2008OSJおんたけウルトラトレイル100K参戦記
2008年7月20日に開催された第1回OSJおんたけウルトラトレイル100Kに出走しましたので、そのご報告いたします。
コース図はこちら「ontake_course_map.pdf」をダウンロード
<19日(土)出発>
天気予報を確認すると、何とか明日まで天気はもちそうだ!
早速に家の用事を済ませることに。
9時半子どもを病院に連れて行くと、診察は10時からだった。10時半に診察が終わって、いつものように一緒にジュースを飲んで、家に戻ると11時になった。
すでに出発予定時刻だが、荷物準備と車への搬入であっという間に11時半だ。
嫁の機嫌は悪いが、それでも最後は激励の言葉。家の面倒をきちんと見てくれる。ありがたい。
11時45分出発!携帯電話を忘れて一度戻る。
近くのICから高速へ!乗った瞬間、カメラを忘れていることに気がつくが、時すでに遅し。
首都高速は予想どおりの渋滞。八王子も渋滞だし、石川PAで、手弁当をついばみ、休憩して出発。ナビの到着予定時刻がいつのまにか午後6時を超過している。
受付に間に合うためには、少しとばす必要がありそうだ。
河口湖JCTを過ぎると、高速も空いてきた。中央高速の伊那ICで降りると思っていたが、ナビの指示は、長野道の塩尻ICで、ちょっと疑念を持ちつつ、逆らわず降りて、一般道残り70キロの表示にショックを受けた。(後で考えると、伊那ICからの新しいトンネルの情報がナビにはなかったようだ。)
国道から王滝村に入るはずだが、行き過ぎた感じがしたので停車。やはり6キロ行き過ぎていた。王滝村公民館を目的地としていたが、違う位置を指していたようだ。
再設定し、6キロ戻り、国道を離れて王滝村へ!
<現地到着からスタートまで>
5時15分、王滝村の松原スポーツ公園に到着。のぼりも立ってて、雰囲気は出てました。すでに40台くらい停車。駐車場のスペースは、余裕!300台くらいは停められそうな空き地だ。
早速に受け付けに、向かう!184番のゼッケンやパンフをもらう。いつも受付はギリギリなので、こんな余裕のあるのは初めてだ。ショップも出ているので一通り見て回る。
グレゴリーの出店では、ルーファスを試す。軽くてフィット感は最高!給水も取り出し不要で背中からチャックを開けて可能なのは、秀逸だ。(私には贅沢かな?)おいらのアシックスのバックパックのごわごわ感とは偉い違いだが、長距離となるとどんなものかな?しかし、給水パックなしで1万3千円は、ちと高い!
となりのアートスポーツには、いろいろなトレイル用品が・・。塩のサプリ必要だよなあ・・・だけど700円・・・高い。ネイサンの2Lの給水パックが3200円。おいらのアシックスにちょうど良さそうだ。で、買いました。モンベルの縦長の給水パックより給水口が広くて扱いやすそうだ。
更に隣のさかいやとモントレイルも覗く。協賛なのかSUZUKIの4WDが数台停めてあった。なんだか華やかだ。
車に戻って、弁当の残りを食べ、お菓子を食べた。先ほど購入したネイサンの給水パックを組み立て、レース装備を準備し、車の2列目3列目のシートをフラットモードにして、寝床を整えたら、7時になった。歯磨きして、横になった。
シートが堅いのか、外が少し騒がしいのか、あるいは興奮しているのか、なかなか寝付けない。
少し眠った瞬間、どこかの車のセキュリティが反応して、クラクションが鳴り始めた。
まったく、寝られやしない。我慢して横になっていたが、いいかげんかなり外が騒がしくなってきたので、体を起こすと21時50分だった。カロリーメイトを食べて、給水パックに水を入れて、擦れ防止スプレーを脚や体に塗って、着替えた。
そして今日が小型かつ強力LEDライトのデビュー戦だ!電池を新しいものに入れ替えて出陣した。月は、満月だった。満月と新月では、夜の明るさが段違いに違う。主催者は満月を考慮したのだろうか。
相変わらず私の準備は手順が悪く遅いが、11時過ぎには、車から受付に向かう。スタート会場までは、送迎バスだ。ちょうど到着したところだが、私の2人前で、いっぱいになった。次が最終らしい。ギリギリ間に合った。
最終のバスで、スタート会場前の観光案内所に到着。スタート会場である王滝小中学校には、選手がすでに集結。エントリーは388人だが、何人かは来てないだろうから、300人強だとして、これぐらいの人数ならレースとしてちょうど良い感じ。いつも2000人以上の大会しか出たことがないので、新鮮だ。
とりあえずトイレに向かうと、そこは公民館だった。あれ?あの坊主頭の素晴らしい肉体の持ち主は相馬剛選手ではないか?小柄かと思っていたら、170ちょっとはありそうだ。ふーん出場するんだ。トイレ後、選手は着替えなどしていたのだろう講堂が空いていた。少し寝転がったが、あっという間に人が全員で払ったので、私も外に出ることに。
途中アミノバイタルの顆粒が落ちていたので、これ幸いと食した。
11時45分再度スタート地点に。ビデオ撮影している。おっ石川弘樹選手だ。いろいろな人と挨拶しているところをビデオに撮られている。
あれは、渡邊千春選手だっけ?結構社交的にいろいろな人と話をしている。見た目どおり面白い人のようだ。
ん?放送で呼び出しが・・・「鏑木毅選手の奥様」?選手ででるの?鏑木選手も出るんだ。三強そろい踏みだ。すげーな。デジカメ忘れたのが悔やまれる。(実際は、最強3人初の一騎打ちとして、注目のレースだったようですが、そんなことは知りませんでした。)
最後に真打ち鏑木選手が登場。スタート前方からミーハー的に最前列の選手を眺めている私から向かって左側に鏑木選手。一番右側に相馬選手。対極に位置しているところはお互い相当意識しているのかな?
結構、私のようなミーハー選手や応援する人が、スタート前方で並び、スターターはよく分からないが、司会進行は主催者のパワースポーツ代表の人だ。うーん、ただの社長ではないアスリート体型だ。しかも見るからに性格が明るく、しかもかっこいい体育会系だ。
<スタートから第一関門>
20日になった午前零時にきっかりスタート!先頭集団のスタートを見届けて、最後尾に付いて、私もスタート!300名ちょっとなので、ものの1分かからず私もスタートラインを通過した。通過直後、私のストップウォッチを作動。約1分遅れだった。
スタート地点は、王滝村中心部で、深夜にかかわらず、何人かの村民のみなさんの応援もあった。ありがたいことです。ゆるやかな登りを皆とともに走る。ほとんど最後尾スタートだったので、多少抜くも、まあほとんどビリ状態で、勾配がだんだんときつくなる。きつい登りは、歩くことに。
途中、テレビ?ビデオ?撮影あり。その前を通過するときは、わざとらしくならない程度に、スマイル&ポーズ。通り過ぎると、ビデオカメラかかえて、スタッフがダッシュで抜いていく。また撮影ポイントに出くわし、スマイル&ポーズ。これを3回くらい繰り返した。
やがて5Kポイント。39分12秒だ。多少歩いているから、まあ仕方ないだろう。
すぐに舗装が切れて、完全な山登り勾配に。街灯もなくなり、満月の明かりのみに。やっとLEDライトの働きが重要に。といっても、私たち後続グループの登りの場合、歩きなので、足下照らせば十分なのだ。この足下照らすには、腰の正面からヘッドライトを足下にするのが有効のようだ。鏑木選手ら有力選手もそうしていた。私のように両手では、足下を照らすと、腕の振りが難しい。家に腰ベルトに向きそうなLEDライトがあるので、次回は、使ってみようと思いつつ、ただ足下を見つめ、黙々と登る。時折、自慢の160ルーメンのわがLEDの力を試したく、遠くを照らしてみる。なかなかの照射力だ。
苦手の登りだけに、後方にもかかわらず十数人に抜かされる。それでも、へばる何人かを抜かしもしたが。
そこそこばらけるも、ヘッドライトは後方を振り返ると、いくつか見える。びりでないことに少し安心しつつ、冷静に考えるとこれは実に異常な光景だ。こんな人気のない山道を夜中に、これだけの人間が、動いているのだから。
そうこうしているうちに、10Kポイント。この5キロは57分49秒(1時37分2秒)。結構な登りの感じの割に時間が短い。恐らく、序盤であることと涼しかったことから、自分としてはかなりのハイペースで行ったようだ。(よくつぶれなかったものだ。)
ここまでは、ほぼ登り一辺倒だったが、10K過ぎから第一関門(33K)までは、上ったり、下ったりのトレイルとなった。
これにより、やっと満月の夜を疾走することができた。(下りだけですが。)そして、ついに我が両手ハンドライトの効果が出ました。
下りでは、足元でなく、その少し先を照らさないことには、走れません。それには、十分な光量が必要です。ここで160ルーメン×2がその恐るべき効果を発揮し、次々と抜くことができました。
その明るさに目を付けられ、途中から私のすぐ後ろにぴたっと張り付くランナーが・・・
はっきり言って、すごく邪魔でしたが、とにかく駆け下りましたが、ぴたっと離れません。
途中、トイレ休憩すると、先行しましたが、同じく少し先でトイレ休憩してて、また後ろに・・・
上りでは、私は苦手なのでペースダウンするも、そのまま後ろに・・・
仕方ないので諦めて、マイペースを維持していると、いつの間にかいなくなってました。振り切ろうと思うと振り切れず、いいかと思うと振り切れるあたりが、何かを示唆しているようで・・・
下り部分もそこそこあったので、10-15Kは、40分52秒(2時17分54秒)。少し遅れ気味だがまだまだ行ける感じだった。ここまでは。
初めての長い下りを駆っ飛んだものの、僅かの上りにもはや走れず。15-20Kは、56分55秒(3時14分50秒)に。事前にもらった高低図では、わずかな高低に見えたが、実際には距離100Kとの圧縮比の錯覚(ようは、1キロ未満での高低は図に反映されていない)だったようで、大半が上りか下りしかないような道で、14時間で走破などという目標は、はかない夢だったことをそろそろ自覚してきたところでした。
しかも、ここに来てとてつもなく強力な睡魔が押し寄せてきました。やはり今週の仕事の忙しさという思い当たる節があるだけに、睡魔を払拭できず、きつかった・・・
もう、第一関門でリタイア!という考えがもたげつつの走行になってきた。
比較的平坦だった20-25Kでは、途中初めてのエイド(小エイドで給水のみ)があったりして、少し元気が出て37分25秒(3時52分15秒)で通過した。ただ上りのきつい残り8Kを40分では無理だ(14時間でゴールするためには、第一関門通過を4時30分に設定していた。)
この後、夜も明け始めてきたこの時間帯と走路が最悪でした。延々たる上りに睡魔と戦いつつ、もはや歩くことしかできず、時間だけが過ぎていく感じ。
夜明けの爽快さを全く感じられず、苦行そのものに。仕事が忙しかったせいだと、恨みつつ、第一関門リタイアを目標に進む状態。
このあたりでは、前後のランナー間隔が空いていながらも、苦手の上りだけに、何人かに抜かれていった。
上った分、また下って、30Kポイントに。この5キロは、54分42秒(4時46分57秒)。第一関門の時間内到着は、制限時間に近いという低レベル。しかも今、頭の中にあるのは、リタイアだけが望みという体たらく。
また始まった延々たる上りが緩んだところで、第一関門に到着。時間は5時34分27秒。
楽しみなエイドであったが、食べ物はなんとパンのみ。絶句。しかたないので二つ食べる。ドングリパン(味なし)。
とにかく眠いので寝たいが、すでに待機所では毛布にくるまった10数名が仮眠中。しかも夜が明けたためアブがそこらじゅうを飛び回っている。給水のおじさんは、アブよけネットをかぶっていた。こっちは無防備だけど、アブに食われたら、かなり痛いかなあ・・・と。
地べたで休んでいると、猛烈な寒さ。仕方なく待機所に近づくと運良く一つ毛布が余っている。ザックを枕にすぐさま仮眠。
少し眠ったが、あまりの寒さに目が覚める。しかし毛布から出られない。スタッフは無線でリタイア者の搬送を打ち合わせしている。まだまだ時間がかかる感じ。
ここで、ふと頭がさえる。第二関門に荷物を送ったが、戻ってくるのは、第二関門閉鎖時間(正午)後だった。今、リタイアして帰っても、12時過ぎまで待たないといけない。それなら先に進むか。
そんなことを考えていると、近くのおばさんがスタートした。ならば私もとスタート。時間は、第一関門制限時間を過ぎた6時15分19秒。40分以上も休憩したことになる。第一関門通過者では、ダントツの第一関門ビリスタートになった。
<第一関門から第二関門へ>
少し眠ったせいか、弱気を振り切って、進むべき理由(12時過ぎまでただ待つだけは嫌)が見つかったせいか、何より少し下りだったせいか、第一関門からの出発は、すこぶる快調だった。
おばさんは、遙か彼方に行ってしまったが、疲労困憊の人たちを一人また一人と抜かしていった。
33-35Kは13分37秒(6時28分56秒)。その後も下り基調の後、上りがあり35-40Kは47分49秒(7時16分46秒)。夜は完全に明けたが、まだ日差しは山の斜面に邪魔されている。その後も下り基調の後、平坦となり、40-45Kは42分44秒(7時59分30秒)。
とうとう未知の領域45Kに。しかしながら、第一関門ではリタイア必至だったのに、45K地点では、このままいけば完走できるのでは?状態に。いやあ、第一関門での睡眠が効果絶大だったのかなあ。
47Kに小エイドまでに26人を抜いた。小エイドでは、美味しい水を、あご先から少し滴り落としながら、がぶり飲みした。数名座り込んでいる人を尻目に、休憩なしで元気よく出発した。都合30人抜いた形かな?
ダム湖畔を走る形となり、当然平坦であるが、急に脚が上がらなくなった。走れない。だいぶ日が出てきたせいか?平坦なのに走れない。当然後ろから走ってくる人に、一人また一人と抜かれ始めた。少し走っては、歩きで50Kを通過。45-50Kは44分24秒(8時43分55秒)だった。
50K手前から、ダム湖畔を離れつつ上り基調となるとともに、日差しはますます強くなり、一層辛い状況になり、さっき抜かした人達の数名に抜かれ始めた。
苦しい中、水は十分飲んでいるし、なぜだろうと意識朦朧の中で、ふと自分の手を触ると、少しむくんでいるような・・・
「確か塩分が不足すると手足がむくむ」って、誰かのブログに書いてあったな。
そうだ!このきついのは、きっと塩分不足による脱水症状だ!塩だ!塩で解決だ!
そう思いこんだ私は、その場にしゃがみ込み、リュックから塩をとりだした。
家の塩入れから小さじ一杯分の塩をアルミ箔で包んで持ってきていたのだ。
半分程度残すべきかなあと少し思いつつ、全部口に入れた。すぐに水を飲み飲み込んだが、それでも相当量が舌や喉に残った。ちょー塩辛い。塩そのものを食べたことはないから想像外だったが、ものすごく塩辛かった。痛いって感じだ。
しかしその分、脳は塩を取り込んだと認識してくれるだろう!
そのまま、木陰の林道にリュックを枕に大の字で寝ころんだ。エイドステーションを除けば、初めての休憩だ。石はどけたつもりだったが、背中に当たり、少し痛いが、それでも横になっているだけで快適と感じた。
まさに溶けていくような感じだったが、いつまでも寝てても良いことはないので、たぶん1分くらいで起き上がったと思う。
塩と休憩で相当な回復感を感じて、坂を上り始められた。
それにしてもきつい上りが続く。先ほどふらふらの私を抜かしていった何人かを抜かし返した。こちらは塩で回復傾向。むこうはばて気味。たぶんそんな感じで抜かせているんだと思う。しかしながら、私がそれほど元気なわけではない。とにかく暑い。塩で回復しても、この暑さはいかんともしがたい。乗り切れそうにない。
途中、何も背負ってない、いかにもランナーという格好の人が。手に500のペットのみ。しかも空だ。完全脱水状態だろう。ふらふら歩いている。こちらも余裕がないので、併走気味なところで、後ろから声が、「大丈夫ですか?」。声かけが必要かと思っていたところでしたが、私よりまだ元気ある、その人に後を託して、私は進んだ。
心の中では、「この状態では、どのみち俺も第二関門でリタイアする。100キロは絶対無理だ。」と思っていた。
50-55K 65分57秒( 9時49分53秒)、55-60K 67分01秒(10時56分54秒)。リタイアは決めたが、第二関門に時間内にたどり着いて行きたいところだったが、もはや、第二関門に時間内にたどり着けるのか?そんな時間経過であるが、もうどうでもよい感じ。
そんな中、面白いのは、上りに弱い私は、何人かに抜かれて、下りでは抜かした同じ人を私が抜き返す。そんな低レベルのデッドヒートが繰り返されつつあることだ。
ダム湖畔を除けば、平坦部分はほとんどなく、上って下っての繰り返しの中、そんな状態が起きている。
背の高い男性と女性のペアを下りでパスした。「元気だね。がんばれ!」「いやあ、次でリタイアします。」「えー、もったいない。」
65Kの第二関門にギリギリ間に合わそうと自ら鼓舞して、上っていると、思ったより早く第二関門に到着。やったー!時間内に到着。リタイアできる。60K-第二関門38分44秒(11時34分39秒)25分も前に着いたみたい。
<第二関門から第三関門へ>
まずは、勧められて、そうめん(ほんとのちょっとしかなかった)を食べ、キュウリを食べ、冷たい水をたらふく飲んだ。リタイアするが、時間チェックしたい旨、スタッフに告げると、それは無理との答え。時間内にチェックポイント通過したら、リタイアできないとのこと。
仕方ないので、時間が切れるまで休憩するしかない。テント内を見渡すと私が預けておいた荷物が見えた。カロリーメイトをあさった。荷物を枕に横になった。いやあ、もうレースしなくて良いと思うと嬉しくなっちゃう。
そんな中、先ほど抜かした人たちが続々第二関門に到着。そうめん食べて、キュウリ食べて、自分の荷物から必要なものを取り出したら、そそくさと出発して行っている。
さっき抜かした背の低いおじさんと目が合う。「まだ行かないの?」「リタイアしますので」「えーなんで?」「これ以上疲れると今日帰れなくなっちゃいますから」「今日帰らなくて良いじゃない。じゃあ、お先に」
あれ?おじさん大丈夫っすか?私より疲れ具合は、ひどい気がするけど、行っちゃったよ。
ずいぶん前に抜かした、若者もほとんど休まず、死にそうな顔しながら、出発していく。
えー、どういうこと?
あんなへろへろな人たちが行けるのかなあ?
うーん、結局時間切れ3分前になると、さっきまで10人くらいの選手がいた第二関門が、私を含めて3人しかいない。
なんか、寂しい。このまま残って良いのか?
「わかった。今日は最悪帰らないつもりで、いけるところまで行こう!その前に、第三関門の時間制限に間に合いそうか確認してみよう。」関門でチェックしているスタッフに尋ねた。
私「第三関門までは、上りなんでしょうか?下りなんでしょうか?」
スタッフは、高低図を探して、確認する。
スタッフ「3つくらい、小さな上りの後、一気に第三関門まで下りますね。」
私「ここと第三関門はどちらが標高高いんでしょうか?」
スタッフ「第三関門の方が、低いですね。」
私「3時間で行けますかね。」
スタッフ「1時間6Kペース。下りで少し走れば、大丈夫ですね。」
心は決まった。下り基調なら、あと3時間で17K(あとでわかるが実際は14Kだった。)は射程範囲だ。
制限時間1分前の11時59分に第二関門を通過し、スタートした。ちょっとすてきなお姉さんとおじさんは、リタイアのようだ。第二関門もビリスタート、結局25分も休憩したってことだ。
スタート後、しばらくは下り。先ほど声かけられた男女ペアを抜かす。
私「リタイアやめました。」
男性「えらい!がんばれ!」
すぐに上りに。これがきつい上り。傾斜はないが、炎天下の中、だらだらとした上り。山腹をだらだらと上るルートが何キロ先までも見える。精神的に堪えました。「あの先まで上るの?」
65Kを通過、64-65K 16分35秒(12時14分47秒)
長い休憩のせいもあり、少し元気な私は、苦手な上りでも、あまり抜かれることがなくなってきた。もちろん下りでは、私は駆け下っている。下りでは、すでに脚の筋肉の限界が来て、歩いてしか下れない人たちを、続々とパスしていった。無論、私の脚も筋肉疲労しており、下りでも歩きたくなってはいるが、下りで歩いていても、苦痛を感じる時間が長くなるだけなので、駆け下っていただけであるが。
提供された高低図では、ちょっとの上りと下りの図に見えたが、何せ100Kを約10センチ幅で表示している図なので、ちょっとの上りと下りでも何キロレベルの長さであるということを、痛いほど思い知らされた。分かってはいることであったが、まさに想像を超えた距離を実感した。
65-70K 52分16秒(13時07分03秒)上りもあったが、下りを駆け下って、このタイム。82Kの第三関門までの12Kを1時間53分。かなりきつい展開だ。
上りの後の下りは、根性で駆け下った。上りは、できるだけ日陰を通るようにして、オーバーペースと熱中症にならないように気をつけた。途中、何度も日陰で大の字で休憩した。休憩といっても、1分間程度だが、日陰で寝ると体温が下がり、かなり楽になった。
上りで私を抜かした人が、その頂点で、休んで私に抜かれている。私的には、上りは下りで駆け下るための準備期間だと考えており、下りの始まる頂点で休まざるを得ない状態は、効率的でないと思っている。あの人は、時間内に通過できたのだろうか?
下り基調となって、75Kを通過。70-75K 51分11秒(13時58分14秒)
残り7K1時間だ。下りも歩いていては間に合いそうにない。駆け下るしかないはずだが、この辺りの下位の選手の多くは、歩いている。間に合うのか?などと他人のことを気にしている暇なく、駆け下る。
無舗装林道なので、それほど傾斜があるわけではないが、これまでの下りに比べて、かなりきつい傾斜で、疲労した脚には相当堪えて、歩きたくなったが、足を止めずに駆け下った。
歩いて下る人はもちろんのこと、軽く走って下る人も抜いていった。
と、予想外に早く第三関門に到着した。制限時間の30分近く前だった。
<第三関門からゴールへ>
当然、まずを水をがぶ飲みし、クッキー全種類とバナナにパワージェル2種類をいただいた。
クッキーとバナナは即いただいた。パワージェルは道中用に残した。
救護所で少しひっくり返っていたが、この辺り(未だ後ろの方だが、それなりの人数を抜かした後なので、レベル的に少し上がっている。)の選手は、100K程度のレースは経験済みらしく、お互い知り合いで、今回の厳しさについて会話していた。もう、この先は時間的には余裕だと判断し、めいっぱい休憩する感じだった。
給水パックの残量は心配だったが、次の小エイドまでは、距離がないので、再度水をがぶ飲みして出発した。78K発39分03秒(14時37分17秒)
時間的に、かなり短かったので、スタッフに現在の距離を尋ねると、
スタッフ「80K地点といわれてますが、噂では78Kぐらいとも・・・」
どういうことって感じ。この後かなり上って、やっと80Kの表示があったので、78Kだったと判明するが。
主催者ができるだけ落伍者を出さないようにとの配慮の結果なんでしょうが、事前発表より4Kも手前に関門設置とは・・・
上り始めてすぐに尿意を催す。男子だけに処理は簡単。前は確認済だが、後ろからも人影はなかったので、済ませた。脱水になってないようだ。
ところが、この第三関門からの上りが半端じゃなかった。後で気がつくが、OSJの記事にもそう書いてあった。(そうは言っても標高差はわずか200mの少しきつめの上り)炎天下、背中から日差しを浴びて、上り続けた。健脚の人には追いつけないが、疲労困憊(レース経験の乏しい若者の場合が多い。)している人たちについては、一人ずつパスしていった。
下りでは、まだ脚を前に出せた。駆け下れた。そして最後の上りに。
途中85Kを通過。80-85K 61分59秒(16時08分04秒)
ところが、ここで給水パックの飲料がなくなった。予備の水としていた、ペットボトルの水に切り替えた。これまでは胸元のチューブから簡単に飲めたが、ペットボトルとなるとそうも行かない。
ザックの底にペットボトルホルダーがあり、腕を腰の後ろに回せば、ザックを下ろすことなく取り出せるが、それでも体をかなりねじ曲げることとなり、走行中のストレスはかなり大きくなる。
途端に給水の回数が減ることになったが、すぐに小エイドステーションまでの下りとなり、とりあえず給水をほとんどしないで、突き進むことにした。第三関門手前の長い下りに負けず劣らずの長い下りでしたが、ここでもかなりの人数を抜いたが、さすがにこの辺りの順位の選手たちは、歩いて下っている人は少なくなってきた。それでも抜いて行けたことは、「結構行けてるじゃん」と思えた。
90Kポイント通過。85-90K 42分59秒(16時51分04秒)
しかし、ペットボトル給水により、ひとつ良い事があった。水なので体を冷やすのに使えたことだ。
日陰の少ない林道コースにおいて、水による冷却は、抜群の効果があった。
普段、マラソンでも水をかけることのない私でも、かけざるを得ないほどの暑さだったし、それでかなり生き返ることができた。
下りが終わり、橋を渡って、少し開けたところに最後のエイドステーションがあった。
92Kぐらいか。90-92K 13分17秒(17時04分21秒)
おじさんとおばさんが先着し、喉を潤していたしていた。
私も喉を潤し、冷たい水を見極め、給水パックを取り出し、アミノバリューの粉末を投入し、水をパンパンに入れた。(1.5L以上)
パンパンに入れられたことに満足して、背負うと両肩に重さがずっしりと。しかし、元気回復。スタッフはあと5キロと教えてくれた。あと30分くらいか。それなら17時間30分も狙えるかな?と欲も出た。
とりあえず、あとは平坦か下りだろうから、5キロなら走りきれるだろう。先ほどの二人を抜こうと走り出した。
ほとんど歩いているおじさんはすぐに抜いた。おばさんはなかなか姿を見つけられない。
それでも10分ほどして、追いついた。それまで何人も抜き去った。
おばさんの年齢は、私と同じくらいか。しかし体型はかなりのがっしり型。この体型でこの長距離の終盤を走っていることに驚きだ。
このおばさんに追いついたところで、しばらく後ろについて走った。ゴール近いから、最後におばさんをごぼう抜きにしようと思ったが、これが甘かった。
おばさんも気合いが入ったのか、スピードは落ちず、こちらは、さっきの余計な給水1.5キログラムが重く、しかも後ろからは、追いかける選手全く見えず、そのうち脚が止まった。
おばさんが離れていく・・・
それでもジョギングペースで進むと、歩いているおじさん達を抜いていく。
しかし、さらに精神的なショックが待ち受けた。あと5キロなら30分ぐらいだから、のこりは1キロくらいかと思っていたところで、95Kポイントの表示が・・・
92-95K 28分12秒(17時32分33秒)
かなりくじけました。ここでいったん歩きに・・・
しばらく歩きましたが、そろそろゴール付近の感じが・・・
ひょっとすると100Kより短いのではないかと思ったのと、前方の若いと思われる女性二人組が走り始めたので、また走り出すことに。
今度こそ絶対彼女らを抜かすと心に誓うものの、この二人、なかなかペースが落ちない。
釣られて走っていると、結果的にゴール直前でへばっているおじさん達をどんどん抜かすことに・・・
やがて、ゴールの運動公園に向かう川に架かる橋に進み、大回りでゴールのある会場に向かう。
女性二人組との差は開くばかり、女性が後半強いってのを実感。おかげで、最後の直線でさらに二人おじさんを抜く。
会場に向かう最後のカーブにスタッフであろう男性二人。
「最後走って!」のかけ声に猛然とスピードを上げる。
17時45分過ぎだ。
主催者の滝口さんがゴールシーンを実況している。
「ゼッケン○○番、かず選手、今ゴールしました。」
それを聞きつつ、私は両手ガッツポーズでジャンプしながらゴールした。
タイムは17時46分35秒。(ゴール直後タイムは分かってなかった。)
リタイアすることだけ考えていた中盤までからは考えられない完走だった。
忍耐。我慢。辛抱。いい経験をさせてもらいました。
<ゴール後>
駐車場に向かう時、声を掛けてもらう。
「完走おめでとうございます。すごいですね。」
「私のこと覚えてますか?赤い服着てて、途中で抜かされました。」
すっかり着替えて、雰囲気は変わっていたが、記憶をたぐり寄せると思い出した。
「うん、覚えているよ。」
第ニ関門の前後でデッドヒートした若者だ。コンチネンタルディバイド履いていて、その他のグッズやファッションが全部洒落ていた若者だ。サングラスしてたよなあ。(上りで何度も抜かれ、下りで何度も抜いて、最後は俺がぶっちぎったんだねえ。)
「僕は第三関門で時間オーバーでした。」
「よく頑張ってたのに残念だったね。次はがんばれよ!」
互いの健闘をたたえ合える。長いレースならではの出会いだった。
受け取った水を持って、車に向かう。私はかなり普通に歩いていたが、会場でゴールしたと思われる選手達は、脚を引きずっている。普通に歩ける俺って案外タフなんだと実感。
車に向かう途中で急に、ゴールの喜びがあふれ出してきて、涙が出て、軽い嗚咽が。感極まったようだ。近年無いことだった。やり遂げられると思わなかったことができたからだろうな。
記録証をもらってないので、ゴールに確認に行くと、後日は郵送とのことだ。
優勝は鏑木毅選手で8時間24分、二位石川弘樹選手、三位相馬剛選手。いやあ、すごい記録だ。シャワーを浴びて、着替えて、車に戻る。続々とゴールしているのが実況でわかる。
「みんなえらいよ!」車の中で、お菓子を食べながら、帰宅準備しながら、この雰囲気を味わっている。20時からフェアウェルパーティだそうだ。
参加しても良いかもと思いながら、あたりがすっかり暗くなったオデッセイの中で眠る。20時30分頃目覚めた。もうパーティ始まってるし、めんどくさくなって、そのまま車で出発する。腹減ってるし、名物のそばでもと思い、道中にないかと気にしながら走るも、見つからず。
国道を諏訪方面に進み、途中のコンビニに寄る。見慣れないチェーン店だ。そばを食す。まずます。運転しているのでビールは飲めず、代わりにハーゲンダッツを食べる。うまかった。
伊那谷の新しいトンネルを抜け、中央高速に入る。三連休中だからであろう、談合坂から20キロ以上の渋滞らしい。
寂れたPAに停車し、仮眠。遮光がうまくできず熟睡できず。1時過ぎに出発。
3時半すぎに無事我が家に到着。
100キロへの挑戦は、無事終わった。(実際は97キロぐらいですが)
<総合所感>
1 暑さ対策が重要 7月下旬であり、さほど高所でもないので、とにかく暑かった。しかもコースである林道上に日陰が少ない。エイドステーションも少ないので、道中の身体冷却をうまく行うことが必須と思われた。
2 自己補給が必須 食料の提供されるエイドステーションが3箇所と少ないうえに、提供される食料の量に制限があった。よって、十分な自己補給物資を背負うとともに、第2エイドステーションに自分の補給物資を十分に送っておくことが肝要。
3 寝不足厳禁 午前0時スタートと いう睡眠不足必至の設定であるので、睡眠不足とならないようにうまく調整したい。早めの到着で、仮眠するのも有効と思う。
4 ガレた林道 トレイル部分は前半の一部のみで、概ね無舗装林道であり、適度にガレて、石が多いが、傾斜は緩やかである。よって、つま先のガードは必要なものの、グリップ力は必要ないので、トレランシューズである必要はないかも。
タイム一覧
0- 5K 39分12秒( 0時39分12秒)
5-10K 57分49秒( 1時37分02秒)
10-15K 40分52秒( 2時17分54秒)
15-20K 56分55秒( 3時14分50秒)
20-25K 37分25秒( 3時52分15秒)
25-30K 54分42秒( 4時46分57秒)
30-33K着 ( 5時34分27秒)
33K発88分21秒( 6時15分19秒)
33-35K 13分37秒( 6時28分56秒)
35-40K 47分49秒( 7時16分46秒)
40-45K 42分44秒( 7時59分30秒)
45-50K 44分24秒( 8時43分55秒)
50-55K 65分57秒( 9時49分53秒)
55-60K 67分01秒(10時56分54秒)
60-64K着38分44秒(11時34分39秒)
64K発 (11時58分14秒)
64-65K 16分35秒(12時14分47秒)
65-70K 52分16秒(13時07分03秒)
70-75K 51分11秒(13時58分14秒)
75-78K着
78K発39分03秒(14時37分17秒)
78-80K 28分47秒(15時06分04秒)
80-85K 61分59秒(16時08分04秒)
85-90K 42分59秒(16時51分04秒)
90-92K 13分17秒(17時04分21秒)
92-95K 28分12秒(17時32分33秒)
95-97K 14分02秒(17時46分35秒)
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