み合う。」との話どおりだったので、食事は注文しないで、自由に食べられるおにぎり2個を急いでほおばって、出発した。

 すぐに、これまでの国道を離れて、かつての峠道に入り、きつい上りが出現。それでも、序盤で元気もあり、周りのペースにもつれられて、ほとんど走って上る。峠を越えると今度は急な下りに。下りで走ると脚の筋肉が壊れるのでセーブすべきなのでしょうが、重力に任せて駆け下る。

 やがて、国道に戻り(国道は峠下をトンネルで通過している。)、下りが続く中、折り返しの防府に向けて、快調なペースで進む。

 新幹線の高架をくぐり、高速道路をくぐる地下道を進み、大きな橋を渡って、どうやら防府市街に入ってきたようだ。信号も増え、止まることが多くなってきたことに、ストレスを感じるということは、まだまだ調子が良いといいことか・・・。スタッフが立っている左折の地下道を通過し、中心市街地に入ってきたようだ。

 すぐに信号に引っかかるが、説明会で何回となく注意喚起されていた交通ルール遵守をランナーみんなが守って、信号どおりに進む。

 すると、前方からランナーが!折り返してきた先頭のランナーのようだ。足取りは、軽快そのもの。私とは走りが違うと思いつつ、この地点ですれ違うということは、8分遅れの点を踏まえると、それほど悪くない順位だと思われ、ちょっと安心。

 最後の右折をし、1キロほど直進すると、折り返し地点であり第1チェックポイント(CP)である英雲荘(三田尻御茶屋跡:21.5キロ地点)に到着。 21.5k  2:19:39 (LAP 7.8k   50:00)2009050312

 英雲荘なんて書いてるものだから、てっきり何かの建物かと思っていたら、空き地のような公園のようだった。

 エイドステーションは、テーブルに食べ物や飲み物が載っている状態で、雨だったらどうするの?状態でしたが、私的には、手作り感が好印象です。ここでミニクリームパンを3つ食べ、アミノバリュー500ml補給し、再出発。2009050313

 再出発時は、単独でしたが、信号待ちが続くたびに、集団が増えてきた。どうもこのペースでは、信号に良く引っかかるので、信号が変わると先頭に飛び出し、しばし先行すると、信号ぎりぎりで横断でき、集団から離れた。はるか前方に赤い点滅が見え、これを追うことに。(※赤い点滅は、受付時に渡された点滅装置で、ウエストポーチやリュックや帽子にそれぞれが装着し、安全を確保して走行してます。)

 ちょうど、このあたりから上りが始まり、前の走者を捕らえつつ、後続の早いランナーに抜かれつつもあった。

 面白いことに、私は上りをゆっくり走っており、走っているランナーには抜かれるものの、歩き始めたランナーは、抜かして差を広げる形で、前後に人がいなくなる状況になってきた。しばらくすると明かりの少ない鯖山峠に入り、上りはきついが、赤い点滅が遠くなって見えなくなると、道を見失いそうなので、ある意味必至で追った。峠を過ぎ、得意の下りになると、先行走者に追いつくいつもの展開。やがて『しゃもじ』に到着。往路では使わなかった食事券を使用。玉子うどんを注文。先を急ぐ気持ちの強い私には、待っている時間が惜しいくらい。やがてゼッケンを呼ばれ、うどんが手にする。2009050314 通常の一食より少ない感じ。おにぎり2個も食し、トイレに行って再出発。(休憩12:32)

 得意の下りで、いくつかのい集団を追い抜いていくうちに、いつの間にか、単独走行に。先にはまったく赤い点滅が見えなくなった。これが30分くらい続いた。走行距離も40キロを超え、かなり疲れを感じてきたのか、信号待ちが待ち遠しくなりつつなってきて、ちょうど山口駅前で、信号待ちしていると後続からの早いランナーにやっと追いつかれ、そのランナーの後ろを付いて走っているうちに、エイドのある福祉センターに到着。 41.7k  4:55:34 (LAP 12.4k 1:24:14)2009050315

 靴を脱いで、大広間に進む。2,30人が食事したり、休んでいた。エイドとして置いてあったコンビニのおにぎりを二つ食べ、温かい味噌汁を飲んだ。味噌汁は特にうまかった。2009050316 まわりの先輩に「もう走れませんよ!」などと弱音を吐くと、励ましてくれたりとウルトラならではの和やかな交流を楽しみ、しっかり給水したのち、先ほど預けたリュックにウエストポーチから荷物を移し変え、トイレに行って、いよいよ萩往還の山道に向けて、気合の屈伸の後、再出発した。(休憩21:57)

2009年5月 6日 (水)

第21回山口100萩往還マラニック大会140km(1)

 5月3日から4日にかけて、私が参加してきました「萩往還140km」のご報告いたします。

 まず、本大会ですが、もう第21回なんですね。山口は開催県名、萩往還とは、メインコースの名称で、江戸時代の街道の名前ですね。
 マラニックとは、「マラソン」と「ピクニック」を合わせた造語で、タイムを競い合うのではなく、それぞれのペースで踏破するもので、走る距離は、概ねマラソンより長いものでしょうか。
 さて、100ってのが、よくわからないんですが、まあいいでしょう。

 で、まずカテゴリーですが、5つあります。(今回は一つ減ったようです。)
 A250km
 B140km
 C 70km
 D 35km
 F 35km(歩け歩けの部)

 で、私の出たのはBの140kmの部でした。ちなみに250kmの部は、参加条件があり、それを私は満たしておりませんでした。
 (250kmの参加条件:①250km出走経験者であること、又は②本大会140kmの出走経験(完踏はしていなくてもよい)、かつ100km以上のウルトラマラソンでの完走経験有り)

 さて、140kmのコースですが、以前書いたとおり、山口市の瑠璃光寺から瀬戸内海側の防府市内を折り返し、sスタート地点の山口市を通過し、日本海側の萩市内を周回したのち折り返し、瑠璃光寺に戻るというものです。
 このルートのほとんどが、かつて萩往還といわれたところを走るもので、本大会の名称にもなっているところです。

 前置きはこのくらいにして、そろそろ報告に入りましょうか。

<スタートまで>
 9時、帰省先の金沢駅から特急サンダーバードで新大阪に。GWでありましたので、指定席は取れませんでしたが、自由席を確保。前日、徹夜でドライブした疲れもあり、爆睡。隣の人の顔がもう思い出せません。
 11時半くらいに、新大阪に到着。ダッシュで新幹線のプラットホームで、自由席乗り場に。列の8番目くらいに。ちょうど、すぐ近くに弁当売り場があったので、バッグを置いて、弁当とビールを購入。(詳細は、5月3日のブログ記事のとおり)
 3列シートの真ん中に空きがあり、若い男性に囲まれる形に。ビール飲んで弁当食べて、また爆睡。奥の男性が広島で降りたので、目が覚めたので、寝ないで次の乗り継ぎ方法を検討。1時半に新山口駅に到着。
 ちょっとお腹の感じが来てたので、トイレを探し、和式しかないのにがっかりしつつ、屈んでみると、トイレットペーパーが設置されてないことを発見。有料100円に戦意(便意)喪失。

 さて、県庁所在地である山口市の山口駅は、実は地方ローカル線(いわゆる何とか本線でない)。乗り継ぎ待ちが40分もあるのと、駅から会場まで距離があるので、会場近くに停車するバスに乗ることにした。590円でした。

 バス車中、受付した後に、説明会に参加したいが、果たしてその時間が確保できるのか、考えていた。ややバスは時間を遅れたので、県庁前で降りて、受付に寄らずに、説明会場に向かった。(説明会場と受付場所は、1キロくらい離れている。)

 そう、実はスタートは18時なんですが、説明会は15時から開催とのことで、初参加の私としては、一度聞いておく必要はあると、思ったので、説明会に出席したのでした。2009050301

 開会15分前に、会場に入るも、すでに相当な人が、集まっている。否応なく、テンションが上がってきた。3時には、300名くらいは集まっただろうか、会場も満員になり、説明会が始まる。2009050302
 この会場に、スタッフは2人とのこと。すでにスタートした250kmの部の見回りや140kmのスタート準備で、人手がないとのこと。
 仕事柄いつも抜かりないことに注力してしまっている私には、目から鱗の驚きだ。21回目の実績を踏まえても、300名の説明会を2人で仕切るとは・・・。そういえば、説明会場に何の受付もなかったし・・・
 しかし、説明会の内容は、さすがでした。知りたい情報やポイントがぎっしりで、熱い思いが伝わってくるものでした。2009050303
 ちなみに、二人のお名前は忘れてしまいましたが、石彫公園の責任者の方と2回目の140kに出走するボランティアの男性でした。
 出走される男性は、100kを7時間で走られるとのことで、40kの延長なら大丈夫と過信して望んだ初参加の昨年、胃痙攣を起こし、20時間超でのゴールとなったとのことでした。
 想像以上に厳しくタフなコースだと、何度も熱く語っておられたのが印象的でした。(あとで知ることになりますが、富士登山競走を10回制覇したミスター富士登山競走の芹澤さんでした。)
 夜間走行に必要なライトについても、明るいものを2つ持つようにとのアドバイスがあり、夜目に自信があり、軽量化のためライトを持たない場合、明るいライトを持っている人の背後にくっついて走行する「コバンザメ走法」しかないとの説明に会場で爆笑が起きておりました。

 それから、昨日スタートした250kの部では、40キロもコースアウトした人がいたとか。そんな距離を間違えて進むとは、信じられないことだが・・・

 説明終了後、質問が多くでましたが、予定通りの4時に説明会終了と同時に、急いで受付会場に向かいました。

 受付会場は、瑠璃光寺と洞春寺の間にある松籟亭(しょうらいてい)って、いかにも由緒のありそうな建物が受け付け場所でした。2009050304
 こちらもスタッフわずか2名で、忙しく受付を処理してました。感謝です。

 それから、着替えのために、隣接する洞春寺に移動です。ちらっと見た案内板に「毛利元就公の菩提寺」と書いてありました。2009050305
 着替え及び荷物置き場が、その菩提寺の本堂でした。さすがにご本尊の目の前は、荷物置き場とならないように、シートが敷かれず、空き場所となっておりましたが、少しお恐れ多く、びっくりです。2009050306

 さっそく、場所を確保し、ゼッケンを付け、準備を始めると、同じ説明会場から着替えに戻った多数の人も到着し、かなり混雑してきました。そんな中、レース前にトイレに行っておきたいのと食事を取りたいタイミングを計りつつ、ザックの中身と、途中に置いておける2つの荷物をどうするかで、悩んでいるうちに、刻々と時間が・・・

 ぎりぎりまで、うだうだ考えてしまうのが、私の性分だが、小一時間も経つと、まわりの人がほとんどいなくなってました。不思議なもので、人がいなくなると、集中して物事が進むのも、私らしい。
 カロリーメイトを1箱食し、LEDライトは、先週購入した軽量タイプを選択。シューズは、2年間履きっぱなしで、限界を超えつつあるも、信頼感抜群のモントレイルのヴィテッセを選択しつつ、予備のため中間地点にハードロックを荷物として送ることに決定。

 5時半に洞春寺を出て、まず送り荷物預かり場所に荷物を置く。すでにスタートには、長蛇の列。2分おきのウェーブスタートなのですが、前の方には、潜り込めそうにないので、まずは国宝瑠璃光寺五重塔を写真撮影。2009050307 この五重塔は、道路からすぐの場所に建っており、世俗に近すぎてなんだか荘厳さを少々失っているかのように感じてしまい、少々もったいない気もするくらいだ。

 スタートの列の後方に進むと、トイレを見つけたので、少し待って、済ませて、準備万端。 

 実は、この大会に出発するに当たり、明日午後八時までに金沢に到着するよう、家族から強く要望されました。なぜかというと、GW後半の5,6日は千葉で疲労回復と学校の準備をするとのことで、明日夜に、帰省先の金沢から千葉に車で戻る予定となったからです。(ちなみに車の運転は私です。)

 そんな訳で、少しでも早くスタートしたいという心理状態で、そろりそろり列の前方に進み、半分くらいのところまで進んで、すっかり忘れていた準備運動をその場で軽くしました。2009050308_2 やばいやばい・・・

2009年5月 5日 (火)

GW4日で徹夜3回

現在、夕方5時、家のソファーで珍しく、くつろいでます。(自宅では起きている時は大概せかせか何かしら動いているもので)

実は、5月1、3、4日と徹夜したもので(ρ.-)ネムイ

1日夜は、帰省に際し、渋滞を避けるため、徹夜の運転に。走行距離550キロで、六時間かけ、朝5時半に着きました。

次は、3日夜ですが、山口県での140キロのマラニック大会でした。

これは夕方6時スタートのまさに完全な徹夜レースで、翌日昼1時すぎに無事ゴール。

疲労困憊の中、急ぎ在来ローカル線に新幹線さらに特急と計5時間以上乗り継ぎ、帰省先に戻って、直ちに千葉の自宅に向け、夜8時に出発。

新幹線では眠れず、特急で二時間爆睡しただけでは眠気とれず、高速に入ってすぐに一時間仮眠。その後、少し進むも、渋滞情報が入り、再度、近くのパーキングで一時間仮眠。

その後、眠気覚ましにドリンク剤と眠気防止キャンディ舐めつつ、150キロペースでかっとんで朝4時に自宅到着。

とにかく疲れましたわ

2009年5月 3日 (日)

GWの新幹線

GWの新幹線
現在のぞみで山口県目指して移動中です。

無計画な私は今日乗車券など購入したのですが当然のように指定席は完売でした。

さすがGW!

フットワーク軽くプラットホームをかけ上がりなんとか自由席の列の前の方に並び席を確保しました。

残念ながら相当数のひとは座れなかったようですが、今日は申し訳ないですがちょっと席を譲れません。

今晩から山口県を瀬戸内海と日本海を往復して140キロメートル走るものですので・・・

車中では写真の弁当食べました。普段なら絶対に食べない種類の弁当ですが、旅情に誘われたせいでしょうか?

ビールとともに旨かったです。

未知なる140キロのウルトラマラソン。その苦闘を楽しんできます。

2009年5月 2日 (土)

美味しいパン屋 ジョアン

美味しいパン屋  ジョアン
美味しいパン屋  ジョアン
美味しいパン屋  ジョアン
久しぶりに美味しいパン屋で一番のお気に入りのジョアンに行きました。

久しぶりだったので通りすぎちゃいました。

目印の大看板がなくなってたんです。

相変わらずの込みように看板は不要って事でしょうか?

外では、バルーンアートの大道芸。

写真のとおりの見事なキリンに感動。

首の中にミニバルーンがあるんです。

現場でみてましたがどうやって作ったかわかりませんでした。

さてパンですが、ここの名物は写真の角パンです。

一人二個の制限ですがほぼ全てのお客さんが買うのですぐ売り切れます。

私のお気に入りのジョアンスティックは、見違えるほど小さくなっており、買いませんでした。ショックというか寂しかったでした。

2009年5月 1日 (金)

拉麺通信01 にしかわ(千葉市緑区)

拉麺通信01 にしかわ(千葉市緑区)
後輩が以前薦めてくれていた『にしかわ』のみそつけ麺を食べた。

普段みそラーメンはあまり食べないのですがかなり旨かったです。

味はみそとんこつって感じ

とてもバランスよく味がまとまってます
相変わらずの込みようで人気店ですな

でもここの一押しはとんこつしょうゆですので初めての人はぜひそちらを

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