<萩往還往路(山口市街→萩城跡・石彫公園)>
福祉センターを出て、右折し、スタート時とは逆行する形で、進む。瑠璃光寺前を通過すると、まだまだ街中ではあるが、勾配も出てきて、山道の気配がしてくる。天花橋で、迷っている数人と合流。説明会のとき、初参加者を挙手させていて、会場にいる半数以上が初参加者だったことからも、まだ山道に入っていいないのに、迷うのも道理だろう。よく見れば、橋の路上に、白い矢印線が引かれていた。
皆でそちらに進む。
橋を渡るとすぐに民家がなくなり、いよいよ山道(舗装されている大きな道路ですが)に入った。傾斜もきつくなり、少し遅れ気味になるが、道に迷うことが怖く、先行するランナーたちの点滅する赤色灯から離れないように頑張る。
そうしているとまた先ほどと同じように、私の後ろには、ランナーがいなくなる。私は、ぎりぎりでなんとかゆっくりでも走っていて、走っている集団としてはビリなのだが、歩きはじめたランナーは、すぐに私のはるか後方に下がってしまうからだ。
この時間(真夜中11時過ぎ)は、まだ半月に照らされ、周囲の景色もおおろげにわかる。左手にダム湖(錦鶏湖)が見てる中、まだ上っていく。縦長のダム湖が終わり、しばらくすると本当の山道に。『萩往還』の立派な道標が立っていた。
石畳が整備された走るには厳しい傾斜の山道を登り始めた。もうこの辺りのランナーは全員歩いており、走っているときより、ランナー間の差はつまり、前には赤色灯、後ろにはヘッドライトの白い光が、ゆらゆらと幾重にも見える。
街灯はなく、頭上は木々にさえぎられ、月光も届かない、漆黒の闇の中を、不気味な泣き声(かえるのような感じ)が聞きながら、「ぜーはーぜーはー」という、自分の荒い息の響きとともに、ひたすら上る。
途中、もう動けなくなって、木にもたれかかっているランナーに、一声かけて、抜いていったが、その直後、嘔吐する音が・・・。後方のランナーがまた声をかけているが、弱弱しくも「大丈夫です。」との返事の声を聞き、少し安心して、私は先に進む。
途中、茶屋を再現したものか、東屋風の建物の脇を通り、昔の人は、現代とは、はるかに劣る装備(靴やリュック)の中、こんな厳しい峠を越えていたんだと、思ったりもした。
きつい上りの道中、何人かは抜くものの、基本的には遅い私は抜かれるほうが多い。特に長いのぼりの後半は、私のスピードはぐんと落ち、どんどん抜かれていった。
太鼓橋のような、きつい上り勾配から、徐々に緩やかな勾配になり、やがてくだり勾配になったところを過ぎると、下り基調となった。後から思うに、それが本大会ルートの最高地点である『板堂峠(標高560m)』だった。
峠を過ぎて直後、得意の下りとなって、さっき抜かれた人たちを抜き返して集団の先頭に立った。舗装道路に出たところで、迷って別ルートからもどってきた集団と合流する。
初めて参加した者には、当然ルートはわからない。やがて、誰かが白矢印線を見つけ、山道ではなく、舗装道路を下るのが本来ルートということになり、その方向に進む。
進みながらも、私は少し疑っていて、集団(15名くらい)後方で様子見しながら進むも、しばらく下ると別の白矢印線が出てきて、ルートに間違いがないことを確信した。
しばらくすると、農家の納屋らしいところに明かりが。ランナーも立ち止まっている。私設のエイドらしい。おばあさん2名が給茶してくれた。深夜1時くらいなのに、本当にありがたい。あんこを捏ねていた。明朝から配るのだろうか。
感謝の言葉だけ置いて、走り出す。ゆったりとした下りの舗装路を駆け下る。
舗装路から外れて、下ると集落に入った。佐々並市のようだ。待ちに待ったエイドに着いた。56.8k地点 7:23:36 (LAP15.1k 2:06:09)
ここは、美味しい豆腐を出してくれるエイドとして、いろんなブログに書いてありましたが、この深夜には、まだ用意されていないようでしたが、お饅頭はいっぱいあったのでそれを食した。この集落の若者(高校生くらい)だろうか、10人足らずでエイドを切り盛りしているようだ。本当に暖かいもてなしに、頭が下がります。
さて、もう一丁、大きな峠越えるかと、気合を入れて、走り出すと、萩往還らしい古街道のきつい上りを踏ん張る。エイドでリフレッシュできたおかげで、ずんずん進むと、今度は舗装路や田んぼの間の農道をゆっくり長く上る。
そうしていると、夜中なので釿ノ切峠(ちょうのぎりとうげ:標高405m)を気が付かないうちに通り過ぎ、萩往還らしい山道に入る。すぐに長い長い下りに。一升谷への長い下りだ。得意の下りであるが、まだまだ他のランナーも元気なのか、ほとんど抜かすことはない。(抜かされもしないが)
下りが終わって、集落に到着。明木市(あきらぎいち)という集落だ。66.6k地点 8:45:44 (LAP 9.8k 1:19:08)
ここも先ほどと同じように、若者たちがエイドを切り盛りしているようだ。ありがたい。自然と感謝の言葉が出るんだよなあ。ここでも饅頭二つ食べ、給水して、いよいよ最後の倅坂に向かう。
川沿いのほぼ平坦な萩往還を走る。途中橋を渡るとやがて、倅坂の山道に。きつい上りだ。これまでの二つの峠より標高がかなり低いはずだという思いで進んだせいか、逆に長い道のりに感じた。ここで何人かに抜かれた。上りきった後は、激下り。靴の中で足は前方に寄り、指先が詰まって、痛いが、これこそが山岳レースの痛みだ。普通のランニングシューズではもっときついだろうと思いつつ、駆け下り、先ほど抜かれたランナーたちを抜き従えて下る。このあたりになると、抜き抜かれつしているランナーがだんだん同じ面子となってきていて、言葉は交わさないものの、なんだか顔なじみで仲間のような気がしてくる。
激下りはすぐに終わり、萩往還公園に到着。70.3k 9:22:09 (LAP 3.7k 32:24)
駐車場の片隅で、二人のボランティアさんが、ちっちゃなエイドを設けてくれていた。午前3時半では、公式のエイドは設置されていないらしく。それを知っている人の善意のエイドらしかった。紙コップも少なそうだったので、リュックから初めてマイカップを取り出し、お茶をいただく。ミニチョコ2枚いただき、再出発。と思ったら、トイレを発見し、駆け込む。
結局トータル7分あまりの休憩となり、集団からすっかり遅れた。有料道路脇の広い歩道をひとり駆け下る。やがて15名くらいの集団に再会。分岐で進路を迷っているらしい。初めての私には、進路を決める自信がないので、しばし見守っていると、やがて進路が分かったらしい。付いて走っていると、集団が早い集団と遅い集団に分離。中間にいた私は、好きな下りでもあり、早い集団の最後列を走る。(明るくなった帰路に判明するが、このルートは間違えでした。)この集団は、若者が多く、ランナーズハイかつ寝不足ハイで、やたらハイテンションで、笑いながら進む。この中の一人に、上下ジャージのみの若者がいて、ライトを持っていない。「こばんざめ走行したのか?」って、大笑い。ライト持たずに走るとは、夜目の利かない私には信じられない。よく、ケッつまずいたり、捻挫しなかったものだ。
やがて、萩市郊外に出た。下りは終わり、平坦になった。工事中の跨線橋を渡るが、そのまま萩市街には入らず、左折。萩駅、玉江駅前を通るルートに。
集団後方で付いてきた私ですが、平坦になると集団から少しずつ遅れ始めた。この集団とにかく元気だ。(後でこの集団にいた人と話をすると、ペース上がりすぎだったと話していた。)
遅れてはいるが、前方の集団の姿は確認できるし、市街地だけに街灯の明かりもあり、寂しくもなく進めた。
橋本川の河口の常盤小橋(歩行者専用の橋で、小橋といっても幅6,7mもある橋)を渡って、萩城下に進む。すぐに左折の矢印が。左折し、ふと顔を上げると、萩ユースホステルだった。
12,3年前に泊まった懐かしい宿だ。立ち止まって写真撮った。さらに先に進むが、前方集団は、見えなくなった。と思ったら、前方から逆送するランナーが。第2CPの石彫公園を教えてもらい、車のヘッドライトで照らされている、一角に到着(午前4時半)。77.9k 10:23:19 (LAP 7.6k 54:09)
驚いたことに、送った荷物が野ざらしにおかれ、明かりは車のヘッドライト。いやあ、ものすごい手作り感だった。
エイドのアミノバリューを1本飲み干し、このエイドには食べ物が置いてなかったので、自己食料で補給する。これまで事前の説明に反してエイドが充実しており、自己食料の消費が少なかったので、送った食料中心の荷物は、そのままにし、逆に、もうすぐ夜明けなので、手持ちライト1つ以外のライト2つをゴール地点までの戻り荷物としておいていくことにした。
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